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私の詩

作者: 璃乃

 視界がぼんやりとしている。暗い世界・・・それだけは分かる。

 少し時間が経つと、目の前に顔見知りである  が立っていた。名前は思い出せない。

『うたちゃんとはもう会えない』

 無意識に涙が零れ落ちる。

『うたちゃんが悪いの。私のことなんて考えないで・・・。全部、私から何もかもを奪って』

 いや・・・いやぁ・・・!

 私は手を伸ばしたが、  はどんどん遠くへ離れていく。

 ま、まって・・・。

 私の声は届くことはなくどこかへ消えてしまった。


 ・・・そう、これは夢。それ以外何でもない。

 自分にそう言い聞かせ、一度目を閉じ、そして再び目を開けた。

 辺りを見渡すと、そこは自分の部屋だった。

 私以外誰もいない部屋の中で、ミーンミーンとセミの煩い声のみが聞こえる。私の周りの青空気はまるで死んだような静けさだった。

この季節になると同じ夢を毎日見るようになる。そのせいか、夢からの覚め方も身についてしまった。

 こんな夢を見たせいか、体じゅう汗でベトベトしている。シャワーでも浴びようかと思い、私は着替えを持って浴室へ行った。

 シャー・・・とシャワーの音のみが聞こえる。全てを流してくれているようで、私はこの時間が好きだ。

 目を閉じると、思い出してしまう記憶がある。・・・私は、小さい頃からよく歌を歌っていた。特別、上手だということはなかったが、音楽が流れるとつい口ずさんでしまうほど、いつも歌っていた。

 暑い・・・それを感じるだけで、なぜかその頃を思い出す。高校生になる今でもずっと・・・。私は不幸にしてしまった。今日はあの日のように暑い。歌を歌うことでまた誰かを導いてしまいそうで怖くなる。

 だから、私は暑い日が嫌いだった。



 今日もまた暑さで目が覚める。今は夏休みなので、目覚まし時計の設定はしていない。

 毎日、こんな気分になるくらいなら学校に行きたい。だが、まだ夏休みは始まったばかりなので、その願いはまだまだ叶いそうにない。

 涼しい所・・・図書館にでも行こうかと思い、家を出ると、ポストには一通の手紙が入っていた。それは誰からかは分からなかったが、私宛なのは確かだった。

 今時、手紙なんて使う人がいるのかと思いながら、封を切ると中にはずらりと文字が書かれてある紙が三枚も入っていた。しかし、これら全て日本語で書かれていなく、とうてい読めそうにない。

 そこで、姉である青空(そら)に読んでもらうことにした。

 青空は様々な国でボランティア活動をしてあり、数か国語か話すことができる。一年のほとんどは外国にいるせいか、日本で特別親しい人と言えば妹である私くらいだ。そんな姉に、二十五歳にして初めてのイギリス人の彼氏がいることは秘密だ。

 いつもこの時期には帰ってきているので特に何も思わず、自転車に乗って私の家から十五分ほどの青空の家に向かった。

 ピーンポーン。ベルを鳴らした。だが、いくら待っても出てこない。

 電話をかけた方がよかったかな・・・?とりあえずかけてみることにした。

 ルルルル・・・ルルルル・・・ルル

『もしもーし。(うた)ちゃん?』

 姉のいつもの高いテンションで出た。

「そうだけど、今どこなの?」

『え、イギリスだけど。言ってなかった?』

 聞いてない。わざわざ聞かないが、例の人のところに行っているのであろう。

 まあ、手紙のことは急ぎではないしいいか。

「そっか。ならまたでいいや」

『なになに、どうしたの?そこで止めたら気になる』

 ・・・姉のことなのでそう言うと思った。

「誰からかは分からないけど、日本語ではない言葉で書かれてある手紙が届いたの。青空なら読めるかなって電話をしたのだけど、別に急いではいないから」

 少しの間、沈黙が続いた。

「青空、どうした?」

『いや、気になることがあってね』

 気になること・・・?

『なるべく早く戻るね!あと、その手紙の写真を撮って私に送っておいて』

「了解。じゃあ、また」

 言い終え、電話を切った。



 次の日、ポストを覗くと、また昨日と同じような文字で書かれてある手紙が届いていた。今日は封に一枚だけ入っていた。

 青空、いつになるかな・・・?

