勇者、辞退します。
「お、おおお……!」
ある王国の広場で、一人の役人が歓声を上げた。
彼の目の前では、勇者の素質を持つ者しか持ち上げる事が出来ないと言われた聖剣を、一人の青年が高々と掲げている。
「新しい勇者の誕生だ……!」
「これで魔王を倒せる!世界は平和になるんだ!」
「万歳!万歳!」
それまで固唾を呑んで見守っていた観衆も、新たな希望に沸き立つ。
「……あの」
歓声の中、勇者となった青年……ファードが声を上げた。
集まった市民達はピタリと騒ぐのをやめ、未来の英雄が熱い決意を語るのを期待する。
しかし、ファードが発した言葉は、その場の誰もが予想しなかったものだった。
「すみません、辞退します」
さらりと、ファードは言い放つ。
そして、唖然とする周囲に構わず、ずかずかと役人に歩み寄っていくと、聖剣をその手へと押しつけた。
「これ、返しますから。それでは」
「はあ……って、重っ!」
ぽかんと呆気にとられる役人だったが、聖剣からファードが手を離した途端、その重さに押しつぶされそうになる。
我に返った役人は、慌ててファードの服の裾を摑んだ。
「ま、待ってくれ!」
「まだ何か?」
「いや、何かじゃないだろう!」
キョトンとした表情のファードに、キレ気味の役人が食ってかかる。
地面にめり込んだ聖剣との間に挟まれ、もはや息も絶え絶えだ。
「辞退するとは、どういうことだ!貴様は勇者に選ばれたのだぞ!」
「いや、でもやりたくないんで」
「やりたくないで世界の危機を放っておくつもりか!」
「はあ……」
ぽりぽりと頭を掻き、ため息をつくファード。
もはや、面倒がっていることを隠そうとすらしていない。
「では、お引き受けしますが、報酬はおいくらですか?」
「ほ、報酬?」
「そうです」
ぽかんと口を開ける役人に、ファードは詰め寄る。
「給与体系はどうなってるんですか?福利厚生は?」
「きゅ、給与体系……?福利厚生……?」
「時給制なのか、日当制なのか、それとも月給制なのか。もしくは、歩合制ですか?」
「え、ええと……」
戸惑い、言いよどむ役人。
地面にめり込んだ聖剣を引き抜こうとしていたファードは、そこで思いついたように『そうだ!』と声を上げた。
その瞬間、聖剣がファードの手から離れ、再び役人を地面へと沈める。
「ぐえっ!」
「そういえば、支払いはいつですか!?まさか、任務完了まで一銭も払わないなんてことはないですよね!?」
ファードは尋ねるが、答える声はない。
再び聖剣と地面との間に挟まれ、役人はすでに気絶していたのだ。
***
「だから、最低限の旅費は都合すると言っているではないか」
数日後。
王宮に召喚された勇者へと向かい、大臣が声を上げる。
「月に十二万ペレを支給、必要経費は別途請求でしたよね?」
「そ、そうだ。必要経費については、領収書を添付し、必要事項を申請書類に記載して伝書鳩で送ってくれ」
「で、後日精算……と。アンタら、バカですか?」
居並ぶ大臣達、そして玉座に座る国王に向かい、ファードは声を張り上げた。
半目で国王を睨みつけるファードに、控えていた騎士が俄に殺気立つ。
「貴様っ、不敬であるぞ!」
「不敬だろうが何だろうが、こっちは生活がかかってるんですよ!」
鬼の形相のファードが、騎士を一喝する。
その気迫は凄まじく、歴戦の騎士さえもたじろぎ、思わず後退りしてしまう。
「先々代勇者、ギブソン」
ファードが口にした名前に、先程まで説明をしていた大臣がギクリと身構える。
打って変わって寡黙になった大臣を直と見据え、ファードは告げた。
「アンタらに何度も申請書類を突っ返されて、魔王戦を前にしても金欠状態。おかげで薬草も買えず、魔王を封印しかできなかったんですよ?そもそも、今回の魔王復活の責任は、そこにあるんじゃないですか?」
「ぐっ……」
痛い所を突かれた大臣は、苦虫をかみ潰したような表情になると、今度こそ完全に押し黙った。
その様子を呆れたように見返しながら、ファードはため息をつく。
「俺は、ギブソンの二の舞になるのは御免です。必要経費については、国に請求書を送りますからそちらで払って下さい。いいですよね?」
再び国王へと視線を戻し、ファードは告げる。
固い決意の宿るファードの瞳に、国王は不承不承といった様子で頷く。
「……認めよう」
「さすが、国王陛下はお話が分かる。さて、次は賃金についてですが」
「えっ……ま、まだあるのか?」
「当たり前でしょう?福利厚生、各種手当を詳しく説明してもらいましょうか。それから、報酬額についても御相談を」
有無を言わさず話を進めようとするファードに対し、国王は待ったを掛ける。
「し、しかし、勇者というのは名誉職のようなものでだな」
「いやいや、命がけで魔王と戦うんですよね?それを、たまに出勤して書類仕事するだけの腰掛けみたいに言うのはどうかと思うんですが」
ファードの正論に、国王はじめ大臣達は言葉に詰まる。
明らかに旗色が悪くなる中、果敢にも宰相が声を上げた。
「ゆ、勇者よ。成功報酬ならば、いくらでも弾むぞ?そうだ、世界を救った英雄として、銅像も建てよう。望むならば、貴族に取り立てる事も吝かでは」
「いや、そんなもんいらないんで」
なんとか懐柔しようとする宰相の提案を、ファードは食い気味に断る。
「大体、魔王を討伐するまで、俺が死なない保証なんてないですよね?」
「いや、まあ、それは……」
「濁してますけど、国民はみんな知ってますよ?先代勇者コザックの末路を」
