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優美な副騎士団長様の子を身ごもりましたが、自信がないので逃げてしまいました

作者: スズイチ



 ――思い返せば、逃げてばかりの人生だった。


 隣で眠る幼い我が子のふくふくとした頬を撫でながら、私はこれまでの人生を振り返る。


 ココリネは、元々は庶民であった。

 幼い頃に父を亡くし、母と二人で貧しくとも穏やかで温かな暮らしを送っていたのだが、母が貴族の男性に見初められたことによって、それが崩壊してしまう。


 母はドレッセル伯爵と再婚し、私は新しい家族ができたことを心から喜んでいた。


 ……そう、あの日の夜までは。

 

 伯爵のお屋敷では、有難いことに私の自室が用意されていて、その日も可愛らしいお部屋の中央にある広いベッドの上で眠っていたのだが――。

 

 ――ギシリという音がして目を開けると、義父が私に覆いかぶさっていた。

 驚いて声を上げようとした私の口を、大きな手が塞いだ。 

 「声を出すな。大人しくしていろ」と言われて服に手を掛けられ瞬間、私はありったけの力で暴れながら助けを呼んだ。

 

 必死に抵抗する私を、押さえつけようとする義父。そこに、使用人たちを連れた母が駆け付けてくれて、助かったと安堵の息を吐く。 

 私たちの様子を見て狼狽する母に、何があったのかを説明しようとしたとき――義父が物凄い形相で、私を指先して叫んだ。

 

「この娘が、私をたぶらかしたんだ!!」


 義父の言葉が理解できなくて、頭が真っ白になる。

 

(何を言っているの、この人……?)

 

 呆然とする私に、母が追い打ちをかけた。

「信じられない」「裏切り者」「ふしだらな娘」たくさんの酷い言葉で、なじられ続けた。

 

 ――結局、私が何を言っても聞いてもらえることは無かった。


 母と二人きりの頃は、あんなにも幸せだったのに……。優しく朗らかで、私のことを大好きだと言って抱きしめてくれていた母。でも、そんな母はもういないんだ……そう思うと、悲しくて仕方がなかった。


「……会いたいよ、お父さん。こんなお家いやだよ……」


 小さな呟きは、空気に溶けていった。 


 

 ◇

 

 その後、私は屋敷で透明人間のような扱いを受けるようになった。声を掛けても返事どころか、挨拶すら返してはもらえない日々が何年も続いたある日――母は義父との子を身ごもる。


(あの人、私のことを襲っておいてお母さんと子供作ったんだ……気持ち悪い……)

 

 この感情は、何だろうか。嫌悪、軽蔑、嫌忌……さまざまな感情が胸に渦巻く。

 

 そんな中……目障りで厄介者の私は、遠くの全寮制の学園へと放り込まれることになった。これに関しては、外聞のためということもあったのかもしれないが……。


 王侯貴族の通う学園で、私はひどく浮いていたと思う。約三年間の学園生活を終えると、私は逃げるようにして遠くの街へと向かった。

 

 その街で何とか働き口を見付けて、小さなカフェで働かせてもらうことになった。もちろん、私の身分は隠したままである。


 ◇

 

 ――街に来てから、三年が過ぎた頃。

 店主のご夫婦や従業員の皆は、とても親切にしてくれて。仕事も慣れるまでは大変だったけど、今は楽しく働いている。なにより、屋敷や学園に居た頃とは比べ物にならないくらい平穏な日々……だったのだけれど。


「なぁココリネ。仕事が終わったら、いい店に連れて行ってやるよ。だからさぁ、そのあと……いいだろう?」


 私の手をなで回しながら、ねっとりとした笑みを浮かべるお客さんに私は嫌悪を抱く。


(……気持ち悪い。……お義父さまのことを、思い出す……)

 

 毎日のようにお店に来てくれるこの方は、フェルドア子爵。お店にお越しいただけるのは有難いのだが、いつもこのように声を掛けられて対応に困っていた。

 

「……困ります、フェルドア様。仕事中ですので」


 店主に相談もしたが、相手は貴族だからと言葉を濁されてしまって……。

 

