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亀甲天神  作者: 翠條サツキ
7/12

天国と地獄(2月14日)

「生殺しだね」の続きではありません。恐らく数年後かと。





 今まで経験した事のない状況におかれて巫女は困っていた。

 目の前の人物へ差し出した両手に乗っているのは、赤いリボンでラッピングされた小箱。箱の中に入っているのは、もちろんバレンタインチョコレートだ。

 いつもなら「サンキュ」の一言と共に持ち主が移る紙袋だったが、今年は様子が違った。

 受け取るべき相手はまるで生まれて初めて見たかのような表情を浮かべて、じっと箱を見つめたまま動かない。その背後に集まっている他の従者達もなぜか似たり寄ったりの状況。



(一体、何なの)



 あまりの不可解さに、居心地のいい空間が見知らぬ場所のようにさえ感じられてくる。

 振り返って女の従者達に目で助けを求めても、穏やかに微笑むだけで彼女達は動こうとしない。

 助けが得られないのならば自力で現状を打破するしかない。手っ取り早く、立ち尽くす青年にどうしたいのか尋ねようとした、その時。

 青年の方が先に口を開いた。



「これってバレンタインチョコ、だよな」

「当たり前でしょう。今日を何日だと思ってるの」



 ようやく口を開いたかと思えば、この質問。呆れて、ぞんざいな口調で言い返してしまったが、青年はそれに気付かなかったようだ。



「そうだよな、うん。サンキュ、毎年悪いな」

「……うん」



 端切れが悪く、でもずいぶんと熱のこもった言葉に釈然としないものを感じたがチョコは相手の手に渡った。本来の目的は果たせたので、とりあえずここは頷いておく。再び手の中の箱に意識を奪われている青年は見なかった事にしておいても問題はないはずだ。

 続いて、従者の代表に手提げ袋を引き渡す。中には全員に行き渡るようにと大量生産したチョコレートがぎっしり詰まった箱がいくつも入っている。



「巫女殿、ありがとうございます」

「どういたしまして」



 感謝の大合唱の後に、例年ならすぐにチョコの分配に取りかかる彼等も、なぜか袋を取り囲んで神妙な表情を浮かべていた。





* *





「何か、皆変じゃない?」



 違和感ありまくりのチョコレート贈呈を何とか終え、成りゆきを静かに見守っていた従者の女性陣に巫女は疑問を投げかけた。



「皆さん、心配していたんですよ」



 苦笑しながら、一人が答える。



「心配? 何を」

「今年は巫女殿からチョコレートが貰えないのかと思っていたようで」



 思いもよらない言葉に一瞬、言葉を失う。



「はあ? どうしてそんな事を思うの。ずっとずっと上げてるじゃない」



 バレンタインという行事を知ってからこっち、欠かした事はない。



「そう、なんですけどね」

「タイミングが悪かったというか」

「ちょっと視野が狭まってしまって」

「……全然分からないんだけど」



 クエスチョンマークを飛ばす巫女に彼女達は事の顛末を説明してくれた。





* *





 立春から1週間。

 暦上は春が始まったとはいえ、寒さはなかなか衰えを見せない。

 2月唯一の休日を中祭「紀元祭」に費やし、その後片付けを終えた巫女が社務所を出た頃には徐々に伸び始めた日もすでに落ちた後だった。

 膝丈のコートにぐるぐる巻きのマフラー、そして手袋。見えない場所にはペタペタとホッカイロ。ばっちり防寒をした巫女は社殿に向かって、小さく頭を下げると足下に2匹の狛犬を連れて帰宅の途についた。

