2-11 第3王子ハイラム
ドゥール王国の第3王子ハイラム。
この時点で、意味がわからない。
この戦場の王国側のトップは、次男か、三男が成人した侯爵のはずだと、傭兵のゴルディドは言っていた。
ゴルディドの情報が間違っていたということだろうか?
それとも、目の前の金属鎧を装備した男の言葉が嘘で、第3王子じゃない可能性。
あるいは、第3王子だけど、なんらかの事情で侯爵よりも立場が低いとか…………わからない。
少なくとも、周囲にいる獣人の敵兵たちは、この男に畏敬のようなものを抱いているように思える。
まあ、それが第3王子という身分じゃなくて、この男の強さに対してのものかもしれないけど、私にそれを判別することはできない。
それに、聖剣士というジョブはなんなのだろうか。
もちろん、私はこの世界のジョブのすべてを知っているとは言えない。
どうあがいても、私は辺境の村で育った農奴。
多くの知識に触れる機会があったとはいえない。
それでも、一般的に知られている上級戦闘職のジョブは大体把握している。
村長の元で読み書きを学んだ嬉しい副産物で、財産だ。
なのに、知らない。
詳細を知らないじゃなくて、聖剣士というジョブの名前すら聞いたことがなかった。
けど、この強そうな王子様が選んだジョブだから、かなり強いジョブなのだろう。
王子という身分で、ハイレベルの装備に身を包み、レアなジョブを得ている。
こいつが神々に愛されているのか、私が神々に嫌われているのかと、少しだけ世の不公平が恨めしいと思えてしまう。
それにしても、このボスラッシュのような地獄はいつまで続くのだろうか。
万が一にでも、こいつに勝利できたら、次はこの国の王様が出てきたりしないだろうかと、妄想をしてしまう。
まあ、意味のない現実逃避だ。
こいつに勝つどころか、今の私の状態だと戦闘になるのかすら怪しい。
一応、クルム銅製の赤い大斧を、王子に向けて戦意があるように見せかけてるけど、それが限界と言える。
あるいは、武器を放り出して、土下座して、縋り付いて、命乞いをすれば、助かる可能性があるかもしれない。
正面から戦うよりは、生存の可能性が高いだろう。
リザルピオン帝国への忠誠心も、愛国心も皆無の私にとって、選択肢としてなくない。
なくはないんだけど、体が屈することを拒んでいる。
まあ、屈するよりも、私の全力が通じないとしても、どこまで迫れるのかは試したいと思っているのかもしれない。
けど、それ以上に、根本的なところで私はこいつに屈したくないのかもしれない。
なにしろ、こいつは腰に帯びた剣を抜くことなく、無造作に距離を詰めてきている。
その程度の技量、その程度の脅威だと、こいつの無防備な歩みが、私をそう見なしていると、雄弁に語っている。
傲慢な油断じゃなくて、実力に裏打ちされた余裕の表れなのだろう。
とはいえ、弱いと見なされる側としては面白くはない。
それが事実だとしてもだ。
私の積み上げてきたものが否定されているように感じてしまう。
弱者の被害妄想なのかもしれない。
まあ、要するに、一撃も試さないで屈することを、私の心身が納得していないのだろう。
不合理なことだ。
死ねば、次なんてないのに。
わずかに腰を落として大斧を振りかぶり、ゆっくりと息を吐いて、体に溜まった熱と疲労が、排出できると思い込む。
体の各所が、痛みや熱で、限界だと告げてくるけど、無視する。
斧スキルを起動して、最速にして最強の一撃に最適のモーションをいくつも算出していく。
同時に、起動できない伐採スキルを起動できたと思い込んで、無限にある選択肢のなかから、狙うべき場所とタイミングを導き出す。
再び、体が痛みで警告してくるけど、意思の力で黙らせる。
全身全霊で、今の私ができる究極の一撃を出す。
恐怖、不安、未練、無数にうごめく雑多な感情を置き去りにして、心を、感情を斧を振るうことだけで、埋め尽くす。
疾走。
数メートルの間合いを一瞬で詰めて、王子が大斧の軌道に重なると同時に、一気に振るう。
踏み込み、重心移動、体の各所で発生した力が、遅滞なく伝達していき、究極一つの動きへと昇華していく。
