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第三章 入院生活
「お兄ちゃん! りんご剥けたよ! はい、あーん」
「……あ、あーん」
「美味しい?」
「……ああ、美味しい」
「ふふっ、よかった!」
月曜日。
病室の窓から見える空は、久しぶりの雲ひとつない快晴。
ここは病院の一室、そのベットの上で俺は妹にりんごをあーんしてもらっていた。個室ではないので周りの視線が気になるが、あーんを拒否しようとすると、妹が泣き出すのでやむおえない。
「それにしてもお兄ちゃん、私、心配したんだからね?」
「……ごめんな? それについては本当にごめん」
「救急車で運ばれたって聞いた時は、生きた心地がしなかったよ……」
「……ごめん」
そうなのである。どうやら俺は救急車で運ばれて、この病院に搬送されたようなのだ。……意識がなかった為、その時の状況を全く覚えていないが……。
意識が戻ったときには、両親の心配そうな顔と泣き顔の妹が目に入ってきた。妹には抱き付かれ、わんわん泣かれて大変だったが、俺は少し嬉しかった。
「……それにしても、ゆうひ、お前しばらく見ないうちに大きくなったよな」
「そう? 自分じゃよくわからないけど、お兄ちゃんがいうならそうかもね!」
ニコッと満面の笑みを浮かべるゆうひ。
流石は両親のいいとこ取りのハイブリット美少女。今日も世界で一番可愛い妹である。
「それより、ゆうひ。お前、学校は大丈夫なのか?」
「何言ってるの! お兄ちゃん! お兄ちゃんが大変なときに学校なんて行ってる暇なんてないよ!!」
「だが、そろそろ高校受験も控えているし、俺のせいで、もしゆうひが受験に失敗したら……」
「お兄ちゃん……?」
ずいっと妹のゆうひがベットに乗り、俺の眼前へと顔を寄せる。すると困ったような表情を見せ、どこか俺を安心させる声色で囁いた。
「……お兄ちゃんは妹のこと、心配しすぎ……というか自分以外の人のために働きすぎだよ。お兄ちゃんはもっと自分を大切にすべきだよ」
「ゆうひ……お前」
俺を見つめる妹の瞳はとても澄んでいて、見ていると、気持ちが安らいでいく。
「……それにね? 本当の意味で、自分を大切にできるのは自分自身しかいないんだよ? だから自分で自分を傷つけるようなことは……もうしないでね? お願いね?」
懇願するように、そして俺に優しく言い聞かせるように話しかけてくる──ゆうひ。
「……俺は、自分自身を傷つけるようなことをしていたんだろうか?」
「……自分自身の事って、分かっているようで、よく分からないよね? ……多分お兄ちゃんは自分の体からのSOSにすら気付くことが出来ないくらい……追い込まれていたんだろうね」
ゆうひは、にっこりと天使のような笑顔で俺に笑いかけると、両手で頬を包んできた。
「……でも、これからは大丈夫だから」
「……大丈夫とは?」
「お兄ちゃんは私が養ってあげるって事」
「……………………」
全然、大丈夫な気がしないのだが……?
妹のゆうひに優しく抱きしめられながら、俺はそう思わずにいられなかった。
*
「母さん? ……それはどういう事なんだ?」
俺が入院して三日目の昼ごろ。
パジャマやらタオルやら、入院生活に必要なものを一式持ってきてくれた母さんが言った一言を俺はどうしても聞き返さずにはいられなかった。
「……だからね? あさとの会社には退職するって連絡を入れておいたから」
なんでもないように、ただ事務的にそう言った母さん。だがその表情は真剣そのものだった。
「……どうしてそんな勝手な事……まだ引き継ぎが終わっていない客注とか沢山あるのに……」
「……あさと、あなた自分がどれだけ酷い顔色しているかわかる? 今のあなたを見ていると……私心配でとてもじゃないけど、仕事になんて行かせられないわ。……それにあさとをこんなになるまで働かせた会社に大切な息子を置いておくなんて、出来るわけないじゃない!」
鬼気迫った表情で俺を見つめてくる。俺はこんなにも怒った母さんを見たことがなかった。いつもニコニコ笑顔でほんわか優しい、それが俺の母親の印象だ。
だからだろうか、こんなにも感情をあらわにして、怒っている母さんに俺は何も言うことが出来なかった。
「……あさと、今は何も考えずにゆっくりと休みなさい。あなたは自分をもっと大切にしなきゃダメよ」
……それは妹にも言われた。……俺はそんなにも自分を大切に出来ていなかっただろうか? 本当に自分自身のことがよく分からなくなってきた。
「……大丈夫だよ、母さん。ほら! 俺こんだけ動けるし、元気元気!」
腕をブンブンと振って、元気アピール。しかし母さんは、それを見て眉を悲しそうに潜め、俺の頭を撫でてくる。社会人にもなって母親に頭を撫でられるとは……中々の恥ずかしさである。