 撫でられていた手をぱっと放すと、彼の表情が見る見るうちに不服そうなものへと変わっていく。


「この僕が誘ってやってるのに、何だよその態度は!? 失礼な奴だな!!」


 バンッと机を叩きながら、フェルドア様が立ち上がると、私の手首を掴む。


「来いっ! 思い知らせてやる!!」


「――っ、離してください!」


 抵抗するが、腕が解けない。

 店の外へと、連れ出されそうになったとき――。


「――やめなよ、お兄さん。嫌がってるでしょ」


 突然入ってきた声に驚いて、そちらに視線を向けると――ゆるりと波打つ金色の髪に、透き通った海のような碧い目。

 黒を基調とした騎士団の制服を着崩して身に着けている、どこか気怠げな雰囲気の美丈夫がそこには居た。


 彼はときどき訪れるお客さんで、その美貌と佇まいに従業員は勿論のこと、女性客からも大人気で、彼が来るのを楽しみに通ってくれている人もいるくらいであった。


 美丈夫がフェルドア様の手を掴み、私から引き離してくれる。


「な、何なんだよ、お前は!? 急に入って来て、失礼だろうが! これは僕とココリネの問題だ! 下がっていろ!!」


 激昂するフェルドア様に、またもや手を掴まれそうになったとき――。


「はいはい。お店の迷惑になるから、静かにしようね〜」


「いだだだだだ!!」


 美丈夫がフェルドア様の手を取ると、そのまま捻り上げた。


「離せっ!! 離せよぉ!!」


 涙目で叫ぶ様子を見た美丈夫が手を放すと、フェルドア様はその場に膝をついて呻く。


「……ぅっ……ぐっ……クソっ! 覚えてろ!」


 捨て台詞を吐いて出ていくと、店内は安堵に包まれた。


「……あの、ありがとうございました」


「ん〜? いいよぉ、別に。俺が静かに過ごしたかっただけだしね」


 私がお礼を言うと、美丈夫は元いた席へと戻って行った。 


「今の見た? カッコいい〜!」

「クロード様よね。騎士団で副団長をなさっているのでしょう?」

「はぁ……強くて、顔もいいなんて……」

「あの気怠さも色気があっていいわよねぇ〜」

「いいなぁ、あの子。羨ましい……」


(クロード様……)

 

 お見かけすることはあったが、お名前を知る機会はなかったので、今初めて知った。しかも、騎士団の副団長だったとは。


 私は厨房の方へ向かうと、休憩時間にみんなで食べようと作って来ていたクッキーを取り出して、お皿の上に数枚並べる。


 お店の隅っこの席で、のんびりと珈琲を飲んでいるクロード様の所へ行くと、机の上にクッキーの乗ったお皿を置く。

 すると、彼がゆっくりとした仕草でこちらに視線を移した。


「先ほどのお礼です。甘い物が苦手でなければ、召し上がってください」


「いいの? ありがとね」


 へらりと笑うクロード様に一礼すると、私は仕事へと戻った。


 ――しばらくすると、珈琲を飲み終えたクロード様に代金を渡されたのだが、どうにも金額が多い。

 そのことを告げると、フェルドア様の分の代金も入っていると言われて驚く。


「い、いただけません!」


「俺が余計なことして帰しちゃったんだから、気にしないで。それと、クッキー美味しかったよ。ごちそう様」


 ひらりと手を振って、店を出て行くクロード様を呆然と見つめる。


(――なるほど。あれはモテるだろうなぁ……)


 女性たちが騒ぐのも無理はない。そんなことを思いながら、彼の去って行ったテーブルを片付けるのだった。


 ◇


 ――それからの数週間は、何事もなく平穏な生活を送っていた。フェルドア様も、あの日から来ておらず、完全に油断している状態であった。

 

 その日。

 仕事が終わり、店を出て帰路に着いていた私は、突然腕を引っ張られて路地裏に引きずり込まれてしまう。


「――っ!?」


 予想外の出来事に困惑していると、身体を強く壁に押し付けられて、痛みに眉を顰める。

 顔を上げると、フェルドア様が忌々しそうに私を見下ろしていた。


「……っ、フェル……ドアさま……?」


「よぉ、久しぶりだな。この間は、よくも僕に恥をかかせてくれたな」


 自分のしたことを棚に上げて、よくこんなことが言えたものだとムッとする。


「……あ、あれは、あなたが……!」


「うるさい! 僕に口答えするなっ!! ――なぁ、ココリネ・ドレッセル……」


 フルネームで呼ばれて、ビクリと肩を震わせる。何故、彼がその名前を知っているのだろう……仕事先カフェの店主にすら伝えていないのに。


「お前、本当は伯爵令嬢なんだってな? 庶民の出なのに、貴族に拾われたんだろ? しかも、拾われた男に襲われそうになったんだって? ぜーんぶ調べてやったぞ。あっはは! 可哀想になぁ? そのせいで、お前は居場所がなくて逃げ出したんだろ? お前の母親も惨いよな。結局、娘じゃなくて新しい男を選んだんだから。気の毒になぁ〜。実の親に捨てられるなんて」


 顔を強張らせる私を見て、にやにやといやらしい笑みを浮かべるフェルドア様。 

 調べた? 私のことを? 義父のことも、母のことも……全部、知って……? 彼の行動の不快さに、吐きそうになる。


「お前がこの間のことを誠心誠意謝罪して、永遠に僕に逆らわないことを誓うのなら、可哀想なお前をこの僕が拾ってやるよ。嬉しいだろ? 捨てられた傷物のお前を、貰ってやるんだから」


 私の頬に伸ばされた手を、ぱしんと音を立てて払う。


「――絶対に嫌です!! 私のことを調べるなんて気持ちの悪いことをしておいて、謝罪しろ? ふざけるのも大概にしてください!!」


 私はフェルドア様の胸を強く押すと、不意をついた隙に逃げようと走り出す。

 だが、大通り出る直前で手首を掴まれてしまった。


「……っ!!」


「誰に向かって口を聞いているんだ!! 親に捨てられた下賤の女が、身の程を弁えろよ!!」


「……離してくださいっ!!」


 私が叫ぶと、今度は髪の毛を引っ張られる。


「……痛っ!!」


「謝れ!! 跪いて謝罪しろ!! ちょっと顔がいいからって調子に乗るなよ、バカ女!!」


 ……どうしよう、力では敵わない。

 

