3-20 ユグドラシルの魔境の調査
あれから他のベルセルクの群れと1回交戦しただけで、死者や重傷者を出すことなく、私たちはオシオン侯爵の屋敷に帰還できた。
それからは慌ただしかった、主に私の周囲が。
王子のハイラム、ヨウレプのような専門家、聖域に世界樹ユグドラシルが存在しているエルフの国のハルルフェントも知識や意見を求められて、王都とオシオン侯爵の屋敷を何度も往復していた。
そんななかで、私がヒマな理由。
身分が低いのもあるし、専門家としての肩書もないし、転生者でトレントを伐採できる以外に特徴もないから、王都に呼ぶほどじゃないと判断されたようだ。
実際、ユグドラシルを誕生させる実験を考えたのは私だけど、それによって引き起こされた魔境の変化や魔物について意見を求められても、語れることはハイラムやヨウレプ以下の内容だろう。
ただ、私というか、ユグドラシル関連の実験に関わった者は、他人に喋らないように言われた。
私としては、少し予想外の結果だなぐらいの感覚だったんだけど、ハイラムやチャルネトによれば今回の実験の内容は国家機密に指定されるレベルの話らしい。
明らかに危険な大蛇の魔物ニーズヘッグとかを警戒しているのかと思ったけど、ユグドラシルそのものが危険だと判断されたようだ。
ちなみに、ハルルフェントによれば、魔境でトネリコのトレントからユグドラシルになったあの実験体は、成長途中だけど、当分は完全なユグドラシルに成長しきることはないらしい。
なぜか?
成長するための養分というか、魔力というか、エネルギーが足りないらしい。
そもそも、ユグドラシルは巨木なので、その体を維持するだけでも多くの魔力を魔境から霊脈を通して吸収しているそうだ。
だから、成長に必要な魔力が足りなくて一気に成長できないらしい。
その効能というか副作用で、あのトレントが出現する北の魔境は、魔物を放置しても魔境の内部の魔力濃度が高くなってスタンピードとなり、魔物が魔境の外に出てくる可能性はユグドラシルが成長しきるまでないそうだ。
なら、トレントの出現する北の魔境の魔物を放置していいのかというと、そうでもない。
あの魔境を放置しても魔物は出てこないけど、魔物を間引きしないで放置しているとユグドラシルが少しずつ成長するそうだ。
ただ、魔境を放置したとして、ユグドラシルがどれくらい成長するのかはわからないし、魔物の間引きをすればユグドラシルの成長を防げると断言はできない。
そして、一週間後には、王国でトップクラスの冒険者たちが集められて、ユグドラシルの魔境の調査が行われた。
ハイラムいわく、集められた冒険者はレベルだけなら邪神の使徒になる可能性があるけど、いくつか条件を満たしていないから、彼らの中から邪神の使徒が出てくることはないらしい。
ちなみに、私は邪神の使徒になる条件を全部じゃないけど満たしているそうだ。
まあ、レベルが足りないから、当分は私が邪神の使徒になる可能性はないだろう。
そして、さらに、一週間後に私はユグドラシルの魔境の調査に、トップレベルの冒険者たちと私も同行するようになった。
でも、それは私の知見や戦闘能力が必要になったわけじゃない。
ただ、単純にハイレベルの彼らでもトレントの相手は面倒らしいので、私にトレントの相手を任せたいそうだ。
そして、驚いた。
ユグドラシルによって魔境は変化していて、外縁部は以前と同じようにオーガが出現して、少し奥に行くとハイオーガが出現して霊穴にトレントがいる。
そして、そこからさらに、奥に行くとベルセルクとウールヴヘジンが出てくるんだけど、ウールヴヘジンはクマじゃなくて、下あごのないオオカミの頭のついた毛皮のマントを装備した男のような魔物だ。
ウールヴヘジンはパワーでベルセルクに劣るけど、スピードはベルセルクより速くて、私はベルセルクよりもスピードで翻弄するような戦い方をするオオカミ頭のウールヴヘジンのほうが戦いにくい。
ちなみに、このウールヴヘジンもベルセルクやヴァルキリーと同じような青い金属の武器を装備している。
この青い金属に関しても、ベルセルク鋼という正式名称が決まり、いくつかのことがわかった。
このベルセルク鋼は複数の金属の合金らしいけど、詳細はいまのところ不明。
魔鋼よりも少し重いけど、性能的にはクルム銅よりも上。
実際に、オシオン侯爵の屋敷で暮らしていて、私と一緒に訓練してくれたり魔境に同行してくれる獣人たちはベルセルク鋼の武器に装備を切り換えている。
それくらい、優秀でこのクラスの武器などの素材としては入手しやすいほうなのだそうだ。
なら、王国の冒険者、傭兵、兵士がベルセルク鋼の武器を標準装備するようになるか?
