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あと一ヶ月ちょいで夏季休暇だ。夢の九日間までもう少し……。もう幾つ寝ると盆休み……。何をするわけでもなく、実家に帰省したとして蝶や華やと扱われ疲れるだけだからな……引きこもって終わるか。社会人三年目の夏がこんなに虚無だなんて思わなかった。まだ夏季休暇、始まってないけど。けど、ってそこで意地になってる時点で潤いを求めてるんだよなあ。
「あーっ、すみません、ごめんなさい」
棚の上に並んだパッケージと上の段の隙間から、棚の向こう側をぼんやりと眺めていると、聴き慣れた音が左の方からしたので振り向く。するとそこには例によってこの間パッケージの山を崩して慌てている店員がいる。相手と目線を合わせるようにしゃがんでは崩されたそれらを拾う。
「大丈夫ですか」
「すみません、いつもありがとうございます」
この人、左胸に「三好」と書かれた名札を付けている彼は、多分この店の馴染みから顔を覚えられているだろう。印象に残ってしまうほど、こうやって物をよく落とす。見た目はしっかりした好青年に見えるのにな。平衡感覚を取るのが苦手なのだろうか。ぺこぺこ、と頭を下げながら私が差し出した物たちを受け取る。指先が長く、綺麗だ。
初めてまじまじと胸元の名札を見てみた。名前の左上に、まさかの、「店長」の文字。ええっ、この人が。
「店長さんだったんですか」
思わず、何も考えずに口から飛び出してしまった言葉に、三好さんは眉尻を下げて笑う。顔もきっちり近くで見たことがなかったので、案外目鼻立ちが整っているのに驚く。三好さんは手元のものを崩さないようにと、そっと立ち上がって頷く。
「あ、そう、なんです。僕鈍くさいんですけど、一応店長やらせてもらってます」
三好さんの爽やかな面立ちで恥ずかしそうに微笑みかけられてしまうと、母性の様なものがキュンとくる。きっと五歳以上は年上の方なのだろうから可笑しな話だ。
「本当に、鈍くさいですよね。私の仲間内だけの話なんですけど、可愛い、って話題になってるんですよ」
思いの外話してくれたので、調子に乗って、パッケージを棚に挿していく三好さんについていきちょっかいをかけてみる。これは本当だ。藤川さんもだけど、男性の神崎さんやあいつだってそう言っていた。
「そ、そうなんですか。こんなアラサーのどこが良いんでしょうか……」
一瞥する彼の表情はまさに目が丸く、驚きを大きく顔に表しすぎたか、と、恥ずかしがるように、ぱっ、と顔を背ける。ふふ、と思わず笑みが漏れてしまう。
「あ、あの……」
下の段へ残りのパッケージを挿すのを後ろ手を組んで眺めていると、おずおず、と顔を上げて何か訊ねようと眼が訴えてくる。私は後ろ手を組んだまま、身体を右に軽く傾けて返事をする。
「はい」
「その、鞄、山梨の……甲府の二高の鞄ですか」
「えっ」
今日はたまたま大きな荷物を会社に持っていかないといけなくて、高校のときの鞄を使ったのだ。今は中身がスッカラカンでぺしゃんこ。校章を身体に出来るだけくっつけて隠していたつもりなのだけど。
「そうですけど……どうして」
もしかして、この人制服フェチとか何とか、そういう危ない系の人間ではないだろうな……怪しいと思うと無意識に数歩、後ずさりする。
「いやいやいや、俺、ぼ、僕、怪しい者ではないですよ。ただ、僕、地元が山梨で」
向こうも後ずさって仰け反りながら胸の前で両手を振る。冗談交じりの邪推にここまで取り乱す様は見ていて面白いし、やはりこの人は可愛らしい。
「そうなんですか。三好さんも、二高出身で」
「いいえ、僕は一高だったんですけど、大学生のときに家庭教師してて、そのときに二人ほど、担当していた子がいて」
一高……つまりは頭が良いのだな。このルックスで頭が良くて、店長なのに母性本能を擽るおっちょこちょい……実はモテたりしているのだろうか。
そういえば、先ほど三好さんは自分のことを「アラサー」と言っていた気がする。すると、その年で家庭教師……ちょうど、佳代子が亡くなった頃だろう。この人なら、知っているかもしれない。
「あのー、すみません」
棚の向こうからひょっこり顔を出した男性客に気が付くと、三好さんは、「じゃあ」と頭を小さく下げて、去っていった。世界は案外狭い。そういえば佳代子、これ好きだったな、と、映画の『世界の中心で愛をさけぶ』を手に取った。