佐伯雅美②
突然だけど、朕こと佐伯雅美は魔法使いである。そして元はひとつの世界を丸々納めた皇帝であった。
前世では天寿を全うし、今世に生まれ変わったはずなのに。
たかが十余年生きただけのぼくが自殺を図ったものだから、さあ大変。
粛々と生きていくはずだった朕は、慌てて雅美の意識と融合し、全力で魔法を使った。
ビルの屋上からの飛び降り自殺。
けど、なんとか生き残った。魔法のお陰だ。
――え?
自殺を図ったあまり、朕がおかしくなったって?
そりゃあまあ、前世だの魔法使いだの元皇帝だの、そんな話を周りにしたら完全無欠の痛い子誕生である。
だからその事実は、墓に入るまで内緒にしておかねばなるまい。
いやいや。本当だよ? 嘘言っている訳じゃないよ?
本当に魔法使いで皇帝だったんだから、前世では。
――まあ、皇帝だったという証明はすぐできないかもしれない。物理的な証拠なんて一切ないしね。
一応は以前の言語を覚えていたりするけど、それ喋ったところで痛い子度合がアップするだけだ。
前世の智識が残っていないのか、だって?
残念ながら、前の世界の文明度は、日本でいうところの江戸時代くらいだろう。西洋風に言えば中世ヨーロッパかな。
そんな遅れた文明の智識が、現代日本で通用するわけ、ないよねえ。
カリスマ性や指導力が今世に引き継がれているかは謎である。
――引き継がれていたら、虐められたりしてないですね。はい、判っていましたよ、実は。
そんな感じで、朕が元皇帝だってことは証明できないけれど。
魔法使いであることはすぐに理解してもらえるはずだ。
どうしてか?
考えてもみてよ。
この世界の人間が10階建のビルから落ちて、クッションもなく地面に叩き付けられたら。
生きていられると思う?
「――生きてる――」
夢から覚めた朕は、小さく呟いた。
まず視界に入ったのは、白と思われる天井。夜だからか辺りは真っ暗だけど、そこは白とはっきり判った。
朕は身体を起こそうとした。いまの自分はどうなっているのだろう?
「――――った!」
だけど、ほとんど全身に痛みが走る。とてもでないが、すぐに身体を動かせる状態でなかった。
なんとか首だけ少し浮かせ、身体を見てみれば。
暗い中に、ギプスで固定された右手と両足が目に入った。
この身体の感覚からすると朕の怪我の具合は、複数箇所の複雑骨折、内臓の軽度な損傷、少しだけ打撲、くらいかな。
ビルの屋上から飛び降りたんだ。そしてコンクリートに直接着地したわけなんだから、命が助かっただけ儲けものだ。無傷で生還、なんて願うべくもない。
幸いにして、この程度の怪我なら、治すのに1ヵ月も掛かるまい。
自分の身体くらい治せなくて、なにが魔法使いなものか。
――まあ、ファンタジーのゲームのように、一瞬で治せるわけではないのだけれど。
ところで。
あれからどうなったのだろう。
ビルからの投身自殺未遂で、他人から見たら大怪我を負った朕。
周囲の様子を伺うに、病院に運ばれて、手術を受けて、寝かされて。とは想像に難くない。
問題は家族のことだ。
両親と姉は、どうしたのだろう。
現在は深夜みたいだから、家に帰って寝ているとは思うけれど。
高校入学初日に、また馬鹿をやらかした朕である。無駄に悲しませてしまったかもしれない。呆れられているかもしれない。
それに、手術にも入院にも金が掛かる。学費だって通学定期券だって有料だ。勿体ない。
とにかく。
朕はいまの状況が知りたかった。
また迷惑を掛けただろう両親にも謝らなければなるまい。
姉は――もしかしたら、死にきれなかった朕に苛立っているだろうか。そちらにも、謝罪しなければならない。
だから朕は、唯一動かせる左手を使い、枕元にあった呼出ボタンを押した。
すぐさま看護師が、慌てた様子でやってきて。
こちらと目が合うや否や、電話で(もしかすると内線で)誰かと通話し始めた。
朕なんてそっちのけである。
その話の内容は、
「501号室の患者様、目を覚ましました!?」とか。
「すぐご家族に連絡を!」とか。
そんな感じだった。
まだ若そうな女性の看護師は、やはり慌てた様子で通話している。
――あれ。これってもしかして。
朕は目を覚まさない前提でもあったのだろうか。
そう勘繰るくらいには、彼女は驚いた風だった。
「えっと――佐伯雅美さん」
「はい」
「まだ深夜なので、ご家族と面会はできません。朝、医師の診察を受けてからの面会になります。それまではじっとしていて下さい。なにかご要望か、体調が悪くなったなどがあれば、さっきのボタンを押して、看護師を呼んでください」
「はい」
「――なにかご質問は、ありますか」
その若い看護師は、終始朕を訝しんだ様子だった。
酷いなあ。そんな眼で視なくてもいいんじゃない? こちとら患者なんだから。
ただ、まあ。気持ちは分からなくもない。
10階建てビルの屋上から飛び降りて、こんな大怪我を負った人間が、意識を取り戻したのだ。もしかしたら、植物状態で意識が戻ることはない、なんて馬鹿げた診察結果が出ていたかもしれない。それならお化けを見るような目をしたって、責められはしないだろう。
「ありません」
朕はそれだけを告げる。
看護師は結局、最後まで険しい表情を緩めることなく、病室を出ていった。
後に残るは、深夜の静寂のみだった。
看護師の話では、家族と会えるのは朝になってから。
今が何時か。ろくすっぽ動けない身体では、確認のしようもない。
ただ、どうせ何時間もあるのだろうから、今後のことを考えてみる。
看護師の背中を見送ってから、朕は思考を巡らせた。
怪我が治って、退院したら。
朕はなにをまずはすべきだろう。
そりゃあ学校には通わなければならない。
虐められた幼馴染がいたとしても、折角ぼくが努力したのだ。また不登校になったとしたら、その努力は水泡に帰す。
前世の記憶が戻る前のぼくなら耐えられなかったかもしれないが、いまの朕なら違う。
また虐められるかもしれないけれど――そんなの、皇帝を務めた人間にとり些細なものだろう。
でも、ただの高校生活を送るべきなのか。なんの変鉄もない、無個性な日々を過ごすのか。
――否である。
前世の記憶が戻ったいま、引き籠りで、ぼっちで、自殺しようとした、弱い佐伯雅美はいなくなった。
ぼくを信じてくれなかった連中を。赤城澪を。姉を。両親を。
見返してやるくらいの人生を送ってやりたい。
朕はそう思った。決意した。
朝になってから、本当の朕の人生がスタートするのだ。
――今度は絶対に、失敗したりしない。
段々と外が明るくなってくる。
じきに朝を迎えるだろう。
朕は今後のことを考えながら、医師と、家族が面会に来るのを、そわそわしながら待っていた。
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