遊びとは「好き」である。
このエッセイで主張している事は、あくまで個人的な見解です。
科学的根拠は一切ありませんので、その点しっかりと理解した上でお読みください。
このエッセイを書く少し前に、とある作家さんの活動報告で「遊びとは」という問いかけがありました。
その問いかけをヒントにエッセイを書いています。
初めましての方は、初めまして。
お久しぶりの方は、はい、リュークです。
先日は、「戦争をしてはいけない理由」でたくさんの感想をありがとうございました。
恐らくまだまだ言いたい事、反論や賛成など色々とあるでしょうが、今回は少しテーマが違います。
今回のテーマは、ズバリ! 「遊び」でしょう。(〇お風)
皆さんは遊びと言えばどんなことを思い浮かべるでしょうか?
私は、まぁ生年見て頂ければ分かるかもしれませんが、見事にファミコン世代です。(※1)
1983年に登場したこの今日のゲームの大本ですが、現在は色々な進化をしています。
と、まぁその話は少し置いといて、私はこのファミコンを中々買ってもらえず、また買ってもらったのはスーファミ(※2)が出てからという中々遅いデビューでした。
その為、私の幼少期の記憶では、ゲームとは他人の家でしているものでした。
まぁそのお陰もあってか、私は近所の田んぼで「カブトエビ」を大量に採って怒られたり、近所の野菜畑に忍び込んでかくれんぼして放り出されたり、米の穂を一本落ちてるのを拝借して振り回したりして遊んでました。(とんでもない悪戯小僧だなw)
その為、遊びというものを考えるのが苦にならない、むしろ遊びっていっぱいあるよねってタイプです。
ところが、最近の子をお持ちの某作家さんのお子さんの友達(遠いなw)は、「ゲーム以外の他の遊び? どれくらいやったらまたゲームして良いの?」なんて言うそうです。
そう、現代っ子の遊びは、遊び=ゲームであって、遊び=無限大ではないのです。
この原因って何だろうって考えた時、私が思ったのは、1つは行政のせいだって事です。
もちろん行政がすべて悪いわけでは無いですよ? そこは大切なので、行政がすべて悪いわけではないですよ。と二回言っておきます。
行政の責任というのは、遊ぶ場所の確保です。
残念ながら行政の土地活用は、基本的に企業誘致です。
もちろん全てが全てではないでしょうが、市の中心部や繁華街近くでは、基本的に遊び場はありません。
というか、田舎と言っても差し支えない我が校区内も公園は減少の一途です。
その為、子どもがのびのびと自由に遊べる場所が少ないのです。
遊べる場所がないという事は、子どもは外に出たくなくなります。
外に出たくなくなると、子どもはゲームにのめり込みます。
そして、遊び=ゲームとなり、ゲーム以外の事は「作業」に落ちるのです。
鬼ごっこと言う作業、ドッチボールと言う「作業」です。
こうなっては他の遊びなんて中々できません。
そして、もう一つの理由は、教育です。
昨今の教育現場では、子どもに対してマナーだの生活習慣だのなんだのと、昔は家で教えていたはずの事が、生活様式の変化で教えられなくなり、教師が教えるようになってきました。
もちろん子どもを育てるという意味では、必要です。
ですが、その為に教育現場では「勿体ない」や「危ない」と言う事を教えることになるのです。
勿体ないは、例えば、ノートや余ったプリントを使ってボールを作って外で野球をする。
柳の枝を使って鞭にして遊ぶと言った事ができなくなるのです。
だって、「紙が勿体ない」「柳の枝を折るなんて勿体ない」のですから。
そして、「危ない」は、川の近くで魚釣りや建物の塀に登って探検ごっこなど、子どもがやってて楽しめる遊びが、「危ないから川には近づかない」「危ないから高い所には登らない」という事で禁止されてしまいます。
これは、「危ない」という一言で、大人が安心を得たいがための、楽をしたいがための言葉だと私は思っています。
禁止する事で、子どもが立ち入らないよう、行わない様に束縛し、子ども達から自由な発想を奪うのです。
もちろん、全ての「危ない」がダメという訳ではありません。
流石に工場、工事の現場、川の中等は危ないのでダメだと思います。
ですが、塀の上くらいどうという事はありません。
落ちたとしても大抵骨を折るくらいです。
もちろん痛いでしょう。
泣くでしょう。
ですが、痛みを知るという事は、次から気を付けるという事です。
痛みを知るという事は、他人の痛みを理解できる基礎を作るという事です。
子ども達に必要なのは、ゲームだけではなく、遊び場所や、ゲーム以外の遊び方を一緒に考えてあげる事かもしれません。
そして、最後に外遊びの素晴らしさをお伝えして終わりとしましょう。
外遊びですが、これは自然学習の第一歩です。
家でゲームや学習ばかりでは身につかない、発見や興味が沢山あります。
発見したことに疑問を感じたら、子ども達は聞いてくるでしょう。
「ママ、なぜ鳥は飛ぶの?」「パパ、なぜ虫は形が違うの?」と。
それらを一緒に子供主体で調べてあげてください。
そうする事で、子ども達は学習する事に興味を持ち、勉強を好きになってくれるでしょう。
「好きこそものの上手なれ」とはよく言った言葉ですよね。
子どもの好きを増やすためにも、極力「危ない」「勿体ない」は言わない方が良いのではないか。
これが私の今回のエッセイで伝えたい事です。
※1)ファミコンとは、ファミリーコンピューターの略称。1983年に任天堂が開発し、爆発的ヒットを記録した商品。
※2)ファミコンの後継機、スーパーファミリーコンピューターの略称。これのあるなしで子供の家に集まる数が倍ほど変わっていたのではないかと個人的には思う。