(9)
よろしくお願いします。
「小林先生、この間は済みませんでした。心を入れ替えて頑張りますのでよろしくお願いします」
(ん…なんだ?この掌返しは?)
新入部員の初練習の次の日、北村英梨子が私の元を訪れていた。平身低頭で改心した。まるで新手の新興宗教に信心しますと誓うが如くであった。理由はどうであれこれで彼女の部長就任を拒めなくなった。私は席を買え進路相談室へ彼女を伴い向かった。
「北村先生、一昨日と何か違うけどちょっと理由を聞いていいかな」
彼女は昨日、校長先生に呼ばれ自分の思いと置かれている立場(所々ぼかしていた)について話をして私と仕事をする気になったらしい。
(校長先生に何か握られてるな)
言葉にはしなかったが直感的に感じてしまった。おそらく先月の彼女について書かれた書類にかけない何かをどこからかの漏洩情報を受けて仄めかされ従わざる得なくなった。そんなところだろう。少なくとも生殺与奪を握られた以上こっちの言うことは納得がいくがいくまいが言ったことは最低限してくれるって訳だ。だが根っこの部分はまだ信用はできない。頭で判っても感情がついていかない場合がある。そこの部分で本音が露になる。そこでどうこちらの方針を刷り込ませるかだ。
「判りました。今後ともよろしくお願いします。ただ、先生は野球部のことについて慣れて頂く必要があります。暫くはこちらから教えていきますので、生徒が怪我をして緊急対応が必要な場合以外はこちらの指示を仰いで下さい」
「判りました。よろしくお願いします」
彼女は私の元を離れ自分の机に戻っていった。
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新入生初練習は既存の部員を含めた身体と数値を取るためのスポーツテストを行い統計を取った。中田恵理は新しい女子マネ達に指示を出しながら仕事を教えていた。恵理の話では四人とも覚えが早くすぐに行動に移して仕事をしている。ミスしても白々しい言い訳はせず、できなかったときは理由をちゃんと言ってくれるとのことだった。特に日野と入学式早々絡んでいた二人はすごく頑張っているとのことだった。私も恵理の負担を考慮してスポーツテストデータを北村先生にふりPCの打ち込みを行った。その結果、二、三年生の全体的な数値を11月に行った数値と比べて向上していることがわかった。これは喜ばしいことだった。ただ。瞬発系や短距離走等のは日野が一番で垂直とびなどはリカルドが一番であった。総合力で言えば三浦、並川が双璧であるが日野、小池、リカルド、椚、田村の4人は三浦、丸川以外の三、二年生より上であった。これは予め判っていたことだった。身体能力、技術をとっても普通の公立校の三年生と有力私学の全免の特待生の一年生と歴然な差がある。そしてメンタリティーでも差がある。ただし、だからといってそれが公式戦での戦いで常に私立の有力校が勝てるわけではないのだが。
さらに次の日の練習でもその差が如実に現れた。走、攻、守、すべてに差が出てしまっていた。まず、内野の球回しだけでもリカルドは抜きん出ていた。まともに対応できるのは西、川谷、三浦だけだった。外野守備にいたっては日野にかなう者はだれもいなかった。さすがにバッテリーに関してはまだ身体ができていない椚より川谷の方が安定感があり小池も並みの選手でなく一廉の力量は持っているが並川はすでに超高校級にまでになっている。
打撃でも日野、小池はかなりのものを見せている。リカルドはまだ硬球に慣れていないがツボにはまればかなり飛ばせる力を持っていた。私とジュンは他の二、三年にかなり発破をかけていた。ただ、現実感がないのかその動きは鈍かった。
明日、坂西高との練習試合を控えた前日に視聴覚室に私、ジュン、並川、恵理を呼んだ。そしてまだ早いと思っていたが北村先生にも同席させていた。
「では、明日のスタメンだが、方針として今回、一年の日野、田中、小池の三人を起用しようと思う。ポジションについては日野はセンター、田中はショート、ファーストには小池に入ってもらう」
「先生、その際には西をサード、神林はレフト、丸川はライトでいいのでしょうか?」
並川から質問が出た。
「その通りでいく」
「先生、確かに一年生の三人はすごい力を持っています。でも、いきなり大丈夫なのでしょうか?」
恵理が心配な様子で聞いてきた。
「心配はしていない。それともう一つ目的がある。はずされた三年、二年生に刺激を与えたい。基本的な体力、技術はかなりついてきているが自分たちの置かれた立場を理解してもらいたいのがある。実際に試合を見て体感してもらい発奮欲しいんだ」
「確かに先生や岡崎コーチが色々と言っているのに何かのんびりしているところがありますからね」
「俺もみんなに言っているんですけど反応が鈍いです」
恵理と並川は納得してもらったようだ。
「それから中田に頼みたいのですが日野、田中、小池にはこれからは何かと理由をつけて雑用を他の一年生よりも沢山させて欲しい」
「小林先生、そんなことしていいのですか?それは平等に扱うべきでは」
今まで黙っていた北村先生が口を挟んだ。
「わかりました。榊原さんに以前教えてもらいましたから。私も日野君が特にそろそろ必要かなって思ってましたんで」
恵理が北村先生の発言がなかったように答えた。良子の教えに基づいてポイントを押えてくれていたことに喜んだ。