 あれから、メールを送っても電話をしても反応がなかった。長いときは本当に長いからな。なぜか、この手紙のことが気になって仕方がなかった。

 ピーンポーン、とベルが鳴った。

「はーい」

玄関に行き、ドアを開けた。

「詩ちゃん、帰って来たよ」

 そこには青空が立っていた。

「どうぞ、中に入ってきて」

 青空はまだキャリーバッグを持っているままだった。

「いったん家に帰らなかったの?すぐそこなのに」

「急いで来たからね。詩ちゃんだって早く内容を知りたかったでしょ?」

 青空には何でもお見通しのようだった。

 青空は靴を脱ぎ、私とリビングへ向かった。

「ねえ、その感じは読めたってことよね?」

「もちろん。今、持っている?」

「そういえば、今日も届いていたよ。これと、これ・・・はい」

 私は昨日と今日届いた手紙を渡した。

「今日も届いたの?・・・まあ、こっちから見るね」

 そう言って、青空は昨日の手紙を読み始めた。とは言え、三枚もあるので内容をまとめてみると・・・。

 一枚目には、ユウマさんという方の自己紹介が書いてあった。名前はフラノユウマ。日本語ではないので漢字は分からない。年齢は二十七歳。青空より二つ上だ。その他には好きなものなどが長々と・・・。

 二枚目には、私の過去を知っている・・・と。あの日のことは書いていなかったことにホッとしている自分がいる。書いてあったらどうなっていただろうか。想像するだけで怖い。

 そして、三枚目。ここには、『貴方はもうすぐ命を絶つだろう』と書かれてあった。

「思った通りね・・・。ほら、ここに」

 青空は三枚目の紙を裏返した。そこには日本語で『また逢う日まで』と書かれていた。

「・・・これって?」

「一応、今日届いた方も読んでみようよ」

「そ、そうだね」

 私が発した言葉は震えていた。なぜだかは分からない。気づけば、体じゅう震えている。心の底から冷えているような・・・変な感じ。

 それに気づいた青空が心配そうにこちらを見ている。

「大丈夫?読むのをやめようか?」

「ううん。読んで・・・お願い」

 何がそこまで言わせるのだろう。あの日のこと知っているからだろうか。今になって不思議に思う。

 今日届いた手紙にはこう書かれてあった。

『昨日の手紙は読めただろうか。今、読めているのであれば、読んだということとして話を進める。まず、この文字は私と青空のみが分かる言葉だ。暗号みたいなものだな。そして、ここからが大事な話。私は詩のことを知っているし、詩は私を知っている。詩が今、危機であること、このままでは本当に命はないよ。私は助ける方法を見つけ出した。次に記載している日時、場所に来てほしい』

「九月一日、十四時、白桜高等学校二年一組教室。・・・これで終わりだよ」

 白桜高校・・・私が四月から通っている学校だ。

「フラノユウマさんって青空の知り合いなの?」

「うん・・・騙すような真似をしてごめんね。でも大丈夫よ。この人は信用できるから。詩ちゃんもきっとすぐに分かるわ」

 青空が信用できる人だって言っているのだから、私が疑う理由はもちろん無い。

「そうだったのね。九月一日ってことは始業式か・・・。それまで気になり過ぎて待つのが憂鬱だな」

 高校一年生、夏・・・。

――止まっていた歯車がまた動き出す。



 九月一日午前八時三十分・・・。

『ただいまより、始業式を・・・』

九月になってもまだ暑さはあまり変わらない。

「今日が、フラノユウマさんと会う日・・・」

 あの後、青空にフラノさんのことを聞いたのだが、会えば分かると言って、何も教えてはくれなかった。この調子ではいくら聞いても答えてはくれないだろう。もうフラノさんについての情報を得ることを諦めた。

 そして青空は再び外国へと行ってしまった。

 フラノさんは私を知っていて、私はフラノさんを知っている・・・と書いてあった。だが、私には全くもって記憶にない。

 午後二時・・・になる五分前・・・。

 二年一組・・・一組・・・。

「あった」

 この時間には、もう帰ってしまった人と部活動中の人がほとんどだから、この辺りには人の気配がない。

 ガラガラガラ。私はドアを開けた。

 そこには先生らしき男の人と二年生であろう生徒が二人いた。一人は男の人で、もう一人は女の人だ。学年は男子がネクタイ、女子がリボンの色で分かる。三年生は赤色、二年生は青色、そして一年生は緑色だ。

「やあ・・・って言っても覚えていないか。私がフラノユウマ。二年一組の担任であり、合唱部の顧問もやっている」

 先生らしき男の人が言った。

 合唱部・・・?それが私と何の関係が・・・?

