6 毒に触れて
「かたっ」
シャードが弓で枝から落として、エピティスがキャッチしたスイカ並みに大きい黒玉という果実を味見すべく、母のトルニナから借りたナイフで切ってみようとしたんだけど、簡単に切れない。
落ちてくる黒玉をキャッチしたエピティスが平然としていたから黒玉は軽いのかと思ったけど、実際には前世のスイカと同じくらい重かった。
落ちてくるこれを受けて止めても平然としているエピティスの身体能力は、私が思っていたよりも凄い。
4人のなかで、エピティスがもっとも背が高くて力があることは知っていたけど、ここまでとは思っていなかった。
単純な腕力は、斧を振るい続けてる私に分があるんじゃないかと、ひそかに思っていたけど、そんなことはないのかもしれない。
それはともかく、この手のなかにある黒玉が切れない。
スイカどころか、前世のカボチャと同等以上に硬い。
もっとナイフに力を入れれば切れるかもしれないけど、下手をすると母から借りたナイフの刃が欠けてしまう。
このナイフはゴブリン銅製で、主に薬草とかの採取用だから、刀身も鉈のように厚くない。
……仕方がない。
ナイフで切るのは諦めて、斧で割るか。
でも、愛用の斧を使えば割れるとは思うけど、威力がありすぎて黒玉を砕いてしまわないか心配になる。
砕けたら味見がしにくくなってしまう。
「はぁ、ファイス、黒玉をそこに置け」
軽くため息をしながら、アプロアは地面を指さす。
「え?」
「オレが切る」
アプロアは滑らかな動作で、腰に差した剣を抜いて構える。
ゴブリン銅特有の赤色の直刀を思わせるような片刃の大剣。
なんども見たことのあるアプロアの構えだけど、どことなく前世の剣道の正眼の構えに近い気がする。
村長が習得して、エピティスみたいに希望する村人や子供に教えている剣の流派の名前が、確かイット流。
イット流、一刀流かな?
……もしかしたら、私以外にも、過去、この世界に転生している者がいるのかもしれない。
まあ、すぐにどうこうできることじゃないけど、頭のすみには記憶しておこう。
「はっ」
アプロアが気合の声と共に赤い剣を振り、黒玉を斜めに切断した。
黒玉の黒いけれどみずみずしい果肉はまっすぐ滑らかに切られていて、アプロアの腕の良さをうかがえる。
私も斧のスキルを上げるために努力していたけど、アプロア、シャード、エピティスの3人もスキルが上がっているかはわからないけど、努力をしないで遊んでいたわけじゃないようだ。
「凄い」
「……ふん、これくらい、普通だし。まだまだ、オヤジに通じないからな」
そう言いながらも、アプロアは嬉しそうに胸をはる。
「それよりも、気になっているんだろう。それ、食べなよ」
「私が先でいいの?」
「いいよ、オレはそんなに黒玉の味に興味ないから」
「なら、いただきます」
ナイフで黒玉の黒い果肉を一口分だけ切り分けて、口に運ぶ。
「うっ」
果肉を噛むと鼻の奥に広がる独特の香りと共に、強烈な苦みと渋味が口いっぱいに広がる。
「まずいだろ」
アプロアがあきれたように肩をすくめる。
「……まあ、確かに美味しくはない」
美味しくはないけど、毎日のように、私の味覚を破壊してくる薬草たちの味に比べれば、かなりましだ。
渋味と酸味と辛味の強い赤ワインに、渋味と苦味の強いオリーブを漬けたような、刺激的な味。
そして、なによりぬるっとした油まみれのアボカドを思わせるような独特の食感。
油だ。
まだ、断定はできないけど、この黒玉には油分が含まれているかもしれない。
油があれば、最悪な薬草まみれな食生活を改善できる可能性がある。
苦い山菜も天ぷらにすれば食べやすいから、薬草も油で揚げれば味がましになるんじゃないかって期待が持てる。
まあ、黒玉に油が含まれていることは、まだ確定していないけど。
油を取れるかもしれない黒玉。
何種類もの薬草の素揚げや、ナゾイモのフライドポテトの味を想像すると、それだけで唾液があふれそうになる。
