12
エレベーターから出て、自分の部屋に向かいながら街の景色を見下してみると、十八時台も半分が終わったというのにまだ西日がゆっくりと沈んでいる。そういえば今日は、佳代子の命日の丁度一ヶ月前だ。時には夕焼けを眺めながら、時には星を見上げながら三人で帰ったあの頃が思い浮かんで小さく笑みがこぼれる。
部屋に辿り着くと、扉の前には高校の時からのツレが座っている。
「おかえり」
「何、人ん家の前でうんこ座りなんかして」
「してねえだろ、三角座りだコラ」
「体育の授業か」
口ごたえしながら立ち上がり、ズボンの裾やお尻の方をはたいている。そこから退くのを見計らって、鍵を開けると扉を開け、三和土へ一歩踏み込んだところで右腕を後ろから掴まれる。
「なあ」
振り返るが、太陽の逆光のせいでどんな顔をしているのかが読み取りにくい。何かを言おうとして躊躇っている唇だけがやっと見える。
「な、何」
表情が見えづらいのは太陽のせいだけではなく距離のせいだと気がつくと、ぴゃっ、と手を振り払って離れる。「そんなに驚くか」と言いたげに目を丸くしている。
「いや……俺さ、わかったわ。やっぱさ、おれらの横にはいつでも佳代子が居たんだなって。今更なんだけど。つって……もう、七年も前の話になるか」
ボリボリ、と頭の後ろを掻いて懐かしそうに頬を綻ばせている。
「そうだね」
「だからさ、ふたりで居ると佳代子も一緒に居るような気がしてさ」
「うん」
頭を掻いていた手はもう片方の手と一緒にTシャツの裾の右と左と掴んで下へ引っ張る。懐かしそうな笑みは歪んでいく。
「でも……」
違うんだよ。
「違うって気がつく度に、佳代子は居ないんだなって」
そうだよ。
「いくら佳代子を思い出したって、おれらの中で生きているだけで、でもその佳代子は俺らと一緒には生きていない。同じ時間を生きていない。だから」
「だから、この勘違いを引き延ばすのはもうやめにしよう。ね」
トートバッグを三和土に落とし、相手の両腕を掴む。その腕は、Tシャツの裾を固く握ったまま離れない。覗き込んだ顔は、強がるように、眉根を寄せながら唇で笑っている。
「……うん。そう思ってた。お前も同じだったんだな」
「うん。もう、いい。もういいんだ」
彼の腕から手を離す私も、きっと同じ表情をしている。目を合わせられずに、右手が左肘に伸びて自分で自分を頼りにするように掴む。
「それで、さ。俺たち、やり直さないか」
「え」
思いもしない言葉に顔を上げると水飛沫が飛ぶ。あれ、私いつの間に涙なんか流してたんだろう。
「俺たち、こういうの抜きで合うと思うんだ。一緒に居て楽だし、好きなもんも似てるし、酒の好みも把握してくれるし。俺たち、付き合ったら、もっと楽しくなると思わないか」
「何言ってんの。わたしたちには、佳代子がいるじゃない」
さっき言ったこととは反対のことを言っている自覚はある。彼も、一瞬何のことだかわからないように目を見開いていたが、寂しそうに笑っては小さくウンウンと頷いている。
「……ん、そうだな。わかった」
そうだ。わたしたちは佳代子で繋がっていて、何より佳代子が好きなのだ。この中で、私が一番好きなのは佳代子で、彼も、この中で一番好きなのは佳代子なのだ。それはどうなったって、変わらない。ひっくり返ることはない。
「じゃ、これやる」
「えっ、何」
「仕方ない」という表情で頷いたかと思うと、次には無邪気な笑顔に変わり、何かをこちらに投げてくる。掴み損ねたそれは三和土に転がり、靴箱の下へ潜り込みそうだ。慌ててしゃがんで取ると、後ろからケタケタと笑い声が聞こえる。
「下手くそ」
そっちが投げるのが下手くそなんじゃないの、と言い返そうと振り向くと、既に彼はエレベーターに向かっている。
「また来るわ」
ちら、と振り返って手を挙げると、角を曲がって見えなくなる。
立ち上がって、街の景色を眺めていると、いつの間にか陽は暮れようとしている。手のひらで光るのは、「平成二十四年」と書かれた百円玉だ。
終