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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

豊太郎の息 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 はあ〜、なんだかなあ。

 こうも毎日、毎日マスクをしていると、身体も気持ちも滅入ってくるよ。文字通りの、息苦しさでさ。

 マスクをせずに、ぺちゃくちゃ話していた時期から、まだ20カ月程度しか経っていないなんて……。


 ――ひとまず、ため息をつくと幸せが逃げるから、やめた方がいい?


 おおっと、失礼。

 しかし、言い訳するつもりじゃないが、どうしてため息をつくことが嫌がられるんだろうな?

 普通の呼吸に対し、ため息は長くつくもんだ。どちらかというと、深呼吸に近い。そして深呼吸は、往々にして体にいいことだと認知されている。少なくとも、科学的には「幸せが逃げる」などと、あろうはずがない。

 だが、火のないところに煙はたたないもの。由来を探ってみてひとつ、お前の気に入りそうな話を手に入れることができた。どうだ、聞いてみないか?



 むかしむかし。ある村に豊太郎という名の男がいた。

 彼は生まれた時より、定期的に息を長く吐かなくてはいけない体質を持っていたらしい。

 赤ん坊のころより「おぎゃあ、おぎゃあ、ふううう……。おぎゃあ、おぎゃあ、ふううう……」といった具合にな。

 起きているときも、寝ているときも、豊太郎の深くつく息が止まる気配を見せなかった。

 当初は病気を疑われたが、息以外では豊太郎の健康状態に異常は確認されない。親たちも会う人会う人に「これは息子のしゃっくりと思ってもらえれば」と、根気強く説き続けた。

 そのおかげで、豊太郎が物心をつくころには、彼の息に対して懐疑的な目を向ける連中は、村内にいなくなったらしい。


 その彼が15歳を迎えたころのことだ。

 彼の両親は、そろって倒れてしまった。原因は分からず、数日もすると寝たきりとなって、まともに動くことができなくなったという。

 くわえて、彼の身の回りにあるものが、あまりに早く傷み始める。

 すぐ現れたのは、日持ちしない食べ物たちだな。夏場という腐敗にうってつけの環境だったこともあり、最初こそ気候のせいだと思われた。

 しかし数を重ねるにつれ、それが豊太郎とその家族、そして彼に近しい人たちの周りで、顕著であることが知られてしまう。

 まずいことに、食べ物以外のものにも不自然な腐敗の手は伸びてきた。木は腐り、鉄はさびつき、石は崩れ落ちていく。

 生き物に関しては、たとえ豊太郎に対して近しい立場にあろうとも、差があった。


 食事の量だ。彼と接する頻度が高いものほど、どんどんと腹を減らしていく。みるみるうちに身体から汗や垢がこぼれ落ち、肉はこけて骨が浮かんでくる。

 食事を欠かさず、口へしない限りは。なにがしかでも摂り入れ続けているのであれば、肉体の衰えは見えなかったという。

 そしてただ一人。豊太郎本人にはその兆しが見られないとあらば、特定に時間がかかるわけがなかった。



 傷む前の、そして傷みながらの飯を食いながら、彼本人を交えた談判が始まる。

 被害を抑えるため、屋外の川べりで。山盛りの飯と野菜を転がしながら。すでに川の水も土も腐って、嫌な臭いを放ちつつある。

 話し始めこそ、彼の追放が訴えられるも、すぐに思いとどまった。

 彼が原因であるならば、行く先々へこの呪いをまくことになりかねない。それがもたらす被害は、この村の中で起こることとは比べ物にならないだろう。


 退くべきは、村人の方と相成った。皆がこの地から離れる、ということに。

 豊太郎自身、この地から離れることをよしとしなかった。すっかり弱り切った両親も、息子と最期のときを過ごせるのであればと、彼と運命をともにする道を選んだ。

 決定から即日、各人は行動へ移った。それぞれ村外に身内がいればそれを頼り、なければより豊かで、受け入れがはかどりそうな土地を求め、散っていった。

 しかし、それで「後腐れ」がなくなるかといえば、ウソになる。豊太郎がいつ、自分たちの約束を破り、この地を後にしてしまうか分からないためだ。

 村より近場に定住し直せる家は、連絡を密にし、かの村の跡地を監視できる小屋を、各所に配置したそうなんだ。



 人が去ったことにより、手入れの手を失った家々は、ほどなく崩れ去っていった。

 豊太郎は――本人は望まなかっただろうが――周囲より一段と荒れた家から出入りする姿が何度も見受けられた。

 ことごとく、近づいたものが衰えていく環境。数日おきに出てくる彼の足は、どんどん遠くへと伸ばされていった。

 見張りの件に関しては、事前に彼へ通達されている。いずれの小屋にも近寄らない道が定められて、彼はそれに従う。そして指定された刻限には、小屋から見える位置へ律義に、その姿を見せていたんだ。



 ところが、監視を始めて一か月ほどが経ってから。

 これまで家の中から姿を見せなかった彼の両親が、はじめて監視役の前へ姿を見せたんだ。

 にわかには考え難い。豊太郎に一番近しく、真っ先に彼の呪いを受けて動けなくなってしまった存在のはず。それがどうして、いまになって……。


 察しのいいものは、すぐ自分たちの家族で、豊太郎に関係した者に連絡をとる。

 ひょっとしたら、近いうちに良い知らせが来るかもしれない、と。

 予想は当たった。豊太郎に「あてられて」、なかば餓鬼のような境遇に置かれていた者は、異常な代謝がぴたりと止み、過食の手も止まった。

 身体は、瞬く間に元の肉付きを取り戻す。それどころか、若返ったかと思うほどの元気や肌の張りを取り戻す例さえも見られたとか。

 そして、豊太郎の家の周りにも、すでに変化があった。

 長く彼の息を受け、荒廃が進んでいたと見られていた土や家の跡から、草の芽や花といった育ちの気配。干上がってしまっていた川にも、その川床からおのずと水が湧き、かつての流れを取り戻す。

 それはまさに、新たな繁りに対する「息吹」だったという。

 

 だが、それらの成長を豊太郎が見届けることはなかった。

 親が回復してより数日後。指定された道の奥へと向かった豊太郎は、約束された刻限までに戻ってこなかったんだ。

 監視役たちが彼の後を追うと、木立の中に紛れて一本。ひときわ大きい樹が生えていたんだ。少し前には、確かに存在していなかったものだったが、それ以上に監視役たちを驚かせたものがある。

 

 樹の表面にせり出していた、幹の一部。その輪郭といい隆起といい、腰から下と、背中より後ろへ回した両腕を、幹の中へと埋めた豊太郎の身体にしか思えなかったんだ。

 その身体は、完全に幹と同じ色と感触へ同化していた。触れても何の反応も見せなかったのだとか。そして村が再びその栄えを取り戻してからも、すっかり人がいなくなって滅びてしまってからも、豊太郎をかたどった樹はそこへたたずみ続けていたとのことだ。

 

 

 俺は豊太郎が息とともに、自分の中の「人間」を吐き出してしまったのだと思う。

 それこそ、毒になること、益になることすべてだ。本来、人間として生きていたならば、生涯もたらしうる功罪のすべてを。

 そして空っぽになった豊太郎の身に、あの樹木が依り代として入っていったのだろう。

 それが偶然か、何者かの意図があってのものかは分からない。けれどもそれを招くよう、長い呼気。ひいてはため息を控えるように、言い伝えられたのだろう。

 息と一緒に、自分自身まで吐き出していかないようにな。

 


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