「俺は二年一組、センカワリト」

「私は、同じく二年一組のイマサトマリナです。よろしくお願いしますね」

 二人は続けて言った。

 それにしても、なぜよろしくなんて言ったのだろう・・・。

「あ、えっと・・・私は花瀬詩です。あの・・・どうして私をここに?」

「それは、詩に合唱部に入ってもらうためだ」

「お断りします」

 もちろん即答だ。

「私には歌うことができません。貴方が私に手紙を送った方ですよね?私の命の危機だとおっしゃっていましたが、それと歌うことの何が関係あるのでしょうか?」

 すると、先生と先輩の三人がコソコソと何か話しだした。

「ゴホン・・・失礼。それは私から説明するわ」

 女子の先輩が言った。

「歌には力がある。人の心を動かす力が・・・。貴方にはその力を持っているの。ただ、貴方自身がそれを恐れているだけ。今の貴方を苦しめて、落としている。でも本当の貴方はどうなのかしら?誰かと一緒に歌いたくはないの?」

 ・・・そんなはずはない。私が誰かとなんて望んではいけない。だって、私は・・・。

「ユリを殺したから?」

 ・・・驚きの言葉に私は声を出せない。どうしてそれを知っているのだろうか。その言葉が脳裏をよぎる。

「どうして・・・?」

 やっと声に出した言葉だった。

「あら、きちんと聞いていたの?私の名前を」

 名前・・・確か、イマサト・・・今里?

「あ、あなたは百合の・・・」

「そう、私は百合の姉よ」

いつか話してくれた。百合にはお姉さんがいるのだと・・・。ああ、私のせいで・・・。

「ごめんなさい。私が、わたしが・・・」

 みるみると涙が溢れてくる。

「そうではないわ。・・・確かに百合は死んでしまった。それは変えられない事実だけど、それは貴方のせいではないわ・・・いつか貴方は思い出すことができるまで、まだ時間がかかると思うわ。その時になれば、全てが分かる・・・」

 でも、百合はもう・・・。

「そんなにうじうじしたって仕方がないだろう。ほら、こういう時に歌うと気分が晴れるような気がしないか?」

 センカワ先輩が言った。

「詩、合唱部に入ってみない?歌いたくなれば歌ったらいいさ。今は聞くだけでいい。・・・それでもダメか?」

「本当に歌わなくていいの?」

 三人は大きく頷いた。

「私、合唱部に入ります。私に誰かの心を動かすなんてできないと思いますが、いつか歌いたいと思えるようになりたいから・・・」

「決まりだね。入部のことは私から言っておくから」

「はい。改めてよろしくお願いします。フラノ先生、センカワ先輩、イマサト先輩」

 勢いで言ってしまったけど、本当に歌えるようになるかな・・・。



「失礼します」

 私は二年一組の教室の扉を開けた。

「いらっしゃい。待っていたよ」

 そこには昨日のメンバーである三人がいた。

「他の方は?」

 部員が私を含め、三人だけではないはず。

「他って・・・合唱部は部長のリト君、副部長のマリナさん、そして詩だけだよ」

あれ、部活って部員が二人だけではできなかったような。最低でも三人必要・・・って、もしかして・・・。

「じゃあ今から申請しに行こう。詩もここに名前を書いて」

フラノ先生はそう言って、私に何か書かれてある紙を渡した。

「創部申請書・・・って今からですか?」

「そうだよ。さあ書いて」

 少し騙された感はあるが、入ると言ってしまった後なので、今更入るのをやめますなんて言えない。

 花瀬・・・詩・・・っと。そういえば、先生たちの名前の漢字は初めて見た。富良野悠茉先生に、千川李音先輩、今里マリナ先輩。

「どうかしたか?」

「い、いや、何でもないです。書けました」

申請書を先生に渡した。

「それじゃあ、早速始めようか。李音、あれを持ってきてくれるか」

 千川先輩は頷いて教室を出て行った。

「先生、これでした?」

少し経って、大きな直方体の箱を持って戻ってきて言った。

「そうそう。ありがとう」

「それ何です?」

「ああ、これかい?・・・よいしょ・・・。この合唱部に必要なものさ」

 中から取り出したものはキーボードだった。

「ずっと使っていなかったからな・・・きちんと音が出るかが心配だ」

 先生はコンセントを繋いで、鍵盤を押した。ポーン・・・と音が教室内に響いた。鳴らした音はとてもきれいで、思わず目を閉じる。

「詩、弾いてみるか?」

 私?ピアノなんて・・・。

「弾けるだろ?」

先生はにやりと笑った。

どうして知っているの?ピアノはあの日以来弾いていないのに。

「少しだけなら・・・」

 ほんの少しだけであれば、大丈夫だと思う。

 私は好きだったあの曲を弾いて見せた。音はどこか寂しげで、儚さを感じた。

 鍵盤を指で押すと音が出る。これを繰り返して、音楽ができる。それが好きだった。あの日までは、毎日何時間も弾いていた。今では、この少しの時間でも吐き気が込み上げてきそうな気分になる。

