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今日は休日ということで、久しぶりに一人で出掛けている。昨日、仕事の帰りに土壇場で美容院に予約を入れた。あまりにもギリギリだったためか空きが少なく、開店時間の九時半か十八時以降にしかなかったので、早めに活動できる九時半にした。雑貨や切れてきた消耗品などを見たり、カフェに寄ったりしたいので、あまり遅いとギリギリの時間までだらけて行動に移すのに時間がかかりそうで、結局美容院へしか行けなかった、ということにもしたくないのだ。
服装と合わせたイメージにしてほしいので、仕事へ行くときに着ているものと同じものを身に着けて、いつものトートバッグを肩にかけて外に出る。エレベーターを降りる際に足元を確認すると、さして急いでいたわけでもないのに、紺のパンプスを履くつもりが、出しっぱなしにしていたグレーのものを履いていることに気付く。はあ、と、溜め息が漏れる。この靴ひとつだけでテンションは駄々下がりだ。でも、誰と遊びに行くわけでもなく、わざわざ履き替えに戻るのも何だと思い、マンションを後にする。
美容院の鏡はいつ何時でも決まって現実を見せてくる。今朝だって、自宅の鏡を覗き込んでメイクをしていると「今日の私はコンディションが良いな」とか何とか思ったりしたものなのだけど、こうやってベタベタと毛を染められ前髪がすべて持っていかれている状態になるともうダメだ。鏡の向こうには顔色の悪い私がいて、全てが救われない、と言いたげな表情で私を見詰めている。二十五歳相応の顔立ちなのを確認すると、このまま順調に歳を重ねるにつれて自分の顔もその分歳を重ね、その頃には周りの人たちもそれ相応に老けているのだろうか、それとも、女優のように手間暇かけるとまだこの若さまで保つことができるのだろうか。答えはノーだ。私には努力をする根気がないし、女優さんはスキンケアや食生活の管理のみならず、体力をつけるために運動もしているのだろう。肉体年齢が若くいられるのが、きっと一番の若さの秘訣なのかもしれない。
そんな、私にはできっこない、と甘ったれて自分の顔の造りに呆れていても仕方ないので、鏡の前に置いてあるタイマーでまだまだ頭を流すまでの時間が来ないのを確認すると、横に置いてあるスマホを手に取る。顔の前へ持ってこようとしながらもう一度自分の顔色の酷さを確かめようと鏡の方へ視点を上げると、
「あ、この間は」
「あ、どうも」
鏡の向こう側の席に三好さんが座ろうとしており、声をかけられたので小さく会釈する。世間、狭すぎるだろ。
「お知り合いですか」
「はい、お客さまなんですよ、店の」
席に着いて姿が見えなくなった三好さんに男性美容師が声をかけるのが聴こえる。三好さんの言葉に、「へーえ、自営業ですか」と間延びした美容師の声が聴こえ会話が始まったので、もういいか、と手元のスマホのロックを解除してツイッターを眺めていると、しばらくして、鏡の向こうから立ちあがる気配がする。この格好で知り合いと顔を合わせるのは何だか恥ずかしい。
軽いカウンセリングが終わったところだろうか。まあ、会話が終了した時点で他人のようなものなので気にせずスマホを弄っていると、「この間」聴いたことがある声が耳に入ってきた。
「あ、あの……」
「はい」
鏡の向こう側から、立ち上がった三好さんが小さく顔を出している。後ろにいる私とさして年齢は変わらないだろう男性美容師が、「早くしてくれないかな」と「でもまあいいけど」の表情をしてこちらと三好さんの後頭部を交互に見ている。
「えっと……この後、時間ありませんか。やっぱり、話したい、いや……話しておきたいことがあって」
「やっぱり」とは何だろう。そして、どうして言い換えたのだろう。「話したい」より、「話して『おきたい』」……。引っかかりながらも、何となく私も「話しておいてほしい」ことかもしれないと思った。
「やっぱり」。「やっぱり」知っているのだろうか。しかし、どうしてわざわざ私なのだろうか。何を、この人は、知っているのだろうか。
疑問に思うも、頭が上手く処理できずに上手い返事が浮かばないまま「わかりました」と三好さんに告げると、「ありがとう」と言われ、「えー、ナンパですか」という声と同時に消えていった。上手く声を出せていただろうか。薬剤が頭皮に染みてヒリヒリ痛い。