3-2 ウィトルイ
水滴が岩に染みわたるように、ゆっくりと、ゆっくりとオーガの角へと魔力を流していく。
10分以上の時間をかけて、乳白色の物体、オーガの角に私の魔力が満ちる。
これでようやく下準備が終了。
なにの下準備か?
もちろん、錬金術の下準備だ。
錬金術が使えるようになる愚者の腕輪を装備したのに、錬金術が使えなかったあの日。
1日中、悪戦苦闘したけど、どうにもならなかったから、錬金術を使える者を紹介してもらった。
……チャルネト経由で。
できれば杖を送る相手に、助力してもらうのは心苦しいというか、歯痒かったけど、あてにしていたハイラムが不在だったからしょうがない。
ハイラムは実権のない名誉職だけの第3王子を自称しているけど、常に動き回って様々な情報を集めて、色々な人物と交流してコネクションを形成している。
複数の国家の未来に影響がありそうな邪神の使徒への対策のためなら、当然なのかもしれない。
けど、それなら、ハイラムに実権のない名誉職だけじゃなくて、しっかりとした地位を用意したほうがスムーズに物事が進みそうに思える。
本人は、自分が地位や権力を手にしないのは王位継承でもめないためだと、もっともらしいことを口にしていたけど、本当は王国の非公開あるいは非合法の暗部のような組織の要職に、すでについているからな気がする。
でも、余計なことは口にしない。
好奇心は猫を殺す。
命がけで知りたいことでもないので、現状は放置だ。
まあ、ハイラムのことはいい。
チャルネトに紹介してもらった白猫の獣人の女性で、30前後の白髪の錬金術師ウィトルイ。
抜けてるところもあるけど基本的にきっちりしているチャルネトと比べて、ウィトルイは態度と性格が軽い。
そして、口から出てくる言葉があまり論理的じゃなかった。
「魔力をシューットやる」
「イメージをグッとして、一気にガっとする」
1回聞いただけだとなにを言っているのか理解できない。
それでも、ウィトルイに何度も錬金術を実際に見せてもらいながら、彼女の言葉を自分なりに解釈して苦労しながらだけど落とし込むことができた。
口から出てくる言葉はアレだったけど、ウィトルイの錬金術を教える態度は熱心かつ丁寧だったので問題はない。
むしろ、当たりだったと言えるだろう。
そして、彼女に錬金術の基礎を数日かけて教えてもらって、1人で上手くいかなかった理由がすぐにわかった。
というか、話を聞く限り、指導者なしで愚者の腕輪を装備して錬金術を使いこなすのは難しいとわかる。
予備知識なしで、錬金術を使うためには、対象の物を自分の魔力で満たさないといけないなんて、気づけるはずがない。
そもそも、常に酒を飲んでいる鍛冶師の世間話だけを参考に、錬金術を使おうとしたのが無茶なのだろう。
こんなことなら最初から愚者の腕輪と一緒に錬金術の指導者を用意して欲しかったけど、ハイラム自身も錬金術の使い方に詳しいわけじゃないのかもしれない。
とはいえ、過ぎたことだ。
現状、問題なく錬金術が使えるのだからよしとしよう。
象牙のような色のオーガの角に、愚者の腕輪を通してイメージを送る。
そうすると、少しずつだけど、オーガの角の形状が変化していく。
グニャグニャのスライムを扱うように、錬金術を使えばオーガの角を変化させられると思ったけど、そんなことはなかった。
まあ、ウィトルイは、それに近い感じで、オーガの角の形状を素早く変化させて、ものの数秒で乳白色の指輪や腕輪を生み出せていた。
私の愚者の腕輪頼りの錬金術だと、そうはいかない。
感覚でいうなら、私にとって錬金術で形状を変化させるオーガの角は、グニャグニャのスライムじゃなくて、物凄く硬い粘土だ。
オーガの角を単純な装飾のない円形の腕輪へと変化させるのに、10分以上かかる。
それでも、錬金術が使えるのは、楽しいし嬉しい。
魔力とイメージで、様々な素材を対象にして形状が変化するのは、前世だと経験したことのない未知の感覚だ。
斧を極めること以上にのめり込むことはないけど、ヒマ潰しとしては十分だろう。
でも、ある程度、愚者の腕輪の使い方をわかってきたからこそ言える。
魔力とイメージを腕輪に送ると、後はオートでやってくれるから、これだと錬金術スキルの習得するための経験にはならないだろう。