 すると、突然音が聞こえなくなった。

 あの日、私は――。



あの頃、私は音楽教室に通っていた。

そこで教えてもらっていた先生は黒い髪で長さは肩まであり、とてもサラサラしていてキレイだった。

「せんせいのピアノをきかせて」

「いいよ。今日はどの曲にする?」

「これがいい」

 私はいつも先生に同じ曲を弾いてもらっていた。

 私は先生の音が好きだった。先生が何より好きだった。

「うたちゃん。ピアノひいて!いっしょにうたおうよ」

「うん」

 あの頃の私は楽しかった。ずっと笑っていられたから。

 ここには週に二回通っていた。いつも百合ちゃん既に来ていて、ピアノの練習をしていた。私よりも後で習い始めた百合ちゃんは少し早めに来て練習をしているのだ。

 私が百合と会って三年が経った。百合はピアノを弾いているより歌を歌っている方が好きだと言い、最近ではいつも歌を歌っている。

 暑い、暑い、夏休み・・・私はあの日を迎えることとなる。

 いつものように先生がピアノを弾き、百合と私で合唱する。室内はクーラーがかかっており、厚さはそれほど感じないが、歌っていると体は自然と熱くなる。二人の声がピッタリと重なり、きれいなハーモニーを生み出す。

 事は、間奏に入り、また歌いだそうとしたときに起こった。百合が突然倒れた。それは一瞬のことで、頭が追い付かなかった。

 先生と私は百合のもとへしゃがみ込んだ。百合の体はとても熱くて、すぐに救急車で病院へ運ばれた。

 それから数か月間、百合が来ることはなかった。

「詩、君はもう中学生になる。今の君は音楽を楽しんでいるようには見えない・・・とても苦しそうだ。だから、小学校の卒業を境にやめたらどうだ?」

 先生からの言葉だった。

「どうしてそんなこと言うの?」

 その頃の私には理解できなかった。

「私は百合を待つ。こんなことでお別れするのは嫌だから」

「・・・そうか。百合ちゃんなら戻ってくる。大丈夫さ」

 先生は涙を拭ってくれた。先生は私の支えとなっていた。

 小学校を卒業する少し前。久しぶりに百合が音楽教室に来るという連絡があった。私は待ちきれず、いつもより早く行った。

「ゆ、ゆり!」

百合はもう既に来ていて、先生と何か話していた。

「百合、もう大丈夫なの?これからはずっと一緒だよね・・・一緒に練習できるよね?」

百合は困ったような表情を浮かべて黙ったままだった。

「どうしたの?ねえ、先生。百合はやめるなんて言ってないよね?」

「ああ・・・。そのことだが・・・百合ちゃんは、もう――」

 その言葉を耳にした瞬間、頭が真っ白になり、何も考えることが出来なかった・・・考えたくなかった。

 もう、声を出すことが出来ないなんて・・・。

「先生・・・私はもうやめます!百合がいないのに、百合と一緒にいられないのに、音楽を楽しむことなんてできません!私、わたしは・・・」

無我夢中で叫んでいた。

本気で泣いたのはこの時が初めてだろう。涙が止まることはなかった。

「でもな、詩・・・。百合ちゃんだってそうしたいのはやまやまなんだ。だができない。詩ならわかるだろう?やめたいのが詩の意志なのであればやめたらいい。それを百合のせいにするのは良くない」

