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貴方に嫌われたくない私はもういません。

作者: 千秋 颯

「あなたのひとみって、まるでお星さまね。それにかみの毛は、たく山のお星さまを包んであげてるお空みたい。夜空のようせいさんみたいで、とってもキレイ」


 幼い頃、両親に連れられた夜会の会場、その外でこっそりと泣く男の子を見つけた事があります。

 その子は亡くなったお母様の形見であるハンカチを切り刻まれてしまったと言っていました。


 身近の人が亡くなる悲しみすら知らなかった私には、その男の子の悲しみの深さは計り知れませんでした。

 けれど、計り知れない程に大きな悲しみに胸を痛め、一緒に涙を流しました。


 それから私は、ハンカチだったものを借ります。

 そして小さなお裁縫のセットを取り出して、布同士を縫い付けていきます。

 彼の好きなものと、お母さんが好きだったものを聞いて、それを刺繍でデザインして、縫い目があまり目立たないように工夫しました。


「せっかくキレイなお顔をしているんだもの。きっと笑っていたほうがステキだわ。それにきっと、天国のお母さまだってよろこんでくれるはず」


 完成したハンカチを彼へ返しながら私は言います。


「ほら、これでまたいっしょになった! 離れ離れじゃなくなったわ」


 ……幼子が施した刺繍ですから、拙いところばかりだったでしょう。

 それでも彼は、はらはらと涙を流してそれを大切そうに抱きしめました。


「……ありがとう」


 その時の彼の笑顔を見て、「ああやっぱり、笑った方がずっとずっとステキだわ」と私は思ったのでした。



***



 幼い頃の私は、刺繍の授業が大好きで、お針子さんが持つような小道具を常に持ち歩いては、気が赴くままに刺繍を手掛けていました

 時には誰かの持ち物へ針を通したり(勿論許可は頂いてから)、用意した誰かへのプレゼントに刺繍を施したりもしていました。


 そんな私にもある日、婚約者が出来ます。


 オットマー・フォン・ボルツマン。

 侯爵家であるボルツマンの家と繋がりを持てた事に両親は喜んでくれました。

 我が家は伯爵家の中でも弱小……財政が傾きつつあった家だったから、余計。

 どうやらオットマー様が私に一目惚れした事をきっかけにボルツマン侯爵家から婚約の申し出があったようなのです。


 幸い、淑女としての教養は真面目に積んできていた事もあり、ボルツマン侯爵家へお邪魔した際には、息子の婚約者として認めていただけるようなお言葉も侯爵夫妻から頂戴しました。


 しかし……肝心のオットマー様のお眼鏡に敵うだけの振る舞いが、私には足りなかったようです。




「俺が何を考えているのかくらい、いちいち聞かずとも察しろ。それが婚約者の務めだろう」


「夜会では男の俺を立てるのが当然だ。それがお前には足りてない」


「日頃から俺を敬っていればこんな失敗はしないんだ」


「いい加減、自分が出来損ないだという事を自覚しろ。改善する努力すら出来ないのか?」




 彼はどんな時も虫の居所が悪い様で、どうやらそれは婚約者の私の至らなさが原因だったようでした。

 オットマー様が苛立ちを見せる度、私は恐れました。

 ……この婚約が取り消されるのではないかと。


 両親が喜んでくれた分、ボルツマン侯爵夫妻が期待してくださっている分の重圧が、私に圧し掛かっていたのです。

 私はオットマー様からのご指摘を改善する為、時間の許す限り努力をし続けました。


 オットマー様の機嫌を窺い、笑みを絶やさず、称賛し、彼を立てました。

 それが当然だと、彼が言ったから。


 両親が設けた淑女教育の他にも自主的に勉学に取り組みました。

 将来、侯爵になられるご予定のオットマー様をお支えできる妻である為に。

 両親は流石に根を詰め過ぎではないかと私を心配してくれました。

 けれどこれくらいはボルツマン侯爵家に嫁ぐものとして当然の事なのだと説得すれば、両親は私が新たな分野への知見を広げられるようにと、何人かの家庭教師を用意してくれました。


