新作エヴァは二次創作である
最近発表された新作エヴァンゲリオンについて、私は一つの結論に至っている。それは、新作が公式であろうと、本質的には二次創作である、ということだ。
これは好き嫌いの話ではない。創作の主体は誰なのか、という単純な問題である。
エヴァンゲリオンは巨大な設定や難解な構造で語られがちだ。しかし本質はそこではない。あれは人間ドラマだ。もっと言えば、父と子の確執の物語であり、碇ゲンドウがただユイに会いたかったという、極めて私的な願いの物語である。人類補完計画すら、その感情の延長線上にある装置に過ぎない。
つまり、エヴァンゲリオンの主体は庵野秀明である。
漫画版があり、小説があり、ゲームがあり、同人誌すら存在する。それらはすべてエヴァンゲリオンというフォーマットを使った別解釈だ。公式であっても、構造的には本編とは別の位置にある。
エヴァンゲリオンは時間ループという構造を取り入れたことで、無限に物語を作れる形式になった。別ルートも、再構築も、異なる視点も、すべて成立する。どんな物語でも作ることができる。
だが、その瞬間に起きた変化がある。
エヴァンゲリオンは「唯一の物語」ではなくなった。
テレビ版から始まり、数々の再構成を経てシン・エヴァンゲリオンに到達した一本の流れ。それは庵野秀明という創作主体によって成立していた。その主体が完全に離れたとき、新作は同じ名前を持っていても、別の創作になる。
だから私は、新作エヴァをこう定義する。
それは公式でありながら、二次創作である。
そして、それでよいのだと思う。
なぜならば――
私もめっちゃ楽しみなのだ!!!




