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今回は、入ってないですが、今まで主人公の側から見た話で進行していますが、時々、それぞれ登場人物の側から見た話も交えていきます。読み終わりましたら、感想、評価、ポイントを是非ともお願い致します!
はじめての練習は、普段やっている練習をしてもらった。技術的には悪くはなかった。バッティングは、ボールを打つ力はまだまだだが、ミートする分には、支障がない。何人かは、改善する余地はある。心配はしていなかった。
守備は、足の運び、キャッチング、送球動作は試合のできる範囲だ。
打撃練習を見ていた。川谷諒が打席に入った。
川谷諒(2年)流通経済科 右投右打 投手 170cm 元々、遊撃手だが、ピッチャーがいない為に転向。運動神経はいい。性格は、口下手で頑張り屋 投球スタイルは右オーバーハンド、コントロール中心、内外角のボールの出し入れで勝負。持ち球はストレートとスライダー、MAX125km 球歴は小4からはじめた 中学野球出身 川谷の彼女は、公式戦はもちろん、練習試合でも駆け付ける。試合の時は何故かツインテール、ニーソックスの格好で見に来る。よく似合っているが、川谷は嫌がっている。惚れた弱みで文句が言えない。部内でもラブラブカップルで有名だ。
外角の球を確実にミートしている。変化球にもついていき、引き付け打っている。バットのヘッドを効かすのが上手い。
内角は、窮屈にバットを振っている。詰まるか振り遅れている。肘のたたみが上手くいけば引っ張れるだろう。
川谷のバッティング練習が終わり、続いて西勇人がバッティングゲージに入ってきた。
西勇人(2年)情報処理科 右投右打 168cm 一重の細い目が特長的、足、肩は普通ぐらいだが、補球、ポジショニングが巧み。投手、捕手以外、内外野どこでも守れる。実は1年の夏の大会から、公式戦、練習試合エラーなしという得難い能力の持ち主。ちなみにパソコンのブラインドタッチが学校一の速さを誇る。バッティングが課題であるが、バントは巧い。普段はボーとしていて、いるかいないかわからないくらいの男だがいてもらわないと困る貴重な存在。
確かにスイングが波打っている(バットをシャープに振れない)が振り込めば夏には間に合うだろう。
「先生、どうですか?」
中田恵理がバインダーとノートを片手にこっちによってきた。まだ春まで先がある。各校共、基礎体力作りに当たる。技術的なアドバイスはまだ先でいい。今日はみんなの技量の確認だ。
私は、持っていたクリアファイルから作っておいたレジュメを出して彼女に見せた。
「日記ですか?」
渡したレジュメを見ながら恵理は怪訝な表情を見せた。レジュメには日記の記入例が書かれていた。
「そうだよ。朝昼夕と食べたメニューと量、練習のメニュー、気付いたことを書くんだ。本来なら自分で管理するが今日から書いて一週間後、提出してもらう。それと、遠投の距離、50m走、塁間走のタイムは、明日実施する。4月にやったスポーツテストの結果も集めてほしい」
「わかりました。『リソ』借りに行っていいですか?」
私が頷くと恵理は職員室にあるリソグラフを借りて部員全員分を印刷しに行った。
私は、全員の動きを観察していた。バッティング練習中の選手の動きを見ていた。バッティング練習時に守備につき実戦を意識しているか、自分の野球道具の扱い等を見ていた。やはり、今日、彼らに話した通り不十分だった。例えばグローブの網の部分の穴が大きくなっても放置していた選手がいる。あれではファインプレーをしても穴にボールがめり込み取り出すことが出来ず味方を窮地に追い込む。並川らはちゃんと出来ているが1年生らはまだまだだ。強豪校はその辺り如才がない。道具や自分達の荷物の並べ方さえちゃんとしているのだ。
たかだかこんなことって思われるかも知れないが、高校球界の名将と呼ばれる指導者は、こういった日常生活の細かいところまで目を配る。例えば、甲子園で犠牲バントを簡単に成功させているように見えるがバント練習を多くするだけではできない。こういった事の積み重ねの上に成り立っている。だからプレッシャーのかかる場面でも出来るのだ。
「えーッ!日記ですか?」
並川が大きな声を上げた。他の部員達も同様だ。
練習が終了した時点で部員全員に集まってもらい。恵理が印刷したレジュメを部員全員に配った。みんな声を上げたのは日記を書くのが気恥ずかしいからだ。
「一週間後、提出は、してもらう。別に君たちの生活を監視や干渉するために書くんじゃない。何をしてどうしたかを記録することが大切だ。野球だけじゃない。各スポーツ界のアスリートもそうしている自己管理の一環として書いているからだ。それから毎朝、起床時に水分を取らず、トイレに行く前に体重計に乗るようにしてほしい。日記に書くのはもちろんだが、部活動をはじめる前にマネージャーに報告して下さい」
