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大胆にも、なんだって、こんなときに。
「なあ、俺と付き合ってほしいんだ」
「え」
金銭的に節制するために少なめのかつ丼を社食でつついているとき、その言葉は唐突にかけられた。社食で、だ。かつ丼から神崎さんの顔へ移すと、スン、と澄ました顔をしている。
「……何、何の冗談なの」
怪訝に思い眉間に皺を寄せて、その澄ました顔にひとつでも欠けた箇所がないか確かめるために顔を近付ける。やはり顔が良すぎて初めて見たわけでもないのに驚いてしまい、ぴゃっ、と顔を引っ込める。
「ええ、何。そっちこそ何の冗談。ここでキスすんの」
「まさか」
肩を竦めて首を横に振り正気に戻ると、周りから視線を感じる。そりゃそうだ。社内に知れ渡るほどの顔の良さ、真面目さ、仕事の要領の良さ。そして優しく愛想も良い。モテないわけがない。何十秒かは経ったためかそこまで視線を多くは感じないが、やはり女性社員からの視線は目立つ。本当に、こんな場所で何の冗談だ。私は再びかつ丼に目を落とし、つつきはじめる。
「揶揄うならやめてよね。こんな人がいっぱいいる場所で」
「だからこそ、なんだけど……」
続きに躊躇いがある口振りに驚く。なんだ、さっきまで澄ましていた顔をしていたくせに。バツが悪そうにはにかんでいる。
「その、なんていうか……答え、すぐに聞きたいんだ。みんなの前だと曖昧にできないだろうと思って」
「何それ。勝手じゃん」
何と返事すれば良いのかわからず、言葉を探しながら会話の繋ぎにと唇を動かす。確かにそうだ。そういうさりげないタイミングで、周りに誰かがいる状況で告白するのを恥ずかしがらない人種がいるのは知っている。そして、自分が注目されている人間であることを知っていながらこの環境でそうしてきている。誰もいないタイミングを狙おうにも社内ではなかなかできないし、誰かに知られれば噂になり形を変えて他人の耳に届く可能性も無きにしも非ずだ。だから敢えて今、大勢の人がいる中で、答えを出させて決着をつけようとされている。
「そう、勝手。でもそれくらいじゃ俺のこと嫌いにはならないでしょ」
この人を好きならば、この言葉がどれだけ胸を鷲掴みにされるだろうか。顔を覗き込み首を傾ける仕草がどれだけ胸を高鳴らせるだろうか。この確固たる自信のある言いぶりは、今まで人として私と付き合ってきた過程で感じた信頼なのだろう。それは確かだ。それくらいで神崎さんを嫌いになる理由はない。でも、それまでだ。それ以上の好意は私にはない。
「ごめん。付き合うことは、できない」
「……そっか」
「うん。考えたいことがあって」
「考えたいこと」
口からこぼれた言葉に自分でも驚いている。
「あ、勘違いしないでほしいんだけど、あいつのことじゃないよ。もっと……こう、考えたいこと、というかなんというか……。とにかく、ひとりでいたいの。誰かと付き合うとか、好きになるとか、今は考えられない」
うまく言葉がでてこない。選んでも選んでも、不自然な間を作らないように心がけて紡いでいると、言いたいことが自分でも分からなくなってくる。無理矢理締める。その様子に気づいてくれたのか、神崎さんは「わかった」と言って寂しそうに小さな笑みを浮かべる。
「それでも俺、好きなまんまだと思うよ」
初めて「好き」と単語にされると、この人は本当に素直で、真っ直ぐに生きてきたんだろうなあと思う。赤裸々な彼の言葉に恥ずかしくなってくる。
「そもそもなんで。なんで私」
断りの返事に次第に薄れてきた視線。その隙を見計らって訊いてみる。
「俺のこと、人として見てくれてるから。他の人と接し方が違うように思ってて。話も合うし、一緒に居ると楽なんだ。それに、俺の顔を好きみたいだから、俺から離れたりしないかなって思って」
ずるいことを考えるもんだ。でも、意外だとは思わない。多分、好きな映画の趣味からして、いくら優しい彼でもひねくれた部分はあるものだと察する。神崎さんもまた、純粋な人間ではないのだ。
「でもそっか。返事聞かせてくれてありがとう」
変わらず寂しそうな笑みを浮かべながら冷めた定食をつつきはじめるのを横目に、静かに席を立ちトレーを返却口へ持って行った。