 気が付けば、幼い頃あんなにも夢中だった刺繍はしなくなり、裁縫道具の行方すら定かではなくなってしまいました。


 オットマー様の事を恋慕の相手としては見られませんでした。

 けれど今後長い時を添い遂げる相手として出来る限り尊重し、慕い、理解しようとしました。

 けれど結局は……上手くできていなかったのでしょう。



***



「カルラ。お前との婚約を破棄する」


 王立学園へ入学して一年が立った頃。


 学園の裏庭へ呼び出された私は、オットマー様にそう言われます。


「え……」

「これまで数え切れない程、忠告してきたというのに、お前は何一つろくに直す事が出来ていない。こんなに出来が悪い女だとは思わなかった」

「そ、そんな……っ、お待ちください、オットマー様。私に至らない場所があり、ご迷惑をおかけしているのは申し訳ありません。しかし、今度こそ直してみせますから、どうか……っ、そうお考えになるに至った要因をもう一度お伺い出来ませんか!」


 私はオットマー様へ縋りつきます。

 しかしそんな私の手を彼は振り払いました。


「フラれる事になった原因くらい、自分で考えろ」


 足に上手く力が入らなかった私は、そのままふらつき、地面に崩れ落ちます。

 その時でした。


「オットマー、まだぁ?」


 一人の女子生徒が私達の傍まで歩いてきました。

 エルネスタ・フォン・キューネルト侯爵令嬢様。

 彼女はオットマー様に腕を絡ませると、地面に座り込んだ私を見下ろして鼻で笑いました。


「こんな貧乏貴族に時間割く必要もないでしょ?」


「ああ、もう終わった」


 嘲笑するエルネスタ様に促されたオットマーは最後に私を冷たく見下ろしてから背を向け、去っていきます。


「あ、待……っ」

「貴女、もういらないんですって。惨めな『元』婚約者さん?」


 引き留めようと上げた私の声は、振り向いたエルネスタ様の声に遮られました。

 それから彼女も、私から目を逸らし……オットマー様と共にその場から遠ざかっていきます。


 その場には私だけが取り残されたのでした。



***



 後日、我が家には婚約解消を求める正式な書面が届き、こうして私は独り身になりました。

 両親は私を慰め、気に病まなくていいと言いましたが、内心では残念がっていた事でしょう。

 表情や言葉尻から、それが伝わっていました。


 私がもっと上手くできていたなら、出来が良かったのならば、両親をがっかりさせることもなかったのに。

 そう思うととてもやり切れませんでした。


 この先、私と婚約を結びたいと思ってくださるようなお方がいるのかもわかりません。

 例え婚約を結べたとしても、また相手を失望させてしまうかもしれません。

 そうすれば、両親に合わせる顔もありませんでした。


 そんな数々の不安は私を酷く焦らせます。

 これまでの努力では足りなかった。もっと努力しなければ、ここまで育ててくれた両親に報いる事が出来ない。


 私は学園の休憩時間も、これまでの睡眠時間の半分以上も、全て勉学や淑女教育に充てました。

 自分がどんな状態であるのかも気付かずに。


 そしてある日、その無理が祟ったのでしょう。

 私は、教室の移動中に強い眩暈を覚えました。


