2話 遭遇
黒い服を着たおぞましい気配を放つ女のやる気の感じられない忠告を無視した俺は浩平を連れて目的地に向かって歩いていた。なお、俺のテンションは下がったので会話は少し途絶え気味になった。
そして俺たちは何十年も前に廃業したホテルの建物の前に立っていた。
外からホテルの周囲をぐるりと一周して様子を見てみた。思っていたよりは綺麗だった。壁にヒビは入っていないし亀裂のようなものもない。まあ、少しの間楽しく探検するくらいで崩れることはないだろう。塗装はあちこち剝がれているようだが仕方ない。メンテナンスは当然してないだろうし。
ただ、壁にところどころ何か妙な植物のツタのようなものが生えている。そこだけ気味が悪いといえば悪いかな。何か赤い色・・・してるし・・・黒色・・も混ざってるな。
とはいえだ。毒のある植物あるいは食虫植物ならぬ食人植物でもない限り人間に害はない。まあ、この植物なんなのかはさっぱりなんだけどさ。俺は植物学者ではない。
多分、花粉症やかぶれる程度の害はあるかもしれないが、ちょっと探検するくらいだし問題はないだろう。不用意にあちこち触れて怪我をしないことだけ念のため気をつけるとしよう。
あと、本当は廃業したホテルでも不法侵入には該当する。本当はやっちゃだめなんだよ・・・こういうこと。あっさり監視カメラでばれるからやらない方がいい。普通に逮捕だ。
俺と浩平という社会不適合者はそんなこと気にしない。入るかどうか相談して少し緊張しながらも中に入ることにした。
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中に入るとそこは玄関ホールだった。フロントもあるが当然無人だ。ホールには案内図があったので参考までにチェックした。意外ときれいだった。ゴミも落ちていない。へえ、このビル正六角形の形・・・・・・なんだな。
ビルは地下二階から地上八階まである・・結構広い。地下は駐車場と・・・まあ、他にもなにかあるようだが詳しくはわからない。
客室はたくさんあるようだ。3階からは客室があるらしい。部屋は1階につき6部屋・・・・・・・・、となると合計36部屋?いや、最上階はスイートルームでワンフロアーで1部屋のようだ。7階も3部屋しかない。上ほど部屋が広くて豪華なようだ。
1階と2階はレストランだったりバーだったりフロントだったりあんまり変なものが出そうな雰囲気はなさそうだ。まあ、客室を覗いてみよう。
地下はなんとなく薄気味悪いし一番怖そうな場所はメインイベントだ・・・一番最後にしよう。
俺たちはまず客室のある3階から順番に上りながら見て回ることにした。
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エレベーターはあるが当然電気は止まっている。俺たちは階段を使い3階まで上ることにした。
3階の廊下は玄関ホールと同じで不思議ときれいだった。ゴミ一つ落ちていない。誰か掃除してるやつでもいるのか?ふとそんなありえないことを考えたりもした。
ただ、なぜか客室のドア周辺には何かの植物のツタがビッシリと生えていた。ホテルの外壁に生えていたものと同じだな。色はこちらの方がより赤っぽい。黒も混ざっているが。ちょっと血液っぽくて気持ち悪い。
「「ちょっと気持ち悪いな」」
俺と浩平の言葉が重なっていた。
とはいえここまで来て部屋の中すら見ないで帰るというのもなんだろう。まるでたかが植物に怯えて逃げ帰ったみたいでなんとなく面白くない。
俺と浩平はとりあえずドアを開けようと普段の感じで気楽に開けようとした。まあちょっと緊張はしていたが。
ちなみに、開ける役割はじゃんけんで決めた。負けた浩平がドアを開けることになったんだ。まあなんだ・・・口に出して言わないだけで二人ともちょっとビビってたんだな。
馬鹿のくせに準備のいい浩平はガラスの破片などで怪我をしないように少し頑丈な防刃性能のある手袋をつけている。なんだろう、中二病なのだろうか?嫌いじゃないぞ。
ちなみに浩平の見た目は細マッチョのムッキムキの肉体を持っていた。顔は整っていると言っていいだろう。目は人を何人か殺してそうな鋭い目・・・・・・・・・をしている。空手もやってる・・・・・・・。パット見は怖い。短髪の髪は茶色く染めていた。
