表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雑談三昧  作者: カトーSOS


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/29

浮遊の競技


私はオリンピックに、全く興味がない。

今日、奥さんが熱心にテレビを見ているのを横から覗いて、あぁ、今年は冬季なんだ、と言うほど興味がない。


だが、フィギュアスケートだけは、素晴らしいと思う。


フィギュアのいいところを褒めるなら、とくに「滑る」という行為の浮遊感だ。

人は重力から解き放たれるとニュータイプになれる。

新しい価値観が揺さぶられる瞬間がある。


フィギュアスケートは氷という媒体を得ることで、人間の動きを極限まで軽く見せる。

摩擦が減り、足音が消え、移動が途切れない。

重さが薄れ、存在が漂う。


ヒップホップがなぜあれほどもてはやされるのか。

それは重力から解き放たれたように見えるパフォーマンスを、力技で実現しているからではないだろうか。

人は地面に縛られている存在だ。

だからこそ、滑ること、跳ぶこと、回ることによって生まれる「浮遊しているような感覚」に、美しさを感じる。


ところで、これ以上の浮遊感を演じるスポーツはないだろうか、と考えた。


まず第一に頭に浮かんだのは、インドアスカイダイビングだ。

大きな筒状の施設の中で、下から巨大な送風装置が風を起こし、体を持ち上げる。

ポーズを変えることで風の受け方が変わり、重力と風力のバランスによって自由自在に浮遊できる。


これはいいんじゃないか、と思った。


しかし問題があった。


まず、設備を設置しなければ成り立たない。

そして演技として見せるには、筒のサイズが小さすぎる。

観客が見る空間としては、どうにも窮屈だ。


いい発想だと思ったが、残念ながらボツ。


ナイツのように浮遊できないものかと考え続けているうちに、あることに思い至った。


別に、本当に浮いている必要はないのではないか。


浮いている「ように見えれば」いい。


つまり、体を重力と同等か、それ以上の力で支え、接地の感覚を消す。

観客の目に、重さを感じさせない。


そこで思いついたのが、ワイヤーアクションだ。


映画や舞台ではすでに使われている技術だが、これを単なる演出ではなく、競技として設計したらどうなるだろう。


ここで、仮に名称を決めておく。


空中で演技を行う者を「フライヤー」。

ワイヤーを制御し、重力を調整する者を「リガー」と呼ぶことにする。


フライヤーは主役だ。

観客の目に映るのは、あくまで浮遊する身体である。


だが、その浮遊はフライヤー単独では成立しない。

背後には、重力を操作する存在がいる。


それがリガーだ。


リガーは舞台上に存在するが、存在しない。

日本の演芸には、すでにその文化がある。

黒子である。


黒子は舞台にいる。

しかし観客はそれを見ない。

見えていても、いないものとして認識する。


ならば、リガーも同じでいい。


演技中、リガーは黒子として舞台に溶け込む。

顔を黒で覆い、存在を消す。

彼らは装置ではない。

人間であり、競技者であり、フライヤーのパートナーだ。


フライヤーのソロ演技には、リガーが一人。

ペア演技には、それぞれにリガーがつく。


フライヤーは空間に線を描き、

リガーは見えないところで重力を編集する。


観客が見るのは、浮遊だ。


そして演技が終わったときだけ、リガーは顔を見せる。

フライヤーと並んで礼をする。


その瞬間、観客は理解する。

あの浮遊は奇跡ではなく、人間の協力によって生まれていたのだと。


私はオリンピックに興味がない。

だが、もしこんな競技が生まれたなら、きっとテレビの前に座るだろう。


この提案がどこかで実り、

いつかオリンピック競技になることを祈る。

あとがき


浮遊の競技について考えていると、「トランポリンはどうなのか」という疑問が出てくる。


実際、トランポリンはすでにオリンピック競技として成立している。

空中に長く滞在し、重力から解き放たれたような感覚を演じるという点では、最も浮遊に近い既存競技かもしれない。


だが、あれはどこか違う。


トランポリンは、あくまで「跳ぶ」競技だ。

上へ跳び、頂点で一瞬の無重力に触れ、そして必ず落ちる。

浮遊は存在するが、それは重力の合間に現れる一瞬の出来事にすぎない。


私が考えた「浮遊の競技」は、跳ぶのではなく、漂うものだ。

落下を前提としない。

重力と戦うのではなく、重力を忘れさせる。


だからこそ、トランポリンはすでに存在しているのに、どこか別のものとして感じられるのかもしれない。


浮遊に見えるということは、必ずしも空中にいることではない。

それは、重さを感じさせないことなのだと思う。


さらにあとがき


浮遊の競技について考えているうちに、既存の競技や演芸との共通点がいくつも見えてきた。


トランポリンはすでに存在するし、体操競技も空中演技の極致だ。

そしてサーカスには、空中ブランコや布を使ったエアリアルパフォーマンスなど、驚くほど多くの「浮遊」がある。


もしかすると、オリンピック競技というものは、サーカスから生まれたものが多いのかもしれない。

最初は遊びであり、見世物であり、ただ「すごいことをする人」がいただけだったものが、やがてルールを持ち、競技として整理されていく。


ブレイクダンスもそうだ。

名前の通り、本当にダンスなのかと疑問に思われた時期があったはずだが、今ではオリンピック競技にまでなっている。


だから、この「浮遊の競技」も、いきなり競技として成立する必要はない。

まずは遊びとして始まればいい。


月面を歩くように動いてみる。

重力が少しだけ軽くなった身体で、空間を漂ってみる。

フライヤーとリガーが呼吸を合わせて、重さを編集する。


そこから自然に技が生まれ、名前がつき、いつの間にかルールができる。

もし競技になるとしたら、そのとき初めて厳密な基準を考えればいい。


ガチの技術競技として発展する道もあるだろう。

あるいは、フィギュアスケートのように音楽に合わせて演技し、浮遊感そのものを採点する競技になるかもしれない。


どちらでもいい。


ただ一つだけ確かなのは、人は「浮いているように見えるもの」に、美しさを感じるということだ。


そしてもし、このアイデアがどこかで誰かの遊びになり、その遊びが広がっていったなら、それだけで十分だと思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