7話 絶望
あの城で俺は絶望を味わった。あの城で俺は百回以上死んだ。あの城は絶望の城と呼ぶにふさわしい城だろう。そう思う。さて、そしてだ。
今俺は目の前にある別種の絶望に直面しなければならなかった。
俺の目の前には母性を感じる柔らかな表情を見せながら酸味の効いた料理を食べているアリシアとヨナがいた。
時折お腹の中にいる何かを愛おしむかのようにアリシアはなぜかお腹をゆっくりと優しく擦っていた。
ヨナはテッドを膝の上に乗せて慈愛の目で見つめていた。まだ手が動かせないのだろう。テッドの口元に優しく食事を運んでいた。
そう・・・二人ともまるで母のようだった。
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味覚が変わるのって・・・いつからなんだろう?妊娠何日目からだ?いつからだ?いつからだ?やはり的中したのか?危険日だったのか?むしろ安全な日なんてあるのか?
俺は目の前の現実から目を背けるかのように床を見ながら考えていた。
どうしよう。どうしよう。この可能性を考えないでもなかったけどいざ直面するとプレッシャーが違う。なんだこのプレッシャー。胃が痛い。極めて胃が痛い。キリキリする。すっごいキリキリする。いや、考えすぎなんじゃないか?そもそも最初にやることやってからたった一週間ちょっとだぞ?
人間の出産まで十月以上かかる。それを考えるとセーフだろう。全く・・・人間なんだから・・・人間?に、人間?
俺・・・吸血鬼だったなあ。あんまり自覚なかったけど。ゴブリンとかだと創作ならすっごい早く産まれるイメージあるが・・・吸血鬼ってどうなん?そもそも吸血鬼と人って子供作れるの?種族違うし・・・セーフなんじゃないか?そうだろ?きっとそうだろ?うん、そう思う。そのはずだ。
「ごめんなさい。ヨナ姉さん。少し胃がムカムカしてあまり・・・」
ムカムカ?ムカムカ?なんか聞き流せない言葉がアリシアの口から発されたような・・・俺は顔を上げてアリシアを見た。
アリシアは・・・口元に手を当ててまるで吐きそうな表情をしていた。顔色も極めて悪かった。
「む、無理は良くないんじゃないかな?や、休めよ」
俺は思わずアリシアを気遣っていた。
あかん。これはあかんやつや。間違いなく俺の種だわ。だって初めてだったし。間違いなく初めてだったし。間違いなくあそこから血が出てたし。
あれ?これ俺詰んだ?もうこれは安全な街に連れて行くだけじゃなくて生涯責任を取らないといけないやつ?ドライに子供を作るなって言われたけどもう既に作ってた?
いやいや・・・まさか、ねえ。考えすぎだよねえ。
俺は祈るような気持ちを込めてアリシアを見た。
アリシアはとうとう限界が来たのだろう。テーブルの上にまるでシャワーのように勢いよくゲロを吐いていた。
それはまるで・・・キラキラと光輝いていて綺麗な虹のようだった。
ああ・・・オシッコする所は何回も見たけどゲロは初めてだなあ。俺はアリシアの放つ綺麗なゲロシャワーを見ながらそんなことを考えていた。思えば色んなことをやらせすぎたし・・・やりすぎた。
切実に思うよ。せめて・・・避妊はすべきだった。結婚すればライスシャワーするんだっけ?別にこんなに綺麗ならライスシャワーじゃなくてゲロシャワーでも悪くないかもしれないな。
混乱した頭で俺はそんなことを考えていた。
・・・・・・・・・・
話は少し前に遡る。
「ヨナ、少し相談がある」
「なんだい?」
ヨナは酒場でいつものように佇んでいた。客はいない。あんなことがあったのだ。客が入るような状況ではない。
ある意味それはいいことだった。ヨナとアリシアの見た目はいい。とても優れている。自暴自棄になった男たちに襲われたとしても何らおかしくはない。アリシアがこの歳まで未経験だったのが不思議なくらいだ。
おそらく・・・ヨナが守っていたのだろう。場合によっては自分の身体を使って守っていたのだろう。ヨナは明らかに慣れていた。そういうことをすることに慣れていた。全く不慣れなアリシアとは大違いだった。
さて、話を続けるとしよう。
「地図はあるか?この街と他の街の位置関係のわかる大きめの地図はないか?移動するのに必要になる」
「なるほど。ありがとう。約束を守ってくれるんだね」
「ああ、そのつもりだ。既にお前たちから代金は受け取ってしまったしな」
「なるほど。でも地図は無いんだ。だから、他の街へ移動するというのは・・・博打なんだよ。たどり着ける可能性は低い。街を探している間に食料が尽きたら終わりなんだ」
なるほど。だからあのとき俺は四肢を斬り落とされたのか。街の外に放り出されるだけではヨナやアリシアにとって意味がなかったんだな・・・納得したわ。とはいえどうしたものか。
「大体でもいい。どこに何があるとか何らかの情報はないのか?」
「無いんだ。他の街とのやり取りというものは一切無いんだ。少なくともここ百年くらいは無いんだ。そう聞いている」
「百年・・・待てよ。それなら食料はどうしてるんだ?街には畑も何もなかったぞ?」
「あの吸血鬼だよ・・・あの吸血鬼の配下が定期的に食料を運んできている」
「なんだって?食料まであいつの支配下なのか?」
「そうだ。だからね、私達は文字通り生命をあの吸血鬼に握られている。だから逆らえない。食料を止められたら私達は終わりだ。街の周囲の亡者が全滅しても逃げる人間が少なかったのはそれもあるんだよ」
「・・・・・・」
「私達はある意味、吸血鬼に飼われているんだ。ペットだよ。好きなときに殺し、好きなときに血を吸い、好きなときに生贄として捧げられる。ある意味ここは吸血鬼の作った人間の養殖場みたいなもんなんだよ」
「・・・・・・」
「だから連れて行ってほしかったんだ。吸血鬼の支配のない街があるのなら。連れて行ってほしかったんだよ・・・もう、誰かを裏切るのも裏切られることに怯えて生活するのも、家族を喪うかもしれない恐怖に震えて眠るのもごめんだったんだ。自分や家族が助かるために誰かを陥れるのは・・・こんな私でも心が少しは痛むんだよ。あのときは・・・ごめん。君のことを知るほどに・・・私が君にやってしまったことに後悔した。すまなかった」
ヨナの目は揺れていた。
いつも合理的な判断を見せ、まるで感情がないかのように振舞っていたヨナが初めて表情を僅かだが崩していた。
初めて見たその表情は・・・普段見せている顔よりも遥かに弱々しいものだった。
普段より幼く見える弱々しい顔だった。




