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転生者は斧を極めます  作者: アーマナイト


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3-11 トレントシロップ

 パンケーキという物がある。


 人によってはホットケーキと呼ぶこともあるだろう。


 特別な材料が必要なわけじゃなく、調理もそれほど複雑というわけじゃない。


 麦があって、色々な種類のパンが普通に食べられているこの世界にも、パンケーキとまったく同じというわけじゃないけど、似たような料理はある。


 だから、少しその料理に手を加えれば前世のパンケーキを再現することも難しくなかった。


 けど、わざわざパンケーキを再現する必要があるのか?


 必要はない。


 まったくない。


 でも、ただのわがままというわけでもない。


 私の状態異常対策の高めた魔力を循環させる訓練の成果を確認したハイラムに魔境へ行く許可をもらい、トレントの伐採を再開させてから1か月。


 トレントを伐採した後に苗木を植えて任意の木の種類のトレントにできないかという実験で、サトウカエデの苗木を植えてトレント化に成功させると、色々と利用可能なメープルシロップが採取できた。


 そう、トレント化したサトウカエデから採取したメープルウォーターとも呼ばれる樹液を加工しなくても、メープルシロップとして利用可能だったりするから、そこら辺は実に魔境の植物らしい。


 私としては、食材としてメープルシロップが安定して入手できたらいいかなぐらいの思いで、深い考えがあったわけじゃない。


 トレントから採取して作られるメープルシロップの味が少しだけ気になっただけだった。


 でも、このトレントから採取した未加工でメープルシロップとして利用できる樹液は、私の予想を超える可能性を秘めていた。


 なんでも、ポーションを作る過程で、適切に混ぜれば効果を飛躍的に上昇させるらしい。


 少なくとも低級のポーションに混ぜただけで、中級のポーションの性能にできるぐらいのことは可能なようだ。


 なので、このトレントから採取できるメープルシロップは、私の予想と違って食材というよりもポーションの素材として需要がある。


 けど、その需要は簡単に満たせそうにはない。


 なにしろ、採取の対象はトレントだ。


 多くの冒険者にとって、伐採どころか、枝を1本切り落とそうとすることすら無謀。


 現状だと、通称トレントシロップと呼ばれている樹液の採取は、私の助力が必須となっている。


 探せば、トレントの枝を切り落とせる高レベルの斧使いは見つかるだろう。


 けど、そういう冒険者は、もっと条件の良い別の仕事を引き受けたりしている。


 それでも、こちらには王族のハイラムがいるから短期間なら、実力のある冒険者を雇えるかもしれないけど、その費用はかなり高額だ。


 そうなると、トレントシロップを採取できて低級のポーションを中級のポーションの性能にできても、結局のところ普通の中級のポーションと同じか少し高い物になってしまう。


 短期的に実験用の素材確保を目的としているならそれでもいいけど、安価で安定的に低級のポーションを中級のポーション並みにしたいならダメだ。


 それに、トレントシロップの採取も簡単じゃない。


 攻撃してくるトレントの枝をすべて切り落として、クルム銅製の大斧どころか、それより強力な大斧迷宮のラブリュスでも傷つけるのが大変なトレントに、樹液採取用の蛇口の親戚のような金属製の管を取り付けるのにも苦労する。


 なんでも、王族であるハイラムがかかわる実験ということで、貴重なオリハルコンとアダマンタイトを少しだけ使ったクルム銅以上に頑丈なドワーフ鋼という合金の管を用意したけど、トレントに適切に取り付けるだけで数時間かかった。


 運が悪いと、その間にトレントの枝が復活して攻撃を再開してきて管の取り付け作業はさらに遅れることになる。


 とはいえ、1度トレントシロップを採取できるようになると、そこからはスムーズだ。


 数時間で人が入れるほど大きな樽が、トレントシロップで一杯になる。


 前世基準で考えれば樹液の採取できる量が常識外どころか、物理法則を無視しているように思うけど、私は似たような漆モドキという存在を知っていたので、そこまで驚きはしない。


 さて、ドワーフ鋼製の管を1度取り付ければトレントシロップを採取し続けられるか?