「……大丈夫なわけ、ないでしょう? ……それに、あさとは私たちの事は気にしすぎよ。今は自分のことを気にして、ゆっくり休みなさい」
いつもの優しい眼差しで俺を見つめる母さん。……頭を撫でられていると、昔の、子供の頃に戻ったような気になってくる。あの頃の……親に守られているような……俺の心はそういう安心感に包まれていた。
*
「おいーすっ! マナブ! 生きてるか!!」
入院一週間目。退院の日。
俺の病室は大部屋なので、周りには他に病人がいるのにも関わらず、相変わらずのでかい声を発する俺の父さん。
「……父さん、ここ病室だよ? 声がでかい、周りに迷惑でしょ?」
ドカドカと足音がなりそうなほど、大股で歩いてきた父さんは、これまたドカッと効果音がなりそうな勢いでベット脇の椅子へと腰掛けた。
「いやぁ〜! すまんすまん!! いつものことだから許してくれ!!」
「……いつものことだからって、許されるようなことじゃないよ……」
「なっはっはっはっ!! そう細かいことは気にするなって!!」
バンバンっと俺の背中をでかい手で叩いてくる。力加減をもうちょっと考えて欲しい。……母さんもなぜこんなゴリラと結婚したのだろうか? 母さんほどの美人さんだったら、選り取り見取りだっただろうに……。
と、俺が過去の母さんに苦言を申し立てようと妄想をしていると──。
「あさと、母さんから聞いたんだが、お前勝手に退職させられたんだって?」
「……どうやら、そうみたいなんだ」
母さんから退職しておきました宣言を聞いた俺は、会社の同僚に連絡をしてみたが、どうやら俺は本当に退職していることになったらしい。すると、父さんは少しだけ苦笑いをしたが、やがていつもの人好きのする笑顔を浮かべると──。
「まぁ! 母さんは昔っから、これと決めたことはすぐに実行に移すタイプだったからな! しょうがないな!」
「……しょうがなくないよ、どうすんだよ、他に働ける場所なんて、そうそう簡単に見つからないだろ……このご時世」
「──いや、そうでもないぞ?」
「……え?」
父さんが持参したバックの中から、ファイルケースを取り出し、一枚の書類を俺に手渡した。
「それを見てみろ」
「……何これ?」
「いいから見てみろって」
……一体なんなんだ? と訝しげに書類へと目を通す。そこには『駄菓子屋の販売スタッフ募集』と書いてある。……何だこれ?
「……父さん、これは?」
「お前が新しく働く職場の求人だ!」
「……………………」
……いや、駄菓子屋って、父さん。俺前職ホームセンターの販売員なんだけど……。こんな全くの未経験の職業って、厳しくないかな?
「そこの駄菓子屋はな、父さんの従兄弟の母型の祖父の再従姉妹の孫夫婦でやっていたんだが、今は別の事業をしているみたいでな、代わりにやってくれる人を探しているみたいなんだ」
「……」
父さんの従兄弟の……なんだって?
従兄弟から先は、ごちゃごちゃしすぎて頭が理解することを拒んだ。というかもう、殆ど他人じゃねえかよ! いったい何親等だよ!
「どうだ? 駄菓子屋、やってみないか? 昔はよく言ってただろう?」
「……昔はそりゃ言ってたけど、この年にもなってはいかないよ」
「でも、ちゃんと正社員だぞ?」
「──マジで?」
「マジマジ、それに給料もなかなかいい。父さんもそこで働きたいくらい」
しっかり見なかった求人にもう一度目を通すと、そこには確かに正社員の文字、勤務時間は週5で10:00〜19:00の休憩1時間の計8時間労働。それに月給は驚きの60万円。……これは詐欺ではなかろうか?
「……なぁ、父さん」
「何だ、息子よ」
「……この求人は本当に本物なのか? 月給60万とか書いてあるんだが……?」
「もちのろんよ! ちゃんと裏はとってあるぜ! 傷心のお前にそんなことはしないぜ! もしそんなことしたら母さんに俺が殺されてしまう……」
ブルブルと震えるゴリラ。そのゴリラが怖がらせる母さんは一体何者なのだろうか?
……しかし、時給3500円オーバーのこのお仕事、普通に考えればありえない。だけど何だろうか、不思議と嫌な感じはしなかった。
神様がこれまで不幸だった分、俺に幸運を振りまいてくれたのだろうか?
「……まぁいいか、わかったよ、父さん。俺、駄菓子屋で働くよ」
「そうか! そう言ってくれるのを待っていたぞ! なら早速、退院の準備だな!!」
父さんはそういうと、パパッと手際よく荷物をまとめていく。俺もそれに習い、荷物をまとめていく。
何やら新しく始まる生活に期待と不安の入り混じった奇妙な気持ちが湧き出てきて、何だが面白くなりそうな気がしていた。
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