3 薪を求めて
『斧スキルが上がりました。斧スキルが3になりました』
感情を感じさせない無機質な声。
だけど、私にとってはなにものにも勝る待望の声だ。
結局、この声を聞くまでに、1か月もかかってしまった。
当初の予定だと数日で成果が出なければ方針を転換するつもりだったけど、途中から自分が楽しくなってきて薪割りを止められなかった。
でも、後悔はない。
それに、斧スキルが成長したから、この方針は間違いじゃなかった。
最初の1回は、斧スキルによる補正を全開にして、脳裏と体に焼き付いたモーションの残滓と残響を頼りに自力での再現を試みる。
そんなことを愚直に繰り返して、斧スキルの成長へとたどり着く。
試行錯誤をしながら斧を振るい一歩一歩と完成形へと目指して近づいていくのは、困難でありながら、日々のモーションの精度向上などの成長が実感できるから充実していた。
ほんの少しだけ、自身を満たす達成感と、爆発するような歓喜に浸る。
バカみたいに声を上げて、走り回って、全身で増大する感情を処理したいけど、残念ながら体は今日の薪割りで酷使されて、立っていることすら辛い。
そこら辺に、倒れて横になりたいけど、そうしたら自力で起き上がれなくなる自信がある。
眠ってしまうかもしれない。
そんなことになったら、世にも恐ろしいことになってしまう。
…………母のトルニナに怒られる。
怒られると言っても、説教やゲンコツとかじゃなくて…………薬草だ。
どうにも母は、私への説教の効果が低いと考えたようで、さらなる私への罰として恐ろしいことを思いついた。
最近の食事の様子から、食材として出される薬草を私が苦手としていることに、気がついてしまったようで、日々の食事に出される薬草の量を増量してきたのだ。
この暴挙を周囲に伝えようにも、食事に出される薬草の量が多くなるのは、辺境のこの村ではいいことであって咎められることじゃない。
逆に、母は愛情深いと評価が上がるかもしれない。
それでも騒げば、私はただの親不孝者と見られてしまう。
村八分になってしまうかもしれない。
前世を思い出してから、それなりに立つけど薬草になれることができない。
まあ、薬草の疲労回復とかの効果は実感して素直に凄いと思うけど、味覚的にあれを許容できるかは別だ。
だから、母の逆鱗を避けるためにも、倒れない程度に余力は残しておく。
薪割りは、あと1回だけ。
成長した斧スキルの力を確認する。
ゆっくりと薪をセット。
すっかり手になじんだ赤いゴブリン銅の斧を振り上げ、頭上で1度停止する。
疲労や雑念を吐き出すように、深く呼吸。
数度、呼吸を繰り返すごとに、薪へ斧を振り下ろすことのみに意識を没入していく。
呼吸を繰り返すうちに、雑音を切り捨てることで鳥や虫の声もやがて遠くなり、周囲は仮初の無音になる。
夕暮れの深く赤い光も、疲労で熱を持った全身を優しくなでて冷やしてくれるそよ風も意識の外。
大きく息を吐いて、止める。
体に染みついて最適化されたモーション、それを成長した斧のスキルでさらに強化。
「……クソが」
自然と口から悪態が零れた。
それでも、声が嬉しそうで笑顔を浮かべていることを自覚できる。
だって、仕方がない。
嬉しいんだから。
薪は割れている。
とても綺麗に割ることができた。
そんなことはわかっていたこと。
けど、予想外のこともあった。
不安があった。
もしも、自力で斧スキルの見せるモーションを再現できてしまったら、その先の境地がないかもしれないと。
スキルとしての成長はあっても、動きの最適化はこれ以上できないかもしれない。
目標が色あせて見えて、先には灰色の境地しかなくて、背後から迫ってくる灰色にまとわりつかれるかもしれないと心配だった。
でも、実際は杞憂でしかなかった。
成長した斧スキルが見せたものは、さらなる先の境地。