 絶望の中、その声が耳に届いた。


「――何してんの?」


 声のした方に視線を移した瞬間、パンッと大きな音がして、掴まれていた髪の毛が解放される。


「……っ!?」


「いだだだだだだ!!」


 気が付けば、フェルドア様がクロード様に取り押されられていた。


「はい。暴行罪だよぉ、お兄さん」


「ふざけるな!! 離せ!! 僕は、こいつにっ……!!」


「はいはい。詳しいことは、後で聞いてあげるからね」


 フェルドア様は縛り上げられると、近くにいた騎士団の方々に連れて行かれた。

 その様子を見て、私はほっと胸を撫で下ろす。


「大丈夫?」


「は、はい。ありがとうございました」


 私が深々とお辞儀をすると、クロード様が申し訳なさそうに頭を掻く。


「――いや。もっと早く駆け付けられたら、良かったんだけど……。髪の毛、痛かったよね」


 クロード様の言葉に、私は首を大きく左右に振る。


「そんなことありません! 来てくれて、本当に助かりました。あのまま、誰にも気付いてもらえなかったらと思うと……」


 私は、ぎゅっと自分の二の腕を掴む。もし、誰も来てくれなかったら……そう考えて、血の気が引くのを感じる。


「家まで送っていくよ」


「……ありがとうございます」


 送ってくれている道中で、いろいろなことを考えてしまう。

 このまま帰って大丈夫だろうか。釈放されたフェルドア様が待ち構えていたら、どうしよう。私のことを調べたと言っていたのだから、住んでいる場所もバレているはず……もし、あの人が家の前に居たら……。


(――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。また、義父のときのようなことが起こったら、どうしよう……なんで、こんなことに……誰も、助けてなんてくれないのに……)


 カタカタと手が震え始めたとき――。


「……あ〜……あのさ」


 声を掛けられて、我に返る。


「は、はい!」


「もし時間があるなら、おすすめの飲み屋があるんだけど、一緒にどう?」


 思いがけない言葉に、私は目を丸くする。


「……いや。これじゃあ、あの男とやってることが変わんないな。ごめん、変なこと言って。忘れて」


 気まずそうに、視線を逸らせるクロード様。

  

(……もしかして、気を遣ってくれたのだろうか)

 

 このまま家に帰って一人になるより、今は誰かと一緒にいた方が心強い。

 そう考えて、私はクロード様の言葉に甘えさせてもらうことにした。


「……あの、ご一緒してもかまいませんか?」


 私の言葉にクロード様は目を見開くと、小さく笑う。


「もちろん」


 彼に連れて来てもらったのは、雰囲気の良いオステリアだった。


 ◇


「……ひっく、なんなんれすかね、あの人! ほんっと怖いんれすけろ!」


「うんうん。怖かったよね〜」


「そうなんれすよ! ひっく……お店にきてくれるのは、ありがたいれすよ? らからって、いっつも触ってくるし、きもち悪いことも言うし! まさか、待ち伏せまれされてるらんて………」


「大丈夫? お水飲む?」


 水を差し出されるが、私はそれを突っぱねる。


「いらないれす! ……あの人、わらしのこと、ぜんぶ調べたって……あの男に、おそわれそうなったことも……おかあさんに、すてられたことも……きぞくらってことも……ひっぐっ……うちの場所もばれたのかな……どうしよう……ひっく……」


「……大変だったんだね」


「……れも、もしもの時はまたどこかに行きます……さみしいけろ、しかたないれす……」


 へらりと笑うと、クロード様の表情が少し険しくなる。


「……君は、そんなふうに生きてきたの?」


 いつも、飄々(ひょうひょう)としてるのに、珍しいな。……そんなクロード様が二重三重に見え始めて、私は目を閉じた。


「……ぐぅ……」


「――え? ちょっと、寝ちゃダメだよ? 聞いてる? おーい!」


 頭がほわほわする中、クロード様が何か言っていた気がするけど、そこから先の記憶が何もないのであった。 


 ◇

 

 ――目を開けると、知らない天井が目に入る。


「……こ、ここは……?」


 知らないベッドに、知らない部屋。

 私は、なぜこの場所に? 服装を見てみると昨日のままであった。

 

 困惑していると、扉がノックされたので返事をすると、クロード様が部屋に入って来た。


「おはよう。目、覚めた?」


「く、クロード様!? うっ……!」


 驚いて声を上げると頭に痛みが走り、掌で押さえる。 


「大丈夫? はい、これお水」


「あ、ありがとうございます……あの、ここはいったい……」


 手に持っていた水を受け取り、一口飲むとはっと息を吐く。


「俺の家。朝ごはん出来てるから、おいで」


 え……? く、クロード様の家……? なぜ、私がクロード様のお家に……?