なお、見た目はこんなんだが話せば普通に常識もあり穏やかなやつだ。家で花とか育ててもそれなりに付き合いのある俺は不思議に感じない。
実は意外な趣味・・・・・とか持ってそうだ。
なんでも実家が厳しくて大学に入って一人暮らししてから髪を染めたらしい。一人暮らしのきっかけも父親と喧嘩して家を飛び出したそうだ。実家は近いらしい。遅れてやってきた反抗期かよ、聞いたときはそう思った。
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浩平が手をかけてドアノブを回そうとした。
「開かないな。鍵がかかってる」
「そうか、何か肩透かしだな」
俺は緊張が切れたのか少しだけホッとした。浩平も同じようだった。
「俺も開くかどうか確かめる」
俺はドアノブを素手で掴み回そうとした。わりと中性的な女っぽい細身の容姿をしているもやし体型の俺だが無駄に勢いはあった。ガタイのいい浩平とは真逆の身体だ。身長も169センチしかない。浩平とは20センチ近く差があった。もう少し背が欲しかったよ。
ガチャガチャと勢いよく回そうとするが、確かに開かない。
ただ、鍵が閉まっているというよりは何か詰まっていて抵抗があるというような印象も受けた。中でツタでも絡まっているのだろうか?
まあ、鍵がかかっているにせよ、ツタが絡まっているにせよ開かないのなら俺たちにとって結果は同じなのだが。吸血植物に血を吸われて干からびた遺体・・・・・・・とか隠されていてもおかしくない雰囲気はあった。このツタ赤いんだよな。見ていて不安を感じる赤色だった。綺麗な赤じゃないんだ・・・不気味な赤なんだ。
別の部屋のドアも開かなかった。
同じように順番にドアノブをガチャガチャと回そうとするがどの部屋も全て開かない。
3階が終わり、5階に到着した頃には俺たちに緊張感はほぼなくなっていた。
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「なにもないし、ちょっと面倒になってきたな」
そんな会話をしていた。
ここまで来たし一応最後まで探索しようという話になり、惰性でドアノブをガチャガチャと遊び半分に回そうとしたりしながら気づけば最上階の8階まで着いていた。
最上階はスイートルームになっていて、1フロアー全てが一つの客室になっている。ロビーで確認した通りだな。
「いたずら防止の為に全部の部屋の鍵をかけてから廃業したのかな」
俺は浩平に常識的な判断から出た推測を口にした。まあ、口とは裏腹にやっていることはろくでもないのだが。
「オレもそう思う」
浩平も同じ推測をしているようだった。まあ、部屋が空いていたらいたずらし放題になる。鍵くらいかけるだろう。火でもつけられたら責任問題になる。
「ここも開かないならあとは地下だけかあ」
どうせここも開かないだろう・・・俺はスイートルームのドアを無造作に気楽に開けようとした。
・・・ガチャリ。回らないと思っていたドアノブが回った。どうしよう・・・開いてしまった。隣からゴクリとツバを飲む音が聞こえた。あるいは俺も飲んでいたかもしれない。
さっきまでは緊張感もなくなっていたが部屋の中に入ると思うと急に二人とも緊張していた。
隣にいる浩平と目があった。無言でお互いに頷くと俺はドアを開き中に入った。
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スイートルームは広かった。
玄関を入って左手にはキッチンがあった。中を覗いてみたが特に何もない。ただ相変わらず植物のツタが部屋の壁をチラホラと覆っていた。
室内なのにな・・・不思議ではあるがまあ探索を続けよう。
キッチンの横にはリビングルーム。見てみたが広い。10人くらいは余裕で寛げそうだ。
魔法少女と聖女と姫騎士と感度数千倍の謎の女忍者となぜか俺のことが大好きでエッチな幼馴染を集めてこんなところで淫らなパーティー出来たらさぞ濃い液体が出るだろう。そんなくだらない会話をしていた。相変わらず脳内がお互いに糞だった。それは目の前にある現実を無視しようとする現実逃避でもあったのだろう。