「先生、どうして体重を量るのですか」
西が質問した。
「体重を量るのは、体調管理を意識するためだ。急激な体重の増減は、体調不良を意味する。特に夏場は特に顕著に出る」
全員、なるほどとした顔をした。習慣づけと意識することが大事なんだ。
「他に質問はありますか?」
恵理が手を上げた。
「あ、あの先生。わ、わたしも、しなきゃいけないですか?」
(・・・中田ぁ、芸能人のトーク番組じゃないんだから。私にそんな絶妙なパスを出すなよぉ)
しかし、真剣な表情だったので弄らせてもらうことにした。
「したいの?そうなら遠慮はしなくていいけど」
少し間をおいて中田が、目が笑っている私に気付いた。
「け、結構ですッ!」
中田が頬を膨らませると爆笑に包まれた。
「まあ、冗談はさておき、日記や体重測定は、自分を自分で管理することが、目的だ。きみ達の中に自分のグラブやスパイク、荷物をちゃんとしていない者がいる。私が練習前に言った『準備』はそういうことからなんだよ」
部員達は気まずそうにしていた。感じるのが大事だ。たちが悪いのは、無反省、不作為(わかってはいるが、しない)だ。
「別に恥と思わなくていい。気付くことが大切だ。今からでもやってください。今、きみ達に必要なのは、野球が巧くなる為の準備です」
「はいッ!」
全員が返事をした。
「では、本日の練習はここで終わります。グランド整備、片付けを必ず行ってから下校して下さい、以上です!」
「では、全員、礼!」
キャプテンの並川が唱和した。
「ありがとうございました!」
「キャプテンと西、こちらへ来て下さい!」
他の部員はグランド整備や片付けに取り掛かると並川と西、中田がこちらに駆け付けた。
「西、エクセルで体重測定の表を作ってほしいんだが、こういう物を作れるか?」
私は、中田からバインダーを借りると余ったレジュメの裏に部員全員が毎日個別に申告して記入する表の雛型を書いた。
「全員の平均値の計算もさせますか?」
西が尋ねた。
「そうしてくれ。取り敢えず、学年別に部員を振り分けて、明日から書けるようにしてくれ」
「わかりました」西はニヤリとしながら返事をした。
「それから、休みの日にやってほしいんだけど、こういう風に個人別の表を作れるか?」
私は、医療関係者がよく使う毎日の体重の増減が折れ線グラフで表示できる表の雛型をわたした。
「大丈夫です。さっきの表に数値を連動させるんですか?」
私は、注文以上の彼の言葉に笑顔で頷いた。
「そうだ。後は中田と打ち合せてくれ、くれぐれも誰でも出来るようにほしい。きみにしかわからないようにはしてほしくはないからね。片付けが終わったら、野球部用に用意したノートパソコンがある。グランド整備と片付けが終わったら取りに来てくれ」
「はい!」
西は笑顔で頷いた。
西に任せたのには、理由がある。彼は、副キャプテンであるのも理由の一つだが、学年で一番エクセルを使うのが巧く、表計算が得意だった。プレー同様、職人肌である。
「先生」
並川が私を呼んだ。
「恵理から聞きました、掃除のこと。明日の朝、俺たちも来ていいですか?」
「ああ、ありがとう!」
私は、満面の笑みを浮かべて彼の肩を叩いた。
翌朝、出勤してきた時、びっくりした。正門に並川達をはじめ部員全員が待っていたのだ。こうして片付けるとたちまち掃除は終わった。
川崎達は、来ていなかった。彼らからの返事がまだ聞いていない。昨日の今日であるから仕方ない。
午前中、授業を3コマこなし、空いた時間を利用して、職員室の私の机で体力強化のメソッドをパソコンで作っていた時だった。
「小林先生!」
慌てた様子で、学年主任が、私の席にやってきた。
「はい、何か」
「校長先生が、2年の川崎くん、高井くん、神林くんのお母様達が来ているから応接室に呼んでくるようにって!先生、一体何したんですか!」
職員間でも川崎の母親は、有名人なので職員室が、一気に緊張した。
「わかりました」
私は、校長には事前に昨日の内容を伝えていたので、慌てることなく職員室を出た。学年主任が、色々聞き出そうとしているが、煩わしいので『大丈夫です』と声をかけ、鼻白む学年主任を置いて、ノックをして応接室に入った。
「どうも、申し訳ありませんでした!」
私が応接室に入ってくるなり、川崎、高井、神林の母親が怒鳴るように謝罪して深々と頭を下げた。
(こ、これは、新手のどっきり・・・?)
元来、素直に受け取れなく斜めに見てしまう自分にとってどう取っていいかわからなかった。
「校長?」
思わず、校長先生を見た。
「川崎さんから事情を言って下さるから、まあ、あなたもつっ立ってないで座りなさいな」
すでに、ソファーに座っていた校長の言葉に、私は校長の横に座った。
「小林先生!いや、小林大輔選手!この度は、うちの息子の我が儘で野球部にご迷惑をおかけしたこと本当に申し訳ありませんでした!」
(え、今、私の事を選手って言ったよな。どゆこと?)
