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02-4.ある旅館の現実と社長の言い分

 その為、女性が食事をする時に毎回リカの姿を目撃していたのは、おかしなことではない。


 それだけではブラック企業ではないかもしれない。


 しかし、働いているからこそ知っている実態を考えると、ブラック企業であるのも事実であった。


 ……接客業、失敗だ。


 お客様に気を遣わせてしまった。


 ここはお客様の為の楽園であり、非日常を提供するおもてなしの旅館だ。それなのにもかかわらず、女性はリカを心配していた。


 ……最悪の失態だ。


 取り返しのつかないことをしてしまった。


 それはリカの価値を簡単に否定する。生きている価値がないのだと囁いてくる声に応える余裕もなく、リカは囁かれた言葉をそのままに受け入れてしまう。


 それでも、なにかを返さなければいけない。


 不安要素を与えられた旅行は、女性の楽しい旅行を台無しにしかねない。


「ご心配ありがとうございます。山下様の旅館での日々に彩りを添えることができるように努めさせていただきます。どうぞ、私たちのことはお気になさらず、心行くままにお過ごしくださいませ」


 リカは反射的に頭を深く下げた。


 床に頭が触れるのではないかというほどに、丁重な挨拶を口にしたのは深い理由があるわけではない。


 ただ、そのように振る舞うのが正しいのだと、叩き込まれた成果である。


「え、あ、うん。……こんなこと言いたくないけどさ。お姉さんが担当してくれて嬉しかったんだよ。だから、無理して辞めてほしくなかったんだよ」


 女性は困惑していた。


 それでも、思いの丈を口にした。


「お姉さん。無理はしないでね」


 女性はどこまでも優しい人だった。


 そんな言葉は退職をしたいと打ち明けた両親を思い出す。早く辞めてしまえとリカのことを思いながら、リカの背中を押してくれた両親も女性のように異常な職場で働いているリカの身を案じてくれたのだろうか。


「心遣いありがとうございます。どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ。失礼いたします」


 リカは挨拶を済ませて、席を離れる。


 リカは張り付けたような笑顔で通路を歩く。


 客の気持ちが嬉しいと思う反面、それどころではない状況になっているのを思うと気分がどん底から這い上がることができなかった。


「申し訳ありません。申し訳ありません。私の采配ミスです。申し訳ありません」


 パントリーに戻れば、友香が狂ったように同じ言葉を繰り返していた。


 ……荒れるな。


 リカは思わず身構えてしまう。


 友香が過酷な現実に直面しているのは、リカも知っている。


 他の社員よりも長時間労働と連続勤務を強いられ、給料はほとんど変わらず、責任ばかりが増えていく。


 そのストレスは友香の心を侵食し、誰よりも親切で優しくて思いやりのあった友香ではなく、他人に牙を向け、理不尽な物言いで怒鳴り散らしながら、自分は被害者だと訴える化け物に変わった。


 友香は変わってしまった。


 それを誰も気に留める余裕はなく、変わってしまったことを嘆く余裕がある人もいない。


 リカは友香の標的だった。


 それは、まだ仕事に慣れていない新入社員の山田夏鈴に同情し、庇ってしまったことよるリカの自業自得だった。


 ……もう庇う気力もないんだけど。


 リカは限界だった。 


 夏鈴を見捨てることだとわかっていながらも、逃げ出してしまった。


「山田さん。配膳はどこまで終わっているか、引き継ぎをしてもらってもいいですか?」


 リカは呆然としている夏鈴に声をかける。


 夏鈴は入社して半年の新入社員だ。夏の多忙期で散々な目に遭い、泣いているのをリカは知っていた。


「山田さん」


 リカは優しく夏鈴に声をかける。


 以前、十一時三十分に開けなければいけない食事処の準備が間に合わなかったことがあった。その時、夏鈴は一人で準備をしていた。リカは十二時の出勤であったが、夏鈴のことが心配だった為、三十分以上も前に出勤をした時のことだ。


 その時、リカは夏鈴の為に注意をした。


 先輩として注意をしなければいけなかった。今後も一人で準備をすることになるだろう夏鈴のことを思っての行動だ。


 準備が間に合わないとわかっていたのならば、早めにインカムで連絡をして助けを呼ぶことと、オープン時間にはなにをしてでも間に合わなければいけないというと伝えた。


 その時、夏鈴は泣いてしまった。


 それ以降、リカは夏鈴に対してどのように対応をするべきなのか、頭を抱えた。リカは夏鈴の甘さを知っている。だからこそ、リカが退職した後、先輩たちに嫌がらせを受けないように厳しく育てなければいけなかった。


 リカにはそれができなかった。


 泣いている夏鈴を前にしてなにもできなかった。


 すべての責任をリカが代わりに背負った。大急ぎで準備を手伝い、食事提供開始時間を遅れてしまったことを必死になって謝り続けた。土下座を求められた時には、大きな声で謝罪の言葉を口にしながら大げさまでに土下座をした。


 後輩を守る為にならば、リカは手段を選べなかった。


 その姿を見た夏鈴の心に変化があったのは、不幸中の幸いだった。


 ……ダメか。


 夏鈴は動けない。


 インカムから鳴り響く社長の罵詈雑言に耐えきれず、思考が止まってしまっている。


 それでも、泣いていないだけ成長したのだろうか。


「山田さん」


 リカは優しく名を呼ぶ。


 リカが教育係として担当している後輩、佐藤美香は十三時出勤の為、事務室にいるだろう。おそらく、硬直状態の花鈴に対して適切に対応してくれるはずだ。


「山田さんが悪いわけではないですよ。全席埋まっている状況で三人で回すのは、無理があります。でも、それができないと私が辞めた後に山田さんが困りますよ」


 リカは夏鈴に声をかけながら、視線を友香に向けた。


 ……泣けばいいってもんじゃないでしょ。


 友香は泣いていた。自分だけが被害者のような顔をしているのに腹が立つ。


 心の中で文句を言いながら、次に提供する料理の準備をする。


 ……私の教育が悪かったのかな。


 従業員の都合はお客様には関係ない。


 料理の提供が適切ではなければ、お客様はクレーマーに変貌する。


 当然の主張をするだけではなく、罵詈雑言を交えた脅迫まがいの暴言を吐かれ、理不尽なことを要求されても、必死に謝罪をしなければいけなくなる。


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