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 お久しぶりです。多忙のため執筆が遅れました事をお詫び致します。

 読み終わりましたら感想、評価、ポイントを宜しくお願いします!

 波崎町。海坂市の隣町。半農半漁の街である。最近は自然を好む人々が海坂市の小さなベッドタウンにしている。波崎には高校がない。海坂市には県下有数の進学校である海坂高ウミコーや海坂商、海坂東高や私立の洋海学園などがあり、波崎町出身というより海坂(海坂郡波崎町だから)から来ましたと言った方がいいという風潮がある。


 だが、野球に関しては中学野球が盛んな地域として知られる。海坂高が甲子園に出場(5〜10年に1回サイクル)する時は波崎出身者が主力を務めることが多いのだ。


 私は月曜日、昼から朝倉と一緒に波崎に向かっていた。田中リカルドを勧誘した際、西海大五に行きそびれた子がいることをキャッチした。他校に入学すれば間違いなくエースになれる左腕の子を見に来たのだ。


 彼の名前は椚孝宏くぬぎたかひろという。朝倉の話では、


『先輩好みのサウスポーですよ』らしい。


「先輩、取り敢えず、リカルドと椚くんだけでいいんですか?他の子はどうするんですか?」


 朝倉は心配げに聞いてきた。


「実はこっちのルートで関西へ行ってた子が家庭の事情でUターンすることになっている。センターがポジションだから、ウチの川谷、並川のバッテリーにリカルドと三浦の二遊間キーストコンビにその子を入れる。屋台骨が出来たらある程度は戦える。後はピッチャーとキャッチャーを補強したらそれでいい。あんまり勧誘ばかりするといらぬ嫉妬を招く。男は残念ながらその部分では、女々しいからな。他の部員のやる気を削ぐ」


「確かにそうですね」


 朝倉が車のハンドルを握りながら言った。海坂と波崎は国道バイパスでつながっている。


「それに毎年10人以上は入部して通常7〜8くらいは残るらしいから心配ない。40人以上部員がいたら制御できん」


 コーチは現在はいない。1人ではせいぜい1クラス単位が限界だ。ジュンには不定期に頼んでいるが多くは望めない。


 波崎西中学校は波崎漁港の近くにある。風光明媚なところにある学校だ。波崎では波崎中が県内有数の強豪だが西中も強い。今年は県大会に進出していたが試合直前に椚くんが爪を割ってしまった為、一回戦で敗退した。西海大五のスカウトが躊躇したのはその辺りだと考えた。スカウトは推薦を確約していたが上司役の人間がこの試合に投げれなかったことを悪く捉えて認めなかったのだろう。


 車はようやく波崎西中に到着した。校門のところで野球部顧問の石神井崇司先生が待っておられた。がっちりとした体型に浅黒い肌に角刈り、いかにも体育科教諭なのだが、実は化石マニアの理科教諭で、県内初の首長竜を発掘したのだがら世の中よくわからない。


 駐車場に車を停めると、お互いあいさつを済ませ、名刺を交換してグランドに向かった。


「公立の先生はあんまり来ないから驚きました。ましてや朝倉先生の先輩にあたるあの小林先生が来られるとはとても嬉しいですよ」と笑みを浮かべいた。


「いえいえ、私こそこちらに来させて頂いて嬉しいですよ」


「さあ、こちらへどうぞ」


 石神井先生の案内でグランドに入ると野球部員の他に何人かの大人がいた。


「こちらは波崎町内の野球部の先生方です」


 石神井先生の紹介で波崎中、波崎南中、波崎北中の先生を紹介された。名刺交換がてら、聞けば何人か海坂商へ野球部員が進路希望を出しているとのことだった。少なく見積っても10人以上は来てくれる予定ではあるが、取らぬ狸の皮算用になるので深く聞かないことにした。朝倉からも市内にも海坂商に進路希望を出している野球部員がいることを聞いた。


 準備は出来ていて今からシートバッティングを始めるとの事だった。グランドのマウンド上には椚孝宏が立っていた。細身の身体で手足が長い印象だ。身長は170cm以上はある。両手を口元へ持って来てサインを伺うワインドアップモーションから足を上げた。右足を前に踏み込み、身体が前にいく、遅れるように左腕を鞭のようにしならせて投げ込んだ。相手右打者の内角低めにねじ込むように投げた。サウスポー独特のクロスファイヤーだった。持参していたスピードガンに『135km』と表示された。


「ストライク!」


 審判役の生徒が右手を突き上げた。


 きれいなフォームだった。鞭を叩きつけるように左腕をしならせるように投げた。いわゆる、球持ちがいいというヤツだ。投手が打者に投げる時、球を放すのは遅い程、打つタイミングが取りにくい。極端な話、いくら球を速く投げても打者は球を放すのが早ければタイミングが合いやすく打てるのだ。スピードガンで測れる速さだけではまるで違う。

 