 本殿から、それを見ていた青年は巫女の気配が境内から消えると、ぽつりと呟いた。



「今年はないのかな」

「何がですか?」



 青年が座る上座の前で来週行われる大祭「祈年祭」に向けての会議を行っていた従者のひとりが手許の紙を見つめたまま、問いかける。



「チョコレート」

「まさか」

「それはないと思いますが」



 他の者も口々に否定の声を上げる。

 巫女が小学生の頃から始まったバレンタインチョコの贈呈は、彼等にとって最早欠かす事のできない恒例行事のひとつとなっていた。



「でも聞かれてないんだよね」



 青年が覇気のない声で続ける。



「何をです?」

「チョコの中身」



 この一言で彼等の話し声がピタリと止まる。そして視線は紙から青年へ、意識は会議から巫女の事へと切り替わる。



「それは確かですか」

「俺は聞かれていない。お前達の誰か、聞かれたか」



 全員が揃って首を横に振る。



「そのような話は誰からも出ていません」



 青年が不在の時なら代わりに聞かれる可能性もあるが、その場合必ず報告が上がってくるはずだ。巫女に関係した事柄はホウレンソウ(報告連絡相談)が徹底されている。



「これから、という可能性は」

「木金は学校で来ない。次にあいつがここへ来るとしたら土曜、14日当日だ」



 巫女は高校へは電車通学をしている。義務教育の頃よりも授業時間は長くなっているし、友人との付き合いもあるだろう。学校が近所だった中学時代よりも神社に訪れる回数は格段に減っていた。

 厳しい現実に今更ながらに気付いたあちこちから、ため息がもれる。



「高校生ともなると、もう義理はお終いなのでしょうか」

「いや、高校生だから有りなんだと思いますが」

「最近は異性ではなく、同性に対しての『友チョコ』なるものもあるようですし」

「もしかして、お小遣いが足りないのでは」

「作る気なら、あれは前借りしてでも全員分作るだろう」

「……あのう」



 皆が口々に意見を述べている中、遠慮がちに手を上げる者がいた。



「なんだ」

「もしかしたら、なんですけど」

「何でもいい、言ってみろ」



 青年から発言許可を貰った細身の男は自分に集まる視線につかの間逡巡した後、意を決したように顔を上げると叫ぶように言った。



「み、巫女殿に本命が出来たのではっ」



 早口で一息に吐き出された言葉。

 音の意味を皆が理解した途端、本殿がすうっと静まり返る。

 まるで凪のように声も気配も波一つない無気味な静寂が本殿を支配すること、十数秒。



「ありえなくはないですね」

「巫女殿も、もう高校1年生ですし」

「意中の相手がいても不思議はない」



 我に返った者から世間一般的な事 ――別名「慰め」という――を述べ始める。



「……誰だ」



 そこに上座から低い声が響いた。



「命様?」

「相手はどこのどいつだ」



 常とは違う声音、床を見つめる横顔の険しさに従者達の間に緊張が走る。



「命様、落ち着いて」

「単なる推測です」

「そうそう妄想です」

「邪推と言っても良いくらいです」



 あくまで可能性の話なのに、一足飛びに最悪の想像をして、それが真相だと思い込んだ青年を従者達が慌てて宥めにかかる。誤解で七代先まで呪ってしまうのは問題だ。しかし彼らも思いがけない展開に動揺しているのか出て来る言葉はトンチンカンなものばかり。そんなものが両手を固く握りしめ眉間に皺を寄せた青年の耳に届くはずもなく。



「調べるぞ」

「何をバカな事、仰ってるんですか。できるわけないでしょう、そんな事」

「プライバシーの侵害ですよ」



 良好な関係を築くためには最低限のルールが必要となる。青年も従者達も社務所で何が起きているのか、神社以外で巫女や宮司が何をしているのかは絶対に見ないようにしていた。

 出来る力があるからこそ、していはいけない事があるのだ。

 唯一の妥協点が巫女の送り迎えをしている狛犬だったが、彼らから情報を得ることは不可能だった。外で見聞きしたことは絶対に口外しない、それが狛犬をつかせる条件だったから。