 そんなこと分かっていた。今は一番後悔していることなのだから。

「百合とはもうできない?」

 先生は静かにうなずく。

 私は百合の方を見た。百合はとても悲しそうに小さくコクンと頭を動かした。

「そう・・・」

 これ以上言葉にすることはできなかった。

 すると百合は白い紙に何かを書いて、私に渡した。

『今までありがとう。詩ちゃんと一緒に練習出来てとても楽しかった。私なんて気にせず、詩ちゃんは続けてほしい。詩ちゃんと会って本当に良かった』

 最後には『がんばって』と書かれてあった。今までは『がんばって』ではなく、『がんばろう』だったのに・・・。それが妙に悲しかった。

再び百合の方に目を向けると、口をパクパクしていた。まるで『ごめんね』と言っているかのように・・・。

「百合が謝ることはないよ。私は百合とは関係ないものね。赤の他人だからって言いたいのでしょう?私は続けないよ。音楽なんて大嫌いだから・・・」

 どうして全部反対のことを言ってしまったのだろう。冷静になった私はすぐにとんでもないことを言ってしまったことに理解した。

 百合は必死にこらえていた涙を一粒こぼして、そこから逃げるようにかけていった。

 私はその場所を動くことができなかった。音が聞こえなかった。誰の声も聞こえなかった。

 それ以降、私がここに来ることはなかった。私は百合とのつながり、先生とのつながりを断ち切ってしまった。

 中学生になり、時は流れるように過ぎていく。

 ――夏休み・・・。何も関心が無くなった私は、部活動に入らず、勉強しかしなかった。何もすることがなくボーっとしている時間が増えた。セミの声が鳴り響く中、一本の電話が鳴った。

 お母さんが電話に出て、少ししてから私の方へ駆けつけた。

 ――百合が亡くなった・・・と。

 熱い・・・暑い夏の日。私は自分が嫌いになる。



「詩、起きたのか?」

 意識はいつの間にか現実に連れ戻されていた。目を開けると、そこは学校の保健室のベッドの中にいた。

「・・・はい。先生、やっぱり私は・・・」

「ああ、分かっている」

「先生は、先生だったのね・・・」

先生は少し目を見開いた。

「・・・思い出したのか?」

 うん、と首を縦に振る。

「私にもう一度、音楽を教えて下さい」

「もちろん。私はずっと詩のそばにいるから」

 自然と先生の方へ抱き寄せられていた。

 ・・・やっぱり、私は先生が好きだ。

「お取込み中申し訳ありません。青空さんがいらっしゃいましたよ」

今里先輩・・・!

「あ、ああ・・・。青空、どうして今来る?」

なぜか先生は不機嫌そうにしている。

「だって、詩ちゃんが倒れたって聞いて急いで来たから!・・・それに面白いものが見られたし・・・」

「いや・・・これは・・・」

 深い意味はない・・・よね?

「詩ちゃん、大丈夫?・・・・・・もう本当に大丈夫よね?」

 青空は先生をはねのけて、私にギュッと抱きついた。

 青空は最初から全て聞いていたようだった。

「うん・・・私、頑張ってみようと思うの。みんなのために、百合のために・・・もちろん自分自身のためにも」

 それが正しいと思う。そう思いたい。

「そう・・・私は詩ちゃんがしたいようにしてほしいと思っているよ。」

 いつだって私を応援してくれた青空。私を導いてくれた先生。そして、私を強くしてくれた百合。

 みんながいたから、今の私がいる。もう過ぎてしまったことは変えられないけれど、未来への複数の道があり、たくさんの可能性がある。私は自分に誇れるような道を進んでいきたい。

「あの・・・今、普通に終わりそうな雰囲気をしていますが、練習は全然していませんよ?」

 千川先輩!

「俺は歌いたいからここに来たのですよ。先生も邪魔されたことに落ち込んでないで、早く練習を始めましょう」

 私も先輩たちと歌ってみたい・・・。

「そうね。詩さん、教室に戻って練習を始めましょうか」

 私と千川先輩は大きくうなずいた。

「青空はどうするの?」

「私はまたどこかに行くよ。もう、詩ちゃんを心配しなくても大丈夫そうだから」

 青空は手を振ってどこかに行ってしまった。

「先生・・・曲を弾いてくれませんか?私にいつも聞かせてくれた曲を・・・」

 それを聞くと、先生は私を見た。

「ああ、もちろん。・・・教室に戻ろうか」

 先生は千川先輩と先に教室へと向かった。

「・・・詩さん。詩さんは先生に伝えなくてよかったの?」

「え・・・?」

思わず声が漏れる。

「先生は、貴方に告白したようなものだったのに・・・」

 こ、こくはく・・・?だって、先生は・・・。

「いえ・・・これでいいのですよ、今は。まだ気持ちを整理したいので・・・」

「そう・・・。では行きましょうか」

私たちも教室に行った。教室には、ピアノの音色が広がっていた。

「先生のピアノを聞くのは久しぶりだ・・・」

「花瀬はもう大丈夫なのか?」

 千川先輩は心配そうにこちらを見ている。実は心配性のようだ。

「はい。もう大丈夫みたいです」

 今はもう前みたいに感じることはなく、ただずっと聞いていたいと思うほどに聞き入っていた。

「みんな集まったみたいだね。それでは始めよう。今日からはこの曲を練習してもらう」

 先生は私たちに楽譜を渡した。

「先生・・・これって」

「そう。よく詩と百合ちゃんが歌っていた曲」

 私の中で、唯一覚えている曲。どうしてこの曲を選んだのだろうか・・・。

「李音くん、マリナさん。まずは二人で歌ってみて」

 そう言うと、先生はピアノを弾き始めた。

二人の歌声はとても素晴らしいものだった。歌い方はそれぞれが独特であるにも関わらず、どちらかが主張し過ぎていることはなく、美しい声がこの教室内をこだましている。まるで二人で一つという感じだ。

