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雑談三昧  作者: カトーSOS


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カスハラ禁止ポスターと、静かな違和感

街を歩くと、ときどき考えさせらるものに出会う。

近頃は、飲食店や小売店の壁に貼られた「カスハラ禁止」の文字がその一つだ。

迷惑行為から従業員を守るために掲示しているのだろう。

その意図は十分に理解できる。

それでも、どこか腑に落ちない感覚が心のどこかに残る。

本エッセイでは、その違和感について静かに考えてみたい。

最近、店先で「カスハラ禁止」というポスターを見かけることが増えた。

対象となる行為は、暴言や過剰な要求、執拗なクレームといった、いわば“迷惑客”の振る舞いである。

店側がこうした行為に苦慮してきた背景は、想像に難くない。


ただ、問題はそこにない。

どうしてこの注意が、「すべての客」に向けて貼られているのか、という点である。


日常の買い物や外食で、特別に主張することもなく、静かに会計を済ませる。

そんな、ごく普通の行動をしているだけの人間に対して、

「これをしてはいけません」「暴力的な言動はお断りします」といった警告が飛んでくる。

言葉自体は正しいはずなのに、なぜか自分が咎められているような居心地の悪さが残る。


迷惑行為をする客は、確かに存在する。

しかし、そのような人々に対しては、本来、個別に、法に則して対処すればよい。

威力業務妨害や不退去、暴言によるトラブルなど、ほとんどの行為には法的手段がある。

必要であれば、警察を呼べばいい。

なにも、一般客に向けて“予備的な警告”を貼り出す必要はない。


ところが現実には、「一部の迷惑行為への対策」が、

なぜか「すべての客」に向けた注意喚起へと変質してしまっている。

これが私にとって、静かな違和感の源である。


背景には、日本社会が長く抱えてきた「お客様は神様」という精神があるのだろう。

本来は、演者が客に敬意を払うという、ある種の美しい比喩だったはずだ。

しかし年月のうちに、このフレーズだけが独り歩きし、

「客であれば、どんな要求でも通るべきだ」という誤った解釈が生まれてしまった。


その結果、

“神様扱い”を期待する迷惑客が増え、

店側は防衛策としてポスターを掲げ、

普通の客が、まるで疑われるような景色になってしまった。

これは、健全な関係と言えるだろうか。


もちろん、店で働く人の安全を守ることは何より大切である。

ただし、そのための方法は「大多数の善良な客に釘を刺すこと」ではないはずだ。

迷惑行為への対応は、あくまで個別に、冷静に、法に基づいて行えばよい。

注意されるべきはごく少数の人間であり、

肩身の狭い思いをする必要のない大多数の客ではない。


ポスターを見るたびに思う。

迷惑客への過度な配慮が、

むしろ一般客の自由で穏やかな時間を損なってはいないだろうか。

そして、優しさを重んじる日本の文化そのものが、

本来の方向とは別の方へ、静かに曲がり始めてはいないだろうか。

社会には、さまざまな人がいる。

迷惑行為をする人もいれば、静かに買い物をして帰るだけの人もいる。

本来守られるべきは、後者の大多数だ。

そして、迷惑をかけるごく少数のために、社会全体を疑う必要はない。


本当に必要なのは、

“すべての客に一括で注意する仕組み”ではなく、

“問題のある行動に個別に対応する姿勢”である。


法律に従い、冷静に対処する。

それだけで、店も客も、互いに必要以上の負担を負わずに済むはずだ。


ポスターの前で感じた小さな違和感から、

そんな当たり前のことを、改めて考える機会になった。

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