マイナンバーは“禁忌”で、免許証番号はノータッチ
世の中には「なぜか守るべき場所がズレている話」があふれている。
今日はその最たる例、「マイナンバーは禁忌なのに、免許証番号は平気で控える日本」という不思議な話だ。
どちらも単なる数字なのに、どうしてここまで扱いが違うのか。
構造を見ていくと、日本人の“番号恐怖症”が浮かび上がってくる。
まず事実として、マイナンバーというのは 番号自体に意味がない。
ランダムな識別番号で、「暗号」でも「履歴」でもない。
この番号を知られたところで、他人が勝手に情報を引き出すことなどできないのだ。
本人確認機能は番号に紐づいた電子証明書にあり、番号そのものはただの記号だ。
つまり、番号だけ見られても何の支障もない。
ところが現実には「見てはいけない」「コピーしてはいけない」と言われ、
行政ですら過剰に隠そうとする。
これは、もはや “禁忌” である。
一方で、対照的なのが運転免許証番号だ。
免許証番号には 意味がある。
更新年、公安委員会番号、過去の履歴などが暗号的に含まれている。
要するに「個人の履歴や状態」を示す番号だ。
それにも関わらずを役所も金融機関もレンタル店も、
日常的にコピーし、控える。
マイナンバーよりよほど“情報”を含んでいるのに、誰も騒がないのは不可解だ。
理由は単純で、
社会全体がマイナンバーを恐れる“雰囲気”を作ってしまった からだ。
導入時にメディアが煽った「大丈夫か不安だ論」
行政がクレームを恐れて「念のため伏せてください」
企業も「面倒だから関わりたくない」という姿勢
その結果、
「番号=危険」「漏れたら終わり」という誤解が国中を覆った。
人は本質ではなく“空気”に従う生き物だ。
合理性よりも安心感を優先する。
だからこういう矛盾が平然と成立する。
本来、守るべきは 電子証明書 であって番号ではない。
カードの背番号を見ても、何も起きない。
ただの識別コードだからだ。
むしろ、免許証番号のほうが「情報が出ている」。
しかしそれには誰も目を向けない。
なぜなら 長年の慣習で“当たり前”になっているからだ。
「恐れるべきもの」を間違えた結果、
番号に意味がないマイナンバーが禁忌化し、
意味のある免許証番号は放置されるという逆転現象が起きてしまった。
これは、日本人の文化的な特性が作用していると思う。
曖昧な不安でも全員が同調しやすいく
一度タブーにすると解除しにくい。
そして“安全側に倒す”習慣が行政を萎縮させる
番号恐怖症は、理屈ではなく“空気の産物”だ。
そして空気は強い。
制度より強いこともある。
マイナンバーが禁忌扱いされる現象は、その典型例なのではないか。
私自身、住基カードを持ち、現場で免許証番号も普通に控えられるのを見てきた。
だからこそ、この「番号に意味がない方だけ禁忌となる構造」には前々から違和感があった。
本質的に危険なのは番号ではなく、
“番号にまつわる空気”だ。
恐怖というのは、実体がないときほど強くなる。
人は「よくわからないもの」を怖がり、
怖がるから、ますます触れられないものになっていく。
マイナンバーが嫌われる理由は情報ではなく、
「雰囲気の物語」 なのだ。