終わると、自然に拍手をしてしまった。こんなにも仕上げられている、素晴らしい歌を聞いたことがなかったから。二人は長い間、一緒に歌っていたのであろう。そうでなければ、こんなに相手を想いながら歌えないと思う。

「どう?私がスカウトしただけのことはあるでしょ?次は詩が一人で歌ってみようか」

 声出しもせずに、いきなり一人・・・。上手く声を出せる自信はないが、やれるだけやってみよう。

 先生が再び伴奏を弾き始める。どれくらいの間歌っていたのだろうか。意識した時にはもう既に曲は終わっていた。私は歌に感情を込めることができない。まだまだ先輩たちにはかなわないし、あの日のことを全て忘れたわけではない。こんな先輩たちの足元にも及ばない私が一緒に歌っていいのだろうかと考えてしまう。

「詩、百合ちゃんのことは忘れようとしなくていい。百合ちゃんのために歌ってごらん。百合ちゃんに届けるように・・・」

百合はもうここにはいないのに、本当に伝えることが出来るのかな・・・。私の頭の中にふとよぎった。

「今度は二人で。詩は他の人のことを気にせずに歌って。二人に負けないくらいの想いを込めて・・・」

 そう言ってまた弾き始めた。

 今度は百合を、みんなを想いながら・・・。



 一週間ぶりの部活動。あの後、私たちはすぐに解散し、次の練習は一週間後だと伝えられた。それまでは、自分に自信が持てるようにと・・・。

 コンコンコン。

「失礼します」

ノックをして、いつもの教室に入ると、みんなはもう既に来ていた。

「さあ詩、その席に座って」

 先生は一番前の真ん中の席を指さした。

 私が着席すると、先生は話を続けた。

「それでは早速だが連絡がある。みんなは部活動とはいえ、ただ歌うだけではつまらないだろう?だから、今後の目標を決めることにした。それは、一か月後に控えている文化祭で三人に歌ってもらうことにした」

 突然の発表に話が呑み込めない。・・・文化祭に三人で歌う?しかも、練習は一か月間・・・。

「曲は前に歌った曲ですか?」

 今里先輩が尋ねた。

「もちろん。今の君たちにぴったりな曲だからね。ただ、三人とも違う音程のパートを歌ってもらうよ」

 その日から練習は毎日続いた。先生や先輩たちと音を奏でることはとても楽しいと感じる。少し前まではわからなかった感覚。

 ここに百合がいたなら・・・まだこんなことを考えてしまっている自分もいる。

「詩、大丈夫か?」

 練習の休憩の合間に先生が声をかけた。

「どうしてですか?」

 今では前みたいならず、歌うことが楽しいとさえ思うようになったのに・・・。

「詩が時々辛そうに見えるから・・・」

 そ、それは先生が・・・。ううん・・・今はダメ。

「何でもないです。・・・あの、先生。文化祭が成功したら、私のお願いを一つ聞いてもらってもいいですか?」

 これくらいなら、許されてもいいよね・・・?

「もちろん。でもどうなったら成功?」

 それは・・・。

「発表する会場の席が最後まで人でいっぱいになったら・・・でどうですか?」

 興味本位ではなく、私たちの歌声を最後まで聞いてほしいから・・・。

「いい考えだ。それでいこうか」

「先生、約束ですからね」

 こんなにドキドキしたのは久しぶりだった。私は先生に伝えるための一歩をやっと踏み出した・・・。



あれから、私は時間さえあれば歌っている・・・そういう生活を送っていた。まるであの日のように・・・。

今日は本番前日の最終リハーサル。

先生の提案でもう一曲歌うことが決まった。その曲はそれぞれに一人で歌うソロパートが設けられていて、とても難しいことだけれども、この曲が完成すれば、誰もが湧き上がるような素晴らしいものになるだろう。

「・・・た、詩!もう少し大きな声で歌えないのか?詩には技術はあるが、基本がまるでなっていない。二人と同じ舞台に立つのだから、もっと出してくれないと困る」

自分でも分かっている・・・。でもこれ以上出すと、また・・・。

「詩、大丈夫だ。私が付いている。詩が思う以上に思いっきり出せばいいさ」

 でも・・・私は大きく出そうとすると、どうしても声が裏返ってしまう。そうなってしまうと、次の歌詞が上手く音にして出すことが出来ない。これらは最近分かったことだ。以前練習しているとき、私は先生に言われるがまま大きな声を出した。すると、その曲の間は声が出なくなった。

