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第二章 病室の光と影

 診察室の白は、眩しすぎて目を細めたくなる。

 机の向こうに座る女医は冷ややかな目をしていた。髪を後ろでひとつに結い、白衣の襟元に無駄な皺ひとつない。彼女の視線は、私の体を透かして臓腑の奥まで見透かすようだった。


「二度の検査結果は、確かに妊娠を示しています」

 女医の声は機械的で、感情の起伏がない。

 私は息を止めた。待合室で重ねてきた不安が、言葉になって押し寄せるのを必死で堰き止める。

「……本当に?」

 問う声はかすれて、誰のものかわからなかった。


 女医は淡々とカルテをめくる。

「ただし」

 その一言で、心臓が急に狭くなった。

「血液検査と精密検査の結果、膵臓がんが見つかりました。すでに進行しており……今の段階では、手の施しようがありません」


 目の前の文字がぼやける。

 膵臓がん。末期。

 妊娠と同じ息継ぎで、死刑宣告を受けた。


「……いつまで、生きられるんですか」

 自分でも驚くほど平坦な声が出た。

「半年。長くて一年。ただし妊娠を続けるなら、体力は急速に削られます。母体にとっても胎児にとってもリスクが大きい。現実的には――」

 女医は一瞬だけ視線を落とした。

「子どもを産むのは、難しいでしょう」


 その言葉が、胸に重く沈んだ。

 母になる自信は初めからなかった。親を知らない自分が、どうやって子を育てるのか。踊り子で、売春宿で生きてきて、どんな顔で母を名乗れるというのか。

 それでも、体の奥で芽生えたものが「生きたい」と訴えている気がした。

 でも、余命は刻々と削れていく。


 診察室を出ると、病棟の廊下に消毒液の匂いが漂っていた。床は磨かれて光り、そこに映るのは疲れ切った自分の顔だった。

 壁際のベンチに座り込み、呼吸を数えようとした。だが、三まで数えたところで声が掠れ、続けられなかった。胸の奥で何かが崩れていく音がした。


 入院が必要だと告げられ、そのまま病室へ通された。

 白いカーテンに仕切られた六人部屋。隣のベッドからは乳児の泣き声が響いた。若い母親があやしているのだろう。歌うような声がカーテン越しに流れてくる。

 その声を聞くたびに、自分の腹の奥が重くなる。まだ小さな鼓動。私には育てる資格があるのだろうか。


 夜、窓の外を救急車が駆け抜けた。赤い光が病室の壁を撫で、影が揺れる。

 その瞬間、昼間の女医の声が蘇った。

 ――産むのは、難しいでしょう。


 枕に顔を埋め、声にならない叫びを飲み込んだ。孤独を嫌っていたはずなのに、この孤独だけは誰にも渡せなかった。

 舞台の光も、男たちの熱も、ママの冷笑も、すべてが遠く霞んでいく。

 代わりに残るのは、腹の奥の小さな命と、迫りくる死の影だけだった。

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