答えはノーだ。
素材の入手という点だとベルセルク鋼のハードルは比較的低いけど、加工に難点がある。
より正確にいうなら、ベルセルク鋼は鍛冶師が使う並みの炉だと、いくら熱してもあまり加工しやすくならないのだ。
ベルセルク鋼は耐火性が異様に高くて加工しようと思えば、より高温を出せる特殊な炉を用意するか、普通の炉で熱して加工しにくいまま強引に加工するしかない。
そして、そんな高温の出せる炉や、加工できる鍛冶師の数は限られているので、ベルセルク鋼の武器は高い。
もっとも、ベルセルクやウールヴヘジン、ヴァルキリーの持っている武器をそのまま使うなら加工の費用は必要ないけど、馴染んで使いこなせるかは運だ。
私の使っている迷宮のラブリュスも、深淵のミノタウロスの装備だった物をそのまま使っているけど、違和感なく使いこなせるようになるまで、試行錯誤と訓練を繰り返して苦労した。
ということで、すぐに、王国でベルセルク鋼の武器が広がることはないだろう。
ちなみに、ユグドラシルの魔境にヴァルキリーは出現しない。
ヴァルキリーが出現するのは、ラタトスクが魔法陣で召喚した場合のみ。
そして、そのラタトスクはユグドラシルの魔境を普通に探索しても出会う確率は低いけど、ユグドラシルの根元にある沸騰する紫色の泉フヴェルゲルミルを見ると、即座に撤退してもラタトスクが追いかけてくるらしい。
もう少し強ければ、ラタトスクを利用した効率的なレベリングとかできそうだけど、現状だとハイラムから許可されないだろう。
ハイラムたち王国の中枢にいる者たちにとってユグドラシルの魔境は調査すべきだけど、下手に刺激して連鎖的に状況が悪化するのを危惧している。
まあ、調査の結果、一番わかりやすい脅威であるユグドラシルの根元にいるにいるニーズヘッグは、フヴェルゲルミルから出てくることはないようだ。
ただ、王国最高の冒険者たちが言うには、ニーズヘッグを倒すのは現状だと不可能。
彼らだと、どれだけ頑張っても時間稼ぎが限界なのだそうだ。
色々と不安になる。
王国の最高の戦力でも倒せないニーズヘッグが凄いのかもしれないけど、ニーズヘッグも倒せない連中が王国最強の冒険者たちなんだと、軽く失望しそうだ。
少しだけ、ハイラムの邪神の使徒に対抗できるのかと、焦る気持ちが理解できた気がする。
とはいえ、ユグドラシルの魔境の調査を任されている連中が弱いわけじゃない。
一番弱い奴でもハイラムより強いし、ヴァルキリーを瞬殺できるくらい強いのだ。
それでもハイラムによれば、エンドレスインフィニットクロニクルというゲームをクリアしたときのプレイキャラに比べるとかなり弱いらしい。
エンドレスインフィニットクロニクルとこの世界は似ているけど、レベルやスキルの成長のしやすさなど違うところも多いらしいから単純な比較はできないだろう。
なにより、ゲームは死んでもやり直しがきくけど、この世界だと死者蘇生は限りなく不可能に近い。
一応、複数の高難易度のダンジョンを周回して、凶悪な魔境で素材を集めれば、蘇生の秘薬が造れるらしいけど、実物を最後に確認されたのが数百年前。
公的には、どの国にも、蘇生の秘薬を保有していないことになってる。
それはともかく、ハイラムは邪神の使徒と対抗できる戦力が整っていないと嘆くくらいには、強者が足りないようだ。
けど、すぐに強者というのは育たないし、地道にやるしかないだろう。
私にとっても関係のない話じゃない。
現状、私が到達すべき目標はユグドラシルの伐採になっている。
そうなると当然だけど、ユグドラシルの根元にいるニーズヘッグを倒さないといけない。
つまり、私は現在の王国最強クラスの冒険者よりも強くなる必要がある。
でも、私に悲壮感はない。
短期間で簡単に強くなる方法はないけど、命がけで頑張れば強くなる方法はある。
ユグドラシルやニーズヘッグを倒すといっても、今年中とかじゃない。
