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嵐の日

作者: 北川瑞山

 大した事のない話なので、短めに書こうと思う。

 台風なんかが来ると必ず、避難しろと言われているにも拘らず、自宅の屋根なんかに上って点検などをして、その最中に風に煽られて転落死したなんていう老人の話を聞く。それも台風が来る度に必ず一つはそういうニュースがある。我々はそれを聞いて大いに呆れ、また嘲笑したりするものだ。中には毎度のおなじみのこのニュースを、不謹慎にも心待ちにしている者さえあるようである。そういう者は「きっと天の神様に呼ばれたんだね」などと皮肉混じりに言ったりもする。行く必要のないところにわざわざ出向いて死ににいくという事は、天の声を全く無視して、自分の意志で死ににいったとしか思えないのだが、しかしその自分の意志さえも自分では気が付かない無意識のものだとしたら、それは却って受け入れるしかない天命というべきかも知れない。

 私などは、こういう傾向をただ偏に加齢による危機管理能力の低下としか思っていないのだが、中には好意的に解釈する者もいないではないようである。

「あれはね、自分の短い余生と引き換えに家族の身の安全を守るという使命感が咄嗟に働いた結果なんだよ。考えてみればこの先のうのうと生きていたってどうせ長くはないだろうし、大した出来事もあるまい、大した功績だって残せまい。だからせめてそうした緊急時には自分の家族のために身を張った勇姿を残して死のう。なに、危険な事くらいは重々承知している。だが今死んだって数年後に死んだって大した変わりはなかろう。それならばいっそこうした有事に奮い立つ事こそ自分に与えられた使命ではないか、吹き飛ばされて死んだって、病院のベッドの上で安らかに死ぬよりはその方が余程名誉ある死に方ではないか、とこう考えた結果なんだよ」

 確かに老人になってしまえばもう、目の前には平穏な短い余生が干涸びた畑のように荒涼と広がっているだけだ。それを目の当たりにして、ああもう俺の人生はこれで終わったんだなと思う時、多分人間は「俺は何の為に生きてきたのだろう?俺の人生とは何だったのだろう?」という問いを発する筈だ。色々なことに始終振り回されてあくせく生きてきたけど、終わってみりゃ何の事はないじゃないか。いろんなものを犠牲にしてもきたけど、その挙げ句に残ったのはこんなただの老いぼれじゃないか。そうして老人は初めて生きる事の不条理性に気が付く。自分が生きた事には何の意味もなかったのだという、恐ろしい程当たり前の事実に改めて絶望する。

 するとそのうちに思い至る。「意味がないとは言うものの、俺はせめて家族を守ろうとして死にたい。この気持ちだけは本当だ」その内なる声が何ら間違いではない事に。天命とは天から与えられるものではなく、自分の内側から静かに湧いてくるものであり、またそれを否定する事のできる超越的価値などどこにもない事に。人は何の為に生きるのか?それは自分がそうしたいと思った事をやることだ!例え誰が何と言おうとも。

 そして台風の日、周囲の忠告も聞かず自宅の屋根に上る。そしてやっぱり落ちて死ぬ。人は言うだろう。こんな風の強い時に屋根に上るなんて老人は耄碌していけない、危険を察知できないくらいにボケていたのだろう、と。しかし先の空想に従えば、危険であるが故に却って挑んだというのが真相だろう。

 問題は、我々は決してこうした老人を嗤えないということである。我々にも、一時の衝動に駆られて行動を起こす事がないだろうか?そして少なくともその瞬間には誰が何と言おうともそれらは全てまやかし、雑音であり、同時に自分の思う所だけが自分にとっての真実ではなかったか?自分が自分として生を受けているのは正に自分が思う所に従うことに根拠を置いているのではなかったか?

 しかしながら現実には、こうした衝動的な生き方、及びある種の無神論的な考え方は他人から見れば嘲笑の種でしかないようである。客観的な幸福を得るには客観に従って生きるのが最上の策らしい。


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― 新着の感想 ―
[良い点] うんうんといちいち頷きながら読みました。 確かに老人が嵐の只中屋根に登る心理を的確に表していると思います。 [気になる点] そうですね、全体的に客観的なので小説というよりはコラムに近いのか…
[一言] 老人の方が実際にこの小説を読んだら、賛否両論でしょうけど、私はやけに納得しました。 客観的にいいことをして生きるか、自分の信念を貫き通すか、考えさせられる話でした。
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