 動揺しつつも彼に付いて行くと、小さなテーブルに二人分の朝ごはんが用意されていた。


「そっちの席にどうぞ」


 促されるままに座ると、辺りを見回す。 

 綺麗に片付いた部屋。窓からは朝日が差していて、窓際に置かれた植物たちがきらめいている。

 

 テーブルの上に視線を移すと、焼きたてのパンにふわふわのスクランブルエッグとカリカリに焼いたベーコン。添え付けの色鮮やかな野菜たち。それと、温かなオニオンスープが置かれてあった。


「……これを、クロード様がお作りになられたのですか?」


「そ。温かいうちに、どうぞ」


 この方……これだけのスペックをお持ちのうえに、料理まで作れるんだ……。

 凄すぎる……。なんて感心しながら、スープの入ったカップを手に取った。


「……いただきます」


 挨拶をしてからスープを口に含むと、玉ねぎの甘みとバターのコクが口の中いっぱいに広がる。


「……おいしい」


「でしょ?」


「あ、あの……私は何故クロード様のお家に……」


「昨日、一緒に飲んでたことは覚えてる? 君、酔いつぶれちゃったんだよ。住んでる場所も知らないし、そのままにしておく訳にも行かないから、仕方なく俺の家に連れて来たの。何もしてないから、その辺は安心して」


 私は昨日の失態を思い出して、うめき声を上げる。


「ゔっ……す、すみません……ご迷惑をおかけしてしまいまして……」


 おまけに、余計なことをぺらぺらと喋ってしまった記憶が……。私は、あんな愚痴を聞かせてしまったことを、頭を抱えてながら反省する。 


「お詫びに何かできることはありませんか? お掃除でもお洗濯でも、私にできることでしたら言ってください。何でもしますから」


「何でも……ねぇ」


 クロード様が飲んでいたカフェオレをテーブルの上に置くと、小さく息を吐く。


「……あのさ。そういうの、やめたら?」


「……え?」


「何でもなんて、俺が君にとんでもないことを要求したらどうするの? 困るのは君自身だよね。もっと、自分のことを大事にしたら?」


「……っ」


 私はクロード様の言葉に何も返せず、視線を落とす。


「――ごめん。嫌な言い方だったね」


「……いえ。おっしゃる通りです……軽率でした」


 彼の言う通りだ。何でもなんてことを、口にしてしまったことを恥じる。


「じゃあさ、お詫びじゃなくてお礼として、この間のクッキー食べさせてよ。あれ、君の手作りでしょ? お店のメニューには、なかったし」


 意外な言葉に、何度か瞬きを繰り返す。


「構いませんが……私の作ったお菓子なんかで、いいんですか? 甘いものがお好きでなのでしたら、他にも作れますが……」


「ほんと? じゃあ、アマレッティとフィナンシェ作ってよ」


「もちろんです!」

  

 ――とんでもない失態を演じてしまったが、このことが切っ掛けで、私とクロード様は親しくなって行った。


 ◇


 あの日のことを心配してくれているのか、仕事が終わると待っていて家まで送ってくれたり、以前より頻繁にお店に来てくれるようになったり……。

 私も、そのお礼にとクロード様のお好きなお菓子を作って渡したり、たまたま手に入った希少な茶葉や小さな植物をプレゼントしたり、休日に二人で出掛ける日もあったりして。


 ――気付けば私は、飄々とした彼の気遣いや優しさに惹かれていた。けれど、この想いをどう扱っていいのか分からずに持て余していて……そんなとき――。


 その日はクロード様のお家で夕食を作っていだいたので、洗い物を私がしていた。


「珈琲でも淹れようか?」


「これが終わったら、私が淹れますよ。お食事も作ってもら……いたっ!」


 どうやら食器の端が欠けていたらしく、指を切ってしまったようだ。


「大丈夫? こっち来て」


 クロード様が私を椅子に座らせると、指先の血を綺麗な布で拭い取って丁寧に手当をてしてくれる。


「……ありがとうございます」


 お礼を言って顔を上げると、ばちんと目が合う。

 彼の澄んだ海のような瞳に見入っていると、端正な顔が近付いてくる。


(……あっ……)


 私たちは、そのまま静かに唇を重ねた。


 ちゅっと音を立てて唇が離れると、私は呆然とクロード様を見つめる。


「……ごめん。嫌じゃなかった?」


 頬を柔く撫でてくれるクロード様に、首を左右に振る。


「い、嫌なんてこと……! その……嬉しかった、です……」


 恥ずかしくて声が小さくなってしまった。そんな私を見て、クロード様が目を細めて笑う。


「順番が逆になっちゃったけど……。好きだよ、ココリネ。俺と付き合ってください」


 その言葉に目を見開くと、笑顔で返事をする。


「……はい!」


 私の声にクロード様が、とろりとした笑みを浮かべる。


「ははっ、大っきな声」


「す、すみません……!」


「ううん、かわいい。……これからも、よろしくね」


「はい!」


 ◇ 


 お付き合いするようになってからの日々は、何もかもが新鮮で眩くて……本当に楽しかった。

 好きな人と居ることが、こんなにも愛しく心地良いものだったなんて知らなかった。

 