 しっかり立たなければと思うのに、上手く体幹を維持できず、結局そのまま崩れ落ち、床へとぶつかる――


 そう思った瞬間、私の体を受け止める手がありました。


 遠くで悲鳴やざわめきが聞こえます。

 きっと私が倒れた事に驚いた生徒のものだったのでしょう。


 朦朧とする意識の中、私は自分を抱きとめてくれた方の顔を探します。

 そして焦点が上手く合わない視界の中、暫く視線を彷徨わせた後に私は……その人物の顔を見つけました。


 濃い紺色の髪に金色の瞳を持つ、麗しくも凛々しい顔立ちをした殿方。

 その方のお名前を私は存じ上げていました。


 私などが、お手を煩わせていい存在ではとてもありません。


 大丈夫だと答えて起き上がらなければ。

 そうは思うのに、私の体は動いてくれませんでした。


 必要な時に動く事すら出来ない私は何て駄目なのだろうと、涙が溢れます。

 彼から疎まれでもすれば間違いなく両親に迷惑が掛かります。

 それが私は恐ろしかったのです。


 ……けれど。


「カルラ嬢」


 私を呼ぶ、酷く優しい声が耳に届いた瞬間。

 胸を締め付けていた緊張が和らいでいきました。


 少なくとも苛立ちや呆れの色は感じられません。

 それを悟った途端、全身から力という力が一気に抜けていきました。


「……もうしわけ、ございません…………」


 お手を煩わせている事に対するせめてもの謝罪を絞り出せば、小さく息を呑む気配があった後、溜息を吐かれました。

 それから、私の視界を塞ぐように、両目が片手に覆われました。


「気にするな。そのまま、休んでいろ」


 その言葉、動作からは気遣う色が感じられて……私はそのまま意識を手放したのでした。




 ゆっくりと意識が浮上します。

 目を覚ました時、見慣れない天井がありました。


 ここはどこだろうと寝起きの頭で考えていると、視界の外から声があります。


「気が付いたか」


 緩慢な動きで声のした方を向きます。


「ここは医務室だ。俺が運んだ」


 そこにいたのは、意識を手放す前に私を助けてくれたお方。

 そのお姿を見た瞬間、私は気を失う前の出来事を思い出しました。


 私は慌てて飛び起きます。


「ぎ、ギルベルト様……ッ」


 ギルベルト・ブライトナー様。

 公爵家の次男でありながら、その優秀さから次期当主に選ばれたお方です。


「この度は、ご迷惑をお掛けし、誠に――」

「謝罪なら必要ない」


 頭を下げた私の言葉を、ギルベルト様が遮る。


「あ、すみま……はい」


 思わず更に謝罪が出そうになったけれど、ギルベルト様のじろりという視線に気付き、慌てて言い直しました。

 それから暫く、沈黙が続いた。


 足を組んだまま、ベッドの脇に備えられた椅子に腰を下ろすギルベルト様は何かを考えるように腕を組んで目を伏せている。

 夜会や学園でお見かけするお顔は常に難しい表情をしており、人を寄せ付けない印象がギルベルト様にはありました。

 おまけに愛人の子であるギルベルト様が正妻の子であった長男を押しのけて後継についたという事実に対し、『裏で汚い手を使ったのでは』、『目的の為なら手段を選ばない男に違いない』等という噂も流れていた。