空気を、空間を、音を破壊するどころか、時間すら追い抜くように大斧が加速する。
ある種の結末を期待した。
すべてを破滅させるような音が響き渡って、フィナーレへと至ると。
けど、響いたのは不思議な音色。
金属同士をこすり合わせたような高音。
不快じゃないけど、不安になる音色。
私の振るった大斧は盛大に空を切った。
けど、大斧は避けられたんじゃなくて、王子の振るう剣によって軌道を書き換えられたのだ。
形としては、私がウルドムにしたのと似ているけど、この王子のほうがはるかに上手で洗練されている。
実際、王子は私の攻撃をさばくのに、私が攻撃に込めた半分の力も出していないだろう。
攻撃が空を切って、無防備な状態になりそうだけど、即座に大斧の軌道と力に逆らわずに、むしろ次の動作の起点へ切り替える。
まるで、そうであったかのように、スムーズに大斧の連撃を繰り出す。
繰り出しては、王子の剣にさばかれる。
攻撃をさばかれても、私が無防備にならずにすんでいるのは、村長との模擬戦の経験があるからかもしれない。
けど、王子のほうが滑らかに私の一撃をさばく。
兜で顔を確認できないから、絶対とはいえないけど、この王子は20前後。
それなのに、村長よりも強い。
しかも、手にしている剣も、青白い魔力の光を放っている。
刀身そのものが青い色という珍しい大剣サイズの剣。
これも、かなりレアな物だろう。
装備も、持ち主もすきがない。
けど、これだけ実力の違いを見せつけられても、諦めの思いはなくて、一矢報いようという思いが強くなる。
ただの意地だ。
なにしろ、この王子が殺す気になれば、すでに私は死んでいる。
でも、私は死んでいない。
それは、この王子が、私を観察しているからだ。
観察と言っても、勝機を見つけるためにとか、逆転の目を潰すためとかじゃない。
そういうのは、少なくとも戦いの形になっていないと成立しないだろう。
この王子の私へ向ける観察の目は、科学者が実験動物の行動を記録するためのものだ。
格下どころか、この王子は私を戦っている相手と見なしていない。
ああ、だから、王子の兜の隙間から感じる視線が不快だ。
見えるわけがないのに、見下すような視線を向けられたようで、気分が悪い。
情報収集というよりも、この王子の好奇心を満足させるために生かされている。
それを証明するように、強引に後方に下がって距離をとるけど、王子は攻撃してこないで見逃す。
「「「うぉおおおーーー!!!」」」
周囲を取り囲む獣人が興奮したように歓声を上げる。
少しだけイラつく。
私は獣人たちの敵だから変じゃないけど、こんな王子があきらかに手加減している状況で興奮するのはどうなんだ。
まあ、多くの獣人の敵兵を殺した私が、無様に追いつめられる状況というのは、ある意味で見世物として面白いのかもしれない。
「見事なものだ。ウルドムに勝てたのは偶然ではないようだな」
王子の言葉は単純な称賛なのかもしれないけど、追いつめられて心が荒れている私は上から目線で見下されていると感じて、応じる声にも険が混じってしまう。
「それは、どうも」
「しかし、赤い装備に身を包んだ10人前後の精鋭か」
どうやら、この王子は私だけじゃなくて、一緒に村からきた仲間のことも把握しているようだ。
追撃のための別動隊を差し向けられていないといいんだけど、王子からはそういう雰囲気は感じられない。
けど、そうなると、赤い装備を身につけた少数の部隊のことを口にした王子の意図がわからないので、
「……?」
無言で首を傾げてしまう。
「いや、まるで武田の赤備えだと思っただけだ」
王子の言葉になるほどと思いながら、なんとなくの好みで武田よりも真田のほうがいいと思いながら応じる。
「どうせなら、真田の赤備えと言って欲しいですね」
「それなら、六文銭を掲げておくべきだな」
「確かに」
会話をしながら、会話が成立していることに、違和感を覚える。
武田の赤備え?
真田の六文銭?
なぜ、この王子はそんなことを知っている。
偶然、奇跡的に口から出てきた?
