2-10 斧聖対木こり
「ガアァアア」
気合の声というよりも、獣の咆哮のような声を出しながら、クマの獣人ウルドムが両刃の大斧を振り上げて、突っ込んでくる。
フェイントや間合いの駆け引き、牽制の動作なんてないわかりやすい動きだ。
でも、わかりやすくはあるけど、対処が簡単というわけじゃない。
間合いを詰める速度、大斧を振るう速さの、どちらも一級品。
現状の私だと防御は不可能。
回避は不可能じゃないけど、悪手だ。
次を考えない全力での回避になるから、反撃へとつなげられない。
回避を強制され続けて、追いつめられる未来しかないだろう。
だから、私は可能な対処を全力で実行する。
一瞬、素早く息を吐き、脱力の後に、斧スキルを全力で起動。
こちらもクルム銅製の片刃の大斧を振りかぶると同時に、ウルドムに向かって突進する。
すなわち、攻撃で攻撃を迎撃するということだ。
なぜ、だろう。
私が動くと同時に、こちらの意図を理解したのか、ウルドムは歯をむき出しにした凶悪な笑みを浮かべている。
意味がわからない。
獣人というのは、バトルジャンキー、ウォーモンガーと呼ばれる戦闘に魅入られた戦闘民族なのだろか?
私も魔境で魔物と連日戦い続けることはよくやったけど、それは斧を極めるためでしかない。
戦闘は手段であって、目的じゃなかった。
なので、私のようなまっとうな感性のタイプには、強い敵と戦うことに喜びを見出す戦闘狂のことは理解できない。
まあ、理解なんてする必要はないだろう。
ただ、倒せばいいだけだ。
空間を破壊するような爆音が鳴り響く。
まるで、世界が悲痛な断末摩を上げたようだ。
現場を見なければ、これが大斧をぶつけ合った音だとは、誰も思わないだろう。
強烈な反動と衝撃が全身を襲う。
大斧の魔樫製の柄をしならせて、衝撃を吸収しつつ、転倒しないようにバランスを取りながら、5メートルほど地面を両足で削りながら後退した。
これでも正面からじゃなくて、威力と衝撃をそらすように、ウルドムの大斧の芯をわずかにズレた方向から大斧で迎撃したのに、この衝撃。
同格なら、相手のほうが姿勢を崩す技だったのに、私のほうがはじかれてしまった。
まあ、でも、この手の経験が私にはある。
最近は、一撃で狩れるようになったけど、昔はデビルウルフやウールベアを相手に、何度も攻撃をはじかれていた。
だから、反動が強くて、姿勢を崩すなんてことはない。
「「「うぉおおおーーー!!!」」」
私とウルドムを遠巻きに囲むようにしている獣人の敵兵たちが、興奮したように歓声を上げる。
ただ、一合やり合っただけなのに、大げさな。
それにしても、思う。
こいつらは、ヒマなのだろか。
リザルピオン帝国側の戦力として考えたなら、私はなかなかのものだ。
でも、それだけでしかない。
私は農奴だ。
戦場での戦果としては、弱くても貴族を倒した方がいいだろう。
でも、こいつらは、撤退する者たちを無視して、農奴の私を相手に足を止めている。
……無事に帰れたら、村長に文句を言いたい。
獣人を直情的で、戦闘を好むとは聞いたけど、戦果とか戦争における優先度を無視するような、戦闘狂だとは聞いていなかった。
まあ、聞いていたところで、対処法なんてなかったんだけど。
それに、視点を変えれば、これだけの強敵たちを足止めできて、アプロアたちの撤退成功率が上がったと考えれば、この苦労も無駄じゃないのかもしれない。
短く速い呼吸を一つして、突進して、クルム銅製の大斧を振るう。
さっきの光景を再現するように、轟音と共に大きくはじかれる。
けど、恐れも不安もない。
それに、ウルドムは私と違って反動で後退していないけど、即座に追撃できる余裕はないようだ。
もう一度、小さな呼吸をしてから、大斧を振りかぶり、突進する。
再び、轟音と共にはじかれる。
何度も、何度も、何度も、繰り返して、はじかれて後退した。
周囲の獣人たちは、悠長に興奮している。
けど、私を後退させて、一見すると優勢に見えるウルドムの表情が徐々に険しくなっていく。
20合を超えると、後退する距離は4メートルに。
50合を超えると、後退する距離は3メートルになり、100合を超えたときには後退しなくなっていた。
徐々に、拮抗状態に持ち込んで、私が有利に見えるかもしれないけど、そんなことはない。
根本的に、地力でウルドムに私は負けている。
体格、種族、ジョブ、その恵まれた身体能力が生み出す斧の速度と破壊力は、私の出せる限界を超えている。
けど、それだけのことだ。
速くて、強い攻撃は、戦闘で重要な要因だけど、絶対的というわけじゃない。
まあ、情けない負け惜しみなんだけど。
筋肉は熱を持ち、骨格は軋み、関節は崩壊寸前。
拮抗状態を演出するだけで、私の体はボロボロ。
でも、ウルドムには余裕がある。
その頑丈な身体能力は素直に羨ましい。
だから、このまま私の体がダメになる前に、勝敗の天秤を私の方に傾ける。
そもそも、なぜ、身体能力に劣る私が、ウルドムと戦えているのか?