極めたかもしれないと不安になる私の慢心を嘲笑うように、見せつけられた。
一つ一つの動作をより速く、より高い精度で行われた薪割りという動作。
完璧に思えた自分の動作が、どんなに拙くて未熟かわからされた。
だから、凄い悔しいけど、凄く嬉しい。
まだ、私はさらなる境地を目指せる。
「…………どうしたものか」
私は困っている。
とても困っている。
昨日、1か月ぶりに斧スキルが成長したから、さらに斧スキルを成長させるためにも、斧を振るって薪割りをしたいのに、肝心の薪がない。
1つもない。
冗談でも、比喩でもなく、割るべき薪が1つもない。
…………まあ、原因はわかっている。
というか、当たり前のことで、私が斧スキルを成長させるためにと薪を割り過ぎただけ。
レベル、ジョブ、体格、スキルの全てが父に比べて劣っているから、子供の私の薪割りは遅い。
それでも毎日、欠かさずあれだけ長時間、薪を割っていれば、この家にストックされていた割る必要のある薪がなくなるのは当然のこと。
現状だと物理的に割るべき薪がないので、薪割りをすることができない。
もっというなら、近所の農奴の家にも割るべき薪がない。
斧スキル成長のために、自分の家に割り当てられた薪は早々に割りつくしたから、近所に住む複数の農奴の家の薪を、お手伝いということで割らせてもらった。
だから、この1か月で、近所にストックされている薪も割ってしまっている。
最近、近所の住人から、珍獣でも見るような目を向けられているような気もするけど、多分、気のせい。
まあ、近所の住人が私を奇異の目を向けるのも理解できないわけじゃない。
少し意外なんだけど、この世界でスキルを成長させようとするのは悪いことじゃないけど、同時に一日中薪割りをして倒れるまで頑張って成長させるものでもない。
将来のジョブのために、スキルを習得して成長させたほうがいいけど、日々の生活や親の仕事の手伝いや遊びのなかで、それができればいいかな、という感じだ。
幼少期から死に物狂いで、スキルを習得して成長させようとする人もいるけど、それは一部の武芸に特化した貴族などの高貴な家柄や魔法とかが使える特殊な家柄だけ。
大半の平民はそんなことをしない。
特に、私みたいな農奴の子供がそれをやると周囲から奇異に見えるみたいだ。
前世で言えば、8歳の子供が自発的に1日中勉強をしたり、体力づくりだと言って1日中走り続けたら、周囲から少し変な子に思われる感じかな。
まあ、私は周囲の視線を気にしないけど。
これで両親の近所での肩身が狭かったら、今後の行動どうするか考えるけど、特に気にしていないみたいだ。
母は無理をするなと、別の意味で気にしている。
父は仕事場や近所の集まりで、私が斧スキルを成長させる天才だと親バカ感丸出しで自慢しているそうだ。
…………恥ずかしいので、止めて欲しい。
私は天才なんて特別じゃなくて、前世を思い出して、斧スキルを成長させることが楽しくなっているだけだ。
頭が変だと思われるから、両親にそんなことは言えない。
それは、ともかく薪がない。
だからといって、周辺の木を適当に伐採して薪にすることもできない。
能力的に周辺に自生している木を伐採することが難しいというよりも、この村のルールとして禁止されている。
基本的に、周辺の森とかで自生している木や果物などの自然の恵みは、村長の物。
この村の住人だからといって、勝手に伐採したり採取したら、罰せられる。
まあ、正確には、村長の物じゃなくて、ここら辺の領主である子爵から、村長が周辺の管理を任されているから村長に裁量権があるらしい。
なら、村長に一声かければ、木を伐採していいかというと、そうでもない。
村長が周辺の環境を破壊しすぎないように、年にどれぐらい木を伐採するかは決めている。
だから、私が斧スキルを成長させたいからといって、周辺の木の伐採を認められるとは思えない。