嫌なことにここにもツタは部屋の壁を覆っていた。さっきよりも多かった。俺たちは見て見ぬふりをするかのようにいつもの話題で盛り上がっていた。現実逃避だった。素直に恐怖していることを認めてここで引き返しておけば良かったんだ。
リビングルームを出て玄関に戻った。さて、右手には寝室が二部屋ある。まずは手前の狭いゲストルームのような部屋からだな。
うん、広くて豪華だが普通だな。そしてツタが生えているのも同じだ。
この部屋一泊いくらかかるんだろうな、そんなことを考えながら最後の部屋に向かおうとした。とても嫌なことにツタの色はさらに赤みを増している。
さて、最後の部屋を確認したらとっとと帰るか。なんだか危険な気がしないでもない。そして最後の部屋である寝室のドアを開けた。
開けた瞬間ドキリとした。
ドアを開けた目の前には奥が見渡せないようにパーテーションがあった。そして・・・部屋の中は夥しいほどの赤黒いツタに覆われている。壁だけではなくて地面もだ。一面びっしりだった。
そして、妙な音が聞こえてきた。聞こえてしまったんだ。
ピチャッピチャッ・・・ジュル・・・ピチャッピチャッ・・・ジュル・・・
そんな音が聞こえた。何かの水音のようだ。奥から聞こえてくる。
俺はフラフラと何かに導かれるかのように奥に進んだ。進んでしまった。
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キングサイズよりもさらに大きい。お姫様にピッタリといった感じの天蓋にレースのカーテン。そんな豪華なベッドが見えた。
カーテン越しに・・・四つん這いになっている何かの姿とその下で横たわっている何かの姿が見えた。
よく目を凝らしてみると、四つん這いになっている姿は時折僅かに動いている。
その時だ。謎の音が再び聞こえた。
ジュルジュル・・・ピチャピチャジュルジュルピチャピチャジュルジュル・・・くわせふじこ
謎の音が激しさを増した。
まさか・・・血でも吸ってるのか?俺はそう思い覗き込むようにカーテンの中を見てしまった。
そこには・・・四つん這いになりながら熱心に女の首筋に口をあてがい何かを啜る黒い服を着た男がいた。女は・・・生きているようだが顔色は悪くまるで蠟のように白く見えた。
ゴクリ・・・
頭が働いていなかった。
横たわる女はあまりにも全く動かないし顔色が白いのでマネキンか精巧な人形かと一瞬思いこもうとしたが間違いなく人間だった。
幸い男は何かをピチャピチャジュルジュルと啜ることに夢中になっていて、こちらにはまだ気づいていないようだ。
男が何かを啜り続けるうちに女の身体は、まるでミイラのようにしわしわに乾燥していった。それはまるで何とかかろうじて生きていた老木の生命力がとうとう尽きてしまって、最後はあっさりと枯れ墜ちていくように見えた。
俺よりは入口近くにいた浩平の方を振り向くと怯えた目をしていた。多分俺も同じような目をしていたと思う。
俺と浩平は壊れたロボットのようにぎこちなく無言で頷きあった・・・ゆっくりと足音を立てないように寝室を出ようとした。
恐る恐る玄関のドアまで移動し、ドアノブを掴み回そうとするが・・・不思議なことにドアノブは回らなかった。ドアは決して開かなかった。
その間もピチャピチャジュルジュルという音はずっと響き続けていた。その嫌な音が聞こえてくる度に心のざわつきは激しくなり俺の心は混乱していった。
寝室に入ったときに鍵は締めていない筈だ。
だが、ドアの鍵は外側で植物のツタが絡まって逃げられないようにされてしまったかのように、焦る俺が何度全力で力を込めてドアを開けようとしてもドアは何故か開かなかった。
それは俺より遥かに力のある浩平が開けようとしても同じだった。
「待たせたね」
そんな声が後ろからした。
「あいにく食事中だった。何かようかね?」
振り向くと先ほど何かを啜っていた男がこちらを見つめていた。男は口を大きく開きながら口元についた血をベロりと大きく長い舌で舐めた。大きく開いた口内の中にあるものが良く見えた・・・
そこには・・・・・・・・
吸血鬼のような鋭い牙と・・・新潟産コシヒカリのようなものが見えた。コシヒカリには血がついていて・・・それはまるで玄米のように見えた。ちなみに俺は朝はトースト派だった。
どうやら俺たちは逃げられないようだった。




