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転生者は斧を極めます  作者: アーマナイト


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2-13 クルールア

 初日は、胃に優しそうな具のないスープ。


 次の日はドロッとした、なにかの白い薄味のポタージュスープ。


 そして、今日は体力が回復してきたと判断されたのか、米が出てきた。


 この世界に米があるのは知っていたけど、ここで出てくるとは思っていなかったから、少しだけ不思議な気持ちになる。


 実際のところ、私は前世から、米というか食事に強い情熱を持っている方じゃなかったので、前世でも1週間パンが続いても気にしなかった。


 まあ、薬草とナゾイモという味覚を破壊する食事が、日常だったときはどうにかしようと苦心したけど、水準以上の味なら米でもパンでもイモでも主食がなにかは気にしない。


 だから、出された米を見ても、少しは懐かしいと思ったけど、狂喜乱舞するほどじゃなかった。


 それに、出された米は、シンプルな炊いた白米じゃなくて、お茶漬けのように汁で満たされている。


 一瞬だけ、おかゆかとも思ったけど、汁と米の状態を見るとお茶漬けという方が適切な気がした。


 チャルネトの説明によれば、この料理は干し肉茶漬けと呼ばれているらしい。


 獣人の国で一般的な塩と香辛料で漬け込んで、乾燥させた干し肉は、獣人以外だと硬すぎて食べられなくなるけど、柔らかくなるまで煮込むと良い出汁が出て、これを炊いた白米に出汁を取った干し肉ごとかけた出汁茶漬けにしているそうだ。


 この料理は、転生者の第3王子ハイラムが考案したらしい。


 始めはドゥール王国内の獣人が領主をしているオシオン侯爵領でのみ流行していたらしいけど、獣人の国から来た商人などに知られると、獣人の国にも広まって今では定番食になっているそうだ。


 …………他に、現実逃避するネタはないだろうか?


 私の前から干し肉茶漬けが消えてくれない。


 当たり前か。


 決して匂いは悪くないのだ。


 中華のようであり、カレーのようでもあり複雑でスパイシーな香りが食欲を刺激する。


 前世で、普通のお茶漬けも、出汁茶漬けも嫌いじゃなかった。


 でも、これを食べることには躊躇してしまう。


 多分だけど、味は悪くないと思う。


 生の薬草や、薬草とナゾイモをゆでた物よりは、美味しいだろうと確信できる。


 視界にはシンプルで素朴な木製の丼に、炊いた白米と出汁がなみなみと注がれ、食べやすそうにほぐれた干し肉と、刻まれた緑色の野菜が散りばめられているけど、これは問題ない。


 そう、生の薬草に比べれば、どんな物でも味で劣るということはないだろう。


 なら、なにが問題なのかと言えば、もう1つの具材だ。


 ……具材だろうか?


 多分、具材だ。


 なんと形容すべだろうか?


 前世で1番近い物を言うなら、カブトムシの幼虫が近いと言える。


 些細な形状の違いはあるけど、大きさ的にも私の知識のなかで1番近い物はカブトムシの幼虫だ。


 色だけは違っていて、濃い黄色をしていて、それが4つ、丼のなかに存在している。


 一応、間違いで配膳した可能性にすがって、チャルネトに視線を向けるけど、彼女はなぜすぐに食べないのかと、不思議そうにしているだけだ。


 これで彼女の悪意に属する感情による行為である可能性は減った。


 戦場で、多くの知り合いの獣人を私が殺したから、ささやかな意趣返しとして、丼のなかに幼虫が入れられている可能性を考えたけど、どうにも善意によって、この幼虫は存在しているようだ。


 食べないという選択肢はない。


 虜囚という立場で拒否権がないということもあるけど、相手が善意で出した物を個人的な感性や感情で否定するのは、完全に悪手だ。


 違う文化圏に赴いたときに、相手側の善意や好意で、サル、イヌ、ネコの肉、あるいは昆虫やクモの料理を出されても、内心で悶絶しながら涙を流しても、表情は笑顔のままで完食すべきだろう。


