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Piece of Legend~伝説のカケラ~  作者: 今尾実花
十年前シリーズ
15/18

散華《参》

※この話には残酷な描写が含まれます。ご注意ください。

 仕事場である厨房に行くと、女達が一様に不安がった顔で、ひそひそと話をしていた。


「ねぇ、私……。何か、凄い怖い感じがして、飛び起きたのよ」

「まあ、貴方も? 私もよ。みんながそう言ってるわ。怖いわ、何があったのかしら……」


 自分が発した妖力を、みんな感じ取ったようだ。だが女達は特別に鍛えたわけではないから、原因である自分に目星をつけることまでは出来ないようだった。

 やがて朝食の時間になると厨房は目まぐるしく動き始める。

 毒でも扱えればこの立場を利用して、簡単に仕事を済ませられたろう。だが、生憎とラルフは毒に耐性はあっても、その知識はほとんどなかった。ラルフにとって植物は食えるか食えないか、どちらかでしかない。

 そして昨日と同じように一日を厨房で過ごし、今日も夜を迎えた。

 今夜は客人最後の夜ということで、館では宴会が開かれる。館中が浮き足立つ、ラルフにとって最後の機会だった。

 ――ヘマさえしなければ二人とも殺せる。

 夜も更け、ようやく館が寝静まった頃、ラルフは物音一つ立てずに部屋から滑り出た。

 本当は客人を真っ先に殺したくてたまらなかった。しかしラルフはあくまでも冷静に、領主のもとへ向かう。

 生き延びるために独学で身に付けた方法で気を断つと、慎重を期した昨晩とは違い、大胆に屋内を突き進む。見張りをいとも簡単にやり過ごし、あっという間に領主の部屋の前にやってきた。

 ジョセフは『夜遊び』をするため、普段から部屋の入口に護衛を置かない。仕事が格段にやりやすい相手だ。

 ラルフは一つ手前の角に身を隠して辺りを確認すると、素早く室内へと侵入した。


(……いた)


 目的。目標。獲物。

 ジョセフは酒をかなり飲んだらしく、寝顔はかなり赤らんでいる。

 もし起きていれば寝台に誘って油断させ、事を成すつもりだったが、その必要性は消えた。このまま殺すだけでいい。


(ころす)


 ラルフは室内に仕掛けがないかを確認し、一息にジョセフの枕元に駆け寄った。そして懐から一枚の布切れを取り出すとクルクルと細い筒状に巻き、右手に構える。

 それに妖力を通せば、凶器の完成。

 次の瞬間には、すぶ、と嫌な音とともに、鉄釘のように硬化した布切れが、ジョセフのこめかみに突き刺さっていた。

 ジョセフはカッと目を見開いてこちらを凝視したものの、さしたる抵抗も出来ず、そのまま絶命した。

 ――なんて呆気ない。これが、死。


(これで依頼は終了。追われる理由はない)


 客人を殺しても、ジョセフを殺し損ねたら自分が狙われる。本来の標的を取り逃がしては意味がない。

 ラルフは思わず笑みをこぼした。


(……!!)


 しかし次の瞬間、ラルフは心臓が凍りつくかと思うほどの衝撃に襲われた。

 『それ』から逃げるため、日々この血生臭い世界に身を浸しているというのに。


(こ、わい……!!)


 助けて。誰か助けて。怯えたくない、感じたくない、知りたくない。

 死の恐怖になんて触れたくない!!


(いやだ――!)


 館がにわかに騒がしくなる。どんなに感知が苦手な者でも、今の恐怖の波動は、まざまざと感じ取ったはずだ。

 あれは、命あるモノ全てが知る恐怖だった。生への、絶望だった。


(――っ、このままでは……!)


 しばらくは今の衝撃に気を取られているだろうが、すぐに誰かが主人の様子を見に来るはずだ。すでに絶命したジョセフの傍にはいられない。

 子供であり、もとからひ弱なラルフには、館の護衛全員を相手にできるほどの体力はない。急いで逃亡の手段を講じる。


(取り合えず、外に……!)


