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こんばんは!主人公のスカウティング活動が本格的になってきました。それと共にこの章の主役の三浦拓馬について徐々に明らかになってきました。ではお楽しみに!
読まれましたら、評価、感想、ポイントも宜しくお願いします。スルーされると悲しいですのでお願いします。
私の忠告を聞いた喜久美姐さんの対応は早かった。事務局の職員に指示を出すと4〜5人を除いてあらかた連絡を済ませていた。私もその間に連絡を入れた。
コンダの永井部長だった。間違いなかった。私の予測通りだった。だが、あの弁護士の得意技は、企業M&Aやヘッジファンドの代理人などの経済関係であってこういう人権救済的な活動はしたことがなかったはずだ。
【理由を調べてみるよ。でも、彼はお前のこと相当恨んでいるはずだ。あまり接触するのは、感心しないな。それから、もし弁護士が必要ならお前には頼るべきところがあるはずだ】
「・・・義父ですか?」
【そうだ。たまには在原の力を借りろ。我々が出向くより地元の方がブラフが効く。お前の義父上なら喜んで力を貸してくれるはずだ】
「わかりました。連絡します」
私は一呼吸ついた。
携帯のアドレスから番号を出した。相手は3回コールできっちりと出た。
【はい。さいしゅう銀行秘書室です】
聞き覚えのある渋い中年の声だった。ここへ直通でかける一般人はいない。番号通知で見ているはずだ。
「こんにちは、小林大輔です。森さんですか?」
【小林様、お久しぶりです。わたくしです。頭取の在原ですね?少々お待ちください。】
義父に要件と内容を伝えた。義父も私がこの時間に電話をしてくることがめずらしかったらしく意外に思っていたらしかったが内容を聞くと『10分後にきみの要件内容を満たせる者に電話をさせる』と言われた。
事務局であらかたの連絡を終えた喜久美姐さんが戻ってきた。
「明日中には連絡は済ませられるわ。自分たちで交渉はしないようには伝えたわよ。で、何者だったの?」
私は、彼との間にあった過去の話をした。そして彼が得意としていることと今、やっている仕事を受けた理由が不明であること、現在それを調べていることを話した。
「そうね。でも当分はこれで凌げるからなんとかなるわ」
私はその言葉に頷いた。
「ところで三浦くんってウチのヨシくんがいい選手になれると聞いたけど、大輔くんから見てどうなの?」
「まだ彼がどんな選手かはそんなに見ていないけど、1年生では抜きん出ていると思います。今後の精進次第ですね」
私は彼にはある可能性があると思っているが、今口にはしないことにした。先の楽しみにしたいからだ。
「そうなんだね」
「それから、気にはなったんですが、警察、地検共に遺書や日記や自供もありますが、かなり力技を使ってませんか?初動からして尋常じゃないですね」
私の疑問に喜久美姐さんはやっぱりという顔をした。
「よくわかったわね。今の知事が就任したことで起こった化学反応が連鎖したのよ。今の県警本部長と地検の検事正は事件の1ヶ月前に就任したばかりだったの。教育改革をマニフェストに掲げた知事。ワイドショーなどの在京マスコミが押し寄せた状況。面子を重んじる彼らにとって家裁送りにしてお茶を濁すなんてことはあり得ない。証拠も珍しくそろい、公判を維持出来てかつ有罪にできる。結果は今日までの状況よ」
その時、私の携帯が鳴った。喜久美姐さんに『済みません』と断りを入れた。
ディスプレイを見ると登録していたアドレスだった。ちょうど義父から言われていた10分と少し前だった。義父はわたしにとって最良と考えた人間なのだろう。私は笑みをこぼしながら電話に出た。
「先生、弟は今、中3なんですが、高校で野球がやりたいんだけど、お父さんの仕事が見つからないからこのままだとブラジルへ帰らなきゃならないんです!助けて下さい!」
アマリアは切実な表情で私に訴えた。
私は、3時前に学校に戻った。少し用事を済ませてから進路指導室で待っていたアマリアと面談をした。
田中アマリア 18歳 国際英語科3年 175cm 日系ブラジル4世 ブラジル サンパウロ出身 5歳の時来日した。彼女の母はドイツ系で祖母はアフリカ系とスペイン系のハーフ。少しスレンダーだが褐色の肌にお姉さん何食べたらそうなるのとラテンアメリカ人独特の抜群のプロポーションを持っていた。彼女のことについては担任から会う前に若干のレクチャーを受けていた。家族構成は7人兄弟の次女。父は3ヶ月前までは部品工場で働き、母も別の工場で働いていた。姉は地元のパン屋で住み込みで修業しながら働いている。彼女も洋菓子店でバイトしていて看板娘として人気らしい。
そりゃあ、あれだけの顔とスタイルがあれば人気が出るわ。
だが、不況で3ヶ月前に父の勤務先の工場が閉鎖された。当然解雇となった。 他の家族の収入だけでは暮らして行けず、ブラジルへ帰国するか迷っているらしい。
以前に朝倉から同様の話を聞いたような?