 これが一期一会の相手ならまだしも、関係を悪化させるべきじゃない相手ならなおさらだ。


 結論は出ている。


 食べるしかない。


 それに、私は村長の話で、魔物に分類される昆虫やクモが出現する魔境の周辺では、普通に食材として日常的に食べられていると聞いたことがある。


 だから、この世界の食文化として、幼虫くらい出てくる可能性は十分に考えておくべきだったのだ。


 …………どう考えても食べるしかない。


 それに、見た目のインパクトはあるけど、前世の知識で幼虫は美味しいという記憶がなくもない。


 とりあえず、少しレンゲっぽい形状の木製のスプーンで、米と出汁と干し肉と緑の野菜をすくって口に運んでみる。


 1口目で、幼虫を避けたのは、ビビったからじゃない。


 まずは、他の物の味を確かめてからにしたかっただけだ。


 不思議な味が、口のなかに広がった。


 マズくはない。


 どちらかと言えば美味しい。


 フォレストウルフの肉よりも美味しいとは断言できないけど、この干し肉茶漬けのほうが複雑な味だということだけは断言できる。


 濃厚な豚骨スープに浸された米という感じだけど、それだけじゃない。


 ほぐれて柔らくなった干し肉がチョリソーのような風味を出しつつ、中華のような香りをまとって、少し遅れてカレーのような複数のスパイシーな味と香りが追いかけきて味を複雑にしている。


 これだけだと、味が濃くてしつこくなりそうだけど、一緒に入っている刻まれた緑色の野菜が、ニラのような香りで料理全体をつつんで、1つの料理として調和しながら、後味がまるでシソのように爽やかで、口のなかがスッキリして、すぐにもう一口食べたくなってしまう。