 逃げよう。そう考えて一歩足を窓に向けて踏み出したが、咄嗟に体を反転させ、廊下に向かって駆け出した。

 直感的にそう判断したが、確証はどこにも無かった。普段ならば考えられない行為だ。

 だが、それは正解だったらしい。すぐに窓の外が騒がしくなった。屋外に配置されていた護衛が、不審者の逃亡を警戒し、即座に厳戒態勢を取ったようだ。それが幸いして、ラルフは間一髪で自室に駆け込むことが出来た。逆に警備が手薄になった館内は、屋外と違い、みんな右往左往していたのである。

 その時、耳を塞ぎたくなるような喚き声が聞こえてきた。ジョセフの部屋に誰か使用人が立ち入ったのだろう。


「は、はははっ……」


 もう遅い。ジョセフは死んだ。あの謎の波動のせいで動揺してしまい、仕込みが出来なかったことは残念だが……。

 そこで、ラルフはハッとした。

 血の気がひく音が聞こえた気がした。大慌てで懐をまさぐるも、目的の物は見つからない。


(あの布が無い……!)


 ジョセフを殺した布。傍目には凶器の血を拭ったように見えるだろうが、妖力に鋭敏な者が見れば一発だ。妖力の残滓で、力を込めたのは――殺したのは、自分だとバレてしまう。


(どうする。今はこの騒ぎ、様子を見に部屋を出てもおかしくはない……。だが、動揺で妖力を完璧には抑えられていない状態だ。それに気づかれる恐れも……)


 これは、賭けだ。妖力に鋭敏な者は少ない。だが、そうした者は護衛に重宝される。この館の規模なら、いる可能性は十分にある。

 ラルフは強く強く手を握りしめ――じっとりと汗ばんだ手を開いた。そして、ゆっくりと扉を開けたのだった。


(人の流れに乗って、ジョセフの部屋に行こう)


 ――落ち着け。先ほどの波動は謎だらけだが、害はない。もう残滓すら感じないのだ。

 そう思って廊下の角を曲がったとき、ドン、と誰かにぶつかってしまった。


「申し訳、……!」



 ――なんで、ここに。なんでなんでなんでなんでなんでなんで。なんで、あの客人がここにいる――!


「おや、ルビー君か。大丈夫かい? 良かったら、また案内してくれないかな。この騒ぎでまた迷ってしまってね……」


 自分を凝視しているラルフに何を思ったのか、客人は照れくさそうに言った。


「なん、で、ここに……」

「ん? はは、私は極度の方向音痴でね。部屋に戻ろうとしたら……」

「嘘を、つくな」


 ピタリと、客人の動きが停止した。

 ラルフの無礼な物言いに腹をたてるでもなく、じっとラルフを見つめている。


「嘘をつくな! いくら方向音痴だろうが、使用人棟の奥まで来る奴などいるものか!」


 ――こいつは分かっている。騒ぎの前にジョセフの命が絶たれたこと、そして、その犯人が。

 やはり、ただの馬鹿ではなかった。気術にも、特殊力の感知にも優れている。かなりの上手だ。

 それがわかった途端、ラルフの身体を真っ黒な感情が支配した。思考も理性も吹っ飛んで、身体は殺戮衝動のままに動く。緋色の瞳が怒りに燃えた。

 ――こいつを殺せ。殺せ。殺せコロセ殺せころせ殺せ!!


(死ね!!)


 ズン、と布の刃が客人の左肩に突き刺さった。

 咄嗟に服を破いた得物のため、いつもの獲物より使い辛いのは確かだ。それでも誰か一人を殺すくらい、わけない筈だった。


(狙い、が、ズレた……?)


