第2章 貴方を忘れない(1)
今回は、主人公の視点からだけでなく一人の女性の視点からも書いてます。結婚前に片想いだった男性に会う。『誰よりも好きなのに』の歌が頭にありながら書きました。野球に興味があまりない方も見て頂ければ幸いです。
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小林さん、野球部監督就任おめでとう。永井部長から、貴方の名前が出たとき、わたしの心に小さな波紋が広がった。
貴方は知らないでしょうけど、貴方が結婚した時、貴方の奥さんになる人を見た瞬間にわかってしまった。貴方の奥さんは、わたしとは正反対の人。
そして、悟ってしまった。わたしに最後の一線を越えさせないようにしていたことを…。貴方が、怜とわたしをどうして応援していたのかわかってしまった。
もう、会うことはないと思っていた。速見監督から部長に珍しく電話があった。貴方が高校野球の監督に就任したこと、教え子を見て欲しいと連絡してきたこと。部長は少し前に知っていたみたい。
最初は部長が直に案内する予定だった。久しぶりにお互い話したかったと思う。実際に業務も入れないように言われていたから、相当本気だった。
部長が、家族のことで行けなくなった。それを知り思わず手を挙げた。休日出勤はやめて欲しいと冗談めかして言われたけど。踏ん切りを付ける意味で。
部長から、わたしが松浜に来ると貴方が聞いて、貴方の生徒にマネージャーのことを教えてあげて欲しいと。
今、話題のドラッ○ーなんか読むより、わたしの話を聞かせる方が100万倍いいとリクエストしてきた。思わず、急遽実家に戻って高校、大学時代に付けていたマネジャー日誌を引っ張り出した。『何考えているの?』と自分に呆れた。しかも、彼女にアドレスを教えてアフターケアすらしようとまで考えている。
でも悦んでいる自分がいる。自分でも思う、古内東子の書きそうな歌詞みたいなこと考えているバカな自分…。
でもいいの。これから先に進む為に、愛してくれている怜の為に、そして自分の為に…。
「先生、次ですか?」
私が頷くと並川大樹はイヤホンをもう一度耳につけた。窓際の席では中田恵理がボールペン片手に一般常識問題の参考書を見ている。今、私達は新幹線の車内にいる。
今日は日曜日、私達は、コンダの松浜工場に新幹線で向かっていた。二人のテストのためだ。並川については挨拶に来たいと私が監督に言った時、君のところでおすすめの子がいるか?と聞かれた。
いの一番に並川の話をした。肩の強さと本塁から2塁への送球が1.78秒である話をしたら二人で来いと言われた。まだ2年生である話をしたら来秋に正捕手がドラフト上位指名確実だからかまわないとのことだった。並川のことはそれで決まった。思いもよらない話だったが中田のこともついでに頼んでみた。学年でもトップだし彼女はどこに行っても及第点以上は出来ると思ったのでねじ込んでみた。監督には相変わらずなやつだと笑われたが、一存では決めかねるからと言われた。どうしてもと言うなら永井部長に話すから、お前からも頼めと言われた。
部長は、頼めばなんとかしてくれる人だった。何か理屈をつける必要があった。理由はすぐ見つかった。マネージャーのことだ。彼女は頑張っているが、我流に過ぎない。コンダの野球部の数は少ないが、女性マネージャーはいる。その子達は高校時代もやっているので支障がない。彼女らに教わればと思った。部長と話をしたらOKだった。用事が出来たから当日世話が出来ないから代わりに榊原がしてくれると連絡が入った。中田に本物の女子マネに合わせることが出来ると思わず喜んだ。