 残念なことに、答えはノーだ。


 トレントは魔境の植物なので、その再生力も尋常じゃない。


 苦労して取り付けた管は、半日ぐらいでトレントの再生力によって外れてしまう。


 もう1度、管をトレントに取り付けようと思えば同じ苦労をしないといけない。


 このように、トレントシロップを入手するのは簡単じゃないのだ。


 色々な可能性を秘めたトレントシロップだけど、大規模な研究がされるのはもう少し先だろう。


 ハイラムの計画している例の魔境のなかの空白地帯に、前線基地のような村ができれば状況も動くかもしれない。


 ともあれ、トレントシロップが私の手元にある。


 それほど多くはないけど、トレントを伐採したあとに苗木を植える実験に関する一定の成果として記念にパンケーキの再現を望むのも、私のわがままというほどじゃないだろう。


 そして、パンケーキの再現自体は難しくなかった。


 まあ、実際にパンケーキを作ったのは、オシオン侯爵の屋敷で働く料理系のスキルを習得している料理人だけど。


 でも、このパンケーキは失敗だった。


 ……いや、パンケーキとしては問題なく前世の物を再現できていたけど、トレントシロップの味と合わなかったのだ。


 なにしろ、トレントシロップは、単純に甘いという物じゃなく、長年熟成されたブランデーのように深みのある樽香を自然とまとい、重厚な渋味と苦味により刺激的で心地よい奥行きのある味となっている。


 パンケーキ側の甘味や塩味を調整したぐらいだと釣り合わずに、トレントシロップに負けてしまう。


 そこから数日間さらに、素材を足したり変えたり試行錯誤を繰り返して、トレントシロップに合うパンケーキが完成した。


 ……素材を知っている身としては、これをパンケーキと呼んでいいのかと悩むけど、工夫の範疇だと自分に言い聞かせる。


 いつも寝泊まりしている部屋に置かれたテーブルには、バターとトレントシロップのかかった黄色いパンケーキを乗せた皿が、私を含む3人の前に並べられている。


 同席しているうちの1人は白髪をした猫族の獣人で錬金術師の女性ウィトルイ。


 数日前、ハイラムに任された仕事の報告という形でオシオン侯爵の屋敷に訪れて、不在だとわかるとハイラムを待つという理由で私の部屋で寝泊まりしている。


 チャルネトがいればすぐに追い出したんだろうけど、彼女はハイラムの手伝いで不在だし、王子のハイラムに報告しにきたという大義名分があるので、屋敷の人もウィトルイを強引に追い出せない。


 とはいえ、なぜ、私の部屋で寝泊まりするのだろう。


 ウィトルイは私に対して恋愛的な好意を向けている感じじゃない。


 まあ、私の物作りの手伝いやアドバイスもしてくれるので、彼女が私の生活に害を与えないなら、基本は放置。


 一応、錬金術を中心とした物を作る技術者としてのウィトルイは尊敬に値する。


 間違いなく、王国でも有数の人物だ。


 それでも、ギャンブル中毒な一面を筆頭に、私生活で関わりたくない要素が多すぎる。


 もう1人、テーブルに同席している狐族の獣人の男性はヨウレプ。


 30歳を過ぎているのに、年齢を感じさせない金髪で糸目をした細面で整った顔立ちをしている。


 中背で細身だけど、1人でオーガの群れを槍で倒せる実力者で、知識の神ヴェルデヴェッラを信仰していて回復魔法も使いこなす。


 ジョブは生産職に分類されている霊脈師で、植物というよりも魔境全般の研究をしている学者だ。


 見た目は獣人とは思えないほど穏やか雰囲気だけど、知的好奇心が刺激されたら周囲が反対しても、長期間魔境で寝泊まりを強行する人物でもある。


 ヨウレプの説明によれば、トレントを伐採した後に植物の種を植えると、数日で1メートルぐらいまで急成長して枯れてしまって、ある程度育った苗木ならトレント化できるから、こちらの方が有用な情報のように思えるけど、そうでもないらしい。


 種を植えた場合はトレント化しないで枯れるけど、そのときの霊脈を調べると凄い量の魔力が流れているそうだ。


 枯れそうになった植物が、生き残ろうと霊脈から多くの魔力を集めて、それでも結局枯れてしまう。


 現象だけみれば取るに足らないことだけど、そのときに流れる魔力の量を考えると、上手くすれば魔境の拡大を阻止したり、解放することにも利用できる……かもしれないらしい。


 通常の魔境の霊脈が薄く広がっている毛細血管なら、トレントの出現する魔境の霊脈はまばらに存在する太い動脈で、霊脈が交差する場所に極端に魔力が集中する霊穴があり、その魔力を使うことで魔境の魔力濃度に対して極端に強力なトレントのような魔物が出現する。