相手の武器が斧だということが大きい。
なにしろ、斧の扱いに関して私は、それなりに熟知している。
種族や大斧が両刃か、片刃の違いはあるけど、それを振るう術理に大きな違いはない。
だから、ウルドムが大斧を効率的に振るおうとすれば、手に取るようにわかる。
それに、初めて知ったけど、私の斧スキルがウルドムの斧を振るう動きを、私の経験則とは別に解析して、教えてくれている…………ような気がするのだ。
ウルドムが速くて強くても、どう動くのかわかれば、現状の私の能力でもなんとかなっている。
後は、伐採スキルのおかげかもしれない。
もちろん、相手は獣人で樹木でも植物でもないから、伐採スキルは起動できない。
だけど、伐採スキルを起動して、大斧を振るった膨大な経験と感覚が、私のなかにはある。
伐採スキルは、樹木を伐採するときに、補助してくれるスキル。
こんな説明だけ知ると、用途の限定された微妙なスキルに思える。
けど、実際には微妙どころか、かなり有用なスキルだった。
特に、斧を極めようとしている私には恩恵が大きい。
伐採スキルは、樹木に斧を振るおうとしたときにサポートするスキルというよりは、どこにどう振るうべきかを教えてくれるスキルだった。
例えば、中身が空洞でしなる黒竹と、頑丈で中身のある魔樫だと、最適な斧の振りに違いがある。
見えている対象の表面を狙うのか、奥にある芯を狙うのかなどだ。
簡単に言えば、たったそれだけのことが、わかる程度。
だけど、これがかなり有用だった。
伐採スキルのおかげで、対象への最適な斧の振るい方を意識するようになったからなのか、魔物相手でも斧の振り方に変化が出るようになった。
もちろん、魔物が対象だと伐採スキルは起動できないけど、どこを狙いどう振るうかの術理は蓄積されているから、その魔物相手に最適な振りに近いものになっていると自覚できる。
だから、経験と斧スキルでウルドムの動きを予想して、伐採スキルで得た術理で振るうべき最適な場所を予想。
ウルドムとの100合を超える経験は、予想の精度を上げる。
後退する距離はなくなり、150合を超えると逆にウルドムの姿勢がわずかに崩れてきた。
ささいな崩れだ。
通常なら、リカバリーは可能かもしれない。
少なくとも、致命的なすきにはならないだろう。
でも、この場で、私相手には決定的だ。
確かに、私にはウルドムを即座に倒す身体能力も技量もない。
けど、遅効性の毒のように、少しずつウルドムの姿勢を崩すことは可能だ。
ウルドムも姿勢を直そうとしたり、状況を仕切りなおそうと、試行錯誤をするけど、それを一切許さない。
間断なく、ウルドムの生路への一手を潰していく。
ウルドムの浮かべる表情が、驚愕というよりも、戸惑っているようだ。
当然だろう。
ウルドム自身、どうして自分が追いつめられているのかわからないと断言できる。
自分よりも遅くて軽い攻撃に、徐々に追いつめられていく。
酷い詐術にでも引っかかった気分だろう。
追いつめられてもウルドムの大斧の振りに、変化はない。
どこまでも、まっすぐで素直だ。
そのまっすぐさには好感を持てるけど、ウルドムの斧の振りに関しては、怒りに似た感情すら抱いている。
そもそも、ウルドムも斧スキルを習得しているはずだから、こちらの動きを少しは分析できるかもしれないのに、それをしている形跡がない。
そういう発想がないのか、そういう手段を必要としていなかったのだろう。
それに、ウルドムは体の動かし方、重心移動を少し改善するだけで、すぐに2割以上の威力と速度の上昇が見込めるだろう。
けど、ウルドムはそれをやっていない。
恵まれた体格、獣人という種族、斧聖というジョブの補正に頼りすぎている。
同じ斧を使う者として、斧への冒涜にすら感じてしまう。
…………言い過ぎかもしれない。
まあ、おかげで私にはつけ入るすきがあった。
斧のより深い使い方を教えてくれた、伐採スキルと木こりのジョブに感謝だ。