当然、変化球を投げる時も同じことが言える。球を放すのが早いとプロレベルではある程度予測がつくのだ。だが球持ちが長いと遅れてしまう。少々、甘い球でも打ち損じする。


 もう一度彼はワインドアップを起してカーブを投げた。ブレーキの効いたスローカーブだ。打者はタイミングを外され内野フライを打ち上げた。


 次の打者が左打席に入った。左対左だったがスライダーで三振に取った。内容は、内角を1球を使わずに速球とカーブでカウントを取り、外角に速球で外して最後にスライダーで空振り三振に取った。


 次にランナーを1、2塁に置いてのセットポジションの投球だった。想定は無死1、2塁だ。打者が右打者に入った。


「バッターはチームで一番バントが上手い選手です」


 石神井先生が私に補足した。


 1球目、ボールを見送った後、2球目にきっちり球の勢いを殺して決めた。しかも3塁側だった。投手もダッシュよく駆けより3塁を見ながらキャッチャーの指示通り1塁へ送球した。


 その後、次の左打者にはカウント2ボール2ストライクからスライダーをバットの先で拾われてレフトとショートの間にポトリと落ちるヒットを打たれた。内角には打たれる前にボールを1球投げた。最後のスライダーはストライクだったからバットに拾われてしまった。椚くんは、ヒットの方向を見て悔しそうな顔をしていた。口さがない指導者は態度云々と言うだろうが負けず嫌いは、投手の必須条件の一つだ。


 配球はさて置き、注目していたのは、ワインドアップやセットポジションのどちらでも投げる時の肘の位置とリリースポイントが一定になっているかだった。


 何故、注目していたのかは、故障する原因がそこが一定しないのが一番だからだ。無駄な力が入り、変に力み続けて肩や肘を痛め易い。投げ方は人それぞれ然るべきだと思うが、故障を防ぐ条件という視点でいつも見ていることが大事だ。


「どうですか?」


 石神井先生が、朝倉や他の先生と一緒に私の感想を聞きたがっていた。


「彼は負けず嫌いですか?」


 私は一番聞きたいことを聞いた。


「だいぶマシにはなったのですがマウンドに上がるとあんな感じになります。普段は恥ずかしがり屋なんですが・・・」


 石神井先生はバツの悪そうな顔をした。私にはそれで十分だった。


「中学生であれくらいの気持ちを持って貰わないと。後、持ち球はカーブとスライダーですね?」


「はい。本人は何か覚えたそうにしてますが止めてます」


 指導者として賢明な判断だった。この年代でやるべきことは速球を磨き、故障しない投げ方を身体に覚え込ませることだ。極論から言えば変に変化球は覚えるべきじゃない。故障の原因だし、ピッチングを狭くする。


「今の持ち球と速球を磨くだけで十分です。高校に入ってからチェンジアップを覚えればOKです。要はこの年代でやるべきことは故障しない投げ方を覚えることですから」


「先生は椚の良さをどう見てますか?」


 石神井先生が質問をしてきた。どう見ているか聞きたいのだろう。彼を見れば心血を注いで来たかわかる。


「球持ちの長さ、肘とリリースポイントがセットになっても同じであること。そこから繰り出される速球は、初速と終速の変化が少ない、所謂、球にキレがある。何よりも闘争心があること。まさに左本格派の純血種サラブレッドですね」


「彼の課題はありますか?」


 言外に後はどう育てるか聞きたそうにしていた。


「ところで彼は成長期なのですか?」


 私は成長痛の有無について尋ねた。


「身長は今も伸びているようです。以前と比べて痛みは、なくなりました」


「後は夏の予選に耐えうる身体を作り、体重が増えて速球に磨きをかければ心身の成長が多いに見込めます。配球や意識付けは経験を積めば十分です。是非ともウチに来てほしいですね」


 石神井先生や他校の先生方は納得した様子で大いに頷いて頂いた。


 彼をおんば日傘で育てる積もりは毛頭ない。こちらが間違いようのない事を伝えれば、早ければ1年生の秋には台頭してくれるだろう。


「小林先生、こちらこそ宜しくお願いします」


 石神井先生はコーチにOKサインを出した。それを見て椚くんは私に嬉しそうに一礼した。


 この後、話が盛り上がり、石神井先生達とは年末に忘年会をすることになり私を招待してくれることになった。


 嬉しいことは嬉しいが、さとみにどう話をしょうか頭が痛くなった。







「いらっしゃいませ」


 玄関に一人立っていた清潔そうな端正なマスクのボーイが声をかけてきた。


「ご予約のお客様でしょうか?」


「在原で予約があったと思いますが?」


 ボーイは私の顔を一瞥した。


「お連れ様ですね。こちらへどうぞ」


 ボーイは私をこの建物の最上階である20階の夜景が正面に見える席へ案内した。


 私は、ある男性ひとと待ち合わせしていた。今、私がいる場所。『カールリッツSAISYU』という名のホテルである。西州市の駅前の一等地にあり、3年前までは西州グランドホテルと名乗っていた。だが、折からの不況と老舗であるが故の放漫経営が祟り、破産寸前だった。県と西州市にとってランドマークが破産することは面子丸つぶれであり、許される話ではなかった。しかし両方とも財政難である為、手が打てず、さいしゅう銀行 (さいぎん)に泣き付いた。銀行側にとっても債権放棄などはもっての他で知恵を絞った。銀行側は県、市側に条件を突き付けた。