あくまでも、人生をかけた最終目標だ。
それに、当面の楽しみもある。
トレントだ。
ただし、普通のトレントじゃない。
ユグドラシルの魔境のベルセルクやウールヴヘジンが出現する領域の霊穴に出現するトレントが、変化したのだ。
仮称、属性トレントと呼んでいるアクアトレント、ストームトレント、アーストレント、フレイムトレント、ダークトレント、ホーリートレントの6種類のトレントが出現するようになった。
この6種類の属性トレントは通常のトレントよりも、少しだけ強くて、それぞれに特徴がある。
水、火、風の属性トレントは、魔法のような属性攻撃をしてきて、地属性のアーストレントは属性攻撃をしてこない代わりに枝や幹が通常のトレントよりも硬くて頑丈だ。
けど、これが厄介で現状の私でも色々なバフを最大限活用して、数日かけてなんとか伐採するのがやっと。
闇属性のダークトレントは精神系の状態異常や毒の霧をばらまいたりして面倒だけど、状態異常攻撃は対策が比較的にしやすいので初見じゃなければ、頑丈なだけの黒いトレントでしかない。
そして一番厄介なのが、ホーリートレント。
こいつは特殊な攻撃はしてこないし、枝や幹の強度も通常のトレントと変わらないけど、回復魔法のような力で自分を回復するから、現状だと私じゃ伐採できない。
一応、それでも私の攻撃に最強の冒険者たちの強力な魔法攻撃の連射と組み合わせて、ホーリートレントを一回は伐採している。
普通に、ホーリートレントを倒すなら、ホーリートレントの回復量を上回る攻撃を叩き込み続ける必要があるけど、現状の私だと難しい。
そして、調査中に判明したことで、トレントとラタトスクが組み合わさると、トレントとラタトスクの双方が強化されて凶悪になる。
ただ、この状態のラタトスクは魔法陣を使用してこないので、ある意味で戦いやすいと思う奴はいるかもしれない。
広範囲に即死級の魔力の弾丸を雨のように間断なくばらまく攻撃に対処できるならだけど。
調査に同行した感想としてユグドラシルの魔境は、現状の私が強くなるのに向いている場所だといえるだろう。
けど、同時に、迷宮のラブリュスをより強い大斧に持ち換えたいという思いが出てきた。
迷宮のラブリュスは良い武器だし、愛着もある。
でも、現状だと迷宮のラブリュスで戦うのは限界だろう。
とはいえ、迷宮のラブリュス以上の武器というのは、入手が難しい。
ダンジョンなどで強力な大斧を手に入れるか、貴重な素材を入手して優秀な鍛冶師や錬金術師に作ってもらうかだ。
どちらも、ハイラムという王族の伝手があっても、すぐには難しい。
素材に関しては常に取り合いだから、今すぐ欲しいなら自分で取りに行くしかないだろう。
そうなると、ユグドラシルの魔境で行ける時間が減るし、どうしたものかとハイラムに相談したら一言だけ言われてしまった。
「村長やれ」
意味がわからない。
いや、意味はわかるし、前々から打診されていたことだけど、このタイミングでとは思ってしまった。
まあ、ハイラムにしたら、このタイミングだからなのかもしれない。
北のトレントの魔境が、ユグドラシルの魔境に変化して対応が必要だけど、王国最強クラスの冒険者たちを常時監視のために雇い続けるわけにもいかないのだろう。
だから、例の北のトレントの魔境の空白地帯に村を作るという計画を前倒しにしたのかもしれない。
そして、村長をやれば、新しい武器のあてをハイラムが教えてくれるそうだ。
まあ、現状のオシオン侯爵の屋敷を拠点にするよりも、より斧を極めることに集中できるかもしれない。
「この状況を最大限活用してみるか。でも、少し前まで私はリザルピオン帝国の農奴だったのに、王国で第3王子が重要視している村の村長とか、物凄い激動だな」
思わず苦笑してしまう。
けど、灰色の停滞とは無縁の充実した毎日で、退屈するヒマなんてない。
次回の投稿は9月12日金曜日1時を予定しています。