「先生、私は前みたいになるのが怖いです・・・また、あの状態になるのが・・・」

「私と練習した全てを思い出せばいい。出会ったあの日から、今日までの練習を・・・」

 先生は私の言葉を遮るように言った。

「・・・私に何かお願いしたいことがあるのだろう?さあ、もう一度合わせよう」

「そうよ。私たちもいるのよ、忘れないで」

「ああ、俺も・・・」

 み、みんな、ありがとう・・・。

「私、絶対に成功させたいです」

 私はもう一度、決意した。文化祭での発表を成功させること。そして、先生に私の想いを伝えること・・・。



 本番当日。

 こんなに緊張しているのはいつ以来だろう。自分が今持っている力を全て出そう。

「詩、私たちと一緒に・・・必ず成功させよう」

もちろん・・・と緊張で声は出せないが、精いっぱいうなずく。足が震えていて、背中の方から寒気がする。

「詩さん、これが終わったらみんなで旅行に行きましょう。李音と先生も一緒に」

 今里先輩は私の緊張をほぐしてくれようとしているのだろうか。

 目を閉じるとこれまでの練習の思い出が脳裏によみがえってくる。自分自身のためにも、支えてくれたみんなのためにも・・・もちろん百合のためにも。

 私は拍手とともに一歩を踏み出した。



 午前九時四十五分。

少し早すぎたかな・・・。

「詩さん?」

 マリナ先輩!

「あら、早いわね。李音はもう少しで来ると思うわ。先生は・・・多分遅れてくるでしょうね」

数分後、李音先輩が来た。

「相変わらずマリナは早いな。花瀬も早いな」

 あとは、先生を待つのみ。

 午前十時三分・・・。

「やあ、みんなはもう来ていたのか。・・・じゃあ行こうか」

先生はまるで遅れていないかのようにゆっくりと歩いてこちらきた。

「先生が遅いからです。三分の遅刻ですよ」

私はすかさずつっこんだ。

「たった三分だから大丈夫だ。それはそうとマリナ、今日はどこへ行くつもりだ?二泊三日の旅行に行くとしか聞いていないのだが・・・」

先生は自分の荷物も見た。

「それはまだ秘密。お金のことは心配しなくてもいいから、さあ行きましょう」

文化祭から数日が過ぎ、気持ちも落ち着いた頃・・・マリナ先輩から連絡があり、旅行の話をした。

文化祭では思った以上に盛り上がり、途中からは私自身も覚えていないほど、気持ちよく歌えていた。

マリナ先輩と話し合った結果、旅行はゆっくりと休めるところが良いということに決まり、落ち着いた雰囲気のある旅館に決まった。何をするつもりもなく、ただゆっくりと過ごす予定だ。

新幹線やら電車やらに三時間乗り、バスで二十分行ったところにある、きれいな海が見える旅館に着いた。

「はあ・・・疲れた」

 今までに長時間乗り物に乗ることがなかったため、思った以上に体は疲れていた。

「今日はもう温泉に入って、夕食を済ませて、ゆっくりしましょうか」

マリナ先輩が私たちを見て言った。

ぽちゃん・・・。

あったかい・・・。

・・・そういえば、誰もいない

「どうして私たちだけしかいないのですか?」

隣に一緒に温泉に浸かっているマリナ先輩に聞いた。

「それは、この旅館を貸し切ったからよ」

 貸し切り・・・?

「実はね、ここは私の父様が経営している旅館の一つなの。とても良いところでしょ?」

「そうですね・・・」

本当にとても素敵なところだと思う。

「ところで・・・もう先生に言ったのかしら?」

「それは・・・その・・・」

あれからは、今日まで先生に会うことがなかったのでもちろん何も言えずにいる。

「ふふ、まだなのね。それでは、このあと先生に伝えた方がいいわ。自分の気持ちに嘘をつかないでね」

マリナ先輩はとても楽しそうだ。こういう話が好きなのだろうか?