 頓挫しかけていた駅前再開発事業をコンプライアンスを厳格適用した民間資金等活用事業(PFI)による実施。


 さいしゅう銀行が指定したコンサルタント会社によるテナント運営と西州グランドホテルを再建するホテル経営会社の指定。


 工事に関してはコンベンション方式で建築家に金額とデザインを競わせる。


 地元業者は使うのを義務付けるが電子入札や情報公開も併せて行い談合を排除する。


 県、市側は(特に議会側)抵抗を示そうとしたが、現在の頭取の断固とした態度に根負けし承諾した。


 さいしゅう銀行は在京のコンサルタント会社とホテル再建会社として世界的ホテルグループのカールリッツを連れてきた。コンサルタント会社は都市デザインを建築家のルイージ・メアッツァを前出の方式で選び『城下町との融和』と題したデザインでたちまち、西州市の名所の一つにした。ルイージ・メアッツァはこの作品がきっかけの一つとなってUIA(世界建築家会議)ゴールドメダルを受賞した。


 これにより、西州駅前再開発事業と旧西州グランドホテル再建は軌道に乗り、今では周辺県から多くの集客を呼ぶ人気スポットとなった。また、ここのテナントにキッザニアが進出することも最近決定し、ますます注目されることになった。


 故に県の事を現知事が就任するまで『自治体がバカでも『さいぎん』がある限り、県は安泰』と揶揄されてきたのだ。


 現在、日本で銀行家バンカーと呼ばれる一つの知性と厳格を兼ね備えた銀行経営者は、あまりいない。だが数少ない例外が存在する。さいしゅう銀行頭取、在原秀之。私の妻の父親だった。


「大輔君、済まなかったな」 


 席で待っていると義父が後ろから声をかけた。


 白髪にきっちりとした七三。細いシルバーフレームの眼鏡に人を見定めているような細い眼。私より低いが180cmの身長に食べても肥らない体型。仕立ての良いオーダーメイドの濃紺のスーツ。文系に見えて実は学生時代、柔道2段で講道館に誘われた事がある。私がさとみの事で初めてあった時、いきなり、内股で投げ飛ばされたのだった。


 今では時々、こうやって食事に二人で行くことがある。義母から実は楽しみにしていると聞かされていた。


「この間は、突然で申し訳ありませんでした」


 席に座る前に先に私は、三浦の件で謝った。


「君の役に立ってよかった」


 義父は満足そうに首を横に振った。そして同時に座った。


「まさか、遼太郎がさいぎんの法律事務所にいてるとは思いませんでした」


「彼は優秀だよ。宮藤先生と坂本先生にとっては懐刀みたいなもんだよ。英語も堪能で外資との折衝能力も長けている」


 義父は珍しく人を褒めていた。ソムリエが義父と私のグラスにワインを注いだ。


「今の知事のお陰で私も『地方自治(政治)に片足を突っ込まなくて済んでいる。もっとも大輔君はとばっちりを受けたわけだ」


 義父は私を見ずに赤ワインを一口飲み、外の西州市内の夜景を眺めながら言った。


 「それは…」


 「でも、楽しいようにも見える」


 義父は、私の方を向いて笑みを浮かべた。何か楽しみを見つけたような笑みだった。


 「君は本来、純心女子高に赴任するはずではなかったのだ。最初から普通に野球部のある高校に行かせるべきなのに、県教委の前幹部達は、君のネームバリューを持て余したのだ。情けないかな偏狭な田舎根性コンサバティブマインドが、君を遠ざけてしまった。まあ、私達家族にとっては幸運だったがね」


 「…お義父さん」


 私は頭を下げようとしたが、義父は手で制した。


 「私は、君がさとみに注いでくれている愛情にいささかも曇りがない事に私達夫婦は感謝してもしきれないくらいだよ。今、さとみが元気でいてくれているのは、君がいるからこそだ。3年間だけど楽しみなさい。私も『アマ最強打者』と言われた君が指導者としてどこまでやれるか楽しみなんだよ。私も君の手伝いが少し出来たことがとても嬉しいのだよ。今後ともやれることは君の障害にならない程度の事はさせて欲しい」


 「ありがとうございます。その言葉だけでもありがたいです」


 私の言葉に義父は照れ臭そうなはにかんだ笑みを見せた。


 後日、義母から久しぶりに義父が機嫌よくほろ酔いで帰宅した事を聞いた。あれほど機嫌の良い義父を見たのは数年来見たことがなかったそうだった。

 椚孝宏の投球フォームは阪神タイガースの能見篤史投手をイメージして下さい。『何故彼が?』は、今、日本で一番美しいフォームの左本格派投手だからです。

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