 そんなトレントを伐採した後に種を植えて枯らすことで、魔境に魔力を強制的に消耗させることができる可能性があるそうだ。


 今はあの特殊な魔境限定だけど、技術と知識を蓄積させれば他の魔境を解放することに活用できるかもしれないから、ハイラムが乗り気でトレントを伐採した後に種を植える研究の継続を決定している。


 なにはともあれ、私の思い付きで始まった魔境での実験だけど、それぞれにとって形は違うけど成果が出たので、その喜びを改良したパンケーキを食べることで分かち合うためにヨウレプには同席してもらっているのだ。


 ……ただの居候と化しているウィトルイが、ここに同席している意味がわからないけど、私は目くじらを立ててパンケーキを用意しないほど狭量じゃない。


 同席している2人が、無警戒にナイフで切り分けた黄色いパンケーキを、フォークで口に運び驚きの表情を浮かべて固まるのを見て、パンケーキの改良も上手くいったと嬉しくなる。


 私も自分の分のパンケーキを一口サイズに切り分けて口にした。


 切り分けたのは、トレントシロップとバターのかかっていないところだ。


 口に入れるまではしっかりとしたスポンジ生地のような見た目と感触だったのに、口に入れた瞬間に濃縮した卵黄と溶けたチーズのような食感とコクが広がり、トレントシロップをかける前提で、甘味は控えめにしているはずなのに、しっかりとした甘味と塩味を感じる。


 マズくはない。


 けど、味が濃すぎる。


 しかし、次の瞬間には、新雪が蒸発しまったかのように消えて、後味がくどいということもない。


 好みの問題かもしれないけど、トレントシロップとバターなしだと、この黄色いパンケーキの味はバランスが良くないといえる。


 だから、次は黄色いパンケーキにトレントシロップとバターがかかっているところを切り分けて、口に運んだ。


 …………完璧だ。


 さっきまであった味のバランスの悪さは皆無。


 それどころか、トレントシロップの複雑で深みある渋味と苦味を含んだ甘味と香りに対して、独特で濃厚な食感と味の生地が負けるどころか、相乗効果で美味しさのステージを一段階引き上げている。


 ……いや、この溶けたバターが自己主張することなく、食感、風味、味においてそれぞれ個性的なパンケーキとトレントシロップを反発させることなく、絶妙に整えて一つの料理へと収束させていた。


