浮遊の競技
私はオリンピックに、全く興味がない。
今日、奥さんが熱心にテレビを見ているのを横から覗いて、あぁ、今年は冬季なんだ、と言うほど興味がない。
だが、フィギュアスケートだけは、素晴らしいと思う。
フィギュアのいいところを褒めるなら、とくに「滑る」という行為の浮遊感だ。
人は重力から解き放たれるとニュータイプになれる。
新しい価値観が揺さぶられる瞬間がある。
フィギュアスケートは氷という媒体を得ることで、人間の動きを極限まで軽く見せる。
摩擦が減り、足音が消え、移動が途切れない。
重さが薄れ、存在が漂う。
ヒップホップがなぜあれほどもてはやされるのか。
それは重力から解き放たれたように見えるパフォーマンスを、力技で実現しているからではないだろうか。
人は地面に縛られている存在だ。
だからこそ、滑ること、跳ぶこと、回ることによって生まれる「浮遊しているような感覚」に、美しさを感じる。
ところで、これ以上の浮遊感を演じるスポーツはないだろうか、と考えた。
まず第一に頭に浮かんだのは、インドアスカイダイビングだ。
大きな筒状の施設の中で、下から巨大な送風装置が風を起こし、体を持ち上げる。
ポーズを変えることで風の受け方が変わり、重力と風力のバランスによって自由自在に浮遊できる。
これはいいんじゃないか、と思った。
しかし問題があった。
まず、設備を設置しなければ成り立たない。
そして演技として見せるには、筒のサイズが小さすぎる。
観客が見る空間としては、どうにも窮屈だ。
いい発想だと思ったが、残念ながらボツ。
ナイツのように浮遊できないものかと考え続けているうちに、あることに思い至った。
別に、本当に浮いている必要はないのではないか。
浮いている「ように見えれば」いい。
つまり、体を重力と同等か、それ以上の力で支え、接地の感覚を消す。
観客の目に、重さを感じさせない。
そこで思いついたのが、ワイヤーアクションだ。
映画や舞台ではすでに使われている技術だが、これを単なる演出ではなく、競技として設計したらどうなるだろう。
ここで、仮に名称を決めておく。
空中で演技を行う者を「フライヤー」。
ワイヤーを制御し、重力を調整する者を「リガー」と呼ぶことにする。
フライヤーは主役だ。
観客の目に映るのは、あくまで浮遊する身体である。
だが、その浮遊はフライヤー単独では成立しない。
背後には、重力を操作する存在がいる。
それがリガーだ。
リガーは舞台上に存在するが、存在しない。
日本の演芸には、すでにその文化がある。
黒子である。
黒子は舞台にいる。
しかし観客はそれを見ない。
見えていても、いないものとして認識する。
ならば、リガーも同じでいい。
演技中、リガーは黒子として舞台に溶け込む。
顔を黒で覆い、存在を消す。
彼らは装置ではない。
人間であり、競技者であり、フライヤーのパートナーだ。
フライヤーのソロ演技には、リガーが一人。
ペア演技には、それぞれにリガーがつく。
フライヤーは空間に線を描き、
リガーは見えないところで重力を編集する。
観客が見るのは、浮遊だ。
そして演技が終わったときだけ、リガーは顔を見せる。
フライヤーと並んで礼をする。
その瞬間、観客は理解する。
あの浮遊は奇跡ではなく、人間の協力によって生まれていたのだと。
私はオリンピックに興味がない。
だが、もしこんな競技が生まれたなら、きっとテレビの前に座るだろう。
この提案がどこかで実り、
いつかオリンピック競技になることを祈る。
あとがき
浮遊の競技について考えていると、「トランポリンはどうなのか」という疑問が出てくる。
実際、トランポリンはすでにオリンピック競技として成立している。
空中に長く滞在し、重力から解き放たれたような感覚を演じるという点では、最も浮遊に近い既存競技かもしれない。
だが、あれはどこか違う。
トランポリンは、あくまで「跳ぶ」競技だ。
上へ跳び、頂点で一瞬の無重力に触れ、そして必ず落ちる。
浮遊は存在するが、それは重力の合間に現れる一瞬の出来事にすぎない。
私が考えた「浮遊の競技」は、跳ぶのではなく、漂うものだ。
落下を前提としない。
重力と戦うのではなく、重力を忘れさせる。
だからこそ、トランポリンはすでに存在しているのに、どこか別のものとして感じられるのかもしれない。
浮遊に見えるということは、必ずしも空中にいることではない。
それは、重さを感じさせないことなのだと思う。
さらにあとがき
浮遊の競技について考えているうちに、既存の競技や演芸との共通点がいくつも見えてきた。
トランポリンはすでに存在するし、体操競技も空中演技の極致だ。
そしてサーカスには、空中ブランコや布を使ったエアリアルパフォーマンスなど、驚くほど多くの「浮遊」がある。
もしかすると、オリンピック競技というものは、サーカスから生まれたものが多いのかもしれない。
最初は遊びであり、見世物であり、ただ「すごいことをする人」がいただけだったものが、やがてルールを持ち、競技として整理されていく。
ブレイクダンスもそうだ。
名前の通り、本当にダンスなのかと疑問に思われた時期があったはずだが、今ではオリンピック競技にまでなっている。
だから、この「浮遊の競技」も、いきなり競技として成立する必要はない。
まずは遊びとして始まればいい。
月面を歩くように動いてみる。
重力が少しだけ軽くなった身体で、空間を漂ってみる。
フライヤーとリガーが呼吸を合わせて、重さを編集する。
そこから自然に技が生まれ、名前がつき、いつの間にかルールができる。
もし競技になるとしたら、そのとき初めて厳密な基準を考えればいい。
ガチの技術競技として発展する道もあるだろう。
あるいは、フィギュアスケートのように音楽に合わせて演技し、浮遊感そのものを採点する競技になるかもしれない。
どちらでもいい。
ただ一つだけ確かなのは、人は「浮いているように見えるもの」に、美しさを感じるということだ。
そしてもし、このアイデアがどこかで誰かの遊びになり、その遊びが広がっていったなら、それだけで十分だと思う。




