猿神荘のとある一日
猿神荘は家賃千円。
家賃が安いのには、それなりの訳がある。
築四十年。しかし、五年程前に改装工事を行っている。
八畳のフローリングに、台所と浴室、トイレが独立してついてくる。一人暮らしには充分な広さだ。
しかも、迷惑をかけない限り、ペット飼育可。
また、駅へは徒歩五分。いちばん近いバス停には徒歩二分。
十分ほど南に歩けば、商店街に行きつく。
――家賃千円には、訳がある。
それは、その名に、表されたものだ。
◆◆◆
背に腹はかえられないと、幸重は思う。
家賃千円で、家族と別れずに済むのだから。
けれど――
「オ供エヨコセ。ソレハ、犬ノ餌ニハモッタイナイヨ」
――これはどうにかならないものか……。
幸重の目の前で、彼の愛犬・シロと奇妙な生き物がクッキーを奪い合っていた。
幸重はそれを初めて見たとき、サルとナマケモノを足して二で割ったみたいだと思った。
体つきは猿のようにもみえるが、手足についた鋭い爪や、ふさふさした茶色の皮毛は、異国の珍獣を彷彿させる。
しかしながら、それはどちらでもない。
何より目につくのは、ぐるりぐるりと回っている顔である。
「犬ガクッキーナンカ食ッテンジャナイヨ」
ギョロギョロと動く、丸い目。常に剥きだされた、四角い歯。それらは、赤らんだ肌と相まって、東南アジア辺りの仮面に似た容貌を形作っていた。
異形の獣が、やや聞き取りにくい声で喚く。
「サチ、飼イ主ダッタラ、コイツノ躾ヲチャントシロ!!」
シロに、腕を噛み付かれていた。――犬猿の仲とはよく言ったものである。
「……土地神って、もっとありがたみがあると思ってなんだけどな~」
幸重は遠い眼をして呟いた。
土地神付きの物件は、一般的に値が張る。
縁起がいい、土地神がいる土地には、人に害をなす霊や妖がほとんど出現しないというのがその理由である。
が、しかし、何事にも例外がある。
土地神である木守が住む、猿神荘がそれだ。
相当に偏屈な木守は、自分が気に入った人間しか猿神荘に住むことを許さない。気に入らない人間が猿神荘に入居してきたら、あらゆる手段を以て追い出しにかかる。…… 大家の都合もお構いなしで。
そんなわけで、猿神荘の家賃は相場に比べてかなり安くなってしまったのである。
シロと木守は、前述のように仲が悪い。
だが、幸重はシロを手放すつもりはさらさらない。幼い頃からずっと一緒にいたのだ。
普通に考えれば、木守に追い出されそうなものだ。
けれどもそうならないのは、幸重の勤め先のおかげである。
幸重が働いている喫茶店の店長は、よく、余ったお菓子や新メニューの試作品を、幸重にくれる。そして、木守はそれらをいたく気に入ってしまったらしい。そのため、それをめぐってシロとの喧嘩になることも、しばしばである。
「それにしても、よく飽きないよな」
愛犬と猿神の戦いを横目にぼやきつつ、幸重はクッキーを口にしようとした。と、――
「あ!」
クッキーの袋が手からもぎ取られた。
「オ供エヨ、オ供エ!」
木守が、窓から外へ飛び出していった。
「ちょ、ちょっと待て~!!それ、試作品――」
幸重の叫びも空しく、木守はいずこかへ去って行った。
幸重はがっくりと肩を落とした。店長から試作品の感想を頼まれていたのに、一口も食べられなかった……。
すると、シロが何やら袋を咥えて、幸重の方にやってきた。
慰めるように、ぽんぽんと尻尾で幸重を叩き、袋を差し出す。
袋には、『COME☆COME!!WANWAN♪』とあった。
犬用ジャーキーを差し出され、幸重は反応に困った。
「………………………………………………………………………えっと、気持ちだけ、貰っとく……………」
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