第二話
親戚の家に着いた時には既に辺りは薄暗く、夜の爽やかな暖かさに包まれていた。迷わず押した呼び鈴の音は軽快に聞こえた。昼間の女性のせいなのだろうか、これからの生活への期待なのだろうか。
「悠ちゃん、よく来たねえ。大変だったでしょう。」
叔母の真智子は目を細め、眉間にしわをよせながら言った。悠ちゃんと言われた少年は真智子に簡単に挨拶をした後、二階の部屋に案内されベッドに腰を降ろした。
そして持ってきたバックのチャックを開け、手を奥まで入れ、そっとグローブを取り出した。そのグローブには瀬川悠太と黒のペンで書いてある。その消えかかった部分をゆっくり人指し指でなぞりながら、離れ離れの家族――今の自分に欠けているものについて感傷に浸っていた。
ふと、下から晩御飯だから降りておいでと言う声が聞こえ悠太は立ち上がった。グローブを机の上に置き、部屋を出てドアを閉める。この机もベッドも真智子が息子の使い古しだけどと言って貸してくれたものだが、そんなちょっとした気遣いが悠太にはたまらなく嬉しかった。食事の席に着くと、テーブルの上にある肉じゃがに目がいった。
「悠ちゃん昔から肉じゃが好きだったでしょう。」
真智子が確かめるように聞いた。
「はいっ」
悠太は元気に返事をしたあと、どうぞという真智子の声を待って肉じゃがを口にした。しっかり味のついた肉の旨味とともに、懐かしさが口の中いっぱいに広がった。
叔父の正幸と真智子と悠太の三人の食卓は初めてでありどこかぎこちない感じで丸テーブルを囲んでいたが、二人の優しさに自然と打ち解けていった。正座をしていた悠太はいつの間にかあぐらをかき、二人と笑顔で話をし、部屋へ戻った。暫く荷物の整理をし、一段落してベッドに横になると、悠太はハンガーに架けてある制服に目をやった。東京にいる仲間とは同じ制服を着ることも、同じユニフォームを着ることもできないが悲嘆な感情にはならなかった。あるいは気概で紛らわしているだけかもしれないが、悠太がこの地に来たことを後悔してないことは確かである。そんなことを考えているうちに、瞼が重くなるのを感じ、目を閉じた。
どのくらいの時間がたっただろうか、悠太は窓からさしこんでくる光で目を覚ました。ほどよい気温の清々しい朝である。
顔を洗い、制服に着替え、朝食もそこそこに真智子にいってきますと告げ、家を出た。靴のかかとを踏んだまま慌ただしく駆けていく。時間に余裕があることを悠太は分かっていたがじっとしていられなかった。
家から学校まで歩いて三十分、そのちょうど真ん中に位置するのが、あのバス停のある早鐘橋である。そこに差し掛かった時、横を振り向くと、橋の上を歩く女性が目にはいった。あの時の女性だった。
正面から女性を見て、スッと通った鼻筋など改めてその容姿の端麗なところを実感した。
悠太が通う中学校の制服と同じものであり驚いたが、一年生のバッチを付けていることに悠太はさらに面食らった。あの時は容姿だけでなくキリッとした目付きからも年上の女性なのだと思い込んでいたからだ。ただやはり、そのもの寂しそうな印象は拭えなかった。どことなく重苦しい感じ――これが大人びて見える原因なのかもしれない。普通の中学生とは違うものを背負っているような。
悠太はその女性と目を合わせることなく通りすぎた。風向きは追い風なのだが、異様な重厚感があり、足取りは重くなる一方だった。木々の葉が風にじっと耐えているのを悠太はじっと見送った。