 ――付き合っていく中で、私たちは互いの話もした。

 私はもともと庶民であったが、母が見初められて貴族に嫁いだこと。そこで義父に襲われて未遂だったものの、義父の嘘を母が信じて、屋敷では無視され続けていたこと。

 厄介払いのように王侯貴族の通う学園に入れられて、卒業後は屋敷には帰らず今の生活をしていること……以前、お酒の席でも喋ってしまったが事細かにお伝えした。


 クロード様も、彼のことを教えてくれた。

 ご両親ともに愛人がいる冷めきった家庭であったこと。

 それでも、愛情をかけてもらっていたとは分かっているので二人には感謝はしていると。

 けれど、そんなご両親を見ていたので恋愛とかには酷く冷めていて……。

 だから、自分が誰かを好きになれるとは思わなかった――。

 言葉と共に、愛情を含んだ眼差しを向けられて、頬が熱くなったことを今でもよく覚えている。


 母親にさえ信じてもらえず、見捨てられた私を好きになってくれるなんて……こんな奇跡のようなことがあるのだと何度も胸が温かくなった。


 この方と、ずっと一緒にいられたら幸せだろうなぁ。……なんてことを、思っていたのに……。


 ◇


 ――お付き合いするようになって、数カ月が過ぎた頃。

 街なかで、可愛らしい女性と話しているクロード様をお見かけした。


「見て、クロード様よ!」

「今日もかっこいい〜! お隣に居るのはハミルトン伯爵令嬢よね?」

「美男美女でお似合いよね〜!」

「なんでも、お二人に婚約の話が持ち上がっているそうよ」

「素敵! あの二人、お似合いだものね!」


 すぐ側で楽しそうに話をする、女の子たちの言葉に苦笑する。

 この子たちは、私とクロード様がお付き合いしていることを知ったらショックを受けるのかしら? でも、いつかは私たちの仲が皆に知れ渡るのかもしれないと考えて頬が熱くなるのを感じていたとき。

 

 ――ふと、クロード様と話している女性と目が合った気がした。

 ほんの一瞬の出来事に私は首を傾げるが、買い物の途中だったことを思い出すと、足早にこの場を去って行った。

 

 ――その数日後。

 

 先日お見かけしたハミルトン伯爵令嬢に、声を掛けられて驚く。

 彼女に誘われて近くのカフェに入ると、伯爵令嬢は優雅に紅茶を飲みながら口を開く。


「あなた、クロード様とお付き合いなさっているんですってね?」


「……え? ええ。そうですが?」


 私の返事に伯爵令嬢は、ニコリと微笑む。


「別れてくださらない?」


「……は? 何を急に……」


 彼女の言葉に、私は眉を顰める。


「迷惑なんです、あなたが。そもそも、ご自分があの方に相応ふさわしいなどと本気で思っていますの?」


「……っ、それは……」


 確かに、私には勿体ない人だ。だからと言って、こんなことを言われる筋合いはない。


「仮にそうだとしても、あなたには関係ございません」


「ありますわ。わたくし、あの方をお慕いしておりますの。それに、婚約の話も持ち上がっておりますわ。あなたのような人に、彼は相応ふさわしくない。……あなた、ご家族に捨てられたんですってね? 義父に襲われたことが原因だとか……汚らわしい。フェルドア子爵からお聞きいたしましたわ」


 ――フェルドア様。暴行罪で捕まったあと、ご両親から叱責を受け辺境の地へと追いやられたと聞いていたのだが……。


「あなた、あの人から随分と恨まれているみたいね。いったい、何をなさったの?」


「そ、それは、あの人が勝手に……!」


 私が言い返すと、ハミルトン伯爵令嬢がすっと冷めた目を向けてくる。


「――とにかく。あなたのような、家族に捨てられ、人から恨みを買っているような……そんな人が、彼の側に居るなんて許せないわ。二度と彼に近付かないでちょうだい。あなたのような人が、クロード様の恋人なんて可哀想で仕方ありません。どうか、あの方を解放してさしあげて? ご自分の立場を弁えてちょうだいな。――以上です。どうか、ご理解くださいね?」


 彼女はそう言って立ち上がると、お店から出て行ってしまった。


 取り残された私は、目の前の冷めた紅茶をぼんやりと見つめながら考える。


 悔しい、腹が立つ。なぜ、一方的にあんなことを言われなくてはならないのか……。


 ……だが、彼女の言葉は私の中でくすぶっていた感情を呼び起こした。


(……私は、彼に相応しくない……)

 

 実の親にも選んでもらえなかった人間が、あんな素敵な方と釣り合うわけなどない……。

 心の何処がで、ずっと引っ掛かっていた感情。必死で隠していた……押し込んでいた、私の思い……。


 ぎゅっと手を握り込み、唇を噛みしめる。


 だからと言って、私たちの関係に踏み込まれる筋合いはない。……そう、思っていた。


 ◇


 それから、数週間が過ぎた頃。

 クロード様の、帰宅時間の遅い日が続いていた。


「……今日も遅くなるのかな、クロード様。差し入れでも作って持って行こうかな」


 私は急いでサンドイッチを作ると、バスケットの中にワインと一緒に詰め込み、彼の仕事場へと向かった。


 辿り着くと、詰所の前に居るクロード様を見かけたので、手を振ろうとした瞬間――。


(……あ)


 彼は、美しい女性と話をしていた。

 まるで絵画のようなお二人。女性の柔らかな笑い声とクロード様の明るい声。


(……楽しそう)


 つきん、と痛む胸を押さえる。

 そのとき、ハミルトン伯爵令嬢の言葉が蘇る。


『あなたに、彼は相応しくない』

 

(……悔しいけど、あの人の言う通りなのかもしれない……。私なんかが、あの方の未来を奪っていいのだろうか……)