ありえない。
そうなると、導き出される結論は一つだけだ。
「「…………」」
私と王子の間を沈黙が支配する。
それも、重苦しくて圧迫感のある沈黙だ。
「なるほど……貴様……そういう手合いか。強さの理由もそれか」
雰囲気を一変させた王子が、吐き捨てるように言った。
予想だけど、この王子は私以外にも転生者に出会ったことがあるのだろう。
そして、その転生者は、この王子を転生者というだけで激怒させる程度にはやらかしたようだ。
そのせいで、油断ゼロの絶対殺すモードの王子と、私が戦うことになるのは運がない。
……いや、考えようによっては、これは奇貨かもしれない。
確かに、私への殺意と戦意は、先ほどまでよりも高くなっている。
けど、私へそれだけ強い感情を向けているということは、物理的、感情的な視野が狭くなっていると考えられる……かもしれない。
もとから、生路も勝機もないけど、それはそれだけのこと。
私が王子になにもできないことを意味しない。
現状の私でも一矢報いるくらいはできるだろう。
やるのは強撃。
手の内を知っていれば、対処できるけど、知らなければ初見殺しになる……ことを願う。
問題は、現状の私で負荷と消耗の大きい強撃が発動できるのか。
まあ、これはやってみるしかない。
もう一つは、この王子も強撃と似たような技を思いついている可能性。
この王子が転生者だというなら、この世界の固定感念に縛られていないから習得している可能性を否定できない。
でも、やるしかない。
それ以外に、反撃の目はない。
呼吸を整えながら思う。
手にしているクルム銅製の大斧が重いと。
まあ、これだけ大きいから重くて当然なんだけど、消耗して疲労困憊の身だと、扱うのがきついと思ってしまう。
それに、普段は気にならない鉄蛇草の布鎧も、わずらわしいと感じる。
かなり消耗している。
でも、私のすべてを絞り出せば、あと数秒間くらいは全力で動けるだろう。
王子は青い剣を構えることもなく、だらりと持っている。
すきだらけなのに、すきがない。
すきに見えるすべてが、後の先で対処できるという自信の表れ。
兜に隠れて見えないはずなのに、強い殺意のこもった眼光を向けらているのがはっきりとわかる。
過去の誰かの行いで、私へと強い殺意が向けられることを理不尽に思わないでもないけど、今はできる限り活用するしかない。
大斧を頭上にかかげて、大きく息を吐いて止める。
懐かしい。
いつかの、ゴブリン銅製の斧で薪割をしていたころを思い出す。
まったく、走馬灯なら早すぎる。
強撃を前提に、斧スキルで最適なモーションを導く。
不思議なことに、恐怖はあまりない。
数秒後には確定で、死ぬのに。
それよりも、この王子の度肝を抜けるかもしれないことの方が楽しみだ。
一切の反撃を許さずに殺せる存在。
そう見なしていた相手に、一矢報いられる。
想像したら、なんとも爽快で笑える光景だ。
魔力を爆発的に反応させると同時に、あらかじめ決められていたモーションを実行する。
突進で一気に間合いを詰めると同時に、大斧を振り下ろす。
正真正銘、私の出せる最速にして最強の一撃。
けど、
「クッ!」
王子は青い剣を大斧に合わせるように上段から振り下ろして拮抗した。
拮抗。
これだけ格上の相手なら、拮抗でも十分に凄いことだろう。
でも、それだけだ。
王子は少し驚いているけど、血の一滴も流れていない。
だから、次だ。
青い剣と拮抗する大斧から両手を放して、さらに間合いを詰める。
近すぎて剣を振るえる距離じゃない。
王子が剣を振るうためには、距離をとらないといけなくなる。
時間にしてコンマ以下のロス。
王子にとっては、致命的なロスじゃない。
普通なら。
でも、私はこの刹那を最大限に活用して見せる。
手は腰に帯びたクルム銅製の鉈の柄をつかむ。
15の身だと、小ぶりだと思っていたけど、今は都合がいい。
この短い間合いで適切に振るえる。
でも、普通に振るっただけだと、この王子には届かない。
だから、再び強撃を使う。
居合のように鉈を高速で鞘から抜き斬撃を放つ。
けど、強撃が発動すると同時に、強烈な虚脱感に襲われる。
自身が希薄になるような不快感も自己主張をしてきた。
命にかかわる重大な体からのシグナルかもしれない。
でも、無視だ。
今は動くしかない。
赤い閃光が青白い光を放つ白銀の鎧を切り裂く。
思ったよりも、簡単に鎧の防御力を突破できた。
これなら、勝てるかもしれない。
そんな考えか脳裏に浮かんだ瞬間、嘲笑うように強撃の強化状態が解けてしまう。
鉈を振り抜くまでは持つかと思ったけど、ダメだった。
原因は……自分自身の消耗が激しすぎた。
1日に5回は使えるはずの強撃だけど、それは自分自身が万全の状態ならという前提条件がある。
酷使しすぎたようだ。
「グガッア」
顔面を殴られた反動で、体が王子から離れる。
顔面が痛くて、鼻血が止まらない。
けど、生きている。
この王子の身体能力なら、拳の一撃で私を殴り殺せたはずなのに……なぜ。
答えは、目の前にあった。
青い剣を上段に構えた王子。
脇腹に鉈がめり込んでいるのに、そのたたずまいに揺るぎはない。
不思議なことに、さっきまで王子から放たれていた憤怒の殺意がなくなっている。
死に逝く私への手向けの一撃だろうか。
青い閃光と衝撃が体を襲う。
王子の袈裟斬り。
強撃を使った私の一撃よりも速いかもしれない。
……未練だ。
この世界で努力すれば、あの境地に斧で届いたかもしれない。
知りたかったし、体感してみたかった。
できれば、その先の領域も。
でも、無理だ。
痛みはない。
けど、急速に血と一緒に熱が失われていく。
失われる熱の名前は命だろう。
体があおむけに倒れる。
けど、空が見えない。
すでに、その機能が失われているようだ。
残念だ。
空を見ながら死ぬなんて、なかなかロマンチックだと思ったんだけど。
未練は無数にあるけど、後悔はない。
全力で生きた結末だから。
だから、この結末でも灰色の気配はなく、後悔もない。
次回の投稿は7月5日金曜日1時を予定しています。