「先生、ちょっと待ってください!」
北村先生が自分の意見が無視されたと思い語気を強めてきた。
「北村先生、後で説明します。時間がないので次に進めていきます」
私は努めて冷静な声で彼女に伝えた。
「わ、わかりました」
納得はまだしていない様子だが渋々同意はしてくれたようだ。
「後、春季大会の抽選が来週土曜にあるので北村先生と並川でお願いします。場所は西州市立文化会館で13時30分でお願いします」
「「わかりました」」
「それから春季大会前の最後の練習試合ですがこちらに遠征予定の稲穂実業が洋海学園との試合がキャンセルになってしまい急遽こちらに来てくれるそうだ。場所は波崎町営球場ですることになった」
「ええっ本当ですか?稲穂って東京の名門じゃないですか」
中田と並川がうれしそうにしてくれていた。
今年までの大まかな練習試合の予定は組んでいるがいくつか埋めきれず決まらない日もあったのだ。洋海がキャンセルになったのは先日野球部寮の食堂で昨日食中毒が起こり主力が軒並みダウンしてしまったからだ。大会直前までは体調の安定を優先したらしい。それに困った稲穂実の監督が親交のある峰岸先生に相談したところ私を紹介してくれたみたいで向こうも快諾してくれたとのことだった。向こうの監督とは大学時代に何度か対戦したことがあり、私のことを覚えてくれてたみたいだった。
「そんなところと対戦して大丈夫なんですか?」
北村先生がまた間に入ってきた。
「北村先生、向こうも力量があると踏んで連絡されたのです。その辺は心配しなくても大丈夫ですよ」
ジュンがなだめるように私の代わりに答えてくれた。
「では、一旦、終わります。並川、中田はもう帰っても大丈夫ですのでさっきの件はよろしく頼みます。それから岡崎コーチ、申し訳ないが席をはずしてほしい」
「わかりました」
(弄りがいがあるからってやりすぎはやめて下さいね)
ジュンは私のところに歩みより耳元でささやいた。
「うるさい、言ってろ」
ジュンはそれだけ言って外へでた。
「では失礼します」
続いて並川と中田も外へ出て行った。
北村先生以外が席をはずすと彼女が私の席に歩みよってきた。
「どういうつもりです。先生には今日はオブザーバーのつもりで同席を頼んだはずですが」
「必要と感じたので」
北村先生は憤然とした表情で答えた。コイツ学習能力がないのか?一から説明が必要なのか。よろしい、まだ頭の切り替えができていないと見える。人間、素直と謙虚さが必要であることをこの場で理解しもらおう。
「先生、高校野球における生徒側からの不祥事はどのように起きるのか理解していますか?」
「それはいじめとか喫煙とか様々だと思いますが…」
「そこに行くまでの原因です」
「そ…それは…」
たぶん彼女はそこに到るまでの過程を知ろうなんて思ったことがないんだな。
「競争することで相手に絶望的な差を感じたり、今まで自分より下だと思っていた人間に抜かされたりなどに理不尽さや不平等さを感じるとストレスを抱えてしまう。それに抗う力を持つことや諦めで済めばまだましだがはけ口を求めてしまった瞬間が危険なんです」
彼女の顔を見ると何かを感じたのか自分に失望した顔をしていた。もう少しだな。
「自分より抜きん出た下級生が目の前に現れて今まで自分が持っていてそれがなくならないと思っていた立ち位置が奪われ、取り返そうとしても出来ないくらいに絶望的な差を感じたら嫉妬が生まれるでしょ。男ってヤツは嫉妬が陰湿になることがほとんどなんです。『アイツさえいなければ』なんてね。そこから逸らすためと目を行き届かせるための雑役なんです。そうすることで彼らを守ることができる」
彼女はハッとした顔になった。
「彼らにはベンチ外になったり控えに回す時は私から個別に呼んで理由を話します。先生にはその後のフォローと『芽を摘む役割』をお願いしたい。いや、やって下さい」
「わかりました。出来るだけのことはやってみます」
「それから、危険な兆候を掴んだときはすぐに報告して下さい。くれぐれも自分のところで留めようなんてなんて思わないでください。自己判断や自身の意見の表明は初動の遅れ、後手に回りますから」
「…私は意見を言ってはいけないのですか?」
彼女は語気を強めた。まだわからないのか。
「先生は立場を理解されていないからです。それに私に対して認めさせるだけの証をみせていない。我々には『甲子園』という目標があるのです。先生も戦力なのです。先ほどの会議では邪魔でしかなかった。約束してください。戦力になりますと」
「…わかりました。約束いたします」
彼女は声を震わせながら言った。
そこで初めて彼女は自ら『隷属』することを誓約した。
理解されようとは思わない。私自身も時々自分が正しいなんて傲慢に思ってしまい自分を罵倒してしまう。彼女はそこを信じている。残念ながら現実はかえってそれが足枷になることがほとんどだ。三年間だけ邪魔はしないでほしい。それが終わればあなたは自由だ。非難してくれたっていい。罵倒してもいい。私だけを恨んでくれ。そうすれば心まで売り渡さなくて済むのだから。
部屋から立ち去ろうとする彼女の後ろ姿を見ながら口に出さないことを彼女に語りかけていた。
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