 もう一度、彼らに視線を向ける。

 お二人の居る場所だけ、纏っている空気が違って見えた。


(――ああ、お似合いだな)

 

 ほんの少ししか離れていないのに、彼を凄く遠くに感じる。


(……私なんかが、あの方を縛り付けておくなんて、どれほど烏滸おこがましいことなのだろうか……)


 私は近くに居た騎士の方に、クロード様にバスケットを渡しておいて欲しいとお願いして、この場を去って行った。


 ◇


 クロード様が好きだ。大好きだ。私の一番の人……だからこそ、縛り付けちゃいけない。

 身勝手な私だけの感情だけで、彼を独り占めしちゃいけないんだ。

 好きな人の幸せを願えないような人間には、なりたくない。

 何度も何度も自分に言い聞かせると、暗くなった世界を受け入れるように目を閉じた。

 

 ◇


 ――クロード様の、お休みの日。

 彼の家で向かい合って座っていると、クロード様が少し心配そうに私の顔を覗き込んでくる。

  

「なんか、最近元気ないね? 何かあった?」


 彼の優しさに、ぎゅっと唇を結んでから、口を開く。


「…………クロード様」


「なあに?」


「……お別れしましょう」


 私の言葉に、クロード様が目を丸くする。


「……え? なに急に。何の冗談?」


 クロード様は飲んでいた珈琲をテーブルの上に置くと、苦笑する。


「……伯爵令嬢との縁談の話が、持ち上がっているのですよね?」


「ああ、あれ? そういう話もあったけど、丁重にお断りしたよ」


 断ったんだ。……あの人、荒れているだろうな……嫌な人だし、認めたくないけど……


「私より、ずっと相応しい人だったのに……」


 私の言葉にクロード様がムッとした表情になる。


「どうしたの、ココリネ。なんで、そんなことを言うわけ?」


 あの人じゃなくても、この方にはそれ以上に素敵な人が待っているはずだ。あの日、詰所で見た美しい女性のように……。

 他の誰かと一緒になる方が、私なんかと居るよりも、ずっと幸せになれるんだ……。


「……すみません。とにかく、私ではあなたに不釣り合いです」


「あのね。そんなこと――」


「……そういうことですので。クロード様、どうかお幸せに……」


 私は立ち上がると、一礼してから彼の家を出て行く。


 ◇

 

 ――申し訳なさと、自分の身勝手さ。

 けれど、これがクロード様のためなのだと言い聞かせて、とにかく彼のことを避ける生活を送っていた。


 ◇


 ――だがある時から、凄まじい吐き気と倦怠感に襲われるようになり、医師に診てもらうと、妊娠していることを告げられ呆然とする。


 確かに彼と、そういった行為はしていた。お付き合いをしていたし、自然な流れだったと思う。義父とのことがあったので、最初はとても怖かったが、彼は義父とは全く違う。愛しい、私の唯一の人……だから、受け入れることができた。


(――でも、まさか、そんな……)

 

 ぐらりと視界が揺れる。


 いや、その可能性があることは分かっていたはずだ。それでいいと思っていたし、彼との時間は幸福だった。

 なのに、私では彼に不釣り合いだと避け続けていた……これは、自業自得なのだと目を閉じる。


 どうするべきかと一晩中悩んで出した答えは、子供を産んで一人で育てていくというものだった。

 ……大変だと思う。私だって、父が亡くなって母と二人きりだった頃は様々な苦労があった。

 それでも、あの頃は楽しかったなぁ……と僅かに思いを馳せる。

 この子には、なるべく苦労をかけないように私が頑張らないと。

 お腹に手を当てて、はっと息を吐くと部屋の荷物を纏めるために立ち上がった。

 

 ――数日後。

 私は店を辞めると、遠くの街へと向かうために歩き出す。


 ――こうして、私は彼からも逃げたのだった。


 

 ◇


 

 子供が生まれて、早二年。

 彼に良く似た、金色のくるくる巻き毛の可愛い男の子。

 この子を育てるために、昼は花屋、夜は酒場で働いている。

 有難いことに、お隣のきっぷの良い女性が頻繁に息子の面倒を見てくれていた。

 いろんな人達の優しさと支えで、今の生活が成り立っている。


「……良い夢を、ルーク」


 逃げてばかりの私だけど、この子のことは絶対に幸せにするし守り抜くと誓って、静かに眠りに落ちた――。


 ◇


「ルーク。今日はママ、ずっと一緒に居れるよ」


「まま、いる?」


「うん」


 今日は花屋と酒場の両方がお休みなので、久しぶりにと息子のルークとゆっくり過ごせる。

 そう思っていたのに――。


「ココリネ!」


「……トッドさん」


 ルークと出掛けていた先で、声をかけられたので振り向くと、厄介な酒場の常連客がいた。


「よう。奇遇だな……って、子供ガキも一緒かよ。……まあいい。それよりも、そろそろいい返事聞かせてくれよ。お前みたいなコブ付き貰ってやるって言ってんだ。悪い話じゃないだろ?」


 なぜ、わざわざ子供の前でこんな話をするのだろうか。私は溜息を落としてから、口を開く。


「――何度も迷惑だと伝えたはずです。それに、私はこの子と二人で生きて行くと決めているので……もういいですか?」


 早くこの場を離れようと歩き出したとき、トッドさんが私の肩を強く掴んできた。


「……いたっ!」

 

