学習能力ゼロだね(2月後半)
草木の揺れる音だけが静かに響く夜半過ぎ、御殿の中は外気に反して熱気に包まれていた。
「毎年毎年、どれだけ言っても聞いて下されない」
「ひと月近く留守にする事で、どれだけ仕事がたまるか御存じのはずなのに」
「あとで大変な思いをすると分かっていながら、あの方はどうして直そうとなさらないのか」
「狂いまくったスケジュールを調整する身にも、なっていただきたい」
「うちなんて命様の仕事が遅延する分、毎年十月は連日地獄なんですよ」
大祭である祈年祭が終わって一週間。
四月まで大きな祭事がないことから、この時期に各部署の代表者が集まり、今年度の反省および来年度の計画を立てる会議を毎年行っていた。
拝殿に車座になって報告や指摘を繰り返しているうちに、いつしか話題は主の事へと移り変わって行く。その内容はと言えば、当人の言動を反映したものであるため、当然のように愚痴大会へと変貌していくのが毎年に流れだった。
「とにかく。今年こそは何が何でも、こちらにいていただくようにしなければ!」
拳を握りしめながらの言葉に大多数が揃って大きく頷く中、のほほんとした声が響いた。
「無理じゃと思うぞぉ」
「そうねぇ。だって命様の学習能力はゼロですから」
士気を鼓舞する彼等に水を差した二人組は、本殿への黒漆の扉を背にした位置に並んで座っていた。集中する視線をものともせずに湯気の立ち上る湯飲みを手に笑顔を浮かべている様は、そこだけ切り取れば縁側でひなたぼっこをしているジジババかと錯角するほどである。
「というか、あの件に関しては学習する気が全くないから、ゼロ以前の問題じゃろう」
「それもそうですねぇ」
その場の雰囲気を無視して、あははおほほとのんきに笑い合う姿は普段ならば注意のひとつやふたつを受けるものだ。しかし言っている人物が従者の中でも古参とあっては、周囲の者達の表情は二人と正反対の方に傾く。
「不吉な事、仰らないで下さいよ」
「貴方がたにそんな事を言われては困りますっ」
「困ると言われてものぅ」
「だって真実ですし」
「だから言わないでっ」
必死に高みへと押し上げた士気を足下から崩す発言に、悲鳴に似た声があちこちから上がる。
「我らでダメなら、巫女殿にお願いしましょう」
困った時の『神』頼み、ならぬ『巫女』頼み。
本末転倒とも言える法則が必殺技として通用してしまうのがこの神宮だったが、何事にも例外はつきものだった。
「巫女殿ねえ。……他の事なら通用するかもしれませんが」
「こればかりはさすがに巫女殿でも無理じゃろうなぁ」
顔を見合わせて互いの言葉に頷く彼等に、固唾を飲んで見守っていた者達の表情が絶望にくしゃりと歪む。
「仕方ありませんよ。だって巫女殿は代償を支払えないもの」
「代償、ですか?」
主と巫女の間には不似合いな言葉に怪訝そうな声が上がる。
神宮の者にとって巫女は確かに特別な存在だが、それを理由に何かを求めたりはしない。
「そう、代償。命様が毎年あの時期、御殿を留守にされるのは神無月の守護があるせいじゃ。あれから解放されない限り、お前達の望みは叶わん」
断言した男に女が続ける。
「でも私達にその取り決めを変える事は出来ないし、代わりを務めることも出来ない。出来るわけがない」
「一番どうにかしたいと思っておるのは命様じゃ。だが、いまだに何も変わっておらん。命様に出来ないことを我らが出来ようはずがなかろう」
死刑宣告にも等しい言葉に、拝殿は水を打ったように静まり返る。猛スピードでどんよりとした暗雲に覆い尽くされていく周囲に、きっかけを作った二人の方が慌て出す。
「いやあの、ほれ、えーと、何じゃ。何かあったら、きちんと戻って来て下さるのだから大丈夫じゃよ」
「それに今までずっと留守にされ続けて来ましたけど、仕事は滞りなく回ってますし」
皆、伊達に経験は積んでいない。
というか他のところに比べて、無駄に経験を積んでいる。
「仮に何かあっても責任を取るのは命様じゃ。御本人もそれを分かっていて、ああいう行動を取られるのだから放っておいて問題なかろう」
「そうですそうです」
事情も何もかも知っている二人だからこその発言だったが、それを無責任に感じて顔を顰める者も少なからずいた。
そんな真面目で融通がきかないタイプの者達にも、必ず主の言動を達観する日が訪れる。そうでなければ、やっていけないのがここであるから。
旧サイト 2006.2.23UP分を加筆修正
『セリフ100』様の「ショートバージョン2」のひとつ
唐突に「横書きの場合は数字は和数字とアラビア数字のどちらが正しいのか?」と迷いました。
調べたところ、読み物の場合は「漢数字」がベストらしいです。
まあ一作品単位で統一してあり、読みやすければどちらでも可かな、なんて個人的には思いましたが。