球を裏返す日 ――これが数学だというなら
大学のオリエンテーションの最初に、
巨大スクリーンに映し出された映像。
ポリゴンでできた球が、
ぐにゃぐにゃと形を変えながら、
ゆっくりと裏返っていく。
破れない。
折れない。
なのに、確かに裏と表が入れ替わる。
「これ、数学?」
私は思わず口に出していた。
周りの学生たちも同じ顔をしていた。
それは、「球面を裏返す」映像だったらしい。
あとで知った。
正式には“スフィア・イヴァージョン”という、
トポロジー――位相幾何学の問題だという。
でも、初見の学生にはそんなこと関係ない。
数字も式もない。
ただ、球がぬるりと裏返っていく。
まるで3Dパズルか、ゲームのバグのよう。
音も立てずに、世界のルールがねじれていく。
先生は、何事もなかったかのように言った。
> 「これも数学です。」
え? ほんとに?
パズルにしか見えない。
でも、目の前の球は確かに破れていない。
論理が形を持って動いていた。
あの瞬間、私は理解した。
これから学ぶ“数学”は、
もはや“数”の学問ではない。
形の連続性を信じる、哲学の一種なのだと。
今でもときどき思う。
あの球を最初に見せた先生は、
新入生を混乱させたかったんじゃない。
たぶん、こう言いたかったのだ。
> 「数学とは、理解を超えても存在するものだ。」
数字を追う学問ではなく、
“わからないを受け入れる練習”としての数学。
オリエンテーションで球を裏返す。
それは、数の外側にある想像力のドアを、
静かに開く儀式だったのかもしれない。