 冷酷無比な公爵家の後継。

 それが世間の印象ですから、私も何となく気難しいお方なのかもしれないと思っておりました。

 少なくとも、表情や振る舞いから感情を汲む事も難しいお方であるという事は違いありません。


 そんなお相手の気を悪くさせないよう振る舞うなど、到底出来る気がせず、私は口を閉ざしてギルベルト様の顔色を窺う事しか出来ませんでした。


「何故」


 やがて、ギルベルト様がぽつりと呟きます。

 私はびくりと肩を跳ね上げてから彼を見ました。

 金色の瞳が私を見ています。


「何故、あのような無茶を?」

「無茶、ですか……?」

「とぼけているつもりか?」


 想定外の言葉に聞き返せば、ギルベルト様が深く息を吐きます。


「最近の貴女は明らかに根を詰め過ぎているだろう。まるで何かに取り憑かれたように、一心不乱に」

「取り憑かれただなんて、そんな。私はただ、少しでも未熟な自分を脱しようと」

「未熟? それは最先端の嫌味か?」

「い、嫌味!?」

「俺達の学年で、総合成績で首席を獲得した回数が最も多い生徒を知っているか」


 私は言葉を失います。

 心当たりがあったのです。

 言わんとしている事は分かっているのだろうという視線が私へ向けられます。


「し、しかし、何度か取れなかった事も」

「なるほど、次席の回数が最も多い俺への嫌味と取って良さそうだ」

「な、そんなつもりは……っ!」


 自分の成績にしか頓着がなかった為に、他の方の順位までは把握しておりませんでした。

 しかし、ギルベルト様の言い方から察するに、私が次席へ落ちた際に首席の座にいたのは彼だったようでした。


 自分の発言によって不快な思いにさせてしまったのでは、と私はとても焦りました。

 しかしそこで、クッと笑うような気配があります。


 驚いてギルベルト様の顔を見ると、視線が合ったことに気付いた彼はすぐさま咳払いを一つしました。

 その後のお顔はやはり硬いものでしたので、私は勘違いかもしれないと思う事にしました。


「今ので理解しただろうが、貴女は今――周りが見えていない。自分がどの立場にあり、

どれだけ無理をしており、それらが周りにはどう映っているのか。それに気付く余裕すら持ち合わせていない」


 周りが見えていない。

 その指摘に私は息を呑みました。

 考えてきたことはなかったけれど、だからこそその通りなのかもしれないと思い至ったのです。


「どうせ、一部で噂になっている婚約解消でも引きずっているのだろうが」

「うっ」


 図星から思わず呻き声を漏らせば、ほら見た事かとギルベルト様が肩を竦める。


「貴女の言う『未熟』とは何を意味している? それは本当に客観視した上での言葉か? それともオットマー・フォン・ボルツマンの高い理想に及ばない事を憂いてのものか? それとも――自分自身を納得させる為のものか」

「……っ!」


 自分自身を納得させる為のもの。

 その言葉を聞いた瞬間、常に無数の情報で埋め尽くされていた私の思考が急に晴れたように思えました。


「貴女を未熟とするならば、この学園に通う他の者は皆それに当たるのか? 社交界に何名未熟ではない令嬢や夫人が居ると言うんだ? それ程までの才を持つ者であっても相応しくはないなどと啖呵を切る男は――本当にそれだけの価値を持つ者なのか?」


 ギルベルト様の瞳が私を見ます。

 彼の目つきはやや鋭くはけれど……そこに宿る光はとても温かいもののように感じました。


「少なくとも、正妻の子を押しのけて公爵家跡取りの座を奪い取るような男ですら、貴女が持つ程の能力を求められはしなかったがな」


 公爵となるに相応しいと認められるお方ですら求められないような結果を持つ者が、侯爵家から拒絶される理由。

 そんなものが本当に存在するのだろうか。

 答えはもう――分かっていました。


「それが自身の未来を憂いての行いならば、改めるべきだろうな。少なくとも……どれだけ才能があり、周りから認められようと、それを全て突っぱねるような女性を俺は愛そうとは思わない」

「……はい」


 当然の話でした。


 私はオットマー様に嫌われないようにする為には、彼の言う事に従うべきだと思っていました。

 婚約解消は絶対に避けなければならない事で、もしそのような事態に陥った場合には、自分に理由があるのだろうと。

 ……オットマー様の要求するものが本当に必要な事なのか、その言葉の裏は何なのか。そこまで考える事をせず、他の方からの称賛や心配に耳を傾けませんでした。


 けれど。どれだけ心から称賛しようと聞く耳を持たず、自分を追い詰めて倒れるような女……自身を大切に出来ない女など、誰が愛してくれるというのでしょうか。


 私は両手を強く握りしめました。

 両目から大粒の涙が零れます。


「な、おい」


 嗚咽を押し殺して涙を流す私を見て、ギルベルト様は焦りを見せました。

 それから彼はハンカチを取り出し、私へ差し出します。


「別に間違った事は言っていないだろう」

「いえ、違うのです」


 どうやら彼は、自分の言葉遣いで私が傷ついてしまったのではと思ったようでした。

 私は慌ててそれを否定します。


「自分の愚かさに呆れたのと……ギルベルト様のお気遣いが嬉しくて」

「……俺は気遣ったのではなく客観的な事実を述べたまでだが」


 自然と笑みを零す私の頬を、ギルベルト様がハンカチで拭ってくれました。

 彼は否定しましたが、そもそもどうでもいいと思っているのならばその『客観的な事実』すら放っておけば良い上に……これまでの彼の言葉尻からは確かな優しさが感じられました。


