偉大なる魔法使いの歌
警官が屋敷を案内してくれることになった。階段をいくつも下り、廊下を進む。廊下の先、突き当りの扉の前で警官は足を止めた。
「ここで体を流すといい。水は冷たくないはずだ。ここにいる間は、できる限り毎日使った方がいい。川は危険だから、外で体を流すことがないように」
警官が扉を開くと、白い石で覆われた噴水広場のような部屋があった。金持ちは川で体を流すことをしないという噂だけは聞いていたが、実際にどのような場所で体を流しているのかということは知らなかった。それをわかっているのか、この体を流すための空間を浴室というのだということを警官は説明した。
「手洗いは隣にあるからそこで済ませてね。夜、ここまで来るの大変だと思うから、寝る前に。仕組みはわかる」
警官はそう説明すると、部屋に案内する、と言って踵を返した。先ほど歩いてきた道を戻り、階段を上る。警官は最初の部屋の二つ下の階で立ち止まると、すぐ目の前にある部屋の扉を開いた。
「ここを使ってもらうから」
部屋は大きくはなかったが、柔らかな真紅のカーペットにベッド、テーブルとソファー。生涯入ることがなかったであろう立派な部屋で過ごすことが俄かに信じられなかった。
「夜はなるべく部屋を出ない方がいい。鍵も絶対掛けてね」
警官の言葉で我に返る。警官はその手に錠前を持っていた。錠前の近い方は知っていたので、そのまま錠前を受け取る。
「あと、僕は上の階にいるから。夕食時になったら呼びに行くから、待っていて」
それだけ言い残すと、警官は部屋から出ていった。荷物もなかったため、ソファーに腰掛け、小さな棚を見やる。生まれて初めて見る、本であろうものが並べてあったが、文字は読めないため何が書かれているのかはわからなかった。役人をやっているのだから、警官はきっと読めるのだろう。
文字の読み書きができる農民はわずかで、多くの農民は読み書きができなかった。
本の背表紙を眺めることをやめ、ずっとつけていた湿った手袋を脱ぐと、骨ばった大きな手が出てきた。その見慣れぬ手を見ていると、意識が遠のいていった。
揺すり起こされて目を開けると、警官とフウリンがいた。
「おはよう。日が沈むと戻るみたいだね」
「あれ、戻っているんですか」
手袋を外した手は、骨ばった大きなものから見慣れたものに変わっていた。簡単に解けるものだったのたと安堵したが、それも一瞬のことだった。
「いいや、魔法はかかったままだ。おそらく、日が暮れると戻り、日が昇るとまた男の姿になってしまう」
部屋には灯りがついているのか明るかったが、窓の外は暗かった。警官は淡々と説明すると、何も返事をしない私からフウリンの方へ視線を移した。
「ハルは物と物と結びつける魔法が得意だったね」
「六番目の弟子は何でもできる」
フウリンは歌うように言った。その言葉を聞いて、セツは眉を顰めた。
「ハルだって、何でもはできないよ」
フウリンは笑った。冗談を本気にした子どもに向ける笑顔のようだった。それがより一層セツの機嫌を損ねたらしく、セツはそっぽを向いた。
「ハルさんは、何でもできる人だったのですか」
フウリンに尋ねると、フウリンはそのままの笑顔で口ずさんだ。
「一番目の弟子は誰よりも強く、
二番目の弟子はだれよりも賢い。
三番目の弟子はだれよりも優しく、
四番目の弟子はだれよりも魔法に長ける。
五番目の弟子は努力家で、
六番目の弟子は全てが優れる。
七番目の弟子には何もない。
ただの七番目の弟子」
こどもが歌うような歌だった。セツは何も言わず、フウリンの横で、真っ暗な窓の外を見ていた。
「有名な歌ですよ。ただ、ハルのよことはセツの方がよく知っています。セツが言うのならば、それが最も真実に近いでしょう」
フウリンのどこかおどけたような言い方では、それが本当のことなのか、セツの機嫌を治そうとしているだけなのか、何の意味もないただの冗談なのかはわからなかった。ただ、それが事実と反対のことだと思えなかった。
セツが口を開いた。
「この歌は、クロスケンが作ったから」
警官は窓の外を見ながら、諦めを含んだ声で続けた。
「師匠はハルと同じで、何でもできる人だった。だから、正しいよ」
その掠れた言葉は、七番目の弟子について言っているのだと思った。何もない七番目の弟子。クロスケン自身にセツを貶す意味はなかっただろうと思った。ただ、何も知らない人々にもそう歌われていたと思うと、セツの擦れた態度も理解できるような気がした。