辺境の村に食の革命が起こるかもしれない。
それなのに、私の手には黒玉がない。
アプロア、シャード、エピティスの3人によって持っていくことを強固に否定された結果だ。
理屈はわかる。
スイカ並みに大きくて重い黒玉は、かさばって魔境での探索の邪魔になるから、帰り道で体力に余裕があれば、新しく採取して持って帰ればいいと言われた。
当然だと思う。
あんな重い物を持ち運びながら、魔境の探索なんてできるわけがない。
頭ではわかっているんだけどね、心には未練の残り火が灯り続けている。
だから、自然と魔境を探索していても、なかなか気分が上がらない。
ちなみに、私以外の3人が黒玉を食べた感想は、不味くて無意味だ。
不味いはともかく、無意味っていう味の感想で出てくるのが、不思議な気がする。
前世の食の豊かな日本では聞かないような感想だけど、ここが辺境だから出てくる感想なのかもしれない。
野菜もろくにない、この辺境の村だと食事に、空腹を満たすことだけじゃなくて、薬草のような効能を期待する。
もちろん、3人にも美味しいとかの味覚はあるんだろうけど、食事を味わって楽しむという感覚がないのかもしれない。
だから、黒玉があれば食事が美味しくなるかもしれないと主張しても、3人は不思議そうに首を傾げるだけだ。
この4人のなかで唯一、アプロアだけは時々パンを食べるらしいから、私の黒玉から油が取れれば食の革命が起こせるという話に共感してくれるかと期待したんだけど、シャードやエピティスと同じく黒玉に対する薬草以下という評価を変えてくれない。
私の話を共感してくれないのは残念だけど、私のやる気は下がるどころか、逆に美味しい素揚げで驚かせてやるという使命感のようなものまで抱いている。
それはともかく、黒玉から離れて私の気分がどんどんと落ちそうになるけど、早く珍しい物を見つけて夕飯で揚げ物を食べるんだって、霞のような皮算用をして気持ちを切り替えた。
けど、この広い魔境で、そう簡単に珍しいものが見つかるはずもない。
途中で食事休憩をしてから、再び珍しいものの探索が再開される。
……休憩前よりも足が重い。
一歩を踏み出すのに、意識的に足を動かす必要がある。
これは魔境を歩くことでの疲労じゃない。
雲をつかむようなよくわからない珍しいものの探索という行為に対する精神的な疲労でもない。
休憩中にした食事のせいだ。
食事といっても、おにぎりやサンドイッチがあるわけもなく、食べたのはナゾイモ。
表面を軽く焼いただけのナゾイモは、ゴボウをもっと固くして繊維っぽくした感じで、味がない。
本当にない。
甘味、塩味、苦味、酸味、うま味のどれも感じない。
固くて繊維っぽい食感はやたらと自己主張してくるのに、味がないから食べていると虚無感と徒労感にさいなまれる。
香りがよければ救いがあるんだけど、ナゾイモは焼いても特に香ばしくならないという、本当に残念な食べ物だ。
塩で味付けできればと思わないではないけど、村で塩は貴重品なので子供が魔境に出かけるときに持たせてくれるわけがない。
私以外の3人は、ナゾイモの食事を苦にした様子はなく、少しうらやましいと思ってしまう。
沈んだ気持ちで自然とうつむきながらとぼとぼと歩いていると、軽く頭を木にぶつけてしまった。
「いたっ……くはないけど」
気を抜き過ぎだな。
一応、念のために木にぶつけた場所を触ってみるけど、特にたんこぶや傷にはなって……あれ?
触れてる手がヌルっとした。
木の表皮が見た目以上に尖っていて皮膚を切ってしまったかな?
でも、それにしては痛みがない。
ヌルっとしたものに触れた指先を見てみると、粘度の高いドロっとした黒い液体がつていた。
どう見ても血じゃない。
取り合えず、出血はしていないようだ。
しかし、この黒いヌルヌルとした液体はなんなのかと不思議に思い、視線を上げて私が頭をぶつけた木を見てみると、木の表面からドロドロの黒い液体がにじむように流れ出ていた。
樹液……かな?