「実は、主人が『ヨコタ』のエンジニアをしてまして、よく家族で都市対抗野球や日本選手権の応援に行ってたんです」
『ヨコタ』は世界屈指の自動車メーカーで私の『コンダ』とはライバル(向こうが圧倒的なシェアがあるからライバルとは少し疑問です)で、野球は勝ち進めばいつも接戦になる相手だった。
「当時、ヨコタにとってコンダの小林選手はいつも悩みの種でリコールのクレーマーより怖い存在でした」
さすがクルマ屋らしい例えだなと思わず感心した。
「8年前、当時小学生の息子と3人でドームに応援に行った時、丁度、先生が2打席連続ホームランを右に左に打たれました。その事は、小さかった息子も今でも覚えてまして、特に2本目のホームランが忘れられませんでした」
思い出した。1本目は、5回裏ランナー1アウト2、3塁でカウント1-3。相手が敬遠気味で外しにかかった外角ストレートが、高めに甘く入ってきたところを左中間へ打ったやつだ。ドームは右中間、左中間外野フェンスの膨らみがないから狭い。つまり気味だったがバックスピンがかかってたのでスタンドギリギリに入った通称『ドームラン』ってやつだ。2本目はウチが一点差でリードの8回先頭打者の私は、相手投手が時々、初球カーブを投げるのでヤマカンで打ちにきたハンガーカーブ(高めに入る甘いカーブ)を迷いなく振り抜いた。芯に当たり過ぎで打った感触がなくヤバイと思ったらライトバルコニー席まで飛んだ。生涯最高の飛距離が出たんだったよな。
へえーッ、見に行ってたんだ・・・。 私は、妙に感心して川崎の母親の話を聞いた。
「実は、昨夜までその事を忘れてました。息子が、部活に出るなと先生に言われたと聞いて。その・・・息子の言うことを鵜呑みにしてしまい・・・」
川崎の母親は、言い淀んでしまった。
取り敢えず、息子の行状を把握しているか確認しよう。じゃないと親子共、先へ進めない。
「失礼だと思いますが、息子さんのこれまでの事、ご存知でしょうか?」
それまで、俯き加減だった母親が私を見た。
「はい、あの子は誰も注意をしないことをいい事に、自分に都合のいい事を繰り返してました。それは私の責任でもあります」
それは、自覚していると言う意味だった。私は、カウンセリングを行うソーシャルワーカーではないので踏み込まないことにした。あくまでも『教師』ですから。(小野大輔風に言ってみた)
「失礼しました。元の話を続けて下さい」
「はい。・・・えーっと、恥ずかしい話ですがカーッとしてしまい、PTAの沢木会長にお話して問題を大きくしょうとしました。そしたら、会長から最近、野球部の監督が小林先生に変わったこと、そして、小林選手だったことを聞かされ、息子にもう一度聞いて、小林先生のことを知った上で本当に言ったのか聞きました。そしたら、息子が発狂するように泣きじゃくりました。自分は先生に対して大変な事をしてしまったと言いました。そこで息子の口から本当の事を聞いて、こうやって謝りに来た次第であります。どうか、息子を野球部をやめさせないで下さい」
3人が一斉に頭を下げた。
(おいおい、話が極論にいっちゃってるよ。ちゃんと帰る道を作っているのに・・・。)
「みなさん、頭を上げて下さい。誰も辞めさせるとは、言ってませんよ。やる気になったらいつでも来るようにと本人達には伝えてます」
「ほ、本当ですか!」
母親達はハモるように同時に言った。
「本人達に伝えて下さい。明日、グローブとスパイクをちゃんと磨いた上で、私のところへ来なさいと」
「あ、ありがとうございます!」
2、3雑談をしたあと川崎の母親達はホッとした様子で帰っていった。玄関ホールで彼女達を見送った後、私は、やれやれといった感じでため息をついた。
「言った通りね。あなたの球歴のもたらした事が、ここまでとは思わなかったわ」
校長は、私の肩を軽く叩いた。
「『芸は身を助く』てやつですかね?危ない橋は渡りましたが、ここまで成功報酬が大きいとは思いませんでした」
「そうね。私も一悶着あると覚悟しましたから・・・。まあ、これであなたも『立派な高校野球の監督』ね」
校長は笑顔で言った。私はげんなりした表情になった。
「リスク要素は一つ減ったけど、もう一人大きいヤマがいるわね」
校長は真顔に戻って言った。私も思わす眉間にシワを寄せた。
「『審査会』の議決っていつなんでしょうか?」
「私達は官報の公布という形でしかわからないから、何とも言えないわ。来年とも言われてるしね」
私は玄関ホールからのぞく晩秋の弱い陽光を見ながらもどかしい気持ちになった。