2-21 未知の境地へと
「もう、無理です」
チャルネトの懇願するような焦燥すら感じさせる声が後方から聞こえた。
油断することなく、大きく息を吐いて、気持ちを落ち着けてから振り返れば、チャルネトの酷い姿がそこにある。
格上のトレントと戦うという状況で、寝ることも休むこともなく、適切に魔法を使い、見間違えることなく疲労困憊。
仕えているハイラムの意向があるとはいえ、魔境まで同行してくれて、魔法で支援してもらっている私としては感謝してもしきれない。
なにより、申し訳ないと思う。
トレントを伐採しようと挑み始めてから数日が経過している。
その間、食事も睡眠もゼロ。
口にしたのは、タイミングをみて飲んでいるヒールポーションぐらいだ。
空腹も、眠気も、疲労も、ないわけじゃないけど、斧をトレントに振るうのが楽しくて、一切気にならない…………私は。
でも、立場的に、私を放置して帰還することもできないチャルネトにとっては、ただつらいだけだろう。
基本的にトレントと距離を取って周辺を警戒しているチャルネトは、ヒールポーションだけじゃなくて何度か干し肉をかじっているけど、精神的には彼女のほうが疲弊しているかもしれない。
同情はするけど、帰還すると口にできない。
トレントの幹は半分以上が切れている。
終わりが見えているのだ。
けど、それは伐採できるかもしれないと思わせる罠かもしれない。
数日かけて、休まずにタメ切りでクルム銅製の大斧を振るい続けて、ようやくこの結果だ。
契約に縛られている私には時間がない。
明日には、闘技場でマルスト侯爵の用意した相手と戦う必要がある。
どう考えても継続できるのは日没までだろう。
この状態のトレントを日没までに伐採する。
客観的にみれば厳しい状況だ。
ただ、意地になっているだけにみえるかもしれない。
確かに、意地になっているということは否定できない。
でも、それだけじゃない。
もう少しでなにかがつかめそうなもの事実。
トレントを相手にすることで、斧と伐採のスキルによって急激に斧の扱いが上手になったけど、その成長曲線も鈍くなっている。
依然として、2つのスキルは現状における最適解を示してくれるけど、もう未知の境地をみせてはくれない。
つまり、これが現状のスキルの提示する私の限界。
仮に、日没までにトレントを伐採できなかったとしても、無駄じゃない。
十分に胸を張れるだけの収穫がある。
スキルレベルのような数値的な成長はしていないけど、それでも以前よりもハイラムと戦って善戦できるぐらいには斧の扱いが上達しているだろう。
それに、上達したからわかるけど、ウルドムやハイラムのような強敵と戦っても、斧スキルが先の境地を見せてくれなかった理由もなんとなくわかる。
明確に、方向が違うのだ。
だから、見せてくれなかった。
でも、トレントを相手にして上達した斧を扱う技術は、ハイラムが相手でも役に立つと確信できるから不思議だ。
とはいえ、スキルレベルとかの数値上の成長はなくても、実感として斧の扱いが上達して、トレントを相手にどれくらい通用したのかと、ハイラムに報告する内容として問題はないだろう。
明日の闘技場での戦いも考慮すれば、意地だけで留まるほうがバカだ。
けど、これはただの意地や負け惜しみじゃない。
本当に、なにかがつかめそうな気がするのだ。
「っ!」
直感に従ってタメをキャンセルして、大斧を振り上げると同時に、後方に跳躍。
さっきまで私のいた場所をトレントの複数の枝が襲った。
もっとも、枝の1つは回避すると同時に切り落すことに成功している。
トレントの枝は切り落とすと動かなくなるけど、数時間後に切り落とされた部位を再生させて攻撃してくる。
元々の枝に比べて再生した直後の枝は柔らかいので、切り落とすのは難しくない。
本来ならチャルネトが枝の再生具合を観察して警告してくれるはずなんだけど、空腹と眠気と疲労で限界なのだろう。
危なげなくトレントの枝の攻撃を誘い1つ1つ丁寧に切り落とすという作業を終えて、トレントを攻撃不能な状態にしてから、チャルネトに視線を向ければ立ったまま眠っていた。