これが暖を取るための薪が枯渇しているとかの理由があれば、ここの村長は村人の生活に理解があるから認めてくれたと思う。
けど、個人的なスキルを成長させたいという理由だと無理かな。
だけど、実のところ、村長の許可がなくても自由に伐採していい木が近場に存在している。
この村の近くにある魔境だ。
魔境に存在している木を伐採することを禁止する決まりはない。
だから、私が魔境に存在する木をすべて伐採しても大丈夫。
そんな自由に伐採していい木があるのに、この村では魔境の木を伐採しないで、魔境以外のエリアの木を伐採して薪にするのかと、疑問に思いそうだけど理由がある。
まず、魔境の木を伐採していないかと言うと、答えはノーだ。
この村でも、魔境の木を伐採して、それを子爵や国に税として納めたり、行商人に売ったりして資金を得ている。
それに、私の父も畑での仕事以外に魔境で木を伐採する仕事を村長から、任されているうちの一人だ。
ただ、魔境の木ならどれでもいいわけじゃなくて、魔樫という魔境の少し深いところで自生している木を伐採している。
というよりも、近くの魔境で自生している魔樫以外の木は、あまり価値を認められていない。
これには子供の私でも知っている理由がある。
魔境の木は総じて伐採しにくい。
そもそも硬いし、斧で深く切っても、1日で切り倒さないと切り口を自己修復してしまうほど、生命力が強い。
冗談でも、比喩でもなく木を深く切っているのに、1日放置してしまうと切り口がなくなってしまう。
そんな木が普通に自生している。
そして、苦労して伐採しても、大半の木が無駄に硬くて、重い。
それなのに、割れやすくて加工しにくかったりして、日用品や建築材に向いていない。
燃料として見ても中途半端に燃えにくいし、絶対に燃えないわけじゃないから、防火素材としても使えない。
炭に加工するのも手間で、普通の木材よりもはるかに時間を必要とする。
それで、完成した炭は、普通の炭程度の価値。
この近くの魔境の木材で、有用なのは魔樫くらいだ。
魔樫は槍などの柄や魔法使いの杖、高級な建築材として重宝されているし、魔法にある程度の耐性があるらしいので、城とかの城門などにも使われているらしい。
それに、魔樫は見た目が黒檀のように美しいので、高級な木製の家具に加工されることもあるそうだ。
だから、ここの近くの魔境で苦労して伐採する労力に見合うのは魔樫だけ。
でも、ある意味で私にとっては都合がいい。
なにしろ、薪にも木材にも使えないけど、斧スキルの訓練としては十分に価値がある……と思う。
実際に、魔境で木を伐採したことがないから、確実に斧スキルの成長に有用だと断言できない。
それに、魔境の木なら伐採してから1か月後、そこには新しい木が生えているだろうから、万が一にも私が木を伐採しすぎて、草木の生えない荒れ地に変えてしまう心配もない。
こういった地球の常識外の事実を知ると、ここが地球じゃないんだって強く自覚する。
ついでに言えば、魔境に出現する魔物たちも狩りつくして、その地域から魔物を絶滅させることが難しい。
だから、気合を入れて魔物を狩っても、ゲームでモンスターがリポップするかのように、一定以下の数にはならないという。
一定以下にならないなら、父も定期的に参加しているゴブリンの間引きも意味がなさそうだけど、そうでもない。
狩りまくっても一定以下にはならないけど、魔物の数を一定までは減らせる。
逆に、狩らないで放置していると、イナゴのように爆発的に増えて周囲に壊滅的な被害が出てしまうことが時々ある。
魔境に近い辺境の開拓村が壊滅する理由のうちの1つが、魔境で魔物の間引きを怠ったことで、魔物の津波にのまれるというものがある。
まあ、一定以下まで減らして、さらにいくつかの条件を満たせば魔物の出現しにくい普通の領域にして、魔境から解放できるらしい。