ファードの言葉に、国王、そして数名の大臣がギクリと身を竦ませる。
「先代勇者のコザックは、勇敢に魔族と戦いました。……しかし、力及ばず、魔王軍幹部との戦いで命を落としたんです」
それなのに、とファードは続けた。
「国は何をしましたかねえ?本来なら国葬にするべきコザックを、魔王を倒せなかったからと最低限の見舞金だけ遺族に押しつけて、それであとは素知らぬふりだったと聞いておりますが」
「そ、それは……」
言い淀む国王に、ファードはさらに畳みかける。
「俺には年の離れた妹がいます。俺が死ねば、妹は孤児になって野垂れ死ぬ事になるでしょう。……というわけで。成功報酬しか払わないと言うなら、俺は勇者を辞退します」
そして、聖剣を置くと、ファードはその場を立ち去ろうとする。
その背中に、国王は待ったをかけた。
「わ、分かった!月に五十万ペレを支払おう!」
ピタリ、とファードが動きを止める。
だが、振り返った彼の言葉は、国王の予想とは違うものだった。
「……それだけ?」
「えっ」
「いやいやいや……。こっちは命がけで戦うんですよ。最初のひと月で死ぬかもしれないのに、たった五十万ペレで命を賭けろと?」
「で、では、いくらなら……」
「最低でも、月に一千万ペレですね。ああ、それから、魔王軍の幹部を一人倒すごとにボーナスも。もちろん、万が一俺が死んだ場合の保障もお願いしますね」
「くっ……!」
「イヤなら、さっさと帰らせてもらいますけど?」
再び身を翻し、立ち去ろうとするファード。
だが、彼以外に勇者はいないのだ。
悔しそうに拳を握りしめながら、国王は絞り出すように言った。
「……分かった。条件を飲もう……」
「わあ、ありがとうございます!」
にっこりと笑顔になったファードに、国王は少しだけ胸を撫で下ろす。
「で、ではこれで……」
「いやいや、何言ってるんですか。まだやることがあるでしょう?」
そう言って、ファードはペンを持つジェスチャーをする。
「契約書ですよ、契約書。法律では口約束でも契約は有効だけど、あとから知らぬ存ぜぬで通されたら困るんで。ああ、念のため、俺が選んだ公証人立ち会いの下、契約書を交わさせてもらいますよ」
パチン、とファードが指を鳴らす。
次の瞬間。
どこからともなく、片眼鏡をかけた身なりの良い男が現れた。
「公証人のクリスと申します。このたびは、公正証書による契約書を作成されるということで宜しいでしょうか?」
生真面目そうに片眼鏡を押し上げながら、クリスが尋ねる。
唖然とする国王や大臣に向かい、ファードはにこやかに説明した。
「クリスは、ギルドでも指名率ナンバーワンの公証人なんですよ。ちなみに、彼は転移魔法も使えるので、パーティーメンバーにも加わってもらおうと思っています」
ファードの紹介に、クリスがしたり顔で頷く。
クリスと熱い握手を交わしたファードは、何かを思い出したように国王を振り返った。
「あ、契約書作成の費用はそっち持ちでお願いします」
「くっ……!」
国王は悔しそうに歯を食いしばるが、他に手立てはない。
そして、小一時間の押し問答の末、結局ファードの希望通りの条件で契約書にサインしたのだった。
***
万全の福利厚生と潤沢な資金を得たファードは、数年後に魔王を見事打ち倒した。
王国へと帰還した彼は、報奨金を渋ろうとする国王や大臣からきっちりと妥当な金額を取り立て、後年には勇者のための労働組合を設立した。
ファードの作った労働組合の存在により、これまで過剰な責任を負わされ、過酷な労働環境を強いられていた勇者達の待遇は劇的に改善し、それに伴って魔王や魔物の討伐成功率も上昇した。
勇者のための労働組合設立について、ファードは自身の手記の中でこう語っている。
『勇者だって家族もいるし、食事も寝床も必要です。ロクに栄養も摂らずに野宿続きでいたら、勝てる相手にも勝てない。勇者も人間ですからね』
なお、勇者への手当は、王家の私有財産から支給されている。
歴代の勇者達が持ち帰った希少な装備やアイテムを『王への献上』という形で取り上げ、貯め込んだ王家の財産は数千億ペレとも言われており、しばらく財源が枯渇する事は無さそうである。
──勇者労働組合からのお知らせ──
勇者の皆さん、最近休めていますか?
一刻も早く魔王討伐をしろと、無理なノルマを課されていませんか?
十分な賃金は支払われていますか?
「魔王討伐後は姫と結婚させる」
「英雄として爵位を授ける」
「宮廷魔導師に病気の妹を治療させてやる」
こうした甘い言葉で勧誘し、勇者を社畜化する事例が多発しています。
実際には約束を反故にされ、思いを寄せていた姫に殺害される、妹は治療を受けずに亡くなっていたという事例も報告されていますので、安易に条件を飲んではいけません。
我々には人権と聖剣があります。
魔王軍、及び人権を蹂躙するブラック国家と共に戦いましょう。
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ジャンル別日間ランキングで1位になりました(2021.7.12)
『アニメイト耳聴きコンテスト』一次選考を通過いたしました(2021.9.1)
拙作にはもったいないくらいの評価やコメントの数々、本当に感謝してもしきれません。
ランキングに載せていただけたのも、コンテストの候補作に選んでいただけたのも、全てはこの作品をお読みくださった方のお陰です。
本当に、ありがとうございます!