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Piece of Legend~伝説のカケラ~  作者: 今尾実花
十年前シリーズ
11/18

主のご加護を:ニーナ

 いつも見てきた祖父の大きな背中。

 地域の人々の尊敬と親愛を一身に集めてきたその姿に、幼い私は神を見た。




「ニーナ、今日のお勉強はもう終わったのかい」

「うん! ちゃんとがんばったよ、おじいちゃん!」

「そうかい、ニーナは偉い子だな」


 祖父のリーは今年で六十。チルト派の僧正として、このライナの町に赴任している。

 メリコでも有数の規模を誇るライナだが、その分、心の救いを求める人は多いのだろう。祖父はいつも忙しく身を粉にして職務に励んでいた。

 そんな祖父が私は大好きだった。

 家族は全員がチルト派の僧侶だが、父は修行のために去年から遠く南ドーニャに移り、母もそちらに暮らしている。

 二人は来年、私の六歳の誕生日に戻って来る。その日を心待ちにしながら、私は祖父と二人で暮らしていた。


「あのね、ニーナ、お昼ごはん持ってきたよ。いっしょに食べよ!」

「そうかい、ありがとう。じゃあ教会の庭で食べような」


 たった一人の孫である私を、祖父はとても可愛がってくれた。

 そんな暮らしを送る私にとって、チルト派の僧侶を目指すのは当然の流れだった。祖父も幼子に分かるよう、堅苦しくならないように気をつけながら、教義をお伽噺のように教えてくれた。

 そんな、ある日。


「ニーナ、いい子でお留守番をしているんだよ。明日の昼には帰るからね」


 教会の都合で一泊の出張が決まった祖父だったが、それも慣れたこと。何日も家を離れることもあり、そうした時はいつも隣のジェミおばさんが面倒を見てくれていた。


「うん、だいじょうぶだよ。おじいちゃん、行ってらっしゃい」

「ああ。じゃあ行ってくるな」


 祖父を見送った私は昼食を早々に済ませ、ジェミおばさんが夕食を用意してくれるまで、勉強と偽って部屋に入り、こっそりと窓から庭に出て近くの野原へ遊びに行った。

 そこは小さいけれど綺麗な花畑なのだが、何故か町の大人たちは近づかないし、その理由も言おうとしない。

 ただ、火事があった痕跡があり、きっとその事が関係しているのだとは予想がついた。倒れた木々は焼け焦げ朽ち果て、新たな命の苗床となっている。


(今日はお花をつんでかえろう。ジェミおばさんにもあげるんだ)


 今は夏、青いユクの花が綺麗な季節だ。林を抜け、子供には少し登るのが辛い程度の崖をよじ登り、目的の場所へと到着した。

 大人たちが嫌うため、この場所にはあまり人が来ない。町から来るには道程が面倒なこともあるのだろう。


(――だれだろう?)


 花畑の真ん中に佇む、一人の男性。後ろ姿しか見えなかったが、何かが彼に近づくことを躊躇わせた。

 それは雰囲気というべきか、はたまた空気というのだろうか。とにかく、いつもの遊び場である花畑が、まるで彼のために用意された場所に思えたのだ。

 ――畏怖か、恐怖か。

 初めて覚えた名も知らぬ感情に、私は思わず後退りしてしまった。


(あっ!)


