第五話 【泉の伝承】
茂みを抜けると、小さな泉が現れた。
「これが……『思人ノ杜ノ泉』……?」
日が暮れ始めた薄暗い森の中でも、はっきりと分かる。まるでおとぎ話にでも出てくるような……その泉の澄んだ水は、淡く光って己の存在を主張しているようだった。
僕は疲れなど最初からなかったかのように、吸い込まれるように泉に近づく。
「思人ノ杜ノ泉……本当にあったんだ……」
そう呟いた時、『ハッ!』と我に返る。
僕は慌てて泉の前に跪き、半ば祈るように両手を合わせる。
資料にはこう書いてあった。
『其ノ泉、淡ク輝ク刻。穢レナキ者ノ願イ二、死者ハ現ル』
正直に言えば、ここに辿り着くまで半信半疑だった。
だが目の前の泉を目にした今、僕は心から願いを込める。
――――もう一度、もう一度だけでいい……。
「お願いします……どうか……どうか、もう一度だけ――――」
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どのくらい僕は、泉に向けて願い続けていただろうか。
思人ノ杜ノ泉は、僕の願いを聞き入れてくれたのか分からない。だが泉のその輝きが、徐々に失われはじめたのを感じた。
泉の輝きが完全に失われた頃には、真っ暗な森に一人だった。
僕は握り合わせていた手を解く。その力は僕が思っていたよりも硬く握られており、解いたと同時に完全に力が抜けた。
「ははっ……コレで何も起きなかったら、無駄足だな……」
星の見える真っ暗な森の空を見上げながら、この後どうしたものかと考える。
「電車はもうないし、そもそも野宿するつもりも考えもなかったからな……」
携帯は相変わらず圏外だし、そもそも姉さんには行き先も告げずに来てしまった。
「心配……してるだろうな……」
人里……はもう既にないとは分かってはいるが、運良く元村人か誰が現れてくれたらすごく助かる。
「最初に来た駅か……建物が残っていれば廃墟で……」
――――お化けとかでたらどうしよう……。
そこまで考えて、背中がゾワッとする。
無我夢中でここまで来たが、よく考えればそういうモノに会ってもおかしくない状況なのだ。
「いやいやいや……お化けなんて、非現実的なモノ……存在するわけないじゃないか……」
自分が何をしに来たのかを完全に棚に上げて、僕はそう呟く。
「とにかく! 今できることを考え……」
――――パキッ……――――
「ひっ……!?」
どこからか枝を踏む音が聞こえ、思わず小さな悲鳴をあげる。僕は両手で口を塞ぎ、近くの木の後ろに隠れた。
――――……人? いやいや、ここは廃村の山の中だぞ!? 獣? それとも……。
「まさか、幽霊……?」
そう自分で口にした瞬間、心臓がバクバクと脈打つ。
静寂な森の中で、僕の心臓だけが鳴り響いてるようだった。
――――落ち着け、そんな非現実的なモノはこの世に存在しない。きっと野生の……。
――――パキッ、パキッ……――――
――――完全にこっちに向かってきている……!
僕はどうしようかと一生懸命頭を働かせるが、何一ついい案が浮かばない。
それでも枝を踏む音の主は、僕の方へと確実に……迷いなく近づいてきている。
――――どうしよう、このままじゃ……っ!
考えている内に、音の主が木を挟んですぐ後ろまで来た。
僕は為す術なく、諦めてギュッと目を瞑る。
そして走馬灯のように真っ先に浮かぶのは、姉と……。
そうこうしてるうちに、肩に触れられる。
――――ゴメン……っ!
「名倉……?」
「へっ……?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには端末の光をかざす……。
「やま……だ……?」
そう呟いた僕は、緊張の糸が切れたのか全身の力が抜ける。
「なん……」
「お、おい! 名倉! しっかりせぇ!!」
薄れゆく意識の中で確かに分かったのは、焦った顔のクラスメイトの姿だった。