「そうですか」

「……急に泣いたり笑ったり、おまけに今は変な顔をする。貴女は変な人だな」


 医務室に私の笑い声が反響します。

 長年抱えてきた息苦しさや肩の重さはすっかりなくなり、まるで別の世界にいるようでした。




 私達が医務室を出たのはすっかり日が暮れた頃でした。

 送っていくというギルベルト様の申し出に甘え、私は公爵家の馬車に乗せていただきます。


「ありがとうございました、ギルベルト様」

「構わない。だが、二度目があれば俺は自身の言葉を無下にされたと捉えるつもりだ」

「善処いたします」

「とりあえずは、その酷い隈をなくすところからだろうな」

「はい。……けれど、そうですね。沢山休んだ後は、少し手持無沙汰にでもなってしまいそうです」


 馬車が停まります。どうやら我が家に付いたようでした。

 開いたドアからギルベルト様が降り、私に手を差し出します。


「休み方が分からないなど、本来あってはいけない話だと思うのだが。……趣味の時間でも作れば嫌でも休む時間が出来るのでは?」

「趣味?」


 私はエスコートを受けて馬車を降りました。


「刺繍とか」


 ギルベルト様の言葉に私は目を瞬かせます。

 そういえば、昔は一番の趣味だったという事を思い出したのです。

 しかし同時に疑問が頭を過ります。


「……何故私の趣味をご存じなのですか?」


 私はギルベルト様へ向き直ります。

 彼は瞬きを何度か繰り返した後、咳払いと共に視線を逸らしました。


「女性の趣味の王道だろう」

「確かに。そうですね」


 尤もな返答でした。


「改めて、ありがとうございました。ギルベルト様」

「何度目だ、全く」

「もしかしたら命の恩人となっていたかもしれませんから」

「大袈裟な」


 ギルベルト様が薄く笑みを見せます。あまり見かけない、優しい表情でした。

 私も微笑みを返し、お辞儀をします。

 そしてギルベルト様に背を向け、歩き出しました。


 足取りはとても軽い。

 どれだけ足掻いても何の結果も得られないと勘違いしていたさっきまでとは違う。


 ――まずは、私の為に生きてみよう。

 誰かに嫌われないようにではなく、私自身を好きになれるように振る舞ってみよう。


 そんな確かな目標を胸に、私は真っ直ぐ歩くのでした。



***



 ……そう誓ったのが一ヶ月前。

 私は手始めに授業の合間の休憩や昼休憩を同級生のご令嬢方と過ごす事にしました。

 お互いの趣味や、最近流行りのロマンス小説について、また休日のお茶会のお誘いまで。

 思いの外すぐに他のご令嬢と馴染むことが出来、楽しい日々が続きました。


 けれど、それとは別に想定外の事が一つ。


「カルラ嬢」

「ギルベルト様……」


 放課後。別の教室で授業を受けていたはずのギルベルト様が私の教室までやって来ます。

 あの日から、ギルベルト様は毎日放課後に私を迎えに来るようになりました。




「あの……毎日気に掛けてくださらなくとも良いのですよ」

「そうはいかない。貴女に潰れられてしまえば、試験で張り合える相手がいなくなる」


 彼の馬車に乗せていただきながら我が家へ向かう最中に切り出した私の話に、彼は首を横に振りました。

 放課後はギルベルト様と共に我が家へ向かう事が日課となっていたのです。


「昨晩は寝たか?」

「ええ、七時間ほど……毎度の事ですが、何だか、お医者様みたいですね」

「貴女には前科があるからな」

「前科って」


 馬車の中で、ギルベルト様は私の睡眠時間を必ず聞きました。

 もう心配するような事もないというのに、大真面目な様子のギルベルト様がおかしくて、私はくすくすと笑ってしまいます。


「ところで、以前貴女は休息の取り方に困っていたが」

「ああ、はい。けど、今は友人たちがいるので――」


 困らなくなった、と続きそうだった声を遮るようにギルベルト様が二枚のチケットを出します。


「これは……」

「知人から押し付けられたものなのだが」