 食感はピーマンのようで、ニラのような香りで、後味がシソの緑色の野菜。


 不思議だ。


 香りと後味と食感が、違いすぎてケンカしそうだけど、それぞれの強弱が絶妙で調和がとれている。


 むしろ、この野菜が入っていないと、この干し肉茶漬けは、ただただ味が濃くてくどいだけの料理になっていだろう。


 素材は干し肉、米、緑色の野菜しかないのに、この干し肉茶漬けは複雑でバランスのとれた味だ。


 逆に、これになにか食材や調味料を足すのは、蛇足じゃないかと思ってしまう。


 …………まあ、私が干し肉茶漬けをどう思ったところで、現在の丼のなかに存在する黄色のカンブトムシの幼虫のような物は消えてくれたりしない。


 はぁ、食べるしかないのか。


 実のところ、味に関しては、それほど警戒していない。


 なら、なにが嫌なのかといえば、カブトムシの幼虫を食べるということへの心理的な嫌悪感だ。


 頭は食べるべきだと了解しているのに、心が全力で拒絶している。


 けど、状況と立場を考慮すると、食べるしかない。


 スプーンで黄色のカブトムシの幼虫をすくい持ち上げる。


 なに、ちょっと変わった黄色のソーセージだと思えば…………無理だな。


 できるかぎり無心で、思考を停止して一気に食べよう。


 しかし、幼虫のサイズ的に、一口で食べきれない。


 噛んで食いちぎらないといけないな。


 ……想像したらダメだ。


 ソーセージのような食感かと思ったけど、もう少しモチっとして弾力がある。


 つまり、嚙みちぎるのに、コンマ数秒だけど予想よりも時間がかかるのだ。


 少しだけ、歯を止めたくなるけど、意思の力で進行中の行動を実行する。


 ちぎれたと思った瞬間に、口のなかにドロッとした食感の物が広がった。


 嫌悪感が先行してえずこうとするのを意思の力で耐えると、口のなかに広がったのは不快感じゃなくて、美味しさだった。


 一番近いのはカニのようなうま味の溶けたホワイトソースだろうか。


 少し遅れてブルーチーズのようなクセのある味と香りが追いかけてくる。


 でも、嫌じゃない。


 クセのある後味と香りが、アクセントと深みになっている。


 実に複雑で奥行きのある味だ。


 干し肉茶漬けの汁とも合っていて、濃厚さとスパイシーさが複雑に絡み合って前世では出会ったことのない味をしている。


 干し肉茶漬けに、この黄色の幼虫が入っているのも、味覚的に当然と言えるだろう。


 味だけで言えば、完璧な下味と焼き加減のフォレストウルフの肉よりも上だといえる。


 けど、ビジュアルが問題だ。


 スプーンに残る黄色のドロッとしたものを溢れさせる幼虫の断面は、こちらの精神を削ってくる。


 一口食べて、頭がこれは食べ物と理解したのか、嫌悪感が減ってはいるけど、消えてなくなったわけじゃない。


 味は美味しいと断言できるのに、どうしてもスプーンを口に運ぶ手の動きが、ゆっくりになってしまう。


 自然な形で、食事の手を止めるために、一口飲みこむごとにチャルネトに話しかけた。


 それはもう、この干し肉茶漬けに多大な関心があるように。


 チャルネトの言葉に、笑顔で相槌を打ちながら、心を落ち着けてから幼虫を口に運ぶ。


 美味しいのに苦行という不思議な体験だ。


 だけど、わかったこともある。


 このニラの香りとシソの後味、ピーマンの食感の緑色の野菜は、ラーラという獣人の国の特産品で、収穫してから漬けたり干さなくても半年くらいは常温で腐らないらしい。


 そして、この黄色のカブトムシの幼虫のような物は、クルールアという生き物で、こちらも獣人の国の特産のようだ。


 なんでも、このクルールアは伐採した木をエサとして食べさせていれば、半年くらいで1メートルの大きさに成長するらしい。


 本来なら、それくらい大きく成長させてから、食べるけどカブトムシの幼虫サイズの生後1か月くらいが、1番味が濃厚で美味しいから、祝い事や客人にふるまう時は、こちらを出すそうだ。


 やはり、私は少なくともチャルネトからは、嫌われているわけじゃないらしい。


 異国の食材や料理の話というのは、それだけで新鮮で面白いと思ってしまう。


 なにしろ、私の生活圏は村と魔境だけだったから、それほど好奇心が強い方だとは思わないけど、それでも自分たちとは違う営みや文化というのは興味深い。


 チャルネトの話が一区切りしたところで、丼に残った最後の黄色の幼虫クルールアをスプーンに乗せる。


 これを食べれば干し肉茶漬けの完食だ。


 4回目ということで、小さくなってきたけど、嫌悪感がクルールアを口に入れることに抵抗しようとするので、あえて無心でスプーンを動かす。


 クルールアを口にくわえて嚙みちぎる直前に、それは起こった。


 この部屋で目覚めてから、今まで1度もなかったできごと。


 つまり、この部屋の木製のドアを開けて、チャルネト以外の人物が入ってきた。


「目覚めたと聞いたが、少し話せ……」


 入ってきたのは、白磁のように透き通るような白い肌が特徴的な銀髪碧眼の20前後の男性。


 かなりの美形だが、切れ長の瞳と厳しい顔つきをしているので、冷たくて近づき難い雰囲気がある。


 けど、彼は現在、困惑して言葉を続けられないようだ。


 なぜ、彼は困惑しているのか?