樹液だと断定しないで疑問符をつけるのは、木から流れる樹液の量が前世に比べて明らかに多いからだ。
蛇口から出るほどじゃないけど、とめどなく樹液が岩から湧き水が染み出すように流れている。
これだけの勢いで樹液が流れていたら、すぐに木はミイラのように干からびてしまいそうだけど、そこは不条理な魔境の植物、この勢いで樹液が流れ出ても枯れる様子がない。
樹液に触れた指先を鼻に近づけて匂いを嗅いでみる。
植物由来の独特の匂いがして、なぜか新品の食器や家具を連想してしまう。
汎用性の高そうなゴムや、美味しいメイプルシロップみたいに甘味のある樹液だったらよかったんだけど、ゴムやメイプルシロップのような匂いはしなかった。
でも、この匂いで、前世の記憶がかすかに刺激される。
「……なんだっけ、この匂い」
前世では珍しくもないけど、この世界では体験したことのない匂い。
もどかしい。
もう少しで、思い出せそうなんだけど。
「ファイス、なめるなよ、それ」
いつの間にか、となりにきていたアプロアに注意された。
「アプロアは、これがなにか知っているの?」
正体不明の黒いドロドロの液体のついた指先をアプロアに見せる。
「毒だ」
アプロアが一言で断言した。
心臓が止まるかと錯覚する。
「毒! 私は大丈夫なのかな?」
毒というアプロアの言葉で、なにかしなくてはと無意味に焦り頭のなかが回転して明滅する光のように軽いパニック状態。
毒らしい黒いドロドロのついた指先や額をぬぐうべきだと思うけど、硬直して迅速に動けない。
ゾクリ、ゾクリとした恐怖に背中をなでられ、ジンワリと嫌な汗が流れ出て、鼓動がアラームのように自己主張してくる。
前世でも危険な毒は存在した。
けど、ここは魔境で採取できる薬草に、確かな薬効のある世界の毒。
この毒によって指が溶け出すとか、燃えだすとか、前世だったら不条理な現象が起こるかもしれない。
それに、触れている。
自覚すれば、するほど恐ろしい。
「ハハハ、大丈夫。それは触ったりするとかぶれるだけで、舐めたりしなければ体調を崩したりしない。だから、なめるなよ」
アプロアの口調は軽い。
だから、恐怖とパニックがゆるやかに引いて、鼓動が落ち着いてくると、思考も少しは動き出す。
「舐めないよ。でも……」
かぶれると言ったアプロアの言葉が気になる。
かぶれる樹液…………漆かな?
そういえば、このドロドロの黒い液体の匂いは漆っぽい気がしないでもない。
確信はもてない。
なにしろ、前世の記憶だ。
それに、漆の匂いも明確に意識して覚えていたわけじゃない。
新品の漆塗りの食器や家具の匂いに近いかなぐらいの認識。
だから、この黒い樹液の匂いが漆だとは言い切れない。
でも、これが漆だったら、色々と展望が…………開けるかな?
残念なことに、私には漆の塗料以外での用途が思いつかない。
しかし、正体不明の樹液をなめないように注意されるとか、アプロアのなかで私は食べられそうな物にはがっつく腹ペコキャラだと思われているのだろうか?
違う、と否定したいところだけど、周囲に比べて食の改善を望んでいるのは事実だから、強くは否定できない。
「今日は多めに薬草を食べろよ、そうすれば樹液に触れたところもかぶれないからな」
「薬草か……」
気分の下がるワードだ。
それでも、数日かぶれるよりはまし…………かな?
一応、この漆っぽい樹液が珍しいものになるか、3人に確認してみたけどダメだった。
私の感覚だと、この漆モドキは、将来的になんらかの実用性がありそうだけど、3人にとっては弱い毒の樹液でしかない。
なので、私も樹液を珍しいものにすることは諦めて、探索を再開する。
この樹液には利用法がありそうだけど、すぐに思いつかないし、食べられないから黒玉ほど執着はわかない。
でも、後で薬草を多めに食べないといけないと考えると、憂鬱になる。