もしかしたら、斧聖のジョブを選択していたら、負けていたかもしれない。
今までよりも、大きな音が炸裂して、ウルドムの姿勢が大きく崩れる。
一切の油断も遅滞もなく、クルム銅製の大斧を振るう。
すぐに、私の振るう大斧はウルドムを物言わぬ死体に変える。
なのに。
それなのに。
なぜ。
笑顔なんだろう。
ウルドムが浮かべているのは、恐怖でも、憎悪でも、怒りでもなく、清々しい笑顔だ。
そんな表情を死に際に見せないでもらいたい。
大斧を振るう速度と覚悟が鈍りそうになるから。
けど、大斧は止まることなく、ウルドムの巨体を両断した。
「「「うぉおおおーーー!!!」」
今までで一番大きい歓声が、周囲の獣人たちから上がる。
理解できない。
理解できないけど、少しだけこの歓声がウルドムの鎮魂になればと思ってしまう。
…………傲慢な勝者の感傷だな。
私はウルドムに勝てたけど、こちらも疲労困憊だ。
一撃もウルドムの攻撃を受けていないから、見た目の上では無傷。
でも、肺は酸素を求めて溺れそうで、全身の筋肉が熱を持っていて痙攣している。
疲労骨折やヒビが入っているかもしれない。
つまり、もう一度、ウルドムクラスの強さの相手と戦うのは難しいだろう。
いや、そもそも戦えるのかすら、自分自身で確信が持てない。
現状はなんとか、微動だにしない勝者を演じているだけだ。
けど、
だけど、
私の死は決定的だ。
奇跡的に、次の相手に勝てたとしても、その次は無理だろう。
生きて帰還できる道はない。
死にたくはない。
未練もある。
だけど、どう考えても、この獣人の壁を突破して村へと帰還する方法が思いつかない。
ああ、クソ。
悪足掻きするように全力で生きる道を探す一方で、冷静な自分が詰んでいると告げくる。
それは、突然だった。
バカみたいな歓声を上げてた獣人たちが、徐々に静かになったと思ったら、獣人たちの包囲網の一部がほどけた。
一瞬だけ、全力で突破を試みるかと思ったけど、直感が拒絶して動くことができない。
獣人たちの輪をほどいて、全身金属鎧の人物が現れた。
一目見て理解した。
理解できてしまう。
勝てない。
私じゃどうやって工夫しても勝てない。
鑑定スキルを持っていなくても、こいつには勝てないと確信できた。
恐怖で膝を折りそうになる。
震えているが、疲労のためか、恐怖によるものか自分でも判別できない。
熱を持っていたはずの全身に寒気が走る。
空気が重苦しくて、意識しないと呼吸が上手くできない。
「ウルドムに勝つとは、見事だ」
顔も覆うフルフェイスの兜を被っているから、少しくぐもっているけど、若い男の声だ。
もしかしたら、私と同い年かもしれない。
全身鎧の男を観察する。
穴が開くほど観察すれは、生路が見つかるかもしれないって祈るような気持ちで。
…………あきれた奴だ。
こいつの鎧は光り輝いている。
けど、それは金属製の鎧が綺麗に磨かれて光を反射している輝きというわけじゃない。
明らかに鎧そのものが、光を放っている。
それも青白い魔力の光。
職人が作ったのか、ダンジョン産なのかは不明だけど、かなりの高性能な鎧だということは断言できる。
私の装備している鉄蛇草の布鎧よりも、圧倒的に上だ。
多分、単純にお金があれば入手可能という鎧じゃないだろう。
入手するためには、強力な権力者とのコネか、難関のダンジョンを踏破するような実力が必要になるはずだ。
装備、実力で劣っているのに、退路なし。
まさしく死地だな。
どうせなら蜘蛛の糸ぐらい頼りないものでいいから、生存への希望を見せて欲しいものだ。
「ドゥール王国、第3王子ハイラム。ジョブは聖剣士」
金属鎧の男、ハイラムの言葉に困惑する。
どうして、第3とは言え王国の王子が、侯爵の指揮する軍にいて、私と敵として向き合っているのだろう。
わけがわからない。
わけがわからないけど、沈黙しているわけにいかないから、平静なふりをして応じた。
「農奴、木こりのファイス」
次回の投稿は6月21日金曜日1時を予定しています。