「田中さん、弟はどこの中学?」
「海坂3中です」
「海坂商受験したら受かるだけの学力はある?」
「大丈夫です。家では、勉強しないと母が怖いんです」
ラテン系の男って母ちゃんに弱いもんな。息子に大甘か厳しすぎるか極端だしな。
「それから、きみのお父さんってブラジルではどんな仕事してたの?」
「クリーニング店で働いてました。腕はよかったそうなんですが、店のオーナーが給料を払ってくれなくて、文句を言いに休みの日に店に行ったら夜逃げしたらしく、それが原因で日本に来たんです」
「きみは?」
「まだ決まってなくて・・・」
私は、色々考えた。一度に家族三人の進路なんて後にも先にもないだろう。
私は指導室にある電話から、海坂3中に電話した。
【はい、海坂市立第3中学校です】
聞き覚えのある声だった。
【すいません、こちら海坂商業高校の小林と申し・・・】
【先輩、朝倉です】
朝倉が私の声を遮って名乗った。
「急ぐから用件を先に言うぞ。お前の野球部に田中って日系の子いるだろ?」
【リカルドですか?】
「昨日、電車で言ってた子だよな?今日は学校に来てる?」
【はい】
「今から見に行くから放課後、その子帰らさずに部活に参加させろ。バッティングとシートノック、ベースランニングと遠投は見たいからやらせてくれ」
【わかりました。しかしえらい急ですね】
「まあ、訳は後で言うからよろしく」
【了解!】朝倉は嬉しそうに返事した。
さてと、次はお姉ちゃんだな。
「田中さん、ちょっと立って」
「はい」
私は彼女を室内の中の背景がない白い壁に立たせると携帯を取り出した。
「3枚程写メを取らせてくれないかな?」
「・・・先生?何を?」
さすがにアマリアも戸惑っていた。さわりだけでも伝えておこう。
「田中さんはモデルの仕事ってしたことある?」
「前に友達に誘われて新聞のチラシのモデルを何度か」
「わかった。心配はしなくていいよ。今から写メを知り合いに見てもらうから」
それだけ伝えると彼女の顔と上半身、全身を取ると電話をした。連絡先は大学の先輩である意味有名な人だ。
【よう、淫行教師!】
「・・・」
私は思考停止に陥った。この人はブラッシュバックをいつも投げてくる・・・。ある意味、天敵だ。
【もしもーし。人に電話しておいて無言電話かますとは!忙しいんだよ、俺は!】
「た、田野先輩、いきなり何、言いだすんですか!」
【フン!完璧超人の小林大先生にも唯一の弱点、ジークフリードの背中の菩提樹の葉っぱ目がけての針の一刺しくらいでうだうだ言うなよ〜】
は、針ぃ〜?致死量たっぷりの毒針でブッスリでしょ〜が〜。
「針でも刺し方に問題がありますッ!今から写メ送りますから、ちょっと見てほしいん娘がいるので、お願いします」
「ん、わかった。最初っから言えバカヤロー、一旦切るぞ」
田野さんは電話を切られた。最初っからって今言ってるんですけど・・・。
田野義明 55歳 芸能プロダクション社長。私と同じ大学野球部出身でOB会の副会長を務めている。 大学では主将で大学選手権優勝メンバーで卒業後、何故か芸能プロダクションに入り女優のマネージャーを務め40歳で独立。モデル、グラビアアイドルを中心に世に送り出している。
独立してからは、大学のOBとして私達はかなりお世話になった。現監督の高橋さんとは同級生でさとみとの結婚式にも出て頂いた。
ただしこの人は、女性を見る目が独特でさとみを初対面で見た時、『このバカの奥さんになるより女優にならないか。君なら大女優になれる』と真剣に勧誘したことがあった。
後日、先輩から『この子は二つの生き方しか出来ないだろう。一つはお前のような自分の理想の男の為に生きる。二つ目は俺達の業界で女優になるかしかない。でないとあの子の中の鬼は押さえられない』と言っていた。
