99:フルムス攻略作戦第一-4
夜明け前のフルムス。
その日のフルムスは地鳴りとともに現れた大量の茨によって街の大部分が覆われ、直後に放たれたファシナティオの自害命令と言う名の叫びもあって、街中に居る殆どの人々は混乱の極みにあった。
「俺たちはいったいどうすれば……」
「そりゃあ決まってるだろ……」
しかし、茨から漂ってくる人々を魅了するような濃い薔薇の匂いと、その魅了を覚ますような爽やかな匂いが街中を覆い始めると、少しずつ人々は冷静さを取り戻していく。
それもただ冷静さを取り戻していくのではない。
「じっとしているべきだ。さっきの見ただろ」
「いやまあ、見たし、ああはなりたくないけどよ……」
誰かを害することで日々の糧を得ていた者はその手と企みを止めて、静かに場が動く事を待つと言う冷静さを取り戻していた。
飢えで正気を失っていた者は、まるで匂いで飢えが満たされたかのように安らぎを覚え、正気に戻った。
ファシナティオの魅了によって悪徳を為していた者も、己の罪深さを恥じ入るようになりつつも、これからどうするべきなのかを考え始めた。
まるで、生きる為には他人を食わなければならないと言う呪いから街全体が解き放たれたようだった。
「あの塔を潰せえっ!アレは敵の魔法だ!!」
「言われなくても分かってるんだよ!!」
だが、そうして周囲が正気に戻っていくのにも気づかず、なお、悪徳を為そうとする者も居た。
そう、生粋のヤルダバオト神官とでも言うべき者たちである。
「ギャアアアッ!?」
「なあ、あの手の塔魔法ってビームとか撃てたか?」
「いや、撃てなかったと思う」
しかし、彼らに対して茨は容赦なく棘を向けた。
茨の塔を切り倒そうとしたヤルダバオト神官は塔の天辺から放たれた青い閃光によって胸を貫かれ、そのままミナモツキの力による複製体である事を示すように水に変わった。
「封印!?どうなっ……毒……だ……」
「がっ、あっ、なんで空中にスリップダメージゾーンが……」
「今の領域魔法って敵味方無差別だったはずだよな」
「そのはずだけど……俺らに害は無いようになっているみたいだな」
茨を除去しようとした者、正気に戻った者を襲おうとした者も、状態異常とスリップダメージによって、次々に倒れていく。
「なあ、俺たちに手助けは出来るかな……誰がやっているのか分からないけど、これってチャンスだよな」
「ああ、チャンスだと思う。だが手助けをするなら、装備を整えてからだな。探してこよう」
夜明けが近づくと共に、フルムスの住民たちが動き出す。
長い長い夜を終わらせようとする者と、自分たちの夜を続けたい者たちに分かれて。
「カッカッカ。つまり、このまま行けば、街中の敵は一掃され、エオナの仲間は増えるばかりと言う事だ」
そして、そんな街の状況を皆識りの魔骸王メンシオスは結界の中から観察していた。
「良いことだな」
「うむ、そうだ。実に良いことだ。流石にファシナティオが作り出したアレを外に出すのは、吾輩もよくないと判断する。アレは世界を滅ぼしかねないからな」
それともう一人、メンシオスの隣には一人の男性プレイヤーが立っていた。
「アンタがそこまで言うのか。皆識りの魔骸王メンシオス」
「言うとも。吾輩の最終研究並に危険な代物だ。カケロヤ……いや、魔医者カケロヤと呼んだ方が正しいかね?」
黒髪黒目で白衣を身に着けたその男性プレイヤーの名前はカケロヤ。
シュピーたちが治療を受けた闇医者である。
「となれば、俺もエオナの手伝いをした方がいいか?どうせ俺の病院は閑古鳥状態だしな」
「それは必要ないだろう。見ろ、まるでゲーム時代に生まれたばかりの吾輩を見るようだぞ」
メンシオスとカケロヤの視線がファシナティオの屋敷前に向けられる。
そこに居たのは茨の馬に跨り、青く輝く槍を縦横無尽に振り回して、ファシナティオの部下である銀色覆面たちを薙ぎ払いつつ、ゆっくりとだがファシナティオの屋敷に近づいていくエオナの姿。
体を動かす度に薔薇の花弁が舞うその姿は、身に着けているドレスのような装束とエオナ自身の容姿もあって華麗と言うほかない。
しかし、薙ぎ払われる側にしてみれば……
「えげつないレベルの領域魔法のせいで近づくこともままならない。近づけてもマトモな一撃すら入れられずに蒸発させられる。そして、かすり傷程度なら一瞬で回復……何処の超高難易度レイドボスだ。アレは」
「カッカッカッ、正しい攻略順は茨の塔をまずは叩き折る事だろうなぁ。それすらも簡単ではないが。そら、正気に戻った住民たちが茨の塔を守る方向で少しずつ動き出しているぞ」
エオナが少し動く度に、仲間が血飛沫か水しぶきを薔薇の花弁に混ぜながら弾け飛び、じっとしているだけでも傷を負っていくか身動きが取れなくなっていく。
勝ちの目などまるで見えない、人の形をした絶望そのものである。
「さて、そんなわけであるしカケロヤよ。少し予定が早まってしまったが、貴様には吾輩の研究資料の一部を渡しておこう。吾輩が感知した限りでは、あと数時間もすれば、外部からの攻撃も始まるようだしな」
「分かった。受け取っておこう。最終研究以外は広めてもいいんだったな」
「それで構わん。最終研究以外は扱う者次第では世界を存続させる助けにもなるだろうからな」
「っつ!?」
メンシオスの手がカケロヤの頭に乗せられ、二人の体が淡く光ると共にカケロヤが苦悶の声を少しだけ上げる。
「感謝する。メンシオス。これで多少はこの世の摂理と言うものに対する叛乱も出来そうだ」
「カッカッカッ、医者と言うのも難儀よなぁ。死んでもなお医者で有り続けたいと思ってしまうのだから」
「正確には孵化すら出来ず、卵の中で自分から腐って死んだ医者の卵だがな……」
「過去が無いのに永遠を与えられた吾輩よりはマシであろうよ。自分の物でなくとも過去は過去だ」
そうして光が止むと同時にカケロヤはその場から去り、誰にも気づかれることなくフルムスからも立ち去った。
同時に、エオナはファシナティオの屋敷の門前に到達し……
「此処から先は行かせんぞ。荊と洗礼の反逆者エオナよ」
「我らが居る限り、この門が貴様に対して開かれると思うな」
「そ、なら始末するだけよ」
エオナの前には二体のボス……巨大な蘇芳色の毛を持つ熊のモンスターであるスオベア・ドンと、短剣を手にした太った悪徳貴族のモンスターであるコヤシフク男爵が立ち塞がった。




