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新年を迎えるにあたっての怪談

作者: きーち

新年も近づいて来たので、一つ怪談を。


みなさん、神頼みというのをした経験はありますでしょうか?

した事が無い。全力で自分を鍛え上げて、挑戦しているという方。

すごく立派です。今後ともにその人生をひた走ってください。きっと良き未来が待っているはずです。


一方、神頼みをする方はご注意ください。

勿論、神頼みというのは悪いものではありません。

人間、どうしたって自分自身でどうしようも無い事というのもあるものです。


叶うかどうか分からない夢の成功を願う。降りかかった不幸に神様はどうしてこの様な試練をと嘆く。

そういう行為は、現実には神様なんて居なくて、すべての禍福はお前自身が原因、それともまったく偶然に起こったものなのだ。とするより、何倍も心を落ち着かせてくれるものだからです。


どうしたってくよくよと悩み、日々の暮らしに妙な負担を掛ける事というのは、結構な人にあるものです。

そういう悩みに対して、一旦、誰かのせいや仕業にしておいて、さて置こう。そういう事をするために、神様というのはいるのかもしれませんね。


さて、ここまでは神様に祈ったり何かを頼んだりする事の意義の話です。

居るか居ないかみたいな話でも無く、実際、人間の気持ちの問題なのだから、そういう事はあると言い切れる程度の話で、怪談ではありません。


怪談というのはここからのお話。


皆さん、こういう話を聞いた事はありませんか?

無暗やたらに、いろんなものに手を合わせてはいけないよ。

そんな怪談を。


例えば、神社には荒神を祀っているものがあり、それは人の願いを聞き入れるというよりは、荒々しい自然災害に対して、どうにか怒りを収めて欲しいなどと祈る場所もある。

例えば、神域の様な場所ではなく、そこらにある大きな石に祈れば、そこにいる悪鬼魍魎に祈る事に繋がり、神様の助けでは無く、おかしな存在の、祟り染みた現象を起こしてしまう。

例えば、年越しの際の初詣には、正しく無く、行ってはいけない場所がある。


そういう怪談を、一つくらい聞いた事のある方もいらっしゃるのではないでしょうか?


今回はそういう話……というわけでは無く、そもそもがそれこそが怪談……という話をしましょうか。


皆さん、お稲荷さんにお祈りすると、御利益があるが、その後、蔑ろにすると不利益がある。という話も聞いた事はありませんか?

この話、実は確かな根拠というものがありません。

稲荷神というのもなかなかに古い神様であり、稲の神様だったり大陸から来た神様だったり、地方で崇められていた狐の霊だったりが、時代毎に複雑に絡み合い、現在の形となっている神様です。

遡れば遡る程に、逆に枝が複数に分かれる神様と言いましょうか、これぞ稲荷神と断言出来なくなる、そういう曖昧な神様というのが、本邦には結構居たりします。

神や仏を名乗っていても、どっちが神でどっちが仏か分からない。そういう存在だって居たりします。



難しい話かもしれませんが、もう単純にこう考えてください。こういう神様だと断言できるものでは無いのです。

お稲荷さんはこういう神様で、怖い神様だ。というのも、時代ごとに生まれては消えて行く、一種の怪談というわけですね。

つまり、暫く祀っていないから祟りを起こす神様……などと言えるものでも無いという事です。


ここで話を遡り、さっき言った、神頼みとはどうしてするのかという話を思い出してください。

人個人個人が支えきれないものを、神様という大きな物に抱えて貰う。そういう時にするのが神頼みであるというお話です。


これを素直にする限りにおいては、特に祟り何かは起こりません。いえ、起こった不幸を祟りだとするのも、その不幸を神様のせいに出来るので、健全な活動と言えるかもしれませんね。

つまり気持ちの問題と言えるのです。


どれだけ今の気持ちを楽に出来るか。そのためにこそ、神様に祈ったり頼ったり祀ったりするわけですね。

さあ、では、次に怪談を思い出してください。

あなたがそれに祈ったり頼ったりすると、不幸があるかもしれないよ。

そういう怪談です。

本来、心を楽にするための祈りが、途端に重いものになった。そんな気はしませんか?

それは実際、その通りの話なのです。


あなたに対して良い影響を与えてくれる神様が、実は悪いものなのだよと信じてしまう。

ただ神秘的だなと感じただけの岩や木が、妖怪に見えてしまう。

古くから続く神様が、明確に悪意を持って罰を与えて来る。


もし、神頼みが気持ちの問題なのだとすれば、これらの怪談は、聞いた者の気持ちに、明確な負担を与えて来るものです。

怪談というものは、得てしてそういうものなのかもしれません。

深く、重く、湿り気を帯びた気持ちになる物語。それが怪談であり、そこに面白さを感じるのもまた人間というものですから。


けれどもし、そういう気持ちを抱えたまま、新年を迎え、初詣を行い、そうしてそこに、何か薄暗い裏側があるのではないかと心に思ってしまったら、それは実際、あなたの気持ちに、深く暗い何かを与える事になるでしょう。


あなたが思い描いたそれはきっと、あなたの心の中にある限りは、あなたにとっての現実となる。

そこに何か恐ろしい、暗い暗いものを描いているのなら、それは確かに、あなたに何かを引き起こす。

だってそれは、気持ちの問題なのですから。

気持ちの問題から大丈夫なのではありません。気持ちの問題だから、確かに影響があるわけです。


ですから、新年を迎える前に一度、自分自身に聞いておくのも良いかもしれませんね。これから初詣に向かう時、そこに妙な疑念や思い込みを混じらせてはいませんか?

その感情は、あなたの気持ちである以上、必ず、あなたに影響を与えます。


どうか、皆さま、新年のその瞬間には、特に深い事を考えず、軽い気持ちで、神様に祈ってみてはいかがでしょうか。


あけましておめでとうございます


と。

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