もしかしたら、さっきの無理だという言葉も寝言なのかもしれない。
さすがに、それはないかな。
それでも、罪悪感で心が痛む。
…………次で最後にしよう。
チャルネトを起こして、彼女の魔法で私の魔力を最大まで回復してもらって、その魔力を使い切ってもトレントを伐採できなければ今回は帰還する。
無闇に日没までと粘るよりも、終わりを明確に意識したほうが集中できるかもしれない。
だから、少々気の毒だけど、寝ているチャルネトを起こす。
「魔力をお願いします」
チャルネトの肩をゆすりながら、目的だけを告げる。
「…………っ! 失礼しました」
寝てしまったことが恥ずかしいのか、チャルネトは顔を赤くさせて少しだけうつむく。
「いえ、大丈夫です。回復した魔力を使い切ったら帰還しましょう」
私の言葉に、チャルネトは不思議そうに首を傾げなら応じた。
「よろしいのですか?」
「魔力を使い切る前に、トレントを伐採すればいいだけのことです」
「わかりました」
それ以上は、なにも言わずチャルネトは魔樫の杖をこちらに差し出す。
杖の先をにぎると、温かいなにかと感じられる魔力が私に流れてきて満たしていく。
これがチャルネトの魔法による支援。
タメ切りで消費した魔力をチャルネトに回復してもらって、彼女自身は減った魔力を得意とする闇属性の魔法で、攻撃できない状態になったトレントから魔力を奪って回復する。
杖か体の一部が対象と接触していないとダメとか、魔力を奪う速度とか効率とかを考えると、実用性の低い魔法で実戦で使ったことはなかったらしい。
まあ、悠長に反撃を気にすることなく、敵に接触できるのはレアな状況だろう。
チャルネトは直接的な攻撃魔法、デバフのような相手の能力を下げる魔法、精神や体に作用する状態異常魔法も使えるらしいから、全力で支援してもらったらトレントを伐採できたかもしれないけど、私のわがままで控えてもらった。
直接的な魔法による支援は嫌がっているのに、タメ切りをするための魔力は受け取る。
実にわがままだ。
とはいえ、それも最後になる。
トレントを伐採できなくても、タメ切りで魔力を使い切れば帰還するから。
…………いや、魔力を使い切る前に伐採して帰還しよう。
チャルネトに視線を向ければ眠気吹き飛ばすように、ヒールポーションを一気に飲んでいる。
ゆっくり呼吸を整えて、意識を集中させていき、大斧を振りかぶり、徐々に魔力を高めていく。
起動させている斧と伐採のスキルが、綺麗に整った模範解答を示してくれる。
悪くはない。
現状の最適解といえるかもしれない。
トレントと戦う前の私なら、感動で震えてしまうような美しい解だ。
でも、これだと届かない。
現状で必要なのは、その先。
スキルが示してくれない境地。
だから、仮想して、空想して、幻想する。
模範解答を超える動きを。
無秩序に広がるあやふやなイメージを、経験により蓄積された術理で、余白を切り落として1つの動きへと収束させていく。
始動。
大斧を振るい始めた瞬間から、心身で凄まじい綱引きが発生。
思考の海で起こっているのは、スキルによる私の急造した動きのイメージに対する強烈なダメ出し。
だから、イメージ通りの動きをしようとする体を、起動しているスキルが修正してくる。
結果、トレントに大斧を叩きつける動きは、最適どころか酷いものだった。
心が折れても不思議じゃない。
でも、私の心は折れない。
こんなことで思考を停止させている時間的な余裕がないというのもあるけど、それ以上にトレント伐採のとっかかりが見つかったから。
まあ、追いつめられた者の哀れな勘違いかもしれないけど、それでも方向性が定まっていないよりはましだ。
なにしろ、タメ切りで魔力を使い切ったら帰還する。
どう考えても、帰還するまでに残された時間は少ない。
だから、無駄に魔力と時間を消費するわけにはいかないのだ。
今の動きは、スキルによって否定された。
なら、仮にスキルの提示した最適解を超える動きを私が導き出したとして、その場合でもスキルは自らが導いた解じゃないと否定するだろうか?
明確な答えは経験がないので、不明だ。
でも、もしも、スキルが否定しないのだとしたら?