 見せつけられるような形でチケットを見た私は、ハッと息を呑みます。


「ま、まさか……っ、予約枠すら埋まっている、最近流行りのあのロマンス小説を脚本化した劇――ッ!」

「それもVIP席だ」

「そ、そんな……!」


 私の脳裏を、友人達の会話が過ります。

 あの劇の演出が素晴らしかっただの、感涙しただのと興奮気味に話す彼女達の姿を羨んだのはまだ新しい記憶です。


「頂いた以上、感想の一つくらい土産話に持って帰らなければならないが、生憎もう一枚を持て余していてな」


 神妙な面持ちのままチケットを構えるギルベルト様。

 私は彼の手元に釘付けになりながらごくりと唾を呑みました。


「共に休日を過ごしてくれる者がいればと思っていたのだが。……ところで、カルラ嬢。次の休みの予定を伺っても?」


 私の答えは決まっていました。



***



 私とギルベルト様が長い時間を共有するようになったのはそれからの事でした。

 放課後に学園で長話をしたり、寄り道をしたり、休日一日を遊び歩いたり。

 身分さもあり、初めは緊張していたのですが、彼と過ごす日々は胸躍るばかりで……気が付けば私は、彼に惹かれていました。


 やがて私達が親しくしている事は学園でも話題となりました。

 そしてそんなある日。

 私はギルベルト様が参加する夜会のパートナーとして誘われます。




 いつも以上に着飾った私を見て、ギルベルト様は「そんな格好をして、変な虫でも付いたらどうするつもりだ」と大袈裟な冗談を言いました。


 私達はパーティー会場でダンスを踊ります。

 決められたステップを踏んで踊るだけだというのに、それすら楽しいと思えてしまうのですから恋とは恐ろしい感情です。


 私達は笑い合いながら一曲を踊り終わりました。


 ……その時です。


「カルラ……ッ」


 恨めし気に私の名を呼ぶ声がありました。

 そちらを見れば、立っていたのは険しい顔のオットマー様です。

 彼は私と目が合うと、引き攣らせた笑みを浮かべました。


「あんなに忠告してやったのにまさか努力を疎かにし、より落ちぶれるとはな! 本当に救いようのない女だ! ならせめて俺の元に泣きついてこればよかったものを!」


 変わらない嫌味をを吐かれます。

 それを聞いたギルベルト様は顔を顰めると私を背に守ってオットマー様へ物申そうとしました。

 けれど私はそれを止めます。

 大丈夫だと目で訴えれば、彼は不服そうにしながらも頷きました。


 私は改めてギルベルト様の前に出て、オットマー様へ向き直ります。

 そしてお辞儀を一つしました。


「ご機嫌麗しゅう、オットマー様」


 それから怪訝そうな顔をする彼を見て微笑みます。


「婚約解消に至ったにも拘らず、気に掛けてくださっているなど光栄でございます」

「は? 誰がお前の事なんか――」

「――しかしながら、生憎貴方様に泣きついたり、復縁を望んだりする事はございません」


 オットマー様の顔が歪みます。

 以前ならばその顔に怯えたのでしょうが、今の私の心は酷く落ち着いていました。


「身を削り続ける努力、物言わない相手の心を読む努力……不当な要求を続けるお方などこちらから願い下げですから。勿論……学びを深める努力すらできず振る舞いだけが立派なお方も」

「おいカルラ!! お前――」

「それに私――心に決めた方がいるんです」

「な、ぁ……ッ」


 威勢よく怒鳴っていたオットマー様の顔が強張ります。

 そんな彼を尻目に、私はギルベルト様の腕に自分の腕を絡めました。


 私の言葉にはギルベルト様も驚いたようで、彼は目を見開いたのちに深く溜息を吐きました。


「……俺から言おうと思っていたのに、勘弁してくれ」


 その小さな呟きは、私の耳にしか届かなかった事でしょう。

 彼は私の肩を抱き寄せると、唖然とするオットマー様を睨みます。


「そういう事だ。彼女は俺を想っているし、俺も彼女を想っている。彼女の気を引けず片思いを拗らせた事には同情するが……その言動を見れば何故選ばれなかったのかは明白だろうな」