私は田野先輩に写メを送った。5分後、先輩からかかってきた。
「小林、今週の土曜日に偶然だけど西州市でのイベントにウチのタレントが出る。俺も同行するからその時に会わせろ。時間は追って連絡する。
しかし、お前どこで見つけたんだ?ウチでメシ食えそうな匂いがプンプンする娘だな。会うのを楽しみにしているよ。じゃあな」
先輩は一方的にしゃべると電話を切った。以前からこの業界は嗅覚が大事だ。危険な匂い。金が儲かる匂いなど色んな匂いがある。モデルやタレントを見つけるときはこの娘が業界でメシが食えそうな匂いがするかがカギた。と語っていたことがあった。後は本人の精進次第。
「田中さん、今週の土曜日空けれるかな?」
「お店に言えばなんとか」
私は名刺入れから先輩の名刺を取出し彼女に見せた。
「スカーレットプロダクションって有名なモデルやグラビアアイドルを多数出している有名な芸能事務所じゃないですか?」
彼女も驚いていた。
「どうするかはきみ次第だよ。社長に会ってみる?」
アマリアは二回大きく頷いた。
「さて、今から弟の中学に行って見に行くからね。実力があるかどうか、もし適わなかったら諦めてほしい。こればかりは自分の目で見ないとね」
私がそういうと彼女は頷いた。
私は自転車で海坂3中に着いた。グランドに行くと野球部が練習を始めていた。もう一人の教師がノックを始めていた。朝倉が私を待っていた。
「朝倉、すまんな。急で申し訳ない」
「いえいえ、役に立てそうで嬉しいです」
私はグランドを見渡すと彼の存在はすぐに見つかった。練習用の白いユニホームを着ている子の中、学校指定のジャージ姿の子が一人いた。しかも一際デカイ。180cm以上はある。
「大きい子だな、180cm以上あるのか?」
「さっき聞きましたが183はあるって言ってましたね。まだまだ伸びるそうですよ」
私は手足が長い他に下半身が中南米の選手独特のどっしり感が目を引いた。彼らは上半身の力ばかり注目されるが、下半身のお尻の筋肉を中心にまるでカモシカのようなしなやかさも兼ね備えている。
いよいよ、ノックの順番が彼になった。最初は緩い球を受けていたが他の子には見られない動きだ。偶然ショートバウンドした時、簡単に手の長さだけで取った。いわゆるシングルキャッチだ。
「朝倉、ショートの守備位置につかせて欲しい。ショートバウンドキャッチと三遊間の深い位置、二遊間、ダブルプレーを見せてくれないか?」
「先輩、いきなりですね。いいですよ。ちょっと待ってて下さい」 朝倉がコーチとリカルドを呼んだ。ジャージを着て野暮ったいが、顔は姉さん譲りのラテンの男前って感じだった。
コーチが全員に守備位置へ行くよう指示を出した。
先に他の部員のノックをし始めた。そして彼の番がきた。まずは簡単なゴロを中南米系の選手独特のハンドリングで捌く。他の子は打球の正面で腰を落として捕球する。彼は旧来のコーチングからすれば邪道だが、実はこちらの方が理に適っている。理由は骨格と柔軟性にある。日本式は野手は打球の正面で捕るのは日本人だからこそ理に適っている。外国人選手の真似は出来ない。外国人選手は打球の正面に入らなくとも日本人にはない上半身、手首の柔軟性や力でカバー出来る。一見危なそうでも早く送球出来るのはそちらの方が早いからだ。
今度は三遊間の深い位置へ強い打球を飛ばした。リカルドは逆シングルキャッチで捕球するとノンステップで一塁へ矢のような送球を投げた。左打ちの俊足でもギリギリ刺せそうだった。二遊間の打球も捕ってから身体を一回転させて送球した。ダブルプレーも二塁手からの送球をタイミングよく受けると走者が来た事を想定してジャンプして一塁へ送球した。
私は彼の守備に魅せられた。もはや中学生レベルではない。
「どうですか?」