指針になりそうだ。
本来なら、じっくりと検証したいところだけど、現状だとそんな時間はない。
この思いつきにかけてみるか。
やることは単純。
スキルの提示した最適解を外れて、なおかつスキルが否定しない動きを見つけること。
言葉にすれば簡単だ。
まあ、問題があるとすれば、どうやればいいかわからないことくらいかな。
………とりあえず、何回かやってみるしかない。
魔力をタメながら、イメージして、大斧をトレントに振るう。
5回繰り返してみた。
スキルとの動きの綱引きでダメになるのが3回。
イメージが弱くて、普通にスキルの提示した動きを実行したのが2回。
魔力と肉体の余裕は十分にある。
でも、かすかに心が揺れているかもしれない。
タメ切りできる回数と、トレントの幹の残りを考えようとするのを、大きく息を吐いて停止させる。
できなかったときのことは、そのとき考えればいいって、自分に言い聞かせるように心のなかでささやく。
実行しようとすることは、針に糸を通すよりもはるかに繊細で精密なこと。
大斧を振りかぶり、魔力を高める。
自分のなかの経験を脳裏で羅列していく。
必要性、現状での意味の有無も考えない。
薪割、フォレストウルフ、黒竹、デビルウルフ、ゴブリン、魔樫、ウールベア、ウルドム、ハイラムと思い浮かべて、蓄積された経験を俯瞰する。
一瞬、スキルをオフにしようかとも考えたけど、即座に振り払う。
私を教え導いてきたスキルを拒絶してどうするのだ。
……中途半端に反発するんじゃなくて、もっと深くスキルと対話してみるのはどうだろう。
基本かつ土台となる動きは、スキルが示してくれる。
そこに、私がこれまでの経験で得たものを参考に、未知の境地へと引き上げるだけだ。
さらに、斧と伐採のスキルに、仮定の無数の動きのイメージを判定させていく。
否定されて、否定されて、否定される。
ダメ出しの嵐。
スキルが私の成長することを拒絶してるんじゃないかと疑いそうだけど、そんなことはないだろう。
私の求める答えの範囲が狭いだけ。
そこにかすりもしていないから、すべて否定されてしまう。
…………でも、それぞれ否定の強度が違う……かな?
否定の度合いが弱いものを参考に、イメージを再構築。
否定、修正、否定、修正、否定、修正。
「……あの、大丈夫ですか?」
チャルネトの声が聞こえたような気もするけど、反応している余裕はない。
大斧を構えて、魔力は十分に高まっているのに、実行すべき動きが決まらないから、魔力が四散しないようにと余計に魔力を消費している。
貴重なタメ切りの回数が減ったともいえるだろう。
でも、どうでもいい。
重要なのはスキルとの問答。
無限に繰り返したかと思われる否定と修正の問答だけど、実際には10分もかかってはいないのだろう。
見えた……ような気かする。
それこそ、糸のように細い正解だ。
魔力、重心、動き、タイミング、少しのズレを許容するような遊びはない。
繊細でシビアな道だ。
その上、これが正解だと確定しているわけじゃない。
でも、やるだけだ。
現状、目指すべき理想に近い空想。
待機させ続けた魔力と肉体を反応させる。
イメージした動きとタイミングを完璧にトレースしていく。
けど、途中で体の主導権を失うように、スキルによって動きを阻害される。
失敗だ。
でも、問題はない。
半分くらいはいけた。
大斧を振りかぶり、魔力を高めつつ、イメージを修正。
ゆっくりと意識を集中させていく。
失敗も、成功も、考えない。
ただ、やり切るのみ。
始動。
笑みを浮かべてしまう。
わかってしまった。
ネタバレだ。
この一撃は、
「……嘘」
白昼夢でも見たかのようなチャルネトの小さな驚きの声が、すべてを物語っている。
大斧はトレントの幹で止まることなく振り切れた。
真新しい切り株と、伐採されたトレントが結果だ。
『斧スキルが上がりました。斧スキルが38になりました』
『伐採スキルが上がりました。伐採スキルが35になりました』
『レベルが29に上がりました』
長らく聞いていなかったアナウンスが聞けて、少しだけ泣きそうになってしまった。
久しぶりだと、少しだけ浸りたくなったけど、思い出す。
久しぶりじゃなくて、初めてだ。
スキルをオフにしないでスキルが成長したのは。
まあ、スキルをオフにする習慣のない世間としてはこちらの方が、一般的なのだろう。
けど、私にとっては新鮮で、わき上がる多幸感と達成感で空腹や眠気や疲労なんて影も形もない。
なにしろ、新たな修行の仕方が見つかったから。
許されるなら、このまま魔境でトレントの伐採を継続したいところだ。
でも、命のかかった契約があるし、チャルネトの状態を考えれば、帰還するしかないだろう。
ああ、実に、残念だ。
次回の投稿は11月22日金曜日1時を予定しています。