「おい、調子に乗るなよ! 下手に出てりゃあ、つけ上がりやがって!! お前、男に捨てられたんだろ。だから、一人でガキなんか育ててんだよな? 可哀想に。捨てられたお前もそのガキも、惨めだよなぁ。女一人で朝から晩まで働いて、碌な金も稼げねぇのに」


「――っ、あなたには関係ないでしょう!」


 私はルークを後ろにやり、彼を睨み付ける。


「いっそ、身体を売ったらどうだ? お前のその顔と身体なら相当稼げるだろうよ。何だったら、俺が買ってやるよ。いくら欲しいんだ? 言えよ、アバズレ!」


 ――またこれだ。

 いつも、いつも、こうだ。

 私が何をしたと言うの? あなたたちに、何かした? 何が気に入らないの? 私はいつだって、ただその場所にいただけだ。それなのに、私を襲い、罵倒し、暴力を振るう。


(もう嫌だ。疲れた……)

 

 そう考えたとき、後ろにいるルークと目が合う。私を見て微笑む我が子を見て、どんなに最悪な状況でも、この子だけは守らなくてはと、泣きそうになった顔を引き締める。

 

「――いい加減にしてください! 子供の前ですよ、恥を知りなさい! それに、あなたなんかに買われるくらいなら、舌を噛み切って死んだ方がマシです! もう二度と私に関わらないで!!」


 私が声高に言うと、トッドさんが顔を真っ赤にして手を伸ばしてきた。


(……まずい)

 

 咄嗟にルークを抱きしめたとき――。 


  

「――その汚い手、下げてくれる? じゃないと、この忌まわしい首ねちゃうよ」

 

 チャキ、という音と共に聞き覚えのある声がして顔を上げると、トッドさんの首に剣を突きつけているクロード様がそこには居た。


「…………ク、ロード様……?」


 動揺して声が震える。


「ひいぃ……!! き、騎士団!? すっ、すみませんすみませんすみません……っ!!」


「謝る相手間違ってない? まあ、いいや……早くどっか行ってくれる? 目障りだから」


 急いで、この場を去って行くトッドさん。

 ……いや。それよりも、なぜクロード様がここに……?

 困惑しながら胸を押さえていると、クロード様が私たちの前まで来てしゃがみ込む。

 彼は、ルークと目を合わせると口を開いた。


「こんにちは」


「こん、わ!」


 にこりと笑って挨拶を返すルークに、クロード様が目をとろりと細めて笑う。


(……あ……)


 いつも私に向けてくれていた笑みだ。

 愛おしいと、大切だと……伝わってくる表情。


「……この子、俺によく似てるね」


「……っ……」


「名前は?」


 微笑みながら、ルークに尋ねるクロード様。

 

「るー!」


「ルー?」


「……ルークです」


「そっか、ルークか。いい名前だね」


 クロード様がルークの脇に手を入れると、そのまま彼の片腕に乗せた。


 きゃっきゃっと楽しそうに、はしゃぐルーク。

 彼と同じ金色の緩く波打つ髪。透き通った海のような碧い目が、そこに並ぶ。


「――どこか静かに話せる場所はある?」


 クロード様の言葉に視線を下げて頷くと、私は息子と二人で暮らす家に彼を招いた。

 

 ルークを寝かしつけてから、彼と二人で話すことになったのだが……。

 私はテーブルの上に珈琲の入ったカップを置いてから座ると、正面に座るとクロード様を見ることが出来ずに下向く。

 気まずい空気の中、先に口を開いたのはクロード様だった。


「――単刀直入に聞くけど、あの子は俺と君の子……だよね?」


 私はぎゅっと拳を握り込むと、小さく頷く。


「………………はい」


 クロード様の溜息が聞こえる。


「……何で言ってくれなかったの?」


「……ご迷惑を、おかけしたくなくて」


「俺に迷惑とか、何で勝手に決めるわけ?」


「……子供、とか……急に言われても困るでしょうし……クロード様には、ちゃんとした素敵な方が相応しいと……あなたには、絶対に幸せになってほしいと……そう、思って……」


 身を引いた……のに……。

 口にすると、あまりの自分の身勝手さに吐き気がする。


「……それも全部、君の決めつけだよね」


「……はい」


 クロード様が大きな溜息を吐く。


「……はあ……。急に君がいなくなって、俺がどんか気持ちだったか分かる?」


「…………」


「顔を上げて、ココリネ」


 おずおずと顔を上げると、哀しみのような怒りのような……けれど、慈しみの込められたクロード様の表情に、胸が締め付けられる。


「やっと目が合ったね」


「……っ……」

 

 最後にお会いしたときよりも、少しお痩せになられただろうか……。以前の気怠げな雰囲気が、どこか鋭いものになっていた。


「ちゃんと、ご飯食べてる?」


「……え?」


「睡眠はとれてる?」


「……大丈夫です」


「本当に?」


「……っ……」


 思わず視線を下げてしまう。


「……俺のこと、そんなにも嫌になっちゃった?」


 思いがけない言葉に、ばっと顔を上げる。


「そんなこと……!」

 

