義務教育は過小評価されている
義務教育、特に中学までの教育は、実はかなり優秀だと思っている。
少なくとも、「生きていくための物差し」という点では、よくできている。
中学で教わる内容は、どれも派手ではない。
難解な数式もないし、専門的な理論も出てこない。
だが、その代わりに、世界を理解するための最低限の道具が、ほぼ網羅されている。
割合。
正と負。
比例と反比例。
一次関数。
簡単な確率。
これだけで、世の中の大半の現象は説明できる。
景気が良くなる、悪くなる。
物価が上がる、下がる。
人口が増える、減る。
全部、「増減」と「比」の話だ。
理科も同じだ。
力と運動。
エネルギー。
電気。
物質の変化。
これらは専門知識ではない。
「考えるための視点」だ。
中学理科をきちんと理解していれば、
ニュースで出てくるエネルギー問題も、
技術革新の話も、
完全に未知の話にはならない。
社会科もそうだ。
歴史は暗記科目だと思われがちだが、
本質は「流れ」を読むことにある。
政治や経済も、制度の名前を覚えるより、
「なぜそういう仕組みになっているか」を知ることが重要だ。
これらが揃うと、
世の中を見るときの解像度が一段上がる。
だから私は思う。
中学の内容を本当に理解できていれば、
大抵のことは「わからない」で終わらない。
専門家にはなれなくても、
筋の通った理解はできる。
逆に言えば、
高校や大学でつまずく多くの原因は、
中学内容が不足しているのではなく、
「中学内容を使う経験が足りない」ことにある。
義務教育は、
専門家を育てるための教育ではない。
社会の中で、
最低限、話についていける。
だまされにくくなる。
考える土台を持てる。
そのための教育だ。
そう考えると、
義務教育はよくできている。
むしろ過小評価されすぎている。
問題があるとすれば、
義務教育そのものではない。
その先で、
この「物差し」をどう使わせるか、
そこが途切れてしまっていることだ。
中学までは、
世界を理解するための道具を渡される。
本当はそのあと、
その道具を使って考える時間が
もっと用意されるべきだった。
義務教育は、
入口としては、かなり完成している。
少なくとも、
「生きていくための基礎」としては、
誇っていい出来だと思う。