朝倉がどや顔で私を見た。中学の軟式でお目にかかれるものじゃなかった。
「キャッチングやハンドワークはどうやって教えた?」
「特には。日本人に教えるような事はしてません。MLBのラミレスやレイエスのプレーを三浦が家のパソコンで編集したのをビデオテープに焼直して見せてたみたいです」
私は三浦がそんなことをしていたのには以外に思った。
「三浦があの事件では他の子達と比べてPTSDとか発症しなかったのは部活のおかげです。まるで嫌な事を忘れるように打ち込んでましたから。ちなみにリカルドと二塁手だった三浦は去年一年間エラーをしてません。去年、奇跡的に県大会ベスト8までいけたのはあの二人のおかげです」
「彼はウチに来たいのか?」
「さっき聞いたんですが、行けるなら絶対に行きたいと」
私は、ベースランニング、塁間走やバッティングをその後見た。50mは6.3秒、塁間は3.6。バッティングは少々粗削りだがアウトローへのボール気味のスライダーに日本人では届かないが彼はバットが届く。強引にレフトへ引っ張ると強烈なラインドライブが目についた。彼は守備だけで合格だった。走るのは標準以上だし打つ方も教え方次第でなんとかなる。
「特待生の誘いはなかったのか?」
私は朝倉に尋ねた。
「親の問題が大きかったのもありましたが、一様に何で基本的な事が出来ないんだって言われましたよ」
「この辺の学校じゃ無理だよ。個性を伸ばす教えは出来ないし、したくもないだろう。俺は国際試合でキューバやアメリカの選手達を見てきたからね。明日からウチで練習させたいくらいだ。これで3年間はショートで悩まなくて済む」
私は最大級の賛辞を示した。朝倉も嬉しそうに頷いた。
「問題は親ですね」
「いや、なんとかなるよ。当たりは付けてある。既にリカルドの次姉も就職先を大学時代の先輩に紹介した」
「え、姉のアマリアをひょっとして田野社長に紹介したんですか?」
「うん、就職活動が上手くいってないから手伝って上げただけだよ。それに俺は進路指導担当補佐だからね」
朝倉はコーチにOKサインを出す。私はリカルドと直接、話すことを避けていた。理由は高野連の規定に抵触する可能性があるからだ。例の『心ない通報』ですべてを失うわけにはいかない。
「朝倉、ピッチャーで他にいい子いない?」
実は一番心配しているのはここだ。来年夏まではなんとかなる自信はあるが、川谷が抜けた後が心配だった。今の1年生は、三浦以外の人材に不安があるからだ。投手経験者もいなかった。
「急ですね。市内の主だった子は進路が決まってます。先輩がもう2ヶ月早く就任していれば先輩の名前で来てくれる約束をしてくれる子は沢山いたのに難しいですね」
「どういうことだ?」
「市内の関係者で先輩のこと知らない人間はいません。というか掬星台の甲子園準決勝での試合のこと思い出してください」
忘れる訳がなかった。引き分け再試合で延長15回サヨナラ負けだった。
「負けた以外、何もないが?」
それを聞いて朝倉はため息をついた。
「先輩は、そういうところ疎いからわかんないでしょうけど。例えば、橘先輩が監督になってからの掬星台は確かに甲子園に出るのに4年かかったなんて言ってますが、就任してから毎回優勝候補には挙がってたんですよ。学区内をこまめに回ったのもありますけどネームバリューがあるから部員集めにさほど苦労されてません。ましてや大輔先輩は、あの槙村慶彦と同じくらいだったんですよ。差し出すに決まってるじゃないですか」
槙村慶彦。あの当時、準決勝の対戦相手リヴァティー学園高の4番で、現在は太平洋の向こう側(MLB)で活躍している。あの時、再試合含めて本塁打3発打たれた記憶がある。