 ポキッ、と小気味のいい音が足元から響く。


「――おや、町の子かな」


 踏んで折ってしまった枝の音に反応して、男性は真っ直ぐにこちらを向いた。

 男性はフードを目深に被り、顔はよく見えなかった。声は低くてとても綺麗だったけれど、温かみなど全く感じられない。


「あ、あ、あの……」

「ここに来る子供がいたとは驚きだ。君、親に何も言われなかったのかい?」


 一言、声を聞く度に。一声、言葉をかけられる度に。

 身体中の細胞が叫び出す。彼にひれ伏せ、と。

 一歩ずつ。ゆっくりと近づいてくる男性が恐ろしくて、体が震えるのを止められなかった。


「――答えられない、か。まあいい。ここには二度と立ち入るな。チルト派の僧侶を目指すのだろう?」

「! な、なんで……」

「身なりを見れば分かる。首から下げてる輪十字の飾り、額の布。どちらもチルト派のものだし、ここから一番近いライナの町はチルト派の支部がある」

「……っ」

「子供、分かったのならば去れ。そして二度と来るな。さもなければ、後悔することになるぞ」


 男性の口調はどんどん厳しくなっていく。

 言われたことは理解出来ていたが、強く脈打つ心臓が邪魔をして口を開くことが出来なかった。


「子供、もう一度だけ言う。ここを速やかに去り――」

「ニーナです」

「?」

「子供、じゃないです。わたしは、ニーナです」


 何でそんなことが口をついて出たのか。

 きっと自分でも、一生わかるまい。恐怖のあまり頭がおかしくなっていたのか、それとも――。


「――ほう、面白い。いいだろう。お前の名前を呼んでやる。……ニーナ」

「!!」


 心臓が鷲掴みされたかのように、わけの分からない、けれど激しい痛みが胸を襲った。


「名は存在の証だ。『子供』という呼び名で呼ばれていれば、お前は特定されなかった。……だが、まあいいだろう」


 男性が空を手で撫ぜるような素振りを見せると、急速に胸の痛みは治まっていった。

 ゼェゼェと激しく呼吸を繰り返す私を見下ろしながら、男性は笑った。かすかに覗いた、とても美しいその顔で。


「殺そうと思ったが、生かしておいてやる。面白い僧侶になりそうだし、試験終了まで時間もないからな。だがニーナ、二度とここに立ち入るな。――次はない」


 そういうと男性は、右手を私の頭にかざし、何らかの術を発動させた。


「あ、ああ……っ!」

「お前とはもう一度会いそうな気がするよ。あの子供にもどことなく似ている。……だが、覚えていれば面倒があるかもしれないしな」

「や、いや、こわい、おじいちゃん、おじいちゃ――!」

「――忘れれば恐怖も忘れる」


 パン! と光が破裂して、私はそこで意識を失った。


「……ここは私だけの場所だ。もう一度燃やして浄化するのは面倒だからな」




 その言葉は、私の意識に留まることはなかった。




「――ちゃん、ニーナちゃん」


 はっ、として飛び起きた。あの野原にいたはずなのに、いつの間にか私は自宅の寝室で眠っていたのだ。


「ごめんねぇ、遅くなって。待ちくたびれちゃったんだね。夕ごはん持ってきたよ」

「ジェミおばさん……」

「さ、下においで。用意しておくからね」


 まるで夢のような一連の出来事に、私はただ呆然とするしかなかった。空はもう紅くなって、夕陽も沈みかけている。

 あの男性は確かに私に術を使ったはずだ。恐らく、記憶を奪う術を。しかし、あんなに恐怖した割には、記憶はほとんど失われていなかった。

 ただ男性の容姿や、あんなに恐怖した声についてはどんなに思い出そうとしても、欠片も思い出せなかった。


(しっぱい……したのかな)


 それとも、そもそも自分についての記憶だけを奪う術だったのだろうか。

 キュ、と布団を握り締め、強く目をつぶる。

 ――どちらでも関係ない。あの野原にはもう行ってはいけない、それだけだ。


(みんながあそこをいやがってたわけは、あの人だ。あの人がいるから)


 ジェミおばさんが待ってる。早く下に行かなければ――。

 そう思って寝台から足をおろした、その瞬間。


「――!!!」


 体を突き抜けた、『死』の恐怖。

 思わず足を引き寄せて体に密着させたが、体はガタガタと震えだし、ついには涙が零れだした。


(おじいちゃん、おじいちゃん!!)


 わかってる。祖父は来ない。今頃は目的地に着いているだろう。だけど、だけど。

 ――たすけて。そばにいて。こわいよ、ひとりにしないで!!


「――おじいちゃぁああん!!」

「ニーナ!!」

「!? おじいちゃっ……!」


 これも夢かと思ったが、自分を抱きしめてくれたその暖かさに、祖父が本物だと確信することが出来た。


「おじいちゃ、おじいちゃ……!」

「よしよし、怖かっただろう。もう大丈夫だ。わしがいるからな。もう大丈夫だぞ、ニーナ」


 泣きじゃくる私を抱きしめ、祖父は優しく語りかけるように言った。


「これもチーリス様のお導きだ。急に予定が変更になったんだよ」

「おじいちゃん……」

「何があったかは分からないが、もう大丈夫だ」

「……うん」


 ああ、我が主よ。偉大なるチーリスよ。

 体を突き抜けた『死』の恐怖。だけど、あれは叫びにも思えたのです。私と同じく、『ひとりにしないで』という。

 なぜか、私はそう感じたのです。けれど、私はそれを誰にも言えません。あの野原での出来事も。

 どうか、あの悲しく壮絶な叫びを発した方に、主のご加護がありますように。



 そうして記憶と恐怖は、時とともに薄れていく。



「ニーナ、忘れ物はない?」

「うん、大丈夫だよ。お母さん」


 あれから五年。十才になった私は、正式にチルト派の僧侶となるため、家を離れて他の町にある僧房に入ることになった。


「さ、もう出発の時間よ」

「うん。行ってきます!」

「頑張るのよ、応援してるわ」


 そうして着いた町は、薬草市が有名な町だ。

 ――運命の出会いまで、あと五年。

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