腕輪に送る魔力やイメージの強弱で、使う錬金術の速度が上がったりしないのが、その証拠だ。
愚者の腕輪は、常に一定の速度と品質の錬金術を提供してくれる。
けど、それでいい。
それ以上の錬金術が必要になったら、ウィトルイのような本職に頼ったほうがいいだろう。
収納袋から取り出したいくつかのオーガの角を、複雑かつ理解不能な前衛的な乳白色の置物に変えていく。
実際、この置物の造形に深い意味はない。
愚者の腕輪による錬金術の複雑な形状の物を作る練習の結果だ。
そして、私が手にしている収納袋だけど、村から持ってきた物じゃない。
トレントを伐採した褒美の一環としてハイラムから贈られた物の一つで、見た目は以前の収納袋と変わらないけど、これはダンジョン産だから定期的に魔力を外部から供給する必要がなくて、容量もかなり大きい。
伐採したトレントだけじゃなくて、途中で出会った複数のオーガの群れの死体を収納して、ヒールポーションなどの消耗品を入れても余裕があるほどだ。
だから、錬金術の練習に向いている魔物の角を、わざわざ別で調達する必要がなかった。
まあ、ハイラムとしてはオーガの死体よりも、切り落として放置していたトレントの枝を回収できるようになったことが嬉しいらしい。
よくは知らないけど、トレントの枝は色々なものの素材になるそうだ。
次に、収納袋から取り出したのは、形だけは完成している樫のトレントの杖。
それと、30センチくらいの長さの樫のトレントの棒。
この30センチの棒には、魔力が通る2重螺旋が作られている。
杖に2重螺旋を作るのはいいけど、最適な形状がわからなかったから、同じ素材の30センチの棒で色々と試してよさそうなのを探ってみたのだ。
その成果として、この棒には納得できる2重螺旋が作られている。
まあ、長さが変わると、最適な2重螺旋も違ってくるかもしれないけど、経験として無駄にはならないだろう。
気持ちを落ち着けて、徐々に手にした杖に意識を集中していく。
自分の魔力を杖に流す。
素材が違えば手ごたえも変わる。
オーガの角はゆっくりと染みていく感覚だけど、トレントの杖は流した魔力が希薄になるような感覚だ。
素材に抵抗されて入らないよりはいいんだけど、魔力が杖の内部に留まらないで、素通りしているんじゃないかって疑いたくなる。
それでも、問題なくできていると自分に言い聞かせて、内からわき上がる不安のささやきを無視して魔力を杖へと流す。
30分ぐらい魔力を杖へと流し続けたところで、手ごたえが変わる。
わずかな抵抗感。
でも、それ以上魔力を流しても、抵抗感は強くも弱くもならない。
それほど消耗したわけじゃないけど、お茶代わりに収納袋から取り出したマナポーションを一気に飲む。
なんともいえない味が口に広がり、思わず顔をしかめてしまう。
マズいわけじゃないけど、甘味や酸味に、そして苦味が中途半端に自己主張して、一体感がない。
もう少し、甘いとか、苦いとかでもいいから、味がしっかりしていたら舌が落ち着くのに、微妙な気持ちになってしまう。
まあ、マナポーションの味はどうでもいい。
いまは杖だ。
魔力が通る2重螺旋は、螺旋を1本ずつ作るよりも2本同時に作ったほうがやりやすい。
愚者の腕輪を通して杖の先端の2か所に光る魔力の点を配置するようにイメージする。
もちろん、実際には光る点なんてものは存在しない。
あくまでもイメージだ。
けど、錬金術でなにかを作るときに重要なのはイメージだから、無意味な工程というわけじゃない。
2つの光る点をゆっくりと動かして杖の内部に、2重螺旋を描いていく。
光る点の付近にある元から存在した杖内部にある魔力の通り道は、ときに潰してときに吸収する。
魔力の通り道は、オーガの角よりも素直だから簡単に制御できるけど、2重螺旋を描くのも簡単かといえばそうじゃない。
2つの点の位置をズラすことなく動かして、想定した螺旋を規則正しく描いていく。
ほんの些細なズレも許されない。
まあ、性能にこだわらなければ、2重螺旋が歪になっても、魔法は使えるだろう。
でも、性能は落ちる。
これはチャルネトに贈る杖だ。
チャルネトが、この杖を手にして戦場に立つかもしれない。
手なんて抜けるわけがないし、抜くつもりもない。
いくつも並べた針の穴に、連続で糸を通すような精密で繊細な作業。