人間には勝負事には平等性があって然るべきだと思っているが、実力差を思い知らされる時もある。私には野球をやっていて勝てないと思った選手が二人いた。キューバの至宝ホアキン・ゴイコエチアと槙村慶彦だ。所謂、化け物と称される次元の世界に住まう者達だ。
「まあ、ちょっと待ってて下さい。清田ぁー!ちょっとこっちに来てくれ」
清田と呼ばれたコーチが我々の許に来た。
「先輩、こちらはコーチの清田太一です」
「海坂商の小林大輔先生ですね。初めましてお会い出来て感激です」
「小林です。よろしく」
私達は型通りの挨拶をした。
「清田、この辺でまだ進路が決まってないピッチャーの子は知らないか?」
朝倉に聞かれ、清田はうーんと考えてから名前を一人出した。
「隣の波崎町の波崎西中にいるサウスポーの子はまだだと思いますけど」
「椚か?あの子は確か西海大五高に先月決まったって聞いたぞ」
西海大五高は全国にある西海大の系列校で西州市にある。私学四天王の一つだ。
「それがですね。西海大の関係者が口約束でOK出して、いざ入学の話で家族が学校に問い合わせしたら知らないと言われたらしく立ち消えになりました。おかげで波崎の中学関係者は激怒して西海大関係者は出入り禁止になったそうです」
清田先生の話に私は朝倉の顔を見ました。
「先輩、会いに行きますか?」
朝倉は私に聞いてきた。
「学力的に大丈夫なら行くぞ。金はないがな」
地方に行くと関係者が金品を要求してくるケースがある為、警戒した。
「先輩、自分の名前を信じて下さいよ。波崎西中の石神井先生はウチとは練習試合仲間ですから今から電話します。今日みたいに練習を見学する形ですよね」
「そうだな。持ち球全部とランニング、だけでいい後は入部してからなんとかするさ」
「わかりました」
私は清田の方を向いた。
「助かったよ。清田先生、今後ともよろしく」と握手をした。
「いえいえ、小林先生の役に立てて嬉しいです」
彼は純粋に喜んでいるようだった。何故、そんなに初対面の人間に好意が持てるのか不思議に思った。
私は朝倉から明日にでも連絡する約束を取り付けると学校へと戻った。
その間に私は桜木会の狩野会長に連絡をとった。田中アマリアの父親の件だ。
狩野会長は県内規模の業務用クリーニング会社を経営していた。この仕事は機械の稼働やファミレスなどの飲食関係の都合上24時間稼働しなければならず重労働を伴う為、不況にも関わらず日本人の正社員がすぐ辞めてしまうなど雇えない状況で非正規雇用の外国人でしのいでいると聞いていたのだ。
私は一応、父親が希望すれば雇用する意思があるか聞いた。答えはOKだった。
明日、アマリアが登校したら父親とコンタクトが取れるようにするつもりだ。
学校に戻った私は、職員室に行った。例の日誌を確認する為だ。
「あ、小林先生。中田さんが日誌を置いてますって言ってましたよ」
隣席の吉野家未祐先生が声をかけてきた。
「あ、ありがとうございます」
私は軽く会釈した。ノートの中を軽く確認する。
日誌をつけさせるのは、もう一つ狙いがあった。食事量だ。野球部員にしては細い体型の人間が少なくなく筋力もあまりついていない部員がいたからだ。朝食を食べていない部員がかなりいた。しかもパンとコーヒーだけもいたのには驚いた。昼食も菓子パンだけもいた。愕然とした。これでは勝てない。夏場の食事量が落ちる。ゆえに日頃から食べておかないと連戦のスタミナはおぼつかない。対策が必要だった。
私はふと日誌の表紙の名前を見た。三浦拓馬だった。
彼の日誌を見ると食事量も他の部員と比べてもちゃんと適切に摂っていた。彼なりに課題を持って取り組んでいる様子が伺えた。
だが、最後の一行を見て彼が追い詰められている事を知った。
『先生、俺、野球続けたいです』
冷たい怒りが私を突き抜けていった。
いかがでしょうか!感想、評価をお願いします。