 なんらかの用事があって私を訪ねてきたのに、その本人は黄色の幼虫クルールアを口にくわえているからだろう。


 彼の服装はフォーマルいうほど堅苦しさはないけど、素材と仕立ての良さを感じさせる服装だ。


 これだけで彼がそれなりの身分の人物だと推測できるけど、それ以上に腰に帯びている剣が彼という人物を教えてくれる。


 普通の人々にとっては、美しい細工の施されただけの柄だろう。


 これだけで、個人の特定はできない。


 けど、私は違う。


 目撃した時間は、10分あるか、ないかという短い時間。


 あの剣に思い入れ…………いや、トラウマがある。


 なにしろ、私の命を奪いかけた剣だ。


 刃の部分が鞘に収まって見えなくても、間違えたりはしない。


 当然、その剣の持ち主は、ドゥール王国第3王子ハイラム。


 全力で殺し合いをした相手。


 多分、本来なら、お互いに探るような緊張感が流れるところなんだと思う。


 けど、私は現在進行形で口に黄色の幼虫クルールアをくわえている。


 とてもじゃないけど、緊張感を出せる姿じゃないだろう。


「チャルネト、どういうことだ」


 ハイラムの言葉に、チャルネトは首を傾げながら応じる。


「なにがでしょうか、殿下?」


「わからないか?」


 ハイラムの指先がせわしなくリズムを刻んでいて、どうにもチャルネトの察しの悪さにイラ立っているようだ。


「はい」


 チャルネトも自分のなにかが、ハイラムの気分を害しているとわかっているけど、それがなんなのかわからなくて困惑しているのだろう。


 彼女の内心を表すように、黒い猫のような尻尾が焦ったように動く。


「……はぁ」


「殿下?」


「彼が口にしているのはクルールアではないのか?」


 確認するようにゆっくりと聞くハイラムに、チャルネトはなにもやましいことはないというように堂々と胸を張って応じた。


「はい、そうです。体力が回復しているようですが、もっと元気になってもらおうと思い、滋養強壮に良いので用意しました」


 なるほど、この黄色の幼虫クルールアは滋養強壮に良いから、用意されたのか。


 チャルネトに悪意がなかったことはわかったけど、彼女はハイラムが気にしている理由がわからないようだ。


 なにかを言って助け船を出すべきかもしれないけど、簡単に口を開ける雰囲気じゃない。


 そもそも、私はクルールアをくわえたままで動けなくなっている。


 別に、行動を禁止されているわけじゃないけど、雰囲気的に微動だにできない。


 チャルネトの弁解というか、説明によれば、私の食べたというか、食べているクルールアは、彼女が直接用意したというよりも、ここの屋敷で働く獣人の侍女たちからの善意で、私に元気になってもらいたいと渡された物らしい。


 チャルネトの話を聞いてハイラムが顔をしかめて発情期とか、警備を厳重にとか言っているけど、どういう意味だろうか?


 気になるけど、気軽に聞ける雰囲気じゃない。


 ハイラムが干し肉茶漬けを獣人以外に提供するときにクルールアをどうするべきか確認したら、以前に言われたことを思い至ったのか、チャルネトの顔が血の気が引いたように青くなる。


 少しだけ安心した。


 黄色のカブトムシの幼虫のようなクルールアに対して、嫌悪感を抱いてしまうのは、前世の記憶を持つ私だけじゃないようだ。


「すみませんでした」


 チャルネトの耳がへたりこんで、見え隠れする尻尾にも元気がない。


 仕事のできる男装の麗人じゃなくて、仕事に失敗した新人社会人のようだ。


「あの……謝罪を受け入れます」


 それ以外に、選択肢がないといえ、本当にそこまで不快に思ったわけじゃない。


 得難い未知の体験をしたと思えば悪くないはずだ。


「ありがとうございます」


「俺からも謝罪を」


 とハイラムが続けそうなので、先に私が口を開いた。


 彼には殺されかけたけど、それは戦場でのことだ。


 なにも思っていないとは言わないけど、消えない恨みや深い憎しみがあるわけでもない。


 それなのに、王族に謝罪させるのはよくないだろう。


 後で周囲に発覚して、面倒ごとになりかねない。


 なので、全力で回避だ。


「いえ、それよりも」


「なんだ」


「これ、食べてしまっていいですか?」


 そう言って、一度口から離してスプーンに戻したクルールアを示した。


 ハイラムが苦笑しながら応じた。


「……ああ、食事を続けてくれ」

次回の投稿は8月2日1時を予定しています。

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