第一話 未来人に会っちゃった
よく晴れた秋の休日。
コンビニから帰った唯衣が、パソコンに向かう俺のところへ走ってきた。
狭い借家の中を文字通り駆けてきた上に、途中でテーブルにぶつけた足を右手でさすりながら大声をあげた。
「は、は、春くん! い、今さっきそこで、“未来人”に会っちゃった!!」
頬は紅潮し、吐く息が荒い。
「……ま、待て、まぁ落ち着け」
新婚二ヶ月の妻は二十六歳だが、童顔で三、四歳は若く見える。
頭の中はさらに若く、綺麗なものや可愛いものを見つけると無邪気にはしゃぐ。
そんな彼女は高校生になるまでサンタクロースを信じていたらしい。
「唯衣、一ヶ月前にも“妖精”を見たって言ってたよね。不思議なもの遭遇率、高すぎじゃね?」
間髪入れずに返事が返ってくる。
「人徳でしょ」
「…………」
きっぱりと言い切られては返す言葉がない。
ここで逆らっても楽しい結果にならないことは、七年の付き合いでよくわかっている。
「……どんな奴だった? 男? 女?」
「もー、春くんはいっつも冷静だね。そこが頼もしいというか、つまらないというか」
ここで俺に同じテンションを求めても徒労に終わることは、彼女も七年の付き合いでよくわかっている。
「大学生くらいの男の子だよ。それでね、帽子にも服にもズボンにも……ブーツにもだったかな?」
「何が?」
「でぇっかくて赤い宝石が、たくさん散りばめられてたっ」
すごいセンスだな……と言いかけて、俺は黙った。
何かを思い出しかけていた。
「それでさ、“僕の代わりに、あなたがタイムパトロールをやってみませんか?”だって。なんで結婚したばかりの私が、現在を離れてそんなことしなきゃなんないのよ。……まぁ、ちょっとは興味あったんだけどさ」
そう言うと俺の顔を見て微笑む唯衣。
「ちゃんと断ったから、安心してね」
「あたりまえだ」
俺はため息をついた。
「……俺も、会ったことがあるかも、そいつ」
「ぇええ――っ?」
驚きのポーズで後ろに跳ねた唯衣が、今度は尻をテーブルにぶつけた。
「あいたた……。春くんも会ったって、いつ? 何か話したの?」
「ああ、話したどころか、ひどい迷惑をかけられ……」
ホッとした表情を見せる唯衣。
「……良かった」
「? どうかした?」
「ううん、春くんが将来タイムパトロールになる約束なんてしてたら、どうしようかと思って。……してないよね?」
「するかっ」
タイムパトロールといえば、SF映画やアニメに登場する未来の組織だ。
タイムマシンで時間を移動する犯罪者を、同じくタイムマシンを使って取り締まるとか、タイムマシンの乱用で歴史が変わってしまうのを防ぐとか、そんな設定だったように思う。
二十六歳にもなってそんな恰好をした男のそんな言葉を信じられるとは、さすが唯衣というべきか。
それから俺は、すっかり忘れていた七年前の出来事を彼女に話した。
***
大学四年になったばかりの俺は、卒業後に就職するか大学院に進むかさえ、まだ決めていなかった。
ただ春の暖かい陽気の下、駅に続く広い道路脇の歩道を歩いていた。
休日なのですれ違う人の数が多い。
待ち合わせの時刻まではたっぷり余裕があるのだが、俺の緊張は尋常ではなかった。
なぜなら――。
「あの、すみません」
突然かけられた背後からの声。
その声があまりに緊張していたので、俺は自分が緊張していたことさえ忘れた。
そして強まる警戒心。
振り返った俺の目の前に立つ男は、俺と同じくらいの年齢に見えた。
ただその格好が異常だ。
銀のとんがり帽子をかぶり、銀のスーツを着て、銀のブーツを履いている。
その全ての表面に、大きな赤い宝石が散りばめられていた。
いったい何のキャッチセールスだ?
「すみません、急いでるんで」
きっぱりとそう言い、その場を立ち去ろうとする俺。
……の腕が、強い力で引っぱられた。
宝石の男が、がっちりと俺の腕をつかんでいた。
そんな俺たちを見て見ぬふりで通り過ぎる人々。
「ちょっ……」
彼の腕を振り払おうとして俺は気づいた。
宝石男が震えている。
高い鼻の上で俺を見つめる黒い瞳は、真剣だった。
「お願いです。救急車を呼んでください。俺の大切な人が、大ケガをしたんです」
「なっ、自分で呼べばいいでしょう。なんで俺に……」
「お願いです。救急車を呼んでください」
俺は胸ポケットからケータイを取り出した。
そこに表示された現在時刻を確認する。
待ち合わせの時間までは、まだ余裕があった。
「……ケガ人はどこなんですか?」
「こっちです」
俺の腕を引っぱる宝石男。
俺は迷った。
ついていっていいのか?
なぜこの男は自分で救急車を呼ばないんだ?
いぶかしむ俺の視界に入ったのは、交差点の角にある交番だった。
「あそこに交番がありますよ。そこで頼めば……」
「あなたじゃなきゃ、駄目なんです!」
あまりの大声に、数人の通行人が振り返った。
「お願いします。急がないと、死んでしまう……」
宝石男の目に浮かんだ涙が光る。
全身の震えも演技とは思えない。
「……ここから近いんですか?」
そう言いながら、俺は宝石男の後について駆けだしていた。
少し走ったところに公園があり、宝石男が植栽の一角を指差した。
「あそこです」
その場所にたどり着き、植栽の陰に回りこむ。
いた。
確かに人が倒れている。
男だ。
腹部に目をそむけたくなるような深い傷があり、血が流れ出ていた。
宝石男は“大切な人”と言っていた。
てっきり相手は女かと思ったが……まぁ、それは俺の思い込みであり、大切な人が男であってもこの際、問題ではない。
俺はケータイのボタンに指を走らせた。
「1」「1」「9」――局番は必要ない。
呼び出し音が鳴り、すぐに消防本部の係員が出た。
「あ、あの、ケガ人です。大ケガで、血が出ていて」
自分で自分の声に驚いた。
裏返って変な声。
言葉は、しどろもどろ。
自分で思っている以上に慌てていることを自覚した。
「きゅ……救急車を早く!」
係員は冷静に、ケータイの番号と場所を教えるように言ってきた。
「えと、080……」
係員と話しているうちに落ち着きを取り戻す俺。
場所が駅から最寄りの公園であることを伝えながら、もう一度ケガ人に目を向けた。
そこで言葉が途切れた。
信じられなかった。
固まった俺の右手から、滑り落ちるケータイ――。
倒れて血を流している男は、“俺”だった。