「じゃあ、何で逃げちゃったの? 俺、本気だったよ。伝わってなかった?」


「……それは……」


 いつだって、彼は私に好きだと愛しいと言ってくれていた。向けてくれる、視線も態度も優しく甘く……とても大事にされていた。なのに、私なんかには相応しくないと逃げ出した……。


「君が居なくなったあと、何度も何度も追いかけようとした。……けど、君に嫌われたと思って追いかけられなかった……。君が居なくなったのも、もしかしたら俺のせいなのかなって。ずっと避けられてたしね……嫌いな相手に追いかけられるなんて、恐怖でしかないでしょ。それこそ、さっきの男やフェルドアと何も変わらない。君を怖がらせるだけだ。……追い込まれて君が笑えなくなったら、後悔するのは俺自身だからね」


 クロード様は一呼吸置くと、話しを続ける。


「なのに、部下の一人がこの街で君のこと見かけて……しかも、俺にそっくりの子供連れてたって聞いて。……だから確かめるために、ここまで会いに来たんだ」


 この街は、以前住んでいた場所から随分と離れていて、私自身ひっそりと目立たないよう生活していたつもりだった。まさか、彼の部下に見られていたなんて……。


「こう見えても、君のことちゃんと愛してたし、大事に想っていたよ」


 ――知っている。

 そして、それを手放したのは私自身だ。身を引けと言われて、自分に自信がなくて……その方がいい……彼のためなのだと、言い聞かせて自ら離れて行ったんだ。


「……いや、違うか。今も大事に想ってる」


「…………え?」


 思いもよらない言葉に、クロード様をまじまじと見つめていると、彼が目を細めて笑う。


「ねぇ、ココリネ。君が嫌じゃなければ、君とあの子のこと、これからも愛させてよ。家族になろう?」


 夢にも思わなかったことを口にされて、私は呆然とする。


「俺たち、歪な家庭で育っちゃったから悩むこともあるかもだけど、その度にちゃんと話し合おう。一緒に悩んで考えて、三人で家族の形にしていこうよ」


 クロード様の大きな手が、私の手を柔く握り込む。その掌の温かさに、私はぎゅっと唇を噛みしめた。


「俺とココリネとルークの三人で、幸せになろう?」


 今まで耐えてきたものが、全てこぼれ落ちそうになる。

 

 いいのだろうか、私で。私なんかで……クロード様は、幸せになれるのだろうか……。

 いや、違う。そうじゃないんだ。私たちで幸せを作って行こうと……そう言ってくれているんだ、この方は。

 私といて幸せとか幸せじゃないとか、そんなの関係ないんだ。他の誰かや私自身が決め付けていいものなんかじゃない。

 幸せは、これから私達が形作って行くものなんだ……。


 私はクロード様の言葉に何度も頷く。

 

「……はい……はいっ……」


「ココリネ。――俺と結婚してくれますか?」


「……はいっ!」


 私が大きく返事をすると、クロード様がへにゃりと笑いながら抱きしめてくれた。



 ◇


 その後。

 私はルークと元いた街へと戻り、クロード様と結婚しました。

 ルークもすぐにクロード様に懐いてくれて、今では彼のことをパパと呼んでいる。


 

 ――穏やかな朝。

 窓から差し込む朝日で、窓辺に置かれた植物達がキラキラと輝いている。テーブルの上には、クロード様の作ってくれた朝食が並んでいた。

 焼きたてのパンと、ふわふわのオムレツにパリッと焼かれたソーセージ。その隣には鮮やかな温野菜たちが添えられている。トマトときのこのスープからは、美味しそうに湯気が立っていた。


「おはよう。さぁ、食べようか」


「はい!」


 三人で囲むテーブルからは、温かな空気が流れている。

 

「ルーク。お口に、パンくずが付いてるよ」


 口の端に付いたパンくずをとっていると、珈琲を淹れていたクロード様が側に来て、私の髪の毛にちゅっと口付けをする。


「ココリネも、ここに可愛い寝癖が付いてるよ」


「え!? す、すみません!」


 恥ずかしくて、赤くなった頬に手を当てて熱が引くのを待つ。


「パパ、ママ、なかよし!」


 ルークの元気に声に、私とクロード様は目を合わせると、互いに笑い合う。


 ――なんて、心地の良い時間なのだろう。

 

 何もかもから逃げて来た私が、愛しい人たちに囲まれて、こんなにも優しい朝を迎えられるなんて夢みたいだ。

 少し泣きそうになっていた私の顔を、クロード様が覗き込んでくる。


「どうかした?」


「……いいえ。あの、クロード様」


 私は小さく息を吐いたあと、満面の笑みを浮かべる。


「私、とても幸せです!」


 その言葉に、とろりと目を細めるクロード様。


「俺も幸せだよ」


 そう言って私の頬にキスをしたあと、ルークの頬にも同じようにキスをする。

 私もルークの頬にキスをすると、クロード様の頬にキスを返す。

 

 そして、私たちは三人で笑い合うのだった。

 


 ◇おわり◇

 

 

 

お読みいただきありがとうごさいます。

氷雨そら先生、キムラましゅろう先生主催のシークレットベビー企画で書かせていただきました。とっても楽しかったです!

素敵な企画をありがとうございました!

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