「せ、先輩は李音先輩とどうなんですか?」

 マリナ先輩は一瞬のことだが、こわばった表情を浮かべた。

「あら・・・詩さんは知っていたの?それとも偶然?でもね、形式上は詩さんの想像している関係といえるのだろうけど、まだ違うわね。李音からね、落ち着くまで待ってほしいといわれているの」

「形式上ってどういうことですか?」

「いわゆる・・・許婚・・・と言ったところかしら」

 よく考えてみれば、マリナ先輩はお父さんが旅館の経営者だし、話し方もどこかのお嬢様みたいな感字の雰囲気がある。

「のぼせてきたので、先に上がりますね」

 先に上がり、私は部屋に戻ることにした。部屋の前には、先生が立っていた。

「詩、話があるんだ。今大丈夫か?」

「はい。私も伝えたいことが・・・」

 私たちは旅館にある庭園に行った。そこは静かで、波の音や虫の声がよく聞こえた。

 私はその庭園にあるベンチに座った。先生も私の隣に腰を下ろした。

「あのな・・・」

「私から言わせて下さい」

 先生の言葉を遮るように言った。

「先生、私を音と向き合わせてくれて本当にありがとうございました。前のままだと私はずっと一人だったし、みんなとこんなにも楽しい思い出を作ることなんてできなかった。音楽とまた関わることが出来て良かった・・・」

声が震えている。上手く伝わっているだろうか?

「わ、私はずっと先生に救われてきました。ピアノを始めた当初は楽しいと思わせてくれて、今は音楽と私、そして百合とも繋ぎ止めてくれた。いつの間にか・・・私は先生のことが好きになっていたんです。ずっと・・・ずっと、あの日より前から・・・」

なぜだか、目が熱くなる。

「ほら、これで拭いて・・・」

 ハンカチを差し出した。

「これって・・・」

 そう。これは、私が先生の誕生日にプレゼントしたハンカチ。

「まだ、持っていたんだね・・・」

「もちろん・・・。次は私の話も聞いてほしい。私は本当のことを言うと音楽が嫌いだった。私の人生をどん底に落としたからね。私はピアノをやらされていた。それが何より嫌だった。私にだって他にもしたいことはたくさんあるのにってね。そんなときに、詩と出会った。最初は言われたから教えていたけど、詩との時間はとても楽しかった。心から笑うことができた。私も詩に救われたんだよ。・・・私も詩が好きだよ。初めはもちろん妹みたいな感覚だったんだけど・・・久しぶりに会って、やっぱり詩は変わってないなって・・・でも、とてもきれいになっていて・・・。私にはもったいないくらい・・・。改めて言わせて」

 先生は一度立って、私と同じ高さの目線までしゃがんだ。

「私は詩が好きだ。これからはずっと詩と一緒に歩んでいきたい」

 私は驚きのあまり、言いたいことはたくさんあるのに言葉にはならず、口をパクパクさせている状態となった。・・・私はコクンとうなずく。

「詩、目を閉じて・・・」

耳元で囁かれ、私はギュッと目をつぶった。

すると、頬に何か温かいものが触れた。

「え・・・」

 ここでは、思わず声がもれた。どんどんと意識させられて、顔が熱くなる。

「詩、顔が真っ赤・・・」

先生は静かに笑い、私の頭を撫でた。

恥ずかしくて、目を合わせられない。

先生が私の隣にもたれかかるように座り、どれくらいの時が経ったのだろうか・・・。私には、とてもとても長い時間に感じた。

ずっと胸が高鳴り、触れている肩からは私の音が聞こえそうなほどドキドキしていた。

 私は今まで一番幸せな時間を過ごした。




「そういえば、詩の言いたかったことって他にもあるよね?」

「あ、うん・・・。どうして私をあんな脅迫みたいな手紙で呼び出したの?」

 わざわざあんなことしなくても、他に普通の方法があると思う。

 先生はクスクスと笑った。

「普通では面白くないかなって。まず、詩はそんな方法で呼び出しても来なかっただろう」

それはありえるかもしれない。私は先生のことを覚えていなかったわけだし・・・。

「あと、もう一つ言いたいことがあるの。・・・先生はどうして一人称が私なの?

「ああ・・・そんなことか。覚えていない?私が詩と合って間もない頃、詩は私にきれいな女の人だって言ったこと。今もそうだけど、私は髪が少し長いからね。もともとは、僕って言っていたんだけど、詩におかしいって言われたものだから、私に変えて、今もそのままって感じかな・・・」

先生のことを忘れていたのに、そんな前のことを覚えているわけがない。

「詩さーん、先生。どこにいらっしゃいますか?そろそろ夕食の時間なのですが・・・」

 マリナ先輩の声が聞こえた。

「それじゃあ、行こうか」

 先生は手を差し出した。

「うん・・・」

私は手を握り返した。

今度はもう離れないように・・・。

ご拝読有り難うございました。

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