 このバターはダンジョンで牛系の魔物を倒すと一定確率でドロップするらしいけど、実に良い仕事をしている。


「美味いね、これ」


 本当に、美味しそうに食べるウィトルイに、自分もパンケーキの完成と改良に加わったから私は嬉しくなって笑顔で応じた。


「これもトレントシロップを入手できるようになったからです」


「そっか……なら、当分は、ファイスの部屋にいないと食べられないのか」


 ウィトルイが自然と居座ることを示唆するので、私は帰還をうながしてみる。


「自分の工房に帰るという選択肢は?」


「私に死ねと?」


 パンケーキを食べる手を止めて絶望的な表情を浮かべるウィトルイに、うんざりした気持ちで応じる。


「なぜ、そうなるのです」


「……それは、ね」


 ウィトルイが気まずそうに視線をそらすので、おおよその事情はわかった。


 詳細は違うかもしれないけど、ギャンブルとお金に関して彼女はやらかしたのだろう。


「……また、借金ですか」


「ハズレ、チャルネトが殿下にお願いしたせいで、もう私はこの国で借金ができないのです」


 無駄に偉そうに宣言するので、少しだけウィトルイを黙らせたくなってしまう。


「なら、どうしたんです。命でも狙われましたか?」


 一応、万が一の可能性もあるで人形会にでも狙われたのかと聞いてみるけど、ウィトルイの答えは予想通りロクでもなかった。


「いや、借金はないけど、生活費を使い切って……ね」


「追い出していいですか?」


 生活費までギャンブルにつぎ込む感覚が理解できない。


 まあ、理解したくもないけど。


「私、一応、殿下の命令で働いていて、その報告にきているんですけど」


 ウィトルイのいじけたように紡がれた言葉に、首を傾げながら応じた。


「報告?」


 確かに、そんなようなことを言っていたような気もするけど、この屋敷に居候するための戯言だと思っていた。


「っそ、人形会が使ったっていう魔道具の調査報告」


「なにか、わかったんですか?」


「うーん、わかったのは使われている技術のクセが、ドゥール王国や帝国で一般的に使われているものじゃないってことぐらいかな」


「それって、どういう」


「さぁね、でも、独特の組み合わせや未知の技術とかもあるけど、根本的な技術は常識的ものだね」


 ウィトルイがもう少し詳しく説明してくれたけど、魔道具というのは作られた年代、国、地域、工房、人などでクセがあるのだそうだ。


 基盤となる技術が共通している以外に製作者同士につながりはなくても、大なり小なり相手を意識するから、同じ地域で作られた魔道具はどこか似ているらしい。


 だから、魔道具を見る人が見れば、クセから製作者の来歴がわかる……こともあるそうだ。


 けど、人形会の魔道具には、そういうクセがあまりみられないという。


 皆無じゃないけど、それ以上に独自の技術が多いらしい。


 でも、理解不能の常識外の技術じゃないらしいので、転生者の可能性は低くなった……と思いたい。


「というか、こんなこと私に話していいんですか?」


「君も人形会に狙われている可能性があるんだから、無関係じゃないし、問題ないでしょう。それに、殿下には報告書を送っているから」


「……はぁ! 報告書? なら、殿下に報告する用事とは?」


「嘘じゃないし! 口頭じゃしてないから! まったく、君は社会人としての礼儀がなってないな」


 大げさに肩をすくめるウィトルイに、少しだけ殺意を向けたくなってしまった。


 生活費がなくなったから、ここで寝泊まりするために、書面でしたけど口頭で報告していないからと、ハイラムを利用する図々しいところには感心してしまう。


 まあ、後日、チャルネトにことの詳細を説明すれば、ウィトルイは相応の代償を支払うことになるだろう。


「あの……」


 遠慮がちに声をかけてきたヨウレプに、なにか不手際でもあったかと思いながら応じた。


「どうしました、ヨウレプ」


 この場にウィトルイがいることが、かなりの不手際になっているような気もするけど、気のせいだ。


 ……気のせいということにしよう。


 気のせいであって欲しい。


「私はここにいていいのでしょうか?」


「当然でしょう」


 トレントを伐採した後の調査には、ヨウレプ以外にも植物や魔境を専門とする何人か学者が参加していたけど、この場にいないのは王都への報告とか、早急に論文をまとめたいとかで都合がつかなかっただけだ。


「しかし……このパンケーキという料理には……」


 ヨウレプが困ったような表情をしているで、確認のために口を開いた。


「口に合いませんでしたか」


 トレントシロップ、バター、パンケーキは食べた者に完璧と思えるような複雑で重厚な味を体験させてくれるけど、万人が同じ感想を抱くとは限らない。


「いえ、そうではなく……このパンケーキという料理にはクルールアが使われてますよね」


 ヨウレプの言葉に、よくぞ分かったと嬉しくなり軽快に口が言葉を紡ぐ。


「よくわかりますね。そうです、トレントシロップに負けない味を出そうと思って、試行錯誤した結果、卵や牛乳の代わりに裏ごししたクルールアを入れました。…………クルールアが嫌いでしたか?」


 ヨウレプは狐族の獣人だから気にもしなかったけど、濃い黄色のカブトムシの幼虫のようなクルールアを苦手にしている可能性はありえた。


 獣人なら無条件で、クルールアを素材にした料理を出しても問題ないとしたのは早計だったかもしれない。


「好きですが……」


 言い淀むヨウレプに困惑してしまう。


 魔境で植えた種が、1メートルまで成長して枯れるかもしれないというときに、観測を邪魔するかのように近づいてきたオーガの群れに誰よりも速く挑んで、護衛の要員よりも多くのオーガを討伐していた迅速果断な学者とは思えない。


 そもそも、味にも、クルールアにも、問題がないのに、ヨウレプが言い淀むようなことに私が戸惑ってしまう。


「アハハハ、ヨウレプに誤解されてるね」


 腹を抱えて笑うウィトルイに、首を傾げる。


「誤解?」


「っそ、クルールアって滋養強壮にいいけど、獣人的には精力剤の側面もあるから」


「…………は?」


 滋養強壮に良い食材で、精力剤にもなる。


 前世なら、マムシとかスッポンだろうか。


 …………つまり、私の部屋に寝泊まりしているウィトルイに、精力剤の側面もあるクルールアを使ったパンケーキを出しているから、ヨウレプが事実無根の邪推をしてしまったのか。


 勘弁して欲しい。


 私にも選ぶ権利はあるし、相手を選ぶ節度もある。


 …………そういえば屋敷で働く獣人の女性から、よくクルールアの差し入れがあったけど……寝るときに部屋の鍵は厳重に確かめよう。

次回の投稿は5月9日金曜日1時を予定しています。

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