「ろくでもない奴だったら、どうするんだっ」



 情報不足のところに歓迎出来ない推測が加わったことで、考えが暴走し始めた青年は簡単には止まらない。



「誰か調べてこい」

「っ! 嫌です。バレたら巫女殿に嫌われてしまう」



 青年と視線がかち合った男が顔と両手を振って、必死で青年の命を断る。

 集まった面々に視線を巡らす青年だったが、目を反らしたり、バッテンを出したり、泣き顔になったりと誰も引き受けようとしない。



「……そんなに調べたかったら、命様御自身がなさればよいでしょう。その方が一番早くて確実なんですから」



 青年にひたと見つめられ、それを睨み返していた最古参の者が不毛な睨み合いに疲れて匙を投げる。



「それはダメだ。俺だとバレる」

「私達だってバレます。だって皆、巫女のことに関心ありまくりなんですから。か、彼氏なんてことになったら……平常心でいろって方が土台無理なんです」



 巫女が気になって気になって仕方ないのは皆同じだ。そして嫌われたくないという思いも。



「なら他の奴に頼む。……よし、タケ坊にやらせよう」



 さも名案が浮かんだかのように手をぽんと叩いた青年だったが、告げた名に周囲の者の顔からざっと血の気が引く。



「冗談じゃありません。ダメですよ、そんなの。絶対に許可できません」



 すぐにでも相手のところへ飛んでいきそうな青年に慌ててストップをかける。こんな内輪事に蘆原中津國平定の功労者を引きずり込むわけにはいかない。



「大体、他の方に頼んでも無理ですって。私達が頼んだってことで関心持って、平常心なんて欠片も残ってませんよ」

「なら、どうしろってんだよ」

「そんなの知りませんよ」



 あれもダメ、これもダメで青年の機嫌は悪くなる一方だ。でも、それは他の者も変わらない。

 知りたいのに分からない。できるのにできない。情報不足と我慢のダブルパンチでストレスは増大するばかりだ。



「そうだ。宮司殿にお願いするというのはどうでしょう」

「それだっ」



 最高の適任者の存在に気付いた彼らは、過去例がないほどのいきおいで宮司に意識を向けた。その時、宮司が身震いしたかどうかは分からない。





* *





「皆様、お揃いで。何か御用ですか、命様」



 青年の呼び出しに拝殿まで足を運んだ宮司は、ずらりと居並ぶ従者達に驚いたりはしなかった。

 青年の前に腰を下ろすと、真正面から視線を受け止める。



「宮司。お前に頼みがある」

「何でしょう」

「巫女の件なんだが」

「彼女がどうかなさいましたか?」



 一様に悩まし気な表情を浮かべている青年達の口から巫女の事が出て、宮司の脳裏を不安がよぎる。それに気付いた青年が言葉を付け足す。



「問題があるとか、そういう事じゃない」

「そうですか」



 心配事ではないことに宮司は、ほっと胸を撫で下ろす。

 ランドセルを背負っている頃から見守っている少女に問題発生となれば、彼も平常心でいるのは難しい。



「では彼女の何についての御用件なのでしょう」

「調べてほしいんだ」

「どのようなことを?」

「…………」

「命様?」



 言い淀む青年に宮司が先を促す。



「あれが14日に誰にチョコを上げるのかを調べてほしい」



 予想外の頼み事だったのか、宮司の目が一瞬大きく見開かれる。



「頼む」

「お願いします」



 懇願する彼等を静かに見つめ、つかの間考え込んだ後、宮司はにっこりと笑みを浮かべる。

 手応えを感じて喜んだ彼等だったが、表情に反して宮司の言葉は冷たかった。



「お断りします」

「どうしてっ」

「どうしても何もありません」

「いいから、聞いてこい」

「お断りしますと申し上げました」

「そんな冷たいこと仰らずに。電話でちょこーっと尋ねてくれればいいだけですから」

「出来ません」

「そうそう。『もうすぐバレンタインだね』なんて具合に」

「『今年はどうするんだい』とか」

「……皆さん。私の言葉、聞いてませんね」



 それぞれが好き勝手に巫女から真相を聞き出す方法を口にして、その場の収拾がつかなくなる。

 呆れるほど無秩序でありながら目的はたったひとつ。

 その結束力に感心しながらも宮司は頑として首を縦に振ろうとせず、結局彼等は引き下がるしかなかった。





* *





「宮司様まで巻き込むなんて」

 語られた内容に巫女は額を押さえて、大きくため息をついた。



「あっさり断られておりましたけどね」



 コロコロと楽しそうに彼女達は笑う。



「命様ったら巫女殿がどこかの殿方へのチョコ作りに心が一杯で、我々のことは忘れてしまったんだと心配なさってたんですよ」

「おバカなことを……」

「仕方ありませんよ。殿方ですから」

「そうそう」

「巫女殿はお父さんが沢山ですね」



 その言葉に巫女は顔を顰める。

 好意を抱いてくれるのはありがたいが、今回のようなことがあると暢気に喜んでばかりもいられない。



(これから大丈夫かな)