「え?」

「な……っ! だ、誰がこんな女!!」


 私は驚きますが直後に顔を真っ赤にし、今まで見た事もない程に歪めたオットマー様の姿を見て、ギルベルト様の言葉が偽りではないらしい事を悟ります。


「ああ、良かった。俺の勘違いであるならば、彼女が俺の伴侶となっても問題はないだろうな。彼女程聡明で、魅力にあふれた女性もいない。喜んで俺が貰おう」


 そう言って微笑んだギルベルト様のお顔を見て、騒ぎに注目していた女性達が黄色い悲鳴を上げました。

 私にとっては既によく見るお顔でしたが、他の方にとってはそうではありません。

 端正なお顔のギルベルト様の微笑みに目を奪われてしまうのも仕方のない事でした。


「行こう、カルラ」

「はい。ギルベルト様」


 私はギルベルト様に促され、オットマー様に背を向けます。

 会場を出ようとする私達の背から、大きな声が投げられました。


「ッ、お前は絶対に後悔するぞ、カルラ! 絶対にだッ!!」


 まるで私の足を止めようとするかのように必死な声。

 私は肩を竦めてから振り返ります。


「いいえ? それはあり得ませんわ。だって――」


 哀れな元婚約者様へ、私は最大限の軽蔑を、笑顔という形で示しました。


「――貴方に嫌われたくない私は、もういませんから」


 それを最後に、私は今度こそ振り返る事なく歩いていきます。


「な……ッ、待て! おい、カルラ……!」

「ちょっと、オットマー。もういいじゃない、あんな女!」

「煩い! お前は引っ込んでろ!」

「キャアッ!」


 途中からエルネスタ様の声までもが聞こえ、何やら会場は騒がしくなっているようですが、そんな事はもはや知った事ではありません。


「待てよ! なぁ、待ってくれ……ッ、カルラ――」


 威勢のいい声は段々弱まっていき、やがて周囲の喧騒に呑まれて消えていきました。


「……可哀想な人」

「そう思う必要すらない、どうしようもない男だろう」


 恋という感情が彼をあそこまで狂わせたのだとしたら哀れとしか言いようがない。

 そう思っての呟きを、ギルベルト様がすぐに否定しました。

 私はそれに同意し、彼の事を忘れる事にしました。




「全く。ああいうのは、男性からするものだと相場が決まっているだろう」


 会場の外、人気のない庭園まで出たところで、ギルベルト様は溜息交じりにそう言いました。

 私が白々しく首を傾げれば、恨めしそうな視線が向けられます。


「覚えていろ」


 笑いを堪えて肩を震わせていると、ギルベルト様は私の手を取って庭園に備えられたベンチまで導きます。

 私達は並んで腰を下ろしました。


「俺はいくつか、貴女に嘘を吐いた」

「え?」


 突然切り出された話に私は目を丸くします。


「倒れた貴女を助けた時、俺はその時の貴女に対し、そんな様の女性を愛そうとは思わない、と言った。……だがあれは嘘だ」

「嘘……?」

「本当は、ずっと前から、貴女の事が……」


 そこまで言った彼は何故か口籠りました。


「ちょっと。一番大事なところではないのですか?」

「待て。俺にだって心の準備は必要だし、何より順序がある」


 彼は容姿も能力も申し分なく魅力的な男性なのですが、その実、変な所で格好がつけ切れなくなる方でした。

 この時も変にしどろもどろになっている彼が何だか可愛らしくて、私は堪らず笑ってしまいます。


 それをまたもや恨めし気に睨んでから、ギルベルト様は続けました。


「……俺の母の事は知っているだろう」

「現公爵の愛人で……流行り病で亡くなったと」


 ギルベルト様は頷きます。


「その後、家の中での俺の立場はあってないようなものだった。義母や義兄は日々俺に嫌がらせをしたし、それに対抗できるだけの心強さが、あの頃の俺にはなかった」


 彼は自身のポケットを探りました。


「大切な母の形見ですら、平気で壊される始末だった」

「……そんな事が」

「だが一つだけ、今も残っているものがある。泣く事しか出来なかった俺に寄り添って涙を流し、直してくれた人がいたんだ」

「それは……」


 もしかして女性なのだろうか、などという考えが過ってしまい、私は何て卑しい女なのかと反省します。

