I LOVE YOUの訳を考える
言語としてはたった三語の “I love you”。
でも、日本語に訳そうとすると急にむずかしくなる言葉です。
「好き」では軽い。
「愛してる」では重い。
そのあいだが日本語には、ない。
では、どう訳せばいいのか。
今回のエッセイでは、
英語と日本語のあいだで揺れる “愛の言い方” を、
文化や感性の視点からゆっくりと考えてみました。
行間で伝える日本語の美しさと、
直接言う英語の強さ。
そのすれ違いの中にある、
ひとつの答えを探していきます。
英語で “I love you” と言うのは簡単だ。
子どもでも、年配の人でも、
恥ずかしげもなく、いつでも言える。
love は英語ではただの挨拶みたいなもので
天気のように口にできる日常語だからだ。
ところが日本語に訳そうとした瞬間、
この三語は途端に扱いづらくなる。
「愛してる」は重すぎる。
「好き」は軽すぎる。
「愛する」などという言葉は、
もはや結婚式か宗教文の世界にしか存在しない。
そもそも loveは動詞だ。
日本語で言うと「愛する」
SVOを照らし合わせて直訳だと
「私はあなたを愛する」なんて、ふつう使わない。
しかし、「愛する」という言葉をつかわないかというと、そうでもない。
春を愛する人は 心清き人
つまり、人に対して愛するを使わなくても
自然を愛する、平和を愛する、日本を愛する
人外には愛するという言い方をする。
愛するという言葉はその対象が人ではないのだ。
つまり日本語には、
英語の love が収まる“ちょうどいい場所”が
最初から用意されていない。
だから “I love you” は
いくら辞書を引いても綺麗に訳せない。
文化的に欠けているものを、言葉だけで埋めることはできない。
日本語話者はその代わりに、
行間や静けさや距離感を使って
どうにか love の意味を伝えようとしてきた。
「月がきれいですね」
夏目漱石が “I love you” を訳すならこうだと言ったという有名な話だ。
言葉の外側に愛情を置く、
日本語らしい美しい裏技である。
また、言い回しであらわすことがある。
たとえば――
「あなたといると落ち着く」
「君と話すと時間が早い」
「頼りにしてるよ」
どれも love の端っこをつまむようにして伝える言葉だ。
直接言うと不自然だから、
迂回して気持ちを運んでいく。
恋の始まりには、こんな遠回りな言葉もある。
「僕のこと、どう思ってる?」
「君を好きになっていいかな?」
相手を好きとは言わずに、
だけどほとんど言ってしまっている。
結局のところ、
“I love you” を日本語にするという試みは
直訳よりも
“心がどう動いているのか”を
丁寧に追いかける作業に近い。
そして考え続けた末に、
わたしがたどり着いた言葉がある。
「君を夢に見る。」
好きと言っていない。
愛してるとも言ってない。
説明もしていない。
なのに愛情の核心がまっすぐ届く。
夢は、ごまかせない。
意思では制御できない場所に、
知らないうちに“君”が現れる。
そこには嘘がない。
自分の気持ちが先に動いてしまっている証拠だ。
“I love you” を訳そうとして見つけたのは、
結局、もっと静かで、もっと深くて、
もっと日本語らしい表現だった。
言葉にできないときでも、
夢なら正直だ。
だから最後に、こう言えばいい。
――君を夢に見る。
その一行だけで、
“I love you” よりもずっと遠くまで届く気がする。
“I love you” を日本語にしたとき、
もっとも自然で、もっとも静かで、
もっとも深い言葉は何だろう。
そんな問いから始めたエッセイですが、
最後にたどり着いたのはとてもシンプルで、
とても日本語らしい一行でした。
――君を夢に見る。
言えないことが多いからこそ、
日本語の愛は静かで、奥行きがあります。