永井部長と榊原良子のコンビは私が在籍したころのコンダ野球部の屋台骨だった。あの二人がいなかったら都市対抗優勝はあり得なかった。本社の執行役員になった部長は良子を本社に引っ張ったのは当然だ。それにドラフト1位で指名され、今や東京ジャビッツのスタープレーヤーになった中村怜と付き合っていた良子にとって悪い話ではなく彼女は受けた。
実は、中村怜はコンダ出身、私の弟分で彼女とのことで良く相談を受けていて応援していた。
榊原良子は、ミス・女子マネというコンテストが、あったら間違いなく優勝するくらい優秀だった。高校時代は文武両道の高校で甲子園出場、ベンチ入りもしていた。大学は六大学出身。大学のマネージャーは自校は勿論OBへの対応やリーグの運営を他の大学のマネージャーと一緒に活動したりと多忙を極める仕事だ。
彼女は女子マネの王道を歩いてきた女性であった。
入社当初、そんなプライドもあって野球部内で浮いた存在になりかけた。見兼ねた部長が私に何とかしろとリクエストがきた。彼女は弄ると変に子どもじみてムキになるところがあり、遊んでやっているノリで弄ったら、周りが和むくらい面白いようにムキになってくれた。おかげでチームになじむことができた。そのせいか妹みたいな関係だった。だが、彼女はそうは受け取らなかった。私が会社を辞めるまでの二年間は彼女に対して気付かない振りに終始した。
そんな時に中村怜が良子に好意を持つようになった。私はそれみよがしに彼を後押した。
彼女は、来年で寿退社が決まっていた。式に呼びたいと怜に言われたが、さとみを公に晒しかねないと思い断った。部長からもやんわりと釘を刺してくれたので納得してもらった。
松浜に到着する旨の車内アナウンスが流れた。並川はスイッチを切ると制服の内ポケットにイヤホンをしまい込んだ。中田は参考書を閉じてカバンにしまった。
「到着したら、迎えが来ている。榊原さんという女性だ」
「確か、前まで野球部のマネージャーをされてたんですよね」
恵理が聞いてきた。私は頷いた。
「色々とわからないことは聞けばいいよ。高校、大学とマネジャーをしてたからね」
「わかりました」
恵理は笑顔で言ったが若干、緊張している。並川も同様だった。
「それから、私と榊原さんの会話が、普段、私がきみ達と学校で話す口調とは違うことを先に言って置くよ」
「どうしてですか?」
恵理が首をひねった。
「会えばわかるよ」
私の記憶が正しければだ。
駅に到着した私達は指定された改札口へ向った。
改札の向こう側に榊原良子が立って私達を待っていた。
相変わらず期待通りだなお前…。そんなに弄られたいのか?
彼女はショートシャギーの髪型に黒のパンツスーツと高いヒールでいかにも『役員秘書よ私!』の格好だった。身長も170cmあるので目立ってしょうがない。
並川と恵理は緊張がさっきよりもしている。私はまずいと思った。
まずいなあ。このままでは、会社に着く前にダメになりそうだ。良子、悪いが弄らせてもらう。お前が私が辞めてから変わっていたら何もしなかったが、私のドS嗜虐心を刺激させるくらい突っ込みどころ満載で来るからいけないんだよ。可愛い生徒の為に、生贄になってもらおう。
「おはようございます」
良子が、行儀よく企業スマイルで挨拶した。
「おはようございます」
二人が荷物を下に下ろして挨拶した。二人の緊張のボルテージがまた上がった。
「おはようございます。榊原さん、わざわざ迎えに来て頂いてありがとうございます。久しぶりなんでちょっと迷うかもと思いましたが、『背が凄く高かったから』すぐにわかりました」
私の言葉を聞いた瞬間、入念にメイクしてきた端正な顔、グロスを程よく塗ってきた唇と形よく描いた眉と左目元の泣き黶が少し痙攣していた。漫画風にいえばこめかみ辺りにピキマークがついていた。さあこい!久々の私の愛情表現とくと味わえ!