 前方にとてつもなく巨大な暗雲が立ち篭めている気がして不安になる巫女だったが、そんなことはお構いなしに女性陣は盛り上がる。



「楽しい見物でしたね」

「皆あたふたしちゃって」

「可愛いものよね」



 巫女の動向に翻弄される男性陣の様子を高みの見物としゃれ込んでいた女性陣は、ここ数日のダメっぷりを報告し合う。その姿はそこら辺のおばさんの井戸端会議と何ら変わらない。



「そうそう。巫女殿にひとつお聞きしたいことがあるのですが」

「何ですか?」

「どうして今年は中身をお尋ねにならなかったのですか」

「中身ってチョコの」

「はい」



 同性ゆえにチョコを貰えるか否かで悩む必要がない彼女達も、今回の騒動の発端がいかなる理由から生じたモノかは気になっていた。



「別に皆が期待するほど複雑じゃないんだよ」



 そう前置きしてから巫女は説明を始めた。



「学校でバレンタインの話題が上った時、欲しいものを聞いているって言ったら『それじゃあダメだ』って言われて。だから今年は聞かずに自分で考えて作ってみたの。……まさかそれが、こんなことになるとは思わなかったよ」



 貰ったことをやっと実感出来たのか、ラッピングを剥がし始めた男性陣を横目に見やりながら巫女は言う。



「それだけ?」

「それだけ。チョコはそんな好きじゃないんだけど、それでも食べるモノと言ったらチョコクランチだったからチャレンジしてみた」



 そう巫女が告げる通り、今年のバレンタインチョコは今までとはひと味違い、チョコに玄米シリアルを混ぜて冷やして固めた上にオーブンで焼いた代物だ。

 案の定、男性陣からどよめきがわき起こる。

 蓋を開けてみれば何てことない理由に思いっきり惑わさること数日。ようやくそれから解放され、元々の明るい雰囲気に戻り始めた男性陣を見る女性陣の視線に哀れみが含まれるのは仕方がないだろう。



「どうやら喜んでもらえたようだし。そろそろ戻ります」



 祈年祭を3日後に控え、慌ただしいのは本殿だけではない。

 当日参加出来ないからこそ、今日明日中にやるべきことを巫女は済ませておかなければならない。



「今度また命様が変な考えを起こした時は訂正して下さいね」



 拝殿横の下駄箱から草履を取り出しながら巫女が告げる。



「了解しました」

「お願いします。でも、どうしてあんな思考回路なんだか。去年もきちんとチョコ上げてるのに」



 しょうがないなあ、と呟きながら巫女はパタリと木戸を閉めた。



「…………」

「…………」



 小さくなっていく砂利を踏み締める足音をBGMに、女性陣はいま耳にした事の意味を考えていた。



「今のって」

「どう受け取ればいいんでしょう」

「そういう風に取れますよね」

「というか、そういうことなのでは」



 導き出された答えに、その場を沈黙が支配する。

 黙っていたなんて酷いとか、私達には打ち明けてくれたっていいじゃないとか、色々と言いたいことはあったが、それはひとまず置いておく。

 それよりも遥かに大きな問題があった。



「……どうしましょう」



 盛り上がる背後が気になり、声が自然と小さくなる。



「何てお伝えすればいいんでしょうか」

「とりあえず今日は止めておいた方がいいのではないかしら」



 自分達は巫女と同性だから、気持ちが分かる分パニックにはならないが彼等は違う。



「今日ぐらい幸せ気分に浸らせてあげても罰は当たらないと思うんだけど」

「そうよね。今日まで皆悶々としていたし」

「穏やかな時も必要だと思います」

「そうね。じゃあ、そういう事で」



 全員の意見が一致し、無言でエイエイオーと気合いを入れる女性陣。

 男性陣は満面の笑みを浮かべながらチョコレートを頬張っている。

 驚愕へのカウントダウンが始まっていることに気付きもせずに。









旧サイト 2004.2.14UP分を加筆修正


さすがに命様は必ず貰えますが、他はどうしても数が足らないので毎年抽選をしています。栄光の無敗者はこの時期、運気をかっさらおうとする者達から大人気だったりします。


▶▶▶ おまけ


「狛くん達ーっ」

「「「「「「はいっ」」」」」」

「いつもご苦労様。はい、今年もチョコ貰ってね」

「「「「「ありがとうございます」」」」」」


命様達の知らないところで狛犬くん達は毎年対戦者なしの不戦勝です。

しかも骨型チョコ、という特別扱いを受けております。


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