うちのじいさんの話。つづき。
うちのじいさんは、一言でいうと “変わった人” だった。
家族の誰がどう思っていたかは知らない。ただ私は、子どもの頃からずっと、
この人はどこか普通じゃない、と感じていた。
スナックを経営しながら、怪しいほど商売っ気が強くて、
かと思えば孫たちを毎週のように遊びに連れて行ってくれる優しい面もある。
水道水をミネラルウォーターとして売ったり、
鉄板ハンバーグの元祖を名乗ったり、
今となっては事実かどうか誰も確認できない武勇伝を、
これでもかと語っていた。
でも、ちょっとした嘘や誇張を含んだその話は、
じいさんの人生の“味”そのものだった気がする。
大人になった今、ふと思う。
もしじいさんが生きていたら、
私はこの歳になって、どんな話をじいさんとするのだろう?
お金の話をするのか、事業の話をするのか、
あるいは昔のスナックの裏事情を笑いながら聞いていたのかもしれない。
このエッセイは、そんな「話せなかった会話」の代わりだ。
笑える話ばかりだけれど、
振り返れば、そこには“じいさんという人間”がしっかりといた。
亡くなったのは私が小5の頃。
だけど人生というのは不思議で、
遺された思い出のほうが、本人より長く生き続ける。
そういう気づきも含めて、このエッセイを書いた。
じいさんは晩年、がんになった。
――といっても、周りが心配するほど本人は弱っていなかった。
むしろ、これまで以上に動き回っていたくらいだ。
後から聞くと、頭にできたがんだったらしい。
ある日、突然坊主頭になって家に現れた。
その頭にはマジックで「×」印やら見慣れない文字やらが書いてある。
どうやら、その印に向かって、放射線だかレントゲンだかを当てるらしかった。
だが、そんな頭でもじいさんは気にしない。
そのまま、いつも通りスナックに立っていた。
接客中の“×印つきの坊主頭”――いま思えばすごい絵面だが、当時は誰も突っ込まなかった。
そんなある日、じいさんが突然言い出した。
「カレー専門店を開く!」
料理の経験などほぼゼロ。
なのに、なぜか強気。
そして、家には連日 “試作品” と称した寸胴鍋が運び込まれるようになった。
問題は、そのカレーが とんでもなくまずい ことだ。
ピリピリと舌だけ痺れるのに、味は薄い。
水っぽくてシャバシャバ。
見た目だけはカレー色。
我が家は毎日その“何か”を食べ続けるハメになった。
最終的には、市販のカレールーを足して、
“辛いだけのカレー” にして無理やり食べたが、
寸胴ごと失敗すると家中が地獄だった。
やがて、じいさんは入退院を繰り返し、
最後は家に戻れなくなった。
亡くなったあとも、しばらく冷凍庫の奥には
“例のカレー” が残っていた。
食卓に出てきた最後の何杯か――
正直に言う。
やっぱり不味かった。
でも、いま思い返すと、
あのまずいカレーが、
じいさんがこの世に残した“最後の試作品”だったのかもしれない。
じいさんの話を書くと、どうしても笑ってしまう。
頭に×印を書いてスナックに立つ人なんて、そうはいない。
しかし、その笑い話の裏側には、
病気に怯えず、最後まで“生きようとしていた姿”が確かにあった。
カレー専門店の夢だって、叶わなかったけれど、
あの時のじいさんは本気だった。
孫にまずいカレーを食わせていたのも、
本人なりに“次の仕事”への準備だったのだろう。
大人になってようやく気づいた。
人間は、最後まで「やりたいこと」を探す生き物だ。
叶うかどうかなんて関係ない。
たとえ病気でも、夢は勝手にあきらめたりしない。
じいさんは、小5の私を置いて先に逝ってしまったけれど、
あのとき言えなかったことがある。
じいさん。
あなたの人生、面白かったよ。
そして――あなたの孫で、私は本当に良かった。