「…相変わらずお元気デスね、小林先生。文系の先生を大人しくしてらっしゃると思いましたがいつもながら無駄に一言多いデスね」
いいぞ!良子!やっぱ、お前サイコーだよ。化けの皮がいきなり剥がれてきやがって。二人はまだ封印が解けてない。もうちょっと付き合ってもらうぞ。
「いえいえ、無駄ならもとから身長が高いのに無駄に高いヒールを履いて来られるよりはましだと思いますが?」
その瞬間、我慢の限界が越えた良子が膨れっ面でネコパンチを繰り出してきた。私は大袈裟に避けた。
「小林さん!ホント腹立つぅ!並川くん、中田さん、小林さんってホントはこんなヒトなのよ!覚えてらっしゃい!」
二人はあっけにとられていたがクスクスと笑った。
「榊原、ここにいるのもなんだから駐車場に行こうか」
私は彼女に任務完了と言わんばかりに目立たないようにサムアップのサインを出した。
良子は睨み付けるように私を見た。弄られたことに納得はしていないが私の意図に気付いた。
「うぅ〜ッ、ホント都合がいいんだから〜」
私達は、駅駐車場へと歩いた。駐車していた社用車に乗り込み、工場へと向った。
車内で良子は運転しながら、現役時代の私の活躍ぶりを話さずに今まで弄られた過去の歴史の恨み辛みを暴露し、並川と恵理が腹を抱えて爆笑していた。
「先生ぇ、それひどいっスねぇ〜」
「わかるでしょ〜。誕生日のときなんかプレゼントは顔にシェービングクリームパイなのよ〜」
一瞬の間から二人は爆笑していた。私がそのときの写メを二人に見せたからだ。ちなみに同僚たちと別にちゃんとプレゼントは渡してフォローはした。
「ち、ちょっとそこ笑うとこ違うでしょ〜」
「いやなに、二人に誕生日の記念すべき一枚を披露してたからさ」
ルームミラー越しに私の顔を確認した良子が般若のような形相になった。
「・・・いつ撮ってたデスカ?」口調が棒読みになった。
「忘れた」
「わたしが、龍天寺川の河川敷に小林さんを放置したい衝動に駆られるまでの間にその写メ消去して下さい。」
龍天寺川、懐かしいな。日本でも屈指の距離を持つ一級河川で松浜市郊外を河口にしているって、おい、さすがにあんなことは、勘弁してくれ。
「はいはい」
私はフォルダから写メを消去した。まぁ、持ってても仕方ないからな。それにしても、良子、久々にお前を堪能させてもらったよ。おかげで、並川と恵理の緊張が解けてよかった。しかし、腹筋を痛めかけたのはご愛嬌だけどな。
車は工場の敷地内に入った。良子は警備員に社員証をみせるとゲートをくぐり工場の奥にある。野球部専用球場の前にあるクラブハウスの前に車を止めた。
後部のスライドドアを開けた。ここで並川と私は降りることになっていた。
恵理は事務棟で面接、筆記試験を受けることになっている。彼女達とは終了時までここでお別れだ。
「クラブハウスに栗田さんがいますから彼女の指示に従って下さい。じゃ、並川くん頑張ってね。小林さん、くれぐれも足を引っ張らないように。時間が来ましたら迎えにきます。では」
淀みのない口調で良子は説明した。
「ありがとうございました!」
並川は球児らしく礼を言った。
良子の最後の一言は、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。私は、ありがとうの意味で右手を軽く上げた。一瞬だけ照れた顔を浮かべたが、元の凛々しさに戻り前を向いた。
良子、お前まさかマリッジブルーじゃないだろうな?そんな顔したって俺が相手しないのはわかってるだろ。悪いが無視させてもらうぞ。今は怜のことだけ信じ、見つめていろ。
それに今日は恵理に少しでもいいから導いてやってくれ。彼女にはこれから、おそらく女子マネならではの男ではわからん悩みがつきまとうだろう。そんな時にお前が切り開いてきたもの一部でもいいから授けて欲しい。
「小林さん、お久しぶりです」
クラブハウスのエントランス前に、栗田由宇が立っていた。榊原良子の後継者となっている女性社員だ。野球部のマネージャーをしている。彼女も高校野球のマネージャー出身だ。彼女の仕事ぶりは、正直知らない。今でもいるということは支障がないといいことだろう。
「並川大輔さんですね」
「はい」
「着替える場所はこちらですので、案内します」
「並川、変に色気は出さず普段やっていることだけを心掛けなさい」
私は、彼の肩に手をかけて噛んで含むように語り掛けた。
「はい!」
並川は頼もしげな笑みを浮かべると栗田に案内されてロッカーへと向かった。
「大輔!立派な監督ぶりだな!」
振り返ると浅黒い肌に短く刈り込んだ髪型、笑うとなんかつけてる?と疑いたくなるような真っ白い歯。コンダ野球部速見達朗監督だ。
「お世話になります」
私は、気恥ずかしい気持ちになりながらも笑みを浮かべた。