技術的に難しくはないけど、集中力と精神力を短時間で削っていく。
途中で休憩を挟みたいけど、それはできない。
休憩して作業を一度中断してしまうと、再開した前後の魔力の通り道がどうしても歪になる。
杖の性能を極限まで上げるなら、休憩して妥協することはできない。
しだいに自分が呼吸をしているのかわからなくなり、疲れたとか辛いとかのノイズになりそうな感情も希薄になり、意識はただ一つの行為へと没入していき、機械のように精密な作業を実行していく。
時間にすれば数時間程度。
けど、作業を終えたときの疲労感は凄まじい。
肉体的には問題ないけど、精神力が限界だ。
これ以上はなにもしたくない。
でも、やりきったという達成感と満足感はある。
手には、現状の私が作れる究極の杖。
まあ、見た目は作業前と変化がないけど。
「ウィトルイ、どうでしょう」
さっそく、なぜか私の部屋で寝ている獣人の女性ウィトルイを起こして、杖のできを聞いてみる。
「んぁーあ、眠い」
寝ぐせでボサボサの白髪を整えることもしないで不満そうに欠伸をするウィトルイに、私は肩をすくめながら応じた。
「はぁ、起こされるのが嫌なら、自分の工房に帰ればいいんじゃないですか?」
「ひどい、短い間とはいえ、錬金術を教えてあげたのに、用が済んだら捨てるのね」
顔を両手で覆って雑な泣きまねをするウィトルイに、少しだけイライラしてきた。
少しだけだ。
彼女がこういう人物だということは、すでに私も理解しているから、面倒だとは思っても怒ったりはしない。
「チャルネトに言って、追い出してもらいますか?」
私の言葉に、ウィトルイはそれまでの泣きまねを放棄して、すがりついて懇願してくる。
「ゴメン、ウソ。マジで勘弁して。今、工房に帰ったら……その、借金取りがね」
一流と呼べる腕の錬金術師なのに、工房に帰らずにウィトルイがここで寝泊まりする理由、それは借金だ。
それも、錬金術で使う貴重な素材を購入するためとかじゃなくて、ギャンブルで作った借金らしいので、1ミリも同情する気にはなれない。
過去に、何度かギャンブルで作った借金の返済期日が間に合わなくて、昔からの知り合いのチャルネトに助けてもらったそうだ。
一応、後日にはなるけど、借金はきっちりと踏み倒すことなく返済しているらしい。
とはいえ、何度も同じことが続くことで、チャルネトの我慢も限界にきたらしく、今回は正当な報酬は渡しても、借金の立て替えはしていないようだ。
まあ、それでも、ウィトルイの錬金術の腕は確かだから、チャルネトの上司のハイラムがその才能を見逃すとは思えない。
借金が返せなくて借金奴隷になって、ハイラムの元で錬金術を使い続けることになるかもしれないけど、死んだり使い潰されるよりはましだろう。
「……まあ、そこら辺はどうでもいいので、杖のできを見てください」
錬金術の腕は尊敬できるけど、性格はまったく尊敬できないウィトルイに、完成した杖を差し出す。
「どうでもいいとか、冷たい!」
「いいから見てください」
「はいはい、わかりました。…………へぇ」
杖を受け取ったウィトルイの表情が、少しだけ剣呑なものに変化したような気がする。
「どうでしょう」
「そうだねぇ、超気持ち悪い」
淡々と告げられたウィトルイの言葉に、戸惑いながら応じた。
「……っえ、気持ち悪い? そんなにできが悪いですか?」
自分の精神を削って作った物を気持ち悪いと言われると、なかなかくるものがある。
「いんや、悪くないよ、できは。気持ち悪いのは君だよ。使われている技術は凡庸なのに、この結果」
ウィトルイの言葉に、私は首を傾げながら応じた。
「……はい?」
「錬金術の才能の有無を、堅実かつ地道な作業の積み重ねで黙らせているんだから、異常だよ君は」
「えっと、褒められています?」
「どうだろうね。アタシとしては、いずれ君がどこかで、どうにかなってしまいそうだって、危ぶんでいるだけどね」
「はぁ」
私としても反応に困る。
ウィトルイがなにか重要なことを言っているような気もするけど、寝ぐせそのままの借金まみれのギャンブル中毒者に言われても、まったく心に響かない。
ともあれ、杖のできに関しては問題がないようなので良しとしよう。
次回の投稿は1月3日金曜日1時を予定しています。