もっとも、国か大貴族レベルじゃないと難しいらしいので、普通の辺境の村が単独では不可能だと言える。
そんな地球の常識外な魔境に行ければ、魔境に自生する木を相手に私の斧スキルを成長させるための訓練ができるだろう。
……まあ、行ければね。
物理的には可能だ。
この近くの魔境は私のような子供の足でも、すぐにたどり着ける。
でも、村のルールで、ジョブのない子供が単独で魔境に行くことを許していない。
魔境の浅い場所なら、ゴブリンとかの危険な魔物をあまり見かけないらしいけど、絶対に出会わないわけじゃない。
魔物はテリトリーのようなものを持っているから、自分のテリトリーからあまり出てこないけど、ゲームのモンスターと違ってプログラムによって強制されていないから、魔境の浅い場所でも魔物と出会う可能性は低いけどある。
前世、自然豊かな森に、10歳未満の子供だけで行こうとしたら、危険だからと止める。
この世界の魔境は、比較的安全な浅い場所でも、前世の森よりもよほど危険だ。
私にとっては魔境へ行くことを邪魔するルールだけど、普通に考えて子供だけでそんな場所へ行くことに制限をかけるのは当然かな。
なら、ジョブのない子供が魔境に行く方法がないかといえば、そんなことはない。
ジョブを得る前の子供が、魔境へ行く方法はいくつかある。
1つには、ジョブを得ている大人に引率してもらう。
ちなみに、私は父や母に連れられて、魔境の浅い場所で薬草の採取を手伝ったことがある。
しかし、この方法は現実的じゃない。
魔樫の伐採やナゾイモ畑の管理に家事などの仕事を早めに終わらせた両親が、薬草採取に行くために私を連れていくことはある。
けど、私が斧スキルを成長させたいからといって、両親を1日中拘束するわけにいかない。
当たり前だけど、両親は農奴なのでそれぞれ村長から任されている仕事というものがあるから、私の斧スキル成長のために仕事を休むことはできない。
父の仕事は主に、畑でのナゾイモ採取と魔境で魔樫を伐採することだから、魔樫を伐採するときに一緒についていけば魔境に行けそうだけど、これもダメ。
ジョブを得ている大人が引率してくれても、子供が入れるのは魔境の浅い場所。
魔樫の自生しているゴブリンのような魔物と普通に出会う危険な魔境の深い場所に、子供を連れて行けない。
向上心のある農奴の子供に付き合って、1日中魔境ですごしてくれるヒマな大人でもいればいいんだけど、色々と余裕の少ない辺境の開拓村にそんな余剰人員はいない。
でも、子供が魔境に行く方法はこれだけじゃない。
一応、子供だけでも、全員が戦闘用のスキルを持っていて、3人以上なら許されている。
もっとも、村としては、許しているけど推奨しているわけじゃない。
普通の大人の感覚として、魔物と出会う危険な魔境に子供だけで行かせたくないのは当たり前のこと。
だけど、近場に危険な場所があれば、度胸試しとかの秘密の遊び場にするのが、子供だ。
なので、禁止して無謀なことをされるよりも、最低限のルールを作って守らせるという方法を選んだらしい。
こういうルールは、この村のルールなので、別の魔境に近い村だとルールが違うのかもしれない。
幸い、私には戦闘用のスキルを持っている友人の当てがある。
というか、私は実のところ友人たちのなかで、スキルを得るのが一番遅かった。
ということで、友人たちを誘って魔境の浅い場所に行こうかと考えている。
懸念があるとすれば、斧スキル成長のために、友人たちからの遊びの誘いを断りまくってたから、絶交されている可能性がないともいえない。
…………普通に考えて、個人的な理由で何回も遊びの誘いを断りまくったら、大人でも関係が険悪になる。
果たして、幼い子供が私のわがままに理解を示してくれるだろうか?
…………難しいかな。
前世から継承した奥義、土下座を披露したら許してくれないだろうか。