 彼にとっては大切な相手の話なのだから、素直に聞いてやるべきなのに。

 そう思っていると。


「………………おい、嘘だろう。まだ思い出さないつもりか?」

「え?」


 拍子抜けする程に間の抜けるような声がしました。

 ギルベルト様は呆れたと言わんばかりの顔で私を見ています。


 彼は何度目か、それも今日一番の大きな溜息を吐きました。

 そしてポケットの中からハンカチを出します。


「これに見覚えはないか」


 それは――切り刻まれた布を縫い付け、刺繍を施したもの。

 そのハンカチは……確かに、見覚えのあるものでした。


 忙しく、余裕のない日々の中、頭の片隅へ押しやられた記憶。

 それが蘇りました。


「……あ」


 表情から、私が思い出した事を察したのでしょう。

 ギルベルト様はハンカチをしまい直すとベンチから離れ、私の前に立つ。


「その時からずっと――貴女が好きだ、カルラ」


 ギルベルト様の愛情には気付いていました。

 けれど……その愛の深さは、私が想定していたよりもずっと深いもので。

 私は鼓動が信じられない程に速まるのを感じました。


「胸を張れるような男になってから。そう思って先延ばしにしていた事を一度は後悔した。だが……だからこそ、もう二度と機を逃したりはしない」


 ギルベルト様はが私の前に膝を付き、手を差し出します。


「俺と婚約してくれ」


 金色の瞳が私だけを映しています。

 その真剣な面持ちと真っ直ぐな視線を受けて、顔に熱が帯びていくのを感じました。


「ど、どうしよう」


 思わずそんな声が漏れます。


「う、うれしすぎて、今絶対変な顔になってる……」

「………………カルラ」


 咄嗟に顔を隠せば、急かすような声がします。


「早く貴女に触れたいんだが」

「っ、ず、ずるいです……っ」


 さっきまで散々エスコートをしていたというのに、何とも白々しい急かし方。

 それでいて私が逆らえないような急かし方でした。


 私は真っ赤になりながら、そして恥ずかしさや幸福で目に涙を溜めながら、ギルベルト様の手を取る。


「よ、よろこんで――」


 瞬間。

 私は腕を引かれ、気が付けば唇を塞がれます。


 私の愛する人は私の心臓でも止めたいのかもしれない、という考えが過りましたが、そんな考えも、唇越しに伝わる熱に溶かされて消えていきます。


 深い愛情に溺れて、互いの熱を共有する。

 そうして漸く唇が解放されたかと思えば、すぐ傍に甘くとろける様な微笑みがありました。


「絶対に離すものか。これから――覚悟してくれよ」

「ひ、ひぃん……」


 ギルベルト様は美しい顔という自分の武器まで使いこなしてみせます。

 そんな彼に骨抜きにされながら、私は間抜けな声を漏らす事しか出来ないのでした。



***



 その後。

 どうやらオットマー様は私の気を引く為だけに利用していたエルネスタ様を拒絶し、破局したそう。

 また、あの晩の騒ぎを見ていた貴族たちによって、オットマー様とエルネスタ様の悪評は広まり、オットマー様はご両親から愛想をつかされて継承権をはく奪された挙句、暫くして勘当されたそうです。


 エルネスタ様はというと、婚約者の当てが見つからないとの事。

 貴族令嬢にとって嫁ぎ先が見つからないというのは致命的な欠点ですから、この先に待っているのは破滅でしょう。

 裕福且つ訳ありの独身貴族の叔父様方のお相手をする事になるか、もしくはオットマー様と同様に家を追い出される事になるはずです。




 けれど今となってはもう、そんなお二人の事など些末なお話です。


 私が今見ているのは、ギルベルト様と紡いでいく未来だけ。


 且つて自分の為に生きると誓った私が掴んだ未来。

 ギルベルト様との幸せな婚約生活は――まだまだ始まったばかり。

最後までお読みいただきありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
気を引くためって懸命に努力しているのにそれ以上何の気を引こうって言うのか・・・ 親に愛想つかれるのも当たり前ですね。
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