 喉を狙った。首に刺されば少しズレても、致命傷は免れない。出血も多いから、相手は恐怖におののきながら死ぬ。

 なのに、何故、肩に。


「……落ち着きましたか、ルビー君」


 客人の言葉に、ラルフはびくりと肩を震わせた。その見開いた緋色の瞳には、先ほどまでの力強い輝きはない。肩に突き刺した凶器から、生きている肉体の感触が手に伝わってくる。ラルフはいつもなら歯牙にもかけないその感触に怯え、何を言われたのか理解出来ずにいた。

 そんなラルフの様子を見つめながら、客人は次第に妖力を失い、ただの布切れと化していく凶器を肩から抜き、回復術を行使し始めた。流石は高位の僧侶、みるみるうちに傷口が塞がっていく。


「人を殺めるのは大きな罪です。しかし――君は、そうした生き方しか知らないのですね」

「……?」


 客人の言葉に、何故かラルフは後退った。

 これまでの『日常』が、いとも簡単に壊れていく予感がして。


「君は妖力が非常に強い。これまで、数々の理不尽な扱いを受けてきたでしょう」

「……? ……??」


 わけが分からなかった。確かに妖力は強い。だが、それがなんだって言うんだ。


(理不尽な扱い? だって、妖力を行使する者はそういう運命だろう?)


 分からなくて、何もかも分からなくなって、ラルフは怒りも憎しみも忘れ、ただ立ち尽くした。


「まさかこんなことになるとは……。あの晩、すぐにでも言うべきだった」


 客人は頭を振って、硝子のように何の意思も宿していない、ラルフの瞳を見つめた。


「……どうだろう。私と一緒に、スードへ来ないかい?」

「……。……え?」


 ラルフの思考は完全に停止した。

 理解という行為が、僅かも出来なかったのだ。


「私が治めるスードには、君のように理不尽な差別を受けた人々を保護しているんだ。今日の――いや、これまでの罪は、そこで一生をかけて償うといい。……どうだい?」


 今なら、騒ぎに乗じて君を逃がせる。そう客人は呟くように言った。

 もしラルフの思考がいつも通りに働いていたら、この話に『裏がある』と考えて即座に断っただろう。

 だが、何も考えられなかった。ただ本能のまま、魂の奥底から枯渇している『それ』を求めた。


「…………はい」


 ぽたりと、何か熱いものがラルフの両目から零れ落ちた。それは止まることを知らずに流れ落ちる。

 最早そこにいるのは、ただの子供だった。暗殺者でも殺人鬼でもない、愛情に飢えた、ただの子供。

 客人の言葉は、ラルフが初めて触れた人の優しさだった。




「アーサー様」

「――ああ、ラルフ。待っていたよ」


 あれから十年。ラルフは客人――アーサーに連れられ、スードの町に暮らしていた。そこでラルフの『日常』は少しずつ、だが確実に変わっていった。

 アーサーはラルフ以外にも、似たような境遇に置かれていた人々を優しく迎え入れてきた。彼らはもう、死の恐怖に怯えることはない。さらには初めての仲間、友を得ることもできた。

 町の人々はラルフたちを歓迎しない。が、拒絶もしない。関わることがあっても、常に無関心な隣人であった。それは仮初めでありながら、ラルフたちに生まれて初めての平穏をもたらした。

 ラルフはアーサーに保護された中でも、際立って妖力が強かった。そのため妖力を制御する術を学ぶ時、それまでが独学だったために、正式な修行では苦労することも多かった。ただ、制御を学ぶと同時に、妖力を行使する際の効率も飛躍的に上がっていった。アーサーはそのことを複雑な気持ちで受け止めていたようだったが、ラルフは嬉しさのほうが勝っていた。これできっとアーサーの役に立てる、と。

 そして――。


「また手伝っておくれ。とても困っているんだ」

「はい」


 ――いつからか、アーサーの様子がおかしい。

 それが分かっていながら、なぜかラルフはその事を深く考えられないでいた。


(この頃は、何か考えがうまくまとまらないような……)


「頼むよ、ラルフ」


 アーサーの声に、ラルフの思考は中断された。まるで麻薬のように、それはラルフの脳を支配していく。

 ――アーサー様が喜んで下さる、重要なのはそれだけだ。

 ラルフはそうして己の思考を無理やり打ち切ると、靄がかかったような、だるさが残る頭を抱えながら、ゆっくりと屋敷を出て行った。

 何をするべきかを確認せず――けれど、何故かそれはすでに頭の中にある。


(砂漠地帯、の監視……)


 町を吹き抜ける熱